実直勇者と薬の正体
「ふ、ふざけないで! そんな勝手な理由でボクの兄さんは死んだっていうの!?」
すると、今まで黙ってイリスの話を聞いていたリリィが前へ出る。
「……誰? あなた」
「ボクはリリィ・リスペット。他所から流れてきた元冒険者だ。ボクの兄さんはナルキッソスとしてあなたに従っていた。ボクと幸せに過ごす未来を信じて……」
クロクスがイリスに付き従ったのも、お金の為もあるが、全ては愛する妹、リリィの為だった。他のナルキッソスのメンバーも、全てはこの国を憂い、少しでも皆が暮らしやすくなるようにというイリスの言葉を信じて悪事に手を染めてきたのだ。
「その結果、兄さんは死んだわ! どうしてあの優しかった兄さんが死ななきゃならなかったの!? しかも、魔物にされて死ぬなんて冒険者として最大の屈辱よ!」
「あら、あなたのお兄さんは魔物になって死んだの。それはそれは、お気の毒にね~」
リリィの言葉に、イリスはコロコロと嬉しそうに笑う。
「……ふざけるな!」
怒りで唇を噛み切ったリリィは、腰からダガー抜いて臨戦態勢を取る。
「リリィ、待つんだ!」
今にも飛び掛っていきそうなリリィを、ロイが諫める。
「止めないで、ロイ。ボクは……」
「勝手はしないって約束したろ!」
「――っ!? くぅ…………わかったよ」
ここに来る前にしたロイとの約束を思い出したリリィは、しぶしぶながら抜いた矛を収めた。
ロイは「ごめん」と一言リリィに詫びてから、再びイリスに向き直る。
「イリスさん。何故、彼女の兄は魔物になったのですか? それもあなたの仕業ですか?」
その質問に、イリスは口の端を吊り上げて邪悪な笑みを浮かべると、得意気に口を開く。
「もちろん、ところであなた……リリィちゃんだっけ? あなたも元冒険者なら、冒険者の間に自身の力を増幅させる効果があるという薬が広まっているのは知ってる?」
「……これのこと?」
リリィは怪訝な顔をしながらも、腰のポーチから一つの小瓶を取り出す。
それは、スラム街の酒場でロイと戦ったグラースが、玉座の間で騎士と戦ったクロクスが飲んだ土気色をした妖しげな薬だった。
「そうそう。な~んだ、あなたも持ってるじゃないの。どうしてその薬を飲んでくれなかったの? それを飲めば、あなたもお兄さんと同じ運命を辿れたのに」
「同じ運命。まさか、この薬を飲むと……」
その事実に気付いたリリィは、慌てて薬の入った小瓶を投げ捨てる。
床に落ちた小瓶は音を立てて割れると、土気色した中身が床の上に広がる。
「ヒッ!?」
床に広がった中身を見て、リリィが小さく悲鳴を上げる。
液体だと思われた薬の中身が震え、表面に人の顔のようなものが浮かんでいたのだ。
まるで意思があるように動く液体を見て、ロイとエーデルの二人も揃って眉を顰める。
「……何だこれ?」
「これって、ひょっとして……魔物?」
「わあ、エーデルちゃんたら流石ね。魔物の動力源の話の時もそうだったけど、理解力が尋常じゃないわね~」
イリスは手を叩いてエーデルを称賛すると、自分の傍らで今も声を上げずに歌い続けるバンシーをいとおしそうに抱く。
「それはね、この子たちの体の一部を他の魔物の血液に溶かして詰めたものなのよ」
「魔物の血……じゃあ、ボクたちの力を増幅させるというのは嘘……」
「そんなことないわ~。これを飲めば力が上がるのは本当よ。でも、その要因が体の一部が魔物化しているからなの。そして、副作用として、この子たちが歌うと、取り込んだ魔物の力が目覚め、体が完全に魔物になっちゃうんだけどね」
果たしてどれくらいの冒険者が魔物になっちゃったのかしら。と呑気に呟きながらイリスは今も混乱が続く闘技場の外を見やる。
ナルキッソスと関係のないリリィですら件の薬を持っていたのだ。この薬がどれだけ冒険者の間に浸透しているかは計り知れない。
力を求めない冒険者などいるはずがない。
そして、魔物に襲われたときの対抗手段として、薬を飲む冒険者も少なくないだろう。
結果として、かなりの数の冒険者が魔物になってしまったと想像するのは容易かった。
「どう、ロイ君。こんな状況になっても、まだこの国を救うとか考えていたりする?」
「当然です。俺はその為にここに来たんですから」
イリスからの挑発にロイは即答すると、イリスへと指を突きつける。
「それに救うのはこの国だけじゃない。俺はあなたも救って見せますよ」
「わた……し?」
「そうです。これまでの話でイリスさんがこの国に相当強い恨みを持っているのはわかりました。ですが、一般庶民には持っていないものを全て持っているあなたが、何故、自分の地位を捨ててまでこの国に仇なすのか、その理由が俺にはわからない。だから、教えてくれませんか? 俺に出来る事なら何でも……」
「黙りなさい!」
ロイの言葉を遮り、それまでの穏やかな笑顔を引っ込めた、憤怒の表情のイリスが怒鳴る。
「何が、あなたも救ってみせるよ! 何も知らないくせに、よくそんな言葉が言えたものね!」
「だから、俺は……」
「黙りなさいと言ったでしょう! そんなに知りたいのなら……」
イリスは胸元から小さなナイフを取り出すと、一体のバンシーの首に刃を突き立てた。
「――――――――っ!!」
ナイフを突き立てられたバンシーが、この世の物とは思えないおぞましい悲鳴を上げる。
「ぐうぅ……」
脳を揺さぶられるような悲鳴に、ロイたちは顔をしかめてその場に跪く。
そんな中、イリスは悲鳴を物ともせず、両手を広げて嬉々として叫ぶ。
「私の子供たちを倒してみなさい! そうすれば質問に答えてあげるわ!」
バンシーの血を浴びながら恍惚の表情で叫ぶイリスの声に呼応して、闘技場の入り口から次から次へと魔物が現れた。
その数はまたたく間に入り口を覆いつくさんばかりに膨れ上がっていた。
「言うまでもないけど、この子たちも元はこの国の人間だった魔物よ。勇者ロイ君は彼等を倒す事は出来るかしら?」
「ロ、ロイ……どうするの?」
魔物とはいえ相手が元人間と解り、リリィが困ったようにロイを見つめる。
ロイはリリィに「問題ない」と笑ってみせると、声を張ってハッキリと告げる。
「勿論、戦います。相手が誰だろうと、俺の前に立ちはだかるなら容赦はしない」
「ハッ、とんだ勇者ね。目的の為ならば罪もない人でも平気で斬るというのね?」
「ええ、俺は聖人君子でも何でもありませんから……」
勇者だからと言って何でも思い通りに出来るわけじゃない。
全ての人を救うなんて奇跡は起こせない。
だから、ロイに出来る事なんて限られている。
「俺は今、出来る事を全力でやるだけです。魔物たちが元人間だったとしても、元に戻す術がわからない以上、彼等が罪もない人を襲う前に止めるだけです。彼等を殺した罪は、俺が全部背負ってみせますよ!」
ロイは折れた木剣に代わり、城の兵士から譲り受けた鉄の剣を引き抜くと、一匹だけ突出して襲い掛かってきた小人の魔物、ゴブリンを一閃の元に斬り捨てた。
目の前で散っていくゴブリンを見て、イリスは苦虫を噛み潰したような顔になる。
「相変わらず奇麗事をペラペラと……お前たち、あの身勝手な男をやっつけてしまいなさい!」
イリスが声高々に命を下すと、魔物たちが一斉に動き出す。
「エーデル、リリィ準備はいいな!」
「勿論、愛するロイの為ならば楽勝よ」
「う、うん……任せて」
ロイからの声に、エーデルとリリィが相次いで応える。
しかし、緊張からか、リリィの動きは何処かぎこちない。
それを敏感に察したロイは、リリィに向かって大声で叫ぶ。
「リリィ、集団相手に戦うコツを教えるぞ!」
「え? あ、うん」
突然の事態に、リリィは目を白黒させるが、ロイは構わず続ける。
「いいか? 俺たちは全員で一人のパーティーだ。一人でも欠けたら全滅すると思え。だから、絶対に無理はするな。少しでもヤバイと思ったら誰かを頼れ!」
「わかった。遠慮なく頼るようにする」
「ああ、俺もリリィを頼るから宜しくな」
ロイが笑顔で差し出した拳に、リリィも力強く頷いて拳を合わせる。
「あ~、私も、私も」
目の前に魔物が迫っているにも関らず、エーデルが呑気な声を上げながら駆け寄り、ロイの背中から手を回してロイの拳を両手で包み込んだ。
「……そこは横から拳を当てにくるんじゃないのか?」
「せっかくだから拳の代わりに胸を当ててみたんだけど……どう? 気持ちいい?」
こんな状況でも全く緊張感のないエーデルの態度に、ロイは大きく嘆息する。
「ロイ、エーデルさん。後ろ!」
背後から抱きつくエーデルを引き剥がそうとするロイの様子を見て、好機と思った三匹のゴブリンが武器を手に襲い掛かってきた。
リリィが慌ててダガーを構え、ロイの背後から迫るゴブリンを迎撃しようとするが、
「この、いい加減に離れろ!」
「いいじゃない。減るもんじゃないし……ヴィント!」
互いに愚痴を言いながらも、ロイは手にした剣を、エーデルは愛用の杖をゴブリン目掛けて振るう。
ロイの目にも留まらぬ斬撃で、一匹のゴブリンは一瞬にして切り伏せられ、エーデルの杖から放たれた風の魔法が、残った二匹のゴブリンを八つ裂きにする。
あっという間に三匹の魔物を切り伏せたのを見て、リリィが驚嘆する。
「す、すごっ……」
「感心している場合じゃないぞ。ここからが本番だ!」
ロイはどうにかエーデルを引き剥がすと、剣を構えて前へと出た。
「いくぞ!」
その合図を皮切りに、ロイたちと魔物たちの命を駆けた戦いが始まった。




