実直勇者と決意の夜
それからロイとリリィは、闘技場が見下ろせる高台へと移動していた。
高台は貴族街への入り口付近にあり、本来は憲兵が見張りにでも使う施設なのだろうが、夜も深い所為か、今は誰もいない無人のスペースになっていた。
ここからは闘技場から前の広場までが一望でき、広場のそこかしこに焚かれた松明の明かりで、闘技場での賑やかな雰囲気とは全く違う幻想的な光景が広がっていた。今宵もあそこでは血湧き肉踊る魔物同士の命を削る戦いに、観客たちが興じているのだろう。
「わかってたんだ。兄さんがボクに内緒で何かやってたことは……」
闘技場の灯りをぼんやりと眺めながら、リリィが口を開く。
「街の外での仕事では、一日中働いてもその日食べるのに精一杯なのに、時たま豪勢な食べ物が出るときがあったの。兄さんは別の場所で働いている親切な人から分けてもらったって言ってたけど……皆、同じ様な収入のはずなんだから、そんなわけないのにね」
でも、空腹には勝てなかったわ。そう言ってリリィは自嘲的に笑った。
「だから兄さんがナルキッソスだったとしても、ボクに兄さんを攻める権利なんてないのにね」
リリィは嘆息すると、高台の縁に顎を乗せて闘技場を見やる。
「……あそこに行ったら、ボクでも冒険者らしく死ねるのかな?」
今にも消えてしまいそうな雰囲気のリリィに、ロイは諭すように彼女の肩に触れる。
「リリィ……」
「なんてね。ウソ、ウソ。ボクみたいな弱っちいのが闘技場に出ても、見せ場なく魔物にやられちゃうのがオチだよね」
リリィは流れてきた涙を乱暴に拭うと、無理矢理笑って見せた。
気丈に笑うリリィを気遣い、ロイもあえて話題を変える。
「リリィは闘技場に行った事があるのか?」
「ううん、あそこはお金に余裕がある人がいる場所だからね。そうでない人も一攫千金を夢見て行くみたいだけど……賭け事は嫌いなのよね」
「ああ、それはわかる。やっぱりお金は真っ当に稼ぐべきだよな」
意見が一致した二人は、顔を見合わせて笑い合った。
それを皮切りに、ロイとリリィは他愛のない話で盛り上がった。
リリィが仕事での苦労話をすると、ロイは自分が仕事で失敗ばかりして、まともな定職に就けない事を嘆いてリリィの笑いを誘った。他にも、リリィが一度も行った事がないという闘技場での体験も好評だった。中でも魔物がヒーロー同然として扱われ、それに魔物が応えるという話にはリリィも驚きを隠せないようだった。
「でも、不思議だよね」
ロイから闘技場の話を興奮した様子で聞いていたリリィが小首を傾げながら口を開く。
「もう竜王はいないのに、どうやって新しい魔物を用意してるのかな?」
「それは……どうだろう?」
リリィの質問に、ロイも小首を傾げた。
ロイの記憶が確かなら、闘技場内での決着は相手が完全に死滅するまでだった。それでは、何か手を打たなければ魔物の絶対数はどう考えても減っていくはずである。もしかして、中では魔物を増やす方法、魔物の交配とかも行われていたりするのだろうか?
「う~ん、わからないから今度、イリスさんに詳しく聞いてみるよ」
「本当? じゃあ、わかったら教えてね」
「ああ、約束だ」
ロイが小指を差し出すと、リリィも小指を出し、ロイの指と絡める。
リリィはロイと指切りをしながら嬉しそうに頬を染める。
「……何だか、こうしてると恋人みたいだね」
「へ~、恋人って普段からこんなことばっかりやっているのか?」
「はへっ? え、いや、う、ううん。そ、そうかな?」
ロイからの質問に、リリィは話を誤魔化すと「指切った」と言って手を放すと、ロイの視線から逃げるように後ろを向き、ロイと繋がっていた手を大事そうに胸に抱く。
気が付けば、自分の胸の中からロイに対する思いが溢れそうだった。
だが、ロイに想いを告げたところで、純粋過ぎる彼はリリィの気持ちには応えてはくれないだろう。それこそが、彼が実直勇者と呼ばれる所以なのだから。
だから今、この気持ちは胸に閉まっておこう。
(いつか、ロイが人を愛するという事を覚えたらその時は……)
リリィは溢れそうな気持ちをどうにか押さえ込むと、不思議そうな顔をしているロイに話しかける。
「ロイ……ボクを追いかけてくれて、ありがとう」
「もう大丈夫か?」
「うん、心配かけてゴメンね」
リリィは歯を見せて笑って自分の健在ぶりをアピールした。
「こんなところにいたのか……」
すると、ようやくリリィを追いかける決心がついたのか、息を切らしたクロクスが現れた。
「兄さん……」
クロクスの姿を見た途端、リリィの表情が強張る。
明らかに拒絶の態度を見せるリリィを見て、クロクスは悲しげに顔を伏せるが、すぐに顔を上げてロイを真っ直ぐ見据える。
「僕たちの方針が決まったから伝えに来た」
どうやらクロクスたちの話し合いの結果が出たようだった。
息を飲むような雰囲気に、ロイも佇まいを直し、改めてクロクスに向き直る。
「わかった。話してくれ」
クロクスは神妙な顔で頷くと、ナルキッソスとしての今後について話し始めた。




