実直勇者と有名人の受難
「なるほどね~。ナルキッソスにはそんな秘密があったんだ」
ロイの話を聞いたイリスは、何度も頷きながら三杯目のお茶へと手を伸ばす。
「ええ、だからナルキッソスがこの家を狙うということは……」
「私が世間で言うところの悪徳貴族なんじゃないか、というわけね」
「……はい」
出来ればそうであって欲しくない。そう思いながら、ロイは顎を引いた。
「う~ん」
イリスはおとがいに手を当て、考え込む。
そのまま暫く考え込んだイリスは、意外な一言を口にする。
「ところで、悪徳貴族ってどういうのを言うのかしら~?」
「…………はぁ?」
意外すぎる一言に、ロイの口から間抜けな声が漏れる。
「じゃあ聞くけど、ロイ君は悪徳貴族と言ったらどういう人だと思うの?」
「どういう人って、そりゃ、毎日贅沢三昧な暮らしをして、罪もない民から略取の限りを尽くし、更には自分の欲を満たす為に商人たちから賄賂を……」
そこまで言って、ロイはある事実に気付く。
「気付いた?」
「はい……」
数日この屋敷で世話になって気付いたが、イリスの生活はとても質素で、世間から悪徳貴族と揶揄されるような豪勢な生活は一切送っていない。むしろ、庶民と変らないのではと思うほどだった。
それに、イリスに雇われている召使いも、無理な仕事を押し付けることなく、家族同然として扱ってくれるイリスに誰もが感謝していた。
とてもじゃないが、イリスがナルキッソスに狙われるような悪徳貴族には思えなかった。
「少なくとも我がブルローネ家は、分相応の生活を送っているつもりよ~」
「俺も、そう思います」
自信満々に言ってのけるイリスの言葉に、ロイも異論はなかった。
なら、どうしてカーネルは、イリスがナルキッソスに狙われていると言ったのだろうか?
「それは、街の人たちのイメージが原因じゃないかしら?」
ロイの疑問に、これまで黙ってお茶を飲んでいたエーデルが口を挟む。
「イリスさんは闘技場の運営で大金を取り扱っているから、相当儲かっていると思われているわね。それが、ナルキッソスがこの家を狙う理由だと思っているんじゃないかしら?」
「そ、そんな勝手な理由で?」
「イメージなんてそんなものよ。ロイだって充分理解してるでしょ?」
「………………そうだな」
エーデルの指摘に、ロイは思わずシニカルな笑みを浮かべた。
かつてロイも、周りの勝手なイメージで数々の苦労を味わった。
救世の勇者として世間に認識されていたロイは、行く先々で助けを求められた。
それは別に構わない。人を助ける事はロイにとっては使命であり、人に頼られるのは、皆が勇者として認めてくれているようで素直に嬉しかった。
しかし、ロイの行動の結果、自分の意にそぐわない結末を迎えると、途端に態度を急変させる人がしばしばいた。
勇者として育てられたロイだが、彼とて一人の人間だ。
全ての物事を万事解決できる能力を持っているわけではないし、時には判断ミスもする。
しかし、勇者が間違いを起こすはずがない。そう思っている人は少なからずいて、その所為で、勇者を信仰する人に幾度となく落胆されてきた。
だが、その度にロイは自分も一人の人間である事、決して勇者も万能ではない事を誠心誠意尽くして説明し、どうにか誤解を解消していったのだった。
イリスもその地位の所為で人々に勝手な想像を抱かれ、果ては世を騒がす怪盗にまで狙われる始末だ。
有名税という言葉があるが、これではイリスがあんまりだった。
「ならばせめて、ナルキッソスが来るというのなら俺が迎え撃ちます」
例え世間からどう思われようとも、ロイだけはイリスの味方であろうと思った。
だが、
「ううん、その必要はないわ~」
イリスが申し訳なさそうに、ロイの申し出を断ってきた。
まさかの発言に、ロイは戸惑いを隠せないでいた。
「ど、どうしてですか?」
「う~ん、ロイ君は、ノブレス・オブリージュって言葉知ってる?」
「ノブ……何ですか?」
「ノブレス・オブリージュ。貴族が特権的地位を維持する為には、追うべき義務があるという意味の言葉ね。要するに、貴族でいたいなら、民が満足する仕事をしなさいってことよ~」
「……つまり?」
「つまり、貴族の仕事を全うしていれば何の心配もいらないってこと。もし、それでナルキッソスが来るならば、私の仕事がまだまだってことなの~。だから今回は諦めて、皆が認めてくれるように精進するわ」
「……イリスさんはそれでいいんですか?」
諦観したように告げるイリスに、ロイは尚も食い下がる。
「ナルキッソスの被害に遭ったら、世間から悪と判断されるかもしれないのですよ? それじゃあ、いくらなんでもイリスさんがあんまりだ」
「仕方ないわ。それに、ロイ君は大切なお客様ですもの。いくらナルキッソスを捕まえるのが目的だとしても、私の家で危険な橋を渡らせるわけにはいかないわ」
だから、くれぐれも危険な真似はしないでね。とイリスはウインクして微笑む。
「イリスさん……」
そんな年相応の大人の女性の微笑を浮かべるイリスから、ロイは目が離せなかった。
「フフ~ン、どうしたの。私の顔に何かついてる?」
「い、いえ、なんでもない……です」
イリスに見咎められ、ロイは気まずげに目を逸らした。
ナルキッソスに被害に遭っても構わない。そう言ってのけるイリスの考えが、ロイには全く理解出来なかった。
イリスが独特の考えを持つ人物だからなのか、気が付けばロイの中でイリスの存在が大きくなっているような気がした。
ただ、イリスのことを守りたいと思う気持ちだけは嘘ではない。
カーネルに頼まれたからではない。ロイの奥底にある勇者としての心が、イリスの気高い心を、彼女の笑顔を守りたいと思った。
(俺は……)
言葉には出さないものの、ロイは密かにある決心をしていた。




