実直勇者と少女の泣き声
「「「……ふぅ」」」
人狼が完全に沈黙したのを確認すると、女性陣は揃って安堵の溜め息をつく。
しかしただ一人、人狼を倒した事を喜べない者がいた。
「ああ、リリィ……なんてことを……」
「……ロイ?」
ネルケの制止を振り切り、ロイは這うように前へ進む。
リリィが怪訝な顔で見守る中、人狼のすぐ脇へと移動したロイは、腹の下に手を入れてうつ伏せに倒れていた人狼を仰向けにしてやる。
「――っ!?」
その瞬間、リリィの息を飲む声が聞こえた。
仰向けになった人狼は、全身の毛が抜け落ちてその中の人物、クロクスの顔が露わになっていた。
「に、兄さん。どうして……」
兄の姿を認めたリリィは、血の気を失った顔を両手で覆いながらその場に崩れる。
自分でも何が起きているのか、理解できていないようだった。
「…………こ……は?」
すると、意識を取り戻したクロクスが蚊の鳴くような声で呟く。
「自分に何が起きたかわかるか?」
「君は……そう……か……僕は……」
ロイの顔を見たクロクスは、それだけで全てを悟ったのか、静かに目を閉じる。
「兄さん! ボク、ボクは……」
「リリィ……どうしてお前まで……」
「兄さんとロイを助けに来たんだよ。でも、まさか兄さんが魔物になっているなんて知らなくて……ボクが……」
それ以上は言葉にならず、リリィは嗚咽を堪えるように口を押さえる。
クロクスはリリィの目から流れてきた涙を拭ってやると、弱々しく微笑む。
「リリィが悪いんじゃない……全ては僕が……僕が弱かったから……」
「そんなことはない! 兄さんはいつだって……」
「すまない……リリィ。今は……それどころ…………ない」
クロクスは泣き叫ぶリリィの言葉を遮ると、ロイへと視線を向けると何事か呟く。
何か伝えるべき事があるのだろうと察したロイは、クロクスの口元へと耳を寄せる。
「いいか、僕たち……に……情報を与えて……いた……のは…………」
「っ!? まさか!?」
驚愕に目を見開くロイに、クロクスは静かにかぶりを振る。
「……じゃない…………僕が飲んだ薬も…………その人が」
「ほ、本当なのか?」
「…………」
ロイがどう思おうとも、それが真実だとクロクスの目が語っていた。
「…………わかった。後は任せろ」
ロイが頷くのを確認したクロクスは、後を任したとロイの胸を軽く小突いた。
続いてクロクスは、呆然と立ち尽くすリリィと視線を合わせる。
「リリィ……頼みが……ある」
「な、何?」
リリィはクロクスの手を握り、一言一句も聞き逃さないようにと身を乗り出す。
「最後に……笑顔を……せて…………欲しい」
「え?」
思わずリリィが聞き返すが、クロクスは既にそれに応える余裕すらないのか、虚ろな目で浅い呼吸を繰り返すだけだった。
「リリィ……彼の最後の頼みだ。叶えてやってくれ」
悲しげに目を伏せて吐露するように吐き出されたロイの言葉に、リリィの目から、堰を切ったように涙が溢れ出す。
「嘘……だよね。ねえ、嘘だと言ってよ……そうだ。あの人に回復魔法かけてもらえば……」
リリィはネルケに縋るように視線を送るが、
「……ごめんなさい。回復魔法は、その人の持っている治そうとする力を高める効果しかないの。だから、その力を失っている人にはもう……」
もう成す術はない。ネルケにそう断じられ、リリィは力が抜けたようにその場に崩れる。
ロイが咄嗟に手を伸ばしてリリィを支えるが、リリィはもはや自力で立つ気力すらなかった。
「リリィ、辛いのはわかるが、それでも彼の為に笑ってくれ、頼む!」
ロイが再び語り欠けるが、リリィは力なく項垂れたまま呆然と虚空を見つめ続ける。
「リリィ……何処…………んだ……」
もう目が見えていないのか、クロクスが何もない虚空を掴むように手を伸ばす。
「兄さん!」
ロイが何を語りかけても無反応だったリリィだが、クロクスの言葉に反応し、彼が伸ばした手を強く握って震える声で語りかける。
「ボクはここにいる。兄さんの目の前にいるよ! だから、お願い。死なないで……」
滂沱の涙を流しながら、リリィが縋るように懇願する。
「リリ…………わら…………て」
しかし、クロクスは消え入りそうな声で「笑って」と繰り返すばかりだった。
「…………わかったよ、兄さん」
リリィは溢れ続ける涙をどうにか拭い、無理矢理口角を上げて笑う。
「ボク、兄さんのことが大好きだよ」
「ああ……リリィ…………ありが………………とう」
リリィの笑顔を見たクロクスは、お礼の言葉を口にして笑うと、静かに息を引き取った。
「…………兄さん?」
力を失ったクロクスに、リリィが呼びかけるが何の反応を示さない。
手を握り、肩を揺さぶっても、クロクスが目を開けることは二度とない。それどころか、クロクスの全身が魔物を倒した時のように溶けていき、後には一塊の金塊だけが残った。
「いや……兄さん……にいさああああああああああああああああああああああん!!」
リリィは金塊を胸に抱くと、人目も憚らず大声で泣き続ける。
「リリィ……」
その様子を、ロイは沈痛な面持ちで眺める事しか出来なかった。




