実直勇者と黒い計画
いつもは楽しげな声で賑わうフィナンシェの街は、怒号と悲鳴が飛び交う、地獄と化していた。
昨日まで希望を胸に抱いて外の土地を開拓していた冒険者が、魔物となって街の人々に襲い掛かってきたのだ。
冒険者全員が魔物化したわけではなかったが、いつ魔物に姿を変えるかわからない冒険者を街の人は恐れ、一部の者は殺られる前に殺れ、と数で冒険者に襲い掛かることもあった。
憲兵と騎士団が街に出て、市民の避難誘導と暴徒の鎮圧を行おうとしたが、それも大して意味を成していなかった。
人が突然魔物になったのだ。ならば、目の前の人が魔物にならないとどうして言い切れる。
誰もが疑心暗鬼に陥っている状況で、憲兵や騎士の話を大人しく聞き入れる者は少なかった。
「この国が終わっていく声が聞こえる……」
満月の光が降り注ぐ闘技場の舞台の中央、円状の幾何学模様が描かれた中心で、両手を振りながら、外の喧騒に耳を傾けて静かに瞑目する者がいた。
その者の脇には灰色のフードを被った、燃えるような赤い目をした二匹の魔物、バンシーが天を仰いで叫んでいた。しかし、その口から発せられるはずの声は何も聞こえない。
だが、その者にはバンシーの声が聞こえているのか、まるで歌うバンシーを指揮するように優雅に手を振っていた。
そのまま悦に浸るように手を振り続けていたが、
「……来た」
小さく声を発し、闘技場の客席へと目を向ける。
そこには荒い息を吐きながらこちらを見下ろす勇者ロイと、彼の仲間の姿があった。
ロイは一息で闘技場の舞台上まで飛び降りると、怒気をはらんだ声で叫ぶ。
「どうして……どうしてこんな事をするんですか。イリスさん!」
ロイからの糾弾を受けて、その者、イリスは口を大きく開けて笑い出す。
「どうしてって……ロイ君は面白いことを聞くのね~」
何がそんなに面白いのか、イリスはお腹を抱え、子供のように無邪気に笑う。
国一つを未曾有の危機に陥れたにも拘らず、そのことをまるで気にしていない様子は、人として大切な何かがごっそりと抜け落ちてしまっているようでどこか不自然に見えた。
「ちゃんと答えて下さい! この国の現状を憂い、ナルキッソスに情報を与えて少しでも格差を是正しようとしていたあなたが、何故こんな全てを壊すような事をするのですか?」
「あらあら、そこまで知っているのにロイ君は何もわかってないわね~。私は最初からこの国を壊すつもりだったのよ~」
「えっ?」
「冒険者にナルキッソスと名乗らせて貴族の館を襲わせたのも、街の人を攫わせたのも全部私がやってきたことよ。全てはこの国を壊す為に、ね」
「ば、馬鹿な! 人攫いを指示してたのもイリスさんだと言うのですか?」
衝撃の告白に、ロイは思わず聞き返していた。
「そうよ~。だって人攫いは、ブルローネ家代々の大事なお仕事だもの」
「んなっ!? 行政に携わる侯爵家の人間が代々、人攫いを行ってきたというのですか?」
「仕方ないじゃない。だって闘技場で戦わせる魔物の調達に、魔物になってもらう人が必要だったんだもの。だ・か・ら、金に困っている人間を集め、消えても騒がれない人を中心に人攫いを続けてきたの」
「っ……という事は、あの闘技場の魔物は全て……」
「そう。元はみ~んな、人間だったのよ」
それこそがこの街で闘技場を経営し、魔物研究の第一人者であるブルローネ侯爵家の研究の成果、竜王の庇護下になくても活動出来る魔物の正体だった。
「考えられる? ブルローネ家では十年以上も前から金に物を言わせて国民を攫い、闘技場の魔物を補充し続けていたのよ。だけど、国にその事実が知られることはなかった。何故なら、王は民が消える事件よりも、他国から騎士の名誉を得ることが第一で、国民も、親しい人がいなくなっても事件の解決を期待しなかった。そんな人に優しくない国なんて、滅んでしまえばいいと思わない?」
「そんな事ありません!」
嘲笑を含んだイリスの言葉に、ロイはすかさず反論する。
「人にはそれぞれ生き方や考え方があるんです。他人に興味を持っていない、人に優しくないからなんて理由で、その人自身を否定していいはずがない!」
それに、他人に積極的に関わり、献身的に尽くす事に喜びを感じる人も当然いるはず。一部の自分勝手な人間を見て、全体を判断するのは早計過ぎる。
ロイの必死の訴えにイリスは鷹揚に頷く。
「ええ、充分承知しているわ。私も国を壊すとは言ったけど、この国に住む全ての人を殺すつもりはないわ。それに、本当はこんなに早く事を起こすつもりはなかったの」
イリスの計画では、怪盗ナルキッソスを効率的に使い、悪徳貴族の財産をゆっくりと、真綿で首を絞めるように搾り取り、力を失った所で一気に国ごと転覆させるつもりだった。
しかし、途中で予想外もしなかった出来事が起きる。
人攫いが起きた現場で、ナルキッソスの犯行を示すカードが発見されたのだ。
「ナルキッソスは金の事しか考えない悪徳貴族を懲らしめる正義の義賊だった。それが人を攫っているなんて悪評が広まった所為で、ただの悪党に成り下がってしまった。しかも、事件解決を願った王により、とある人物に事件解決を依頼するまでになったのよ」
その人物が誰であったかは言うまでもない。
イリスからの憎しみの篭った視線を受けて、ロイは構えるように顎を引いた。
しかも、救世の勇者ロイは、イリスの予想を超えて優秀だった。
今まで誰も捕捉する事が出来なかったナルキッソスのコンタクトに成功したのだ。
「それもこれも、連中が私の家を勝手に標的するからよ。誰の差し金か知らないけど、金の為なら誰にでも尻尾を振る。そんなプライドもないクズみたいな考えでいるから、ロイ君みたいな優秀な人間にあっさりと見つかるのよ」
ロイはナルキッソスと王の会談の場を設け、一気に問題の解決を図ろうとした。
もし、この会談が上手くいけば、残る問題は人攫いだけとなる。
そうなれば、イリスに……ブルローネ家に手が回るのも時間の問題だった。
故に、イリスは計画を一気に前倒し、全てを壊す決断をした。
「本来なら、国が衰退したところで、関係ない人を国外に行くように仕向けるつもりだったんだけど……ロイ君が全てを台無しにしてくれたからね。今日、罪もない人が死んでいくのは、全部、ロイ君が悪いんだよ?」
イリスは口に手を当てると、声高々に笑い声を上げた。




