実直勇者と女魔法使いのとっておき
「…………え? な、何が……」
リリィがおそるおそる顔を上げると、自分の正面にいたリザードナイトが、それどころか、周りにいたはずの魔物が一掃されていた。
何が起きたのか訳が分からず、辺りを見渡すと、
「…………」
呆然と一点を見つめるイリスの姿を認めた。
そちらに何があるのだろうか。状況が掴めず、混乱した頭でリリィがイリスが見つめている方角へと顔を向けると、
「……何、あれ?」
異変の正体に気付いた。
リリィの視線に先、エーデルがいた辺り一帯に、黒く、ドロドロした全てを呑み込んでしまいそうな得体のしれない何かが大量に発生していた。
「あ……ああ……」
その得体のしれない何かを見ているだけで、リリィは全身が震え、恐怖で膝を着きそうになるのを実感する。
それはまだ残っている魔物たちも同じようで、その余りにも禍々しい気配に、誰もが動くことが出来ず、その得体のしれない何かを凝視していた。
すると、得体のしれない何かの中心から、何やら魔法の詠唱のような歌が聞こえ始める。
地獄より尚暗き、奈落の底よりい出し死を掌る冥主よ
万物を深淵の奔流へと誘う闇の王よ
我は破壊を、真の暗黒を求めし者なり
願わくは我が魂の産声に呼応し給え
彼の力を得られるなら我は願おう
あらゆる罪過を打ち砕くだけの業を
彼の魔を得られるならを我は誓おう
あらゆる咎人の汚名を雪ぐことを
例えこの身が煉獄の炎で朽ち果てようとも
汝が描く終焉に綴る画賛をここに体現せしめよう
さあ、共に漆黒の彼方へと堕ちよう
――アルミール・ハデス
最後に魔法名と思われるものが発音されると、得体のしれない何かが一瞬にして収縮し、一つにまとまって人型を成す。
「な、何よそれ……」
得体のしれない何かに代わり、露わになったエーデルの姿を見たイリスが驚愕に目を見開く。
「フフン、どう? これが私のとっておきの装喚魔法、アルミール・ハデスよ」
得意気に語るエーデルの姿は、一言で言うなら悪魔だった。
頭には二本の長い角、背中には蝙蝠を思わせる巨大な二枚の羽、更には臀部に先が尖った特徴的な尻尾まで生えている。服装もローブ姿から、体の要所だけを悪魔の爪のような物で隠した目のやり場に困る扇情的な格好となっていた。
「この魔法は冥府の王、ハデスの力をその身に宿す魔法よ。どう? とっても魅力的な姿でしょう?」
頬を上気させ、得意げに魔法の特徴について語ったエーデルは、自分を慰めるように手を官能的下半身から上半身に這わせ、赤く濡れそぼった唇に当てて妖艶に笑う。
歓楽街にいる遊女でもそこまではしないだろうと思われるエーデルの挑発的な行動に、口を開けたまま呆然と見ていたリリィは、
「…………ち、痴女だ」
今の状況も忘れて、思わず本音で呟いていた。
「ぬあぁんですって!?」
リリィの呟きを目聡く聞きつけたエーデルが、ギョロリと目を見開く。
「ヒイッ、ごめんなさい!」
「もう、遅い!」
怒りを露わにしたエーデルは、悪魔の姿になっても手にしていた愛用の杖を天に突き上げると声を張り上げて叫ぶ。
「全てを滅せし闇よ来たれ、シュヴァルツゼンゼ!」
すると、杖が一瞬にして黒い靄に包まれ、次の瞬間には身の丈よりも大きな巨大な鎌へと姿を変えた。
「この姿の良さがわからない悪い子には……」
エーデルは巨大な鎌を肩に担ぐように構えると、足を大きく広げて踏ん張る。
「お仕置きしてあげるわ!」
そう言うと、手にした巨大な鎌を横薙ぎに払った。
すると、三メートルを越す漆黒の刃が鎌から発射され、目にも留まらぬ速さでリリィと、周りにいた魔物を漆黒の刃が飲み込んだ。
「ヒッ!?」
体が引き裂かれる。そう思ったリリィが反射的に体を窄める。
「……………………あれ?」
しかし、漆黒の刃が通過した後、リリィの体には何の変化もなかった。
自分の体に異変がないか、何度も確認しながらリリィが顔を上げると、
「う……そ……」
自分の周りを見て、思わず息を飲んだ。
リリィの周りにいた魔物たちは、足首から上、全てが跡形もなく闇に飲まれていた。
魔物たちは跡形もなく消し飛んでいるのに、建物には傷一つついていない。どういう理屈かはわからないが、エーデルが放つ攻撃は、魔物にだけ作用しているようだった。
「どう? これが大抵の魔物を一瞬で葬り去るハデスの力の一端、シュヴァルツゼンゼよ」
魔物を一掃して気を良くしたのか、エーデルは巨大な鎌に舌を這わせながら、蠱惑的に微笑む。
「エ、エーデル……ふざけてないで、早く助けてくれ!」
すると、悦に浸っているエーデルに水を差すような悲痛な叫び声が上がる。
「あら?」
エーデルが声のした方に目を向けると、三体のキマイラに壁際まで追いやられ、今にもその鋭い牙の毒牙にかかりそうなほど追いつめられているロイがいた。
致命傷こそ受けていないものの、やはり魔法と体当たりで受けたダメージは深刻なようで、動きにキレはなく、攻勢に出ようにもキマイラの攻撃を防ぐだけで手一杯になっていた。
キマイラたちの攻勢に防戦一方となっているロイを見て、エーデルは真っ赤な唇の端を吊り上げ、底意地の悪い笑みを浮かべる。
「あらあら、ロイったら中々のピンチじゃない。ねえ、助けてほしい? 助けたら私のいうこと何でも聞いてくれる?」
エーデルからの質問に、ロイは攻撃をどうにか凌ぎながら苛立たしげに叫ぶ。
「クッ……この……いい加減にしないと怒るぞ!」
「いやん、怒らないでよ。冗談よ、冗談」
エーデルは可愛らしく舌を出すと、鎌を一振りして自分の周りに集まり始めた魔物を一掃して、再び鎌を肩に担ぐ。
「届け、私の愛!」
何処まで本気なのかは不明だが、楽しそうに叫びながらエーデルが再び巨大な鎌を振るう。
すると、今度は先程とは比べ物にならないほどの巨大な漆黒の刃が生み出され、ロイを取り囲んでいた三体のキマイラを飲み込むと、一瞬にして跡形もなく消し去ってみせた。
「……相変わらず、無茶苦茶だな」
漆黒の刃の圧倒的過ぎる威力に、助けられたロイですら呆れていた。
「アハハ、私とロイの仲を邪魔する奴は、闇に飲まれて肉片も残さず消えちゃえ!」
ロイとリリィを助けたエーデルは、哄笑を響かせながら鎌を振るい続ける。
「や、止めて! 私の可愛い子たちを殺さないで!」
エーデルが鎌を振るう度に、ごっそりと魔物たちが減っていく様を見て、イリスは顔を両手で覆って悲鳴を上げる。
「アハッ、い・や・よ。私に命令出来るのは、ロイただ一人なんだから」
イリスの願いを無視したエーデルは、鎌を振るピッチを更に上げて、残った魔物たちを驚くべき速さで葬っていく。
全ての魔物が漆黒の刃の餌食になるまで、そう多くの時間はかからなかった。




