実直勇者と公爵の苦悩
「わたくしがイリス嬢の正体に気付いたのは、イリス嬢がブルローネ家を継いで暫く経った頃、闘技場の調査を行った時です」
「え? そんなに早くから闘技場を調査したのですか?」
「いえ、これは調査といってもただの慣例行事でして、各機関が真面目に仕事をしているかを監査するという憲兵隊としての通常業務でした」
闘技場内を適当に視察してイリスを労うだけの簡単な仕事、この時のカーネルはその程度にしか考えていなかった。
誰もいない闘技場内を一通り見て回ったカーネルは、最後に貴賓室へと足を運んだ。
「わたくしはそこで、思わぬ物を発見したのです」
貴賓室で、壁の一部に細工を施した形跡を見つけたカーネルは、犯罪の形跡があるかもしれないと思い、辺りに誰もいないのを確認して壁を剥がした。
しかし、出て来たのは犯罪の形跡ではなく、一冊の古びた日記だった。
「流石にレディの日記を見るのは憚れるのですが、生憎と日記の筆者はイリス嬢ではありませんでした」
「では、誰の?」
「それは、先代のブルローネ卿、つまりはイリス嬢の夫の日記でした」
故人の日記を盗み見るのはいけない事とわかっていたが、それ以上に、突然亡くなったブルローネ卿が日記に何を残していたのだろうか? という疑問の方が大きかったカーネルは、欲望には勝てず、ブルローネ卿が残した日記の中身を見た。
「それは、ブルローネ卿の心境の変化が綴られた日記でした」
前半は、闘技場の経営が上手くいかない事の苦悩と、罪の無い人を魔物に変え、更にはゼルトザーム公爵を殺してまで闘技場の運営を続けなければならないことへの後悔と懺悔の言葉が綴られていた。
「その頃の日記には、いつか自分の悪事が白日の下に晒されるのでは? という恐怖で毎日怯えているようでした」
しかし、そんな日記に、ある時期から変化が訪れる。
それは地下に捕らえていたゼルトザーム家の娘が薬の副作用で大人へと成長し、そのあまりの美しさに一目惚れして、思わず求婚してしまったというところからだった。
「苦悩を吐露するだけの内容だった日記ですが、イリス嬢との結婚から一転します」
結婚すれば命を助けてやるなどという卑怯な方法で娶った妻だが、彼女に笑顔を向けてもらえるだけで、今までの苦しみが嘘のようになくなり、夜も楽に眠れるようになったこと。
彼女がいるだけで、他は何もいらない。
彼女が笑ってくれるのならば、自分はいくらでも手を汚すことが出来る。
そこからの日記の中身は、イリスとの結婚がいかに幸せだったかを中心に書かれていた。
「……自分の幸せを守る為だといっても、人を攫って魔物にしていいはずがない」
余りにも自己中心的な内容の日記に、ロイは辟易したように顔を歪める。
「もし、本当に幸せになりたかったら、もっと別の道を捜すべきだったんだ」
「……そうですな。ですが、結果として、方法を変えなかったことが、ブルローネ卿の身を滅ぼすこととなります」
それは、イリスがゼルトザーム公爵の死の真相を知り、夫であるブルローネ卿に復讐をしようと画策し始めたことだ。
毒によって徐々に衰弱していく体を見て自分の死期を悟ったブルローネ卿は、完全に動けなくなる前に自分の日記を闘技場の貴賓室に隠した、というわけだった。
その言葉を聞いて、ロイは驚きに目を見開く。
「まさか、ブルローネ卿はイリスさんが復讐しようとしていることを知っていたのですか?」
「そうです。毎日の食事に少量の毒を盛り、衰弱させようとしていることを知っていながら、ブルローネ卿は自ら毒を摂り続けたのです」
更に驚くべき事は、日記の最後のページに書かれた言葉だという。
「この苦しみから解放されるのならば、それが妻の手によって成されるのならば、これ以上の喜びはない。日記の最後はそう締めくくられていました」
「…………」
結びの言葉を聞いて、ロイは言葉が出てこなかった。
殺されることが至上の喜びだというブルローネ卿の抱えていた闇が、どれほどの大きさなのかは想像もつかなかったからだ。
「勇者様、これだけは覚えておいてください」
すると、絶句したように固まるロイに、カーネルは優しく語りかける。
「殆どの人は、勇者様のように強くないのです。間違っているとわかっていても、辞めなければと思っていても、それが上手くいっているうちにそれを手放すのは、普通の人には非常に困難なことなのです」
ブルローネ卿のやって来たことに一定の理解が出来るのか、カーネルは渋面を作って苦笑する。
「かく言うわたくしも、イリス嬢の正体や、闘技場での不義を知った後も、様々なしがらみに囚われて何も出来ませんでした。憲兵隊の力は弱く、又、貴族からの報復を恐れたというのもあります」
「……カーネルさん」
「そんなわたくしに出来たのは、来てもらった勇者様に情報を流し、全てを救ってもらえるように託す。そして、出来れば何も知らないまま立ち去ってもらうという、なんとも情けない方法でした」
全てを白状し終えたカーネルは、とても疲れた顔をしており、何だか一気老け込んでしまったようだった。。
「それで、どうしますか? わたくしを暗躍者として王に告発なさいますか?」
「そう……ですね。正直に言うと、それも考えました」
ロイが正直に告げると、カーネルは思わず身を固くする。
顔を青くしているカーネルに、ロイは「もし」と前置きして話を続ける。
「カーネルさんが自分の利益の為に、人を陥れる為に今回の計画を企てたのなら、俺は迷うことなく告発したでしょう。ですが、カーネルさんはイリスさんを救う為、この国の過ちを正す為に行動を起こしたんですよね?」
「……そう思っていただけるのであれば、幸いでございます」
「だったら、俺としてはこれ以上、何も言う事はありません」
これはロイが自己満足の為に勝手に起こした行動なので、疑問さえ解消できれば満足だった。
「でも、カーネルさんの思惑に乗ったままなのは癪なので、一つだけ約束してください」
「……何ですか」
警戒するように佇むカーネルに、ロイは手を差し伸べて笑顔で話しかける。
「どうかあの娘を、ヴィオーラの事を幸せにしてあげて下さい」
「――っ、わかりました。この命に代えてもあの娘を幸せにしてみせます」
カーネルは恭しく頭を下げると、ロイの手を握り返した。




