実直勇者と来客
ロイの生まれたトルテ村は、はっきり言うと何も無い村だった。
申し訳程度の入り口の門を抜けると、目の前に広がるは広大な麦畑と、小さな商店兼、宿屋という建物が一つあるだけだった。
この店は元々、村人たちに薬草と毒消し草を売るだけの本当に小さな売店だったのだが、ロイが救世の勇者となったお陰でトルテ村にも観光客が訪れるようになり、慌てて商店を増改築して用意した宿屋だった。
ただ、一時は観光客で賑わったトルテ村だったが、村には見るべく物は何もないので、竜王討伐から一年も経った今では、こんな辺鄙な村を訪れる酔狂な人間はいるはずもなく、もはや宿屋部分は無用の長物となっていた。
日が傾き、既に営業時間外となっている商店の脇をすり抜け、麦畑で行われている虫の大合唱に耳を傾けながらロイとエーデルの二人は、他愛のない話をしながら農道を進む。
数少ない民家を越えて小高い丘を登ると、ようやくロイの家が見えて来た。
「ここに来るのも、久しぶりだな」
久方ぶりに訪れるロイの家を見て、エーデルが嬉しそうに双眸を細める。
ロイの家は、丸太を組み合わせて造った所謂ログハウスで、決して大きくはないが、ロイと両親の三人が暮らす分には充分な大きさといえた。
ロイとエーデルが並んで家の扉を開けると、暖かな光と、鼻孔を刺激する夕餉の芳しい香りが二人を迎えた。
「……ただいま」
「お邪魔しま~す」
扉を閉めると、キッチンの方からパタパタと足音を立て、エプロン姿の女性が顔を出す。
「おかえり、ロイ。仕事はどう……」
全てを包み込んでしまうような柔らかな笑みを浮かべたロイの母親は、
「その様子じゃ、またクビになっちゃったのね」
息子の申し訳なさそうな顔を見て全てを察し、小さく嘆息した。
「ゴメン! 母さん、俺が至らないばかりに……」
「まあ、いつものことだから気にしちゃいないけど、そんなことより……」
母親は頭を下げているロイの後ろに立つエーデルの元へ駆け寄って彼女の手を取る。
「エーデルちゃん、久しぶりね。元気にしてた?」
「ご無沙汰です、おばさま。お陰さまで元気にやってますよ」
「フフ、本当にそうみたいね。ウチに来たということは、ご飯、食べていくでしょ?」
「いいんですか?」
「勿論よ。今日はエーデルちゃん以外にもお客さんがいらしてるから、お母さんも張り切っちゃうから、楽しみにしててね」
「「え?」」
母親の何気ない一言に、ロイとエーデルの言葉が重なった。
「やあ、ロイ。お邪魔させてもらってるよ」
ロイたちが居間に顔を出すと、そこにはテーブルで優雅にお茶を飲む来客の姿があった。
肩まで伸ばした眩いブロンドに、猫を思わせるような切れ長の目をした、可愛らしいというよりは凛々しいという言葉が似合いそうな女性はプリムローズ・コルテーゼ。ロイ共に竜王討伐の旅をした仲間の一人で、ロイと共にパーティーの前衛を務めた凄腕の女戦士だ。
来客がかつての仲間と知って、ロイの顔が思わず綻ぶ。
「客ってプリムだったのか。どうしたんだ? 元気だったか?」
「元気さ。今日はたまたま仕事でこっちに来る事があってね」
「仕事? プリムの仕事って……」
「フフ、実は祖国のフィナンシェで騎士をやっているんだ」
「本当か!? それじゃあ、小さい頃からの夢を遂に叶えたんだな。おめでとう」
「ありがとう。ロイならそう言ってくれると思ってたよ」
ロイからの称賛の言葉に、プリムローズは柔らかい笑みを浮かべる。
「それじゃあ、今日は騎士の仕事でこっちに?」
「それもあるんだけど、何より……」
「何より?」
「…………ロイに会いたかった」
「そうか、俺もプリムに会えて嬉しいよ」
「はえっ!? え、あ……ありがとう」
ロイからの真っ直ぐな言葉に、プリムローズは一瞬にして真っ赤になった顔を恥ずかしげにカップで隠す。
その花も恥らう可愛らしい仕草に、男なら誰でも見惚れてしまうと思われたが、
「あ~あ、ねえ、ロイ。私、疲れちゃった。もう、一歩も動けな~い」
突然、エーデルがロイの背中にもたれかかり、猫なで声で話しかける。
「むっ、それは気付かなくてすまない」
「ダ~メ、許さない。許して欲しかったら今日のご飯は私を抱えて、私に食べさせてくれる?」
「ええっ!? なんでだよ!」
「疲れてもう食器を持つ余力も無いの……だから、お願い?」
子犬のような瞳で見つめられ、ロイは諦観したように嘆息する。
「はぁ、わかった。今日のところは……」
「待て待て待て待て、待て~~~!!」
二人のやり取りを聞いていたプリムローズは、カップをテーブルに叩き付けて立ち上がり、今にもエーデルをお姫様抱っこしようとしていたロイに慌てて待ったをかける。
「ど、どうしたんだ。何かあったのか?」
「何かあったか、じゃない! ロイはどうしてそう簡単にエーデルの嘘に騙されるんだ」
「え? 嘘だって?」
プリムローズの言葉にロイは驚きに目を見開いた。
そのまま首を巡らせ、無邪気な笑みを浮かべているエーデルに向き直る。
「そうなのか?」
「そんなはずな~い。もう一歩もうごけないの。だから早く抱っこしてよ」
「このっ、まだ言うか!」
プリムローズはカップの中身を一気に飲み干すと、手を伸ばし、今にもロイに抱きつこうとしているエーデルに向かってカップを思いっきり投げ付けた。
「ちょっ!?」
プリムローズの凶行に、ロイは驚きに目を見開きながらもエーデルを庇う為に動くが、
「ヴィント~」
それより早く、エーデルが呑気な声を上げながら右手を軽く振るう。
すると、エーデルの顔目掛け一直線に飛んで来たカップが、まるで水の中に飛び込んだように急制動が働き、その場に停滞する。
エーデルは空中で制止しているカップを手に取ると、口を尖らせながらプリムローズに抗議の声を上げる。
「ちょっとそこの貧乳、私とロイの熱い蜜月の邪魔をしないでよ」
「何が蜜月だ。どう見てもエーデルの独り相撲じゃないか。それと、貧乳言うな!! あ、あああ、あたしは鍛えているから仕方ないんだ。スレンダーなんだよ!」
プリムローズは怒りで顔を真っ赤にすると、上着に隠された控えめな胸を隠すようにしてエーデルに言い返す。
「そ、そう言うエーデルのその体は何だよ。竜王討伐以降、碌に運動していないだろ。最後に会った時と比べて明らかに太ってるぞ。マントで隠しているつもりだがわかるぞ」
「なっ、ななっ……」
プリムローズの言葉に、今度はエーデル慌てふためく。
「ち、ちち、違うわよ。これは栄養がおっぱいに集まって体重が増えただけだから、決して太ったわけじゃ……」
「そうか……じゃあ、ちょっとあたしにそのお腹を触らせろ」
「嫌よ……キャッ、ちょ、ちょっと、近付かないでよ!」
手をわきわきさせながらにじり寄るプリムローズに、エーデルは慌てて逃げ出す。
狭い室内で、二人の女性が物を蹴散らしながら駆け回るので、飛び散った物が壊れないように冷静に、時には先読みして動いていていたロイは、
「お~い、埃が舞うからほどほどにしてくれよ?」
激しい動きをやめることなく、呑気に感想を言いながら二人の喧嘩を眺めていた。




