実直勇者の新たなる決意
正午を回った平民街の広場は、束の間の休息といった静寂が広がっていた。
先程まで忙しそうに仕事をしていた商店の店主たちも、今は店先に幌をかけて昼休みであると示していた。
ロイとリリィの二人は、広場の真ん中では日差しが強いので、木陰のベンチへと移動し、露天で買ったパンに焼いた卵や干し肉、魚の酢漬け等を挟んだ昼食を摂っていた。
これらの昼食は、助けてもらったお礼に、ロイがリリィにご馳走したものだった。
といっても、ロイはこの街についてはとんと知らないので、実際にメニューを選び、店で購入したのはリリィだった。
リリィは自身のお気に入りにだという魚の酢漬け入りパンを租借しながら、ロイの話を反芻していた。
「そっか、ロイはナルキッソスを捕まえに来たんだ」
「ああ、どんな事でもいい。何か情報があったら教えてくれないだろうか?」
「う~ん、そうしたいのはやまやまなんだけど……」
ロイが真摯な態度で懇願するが、リリィの表情は晴れない。
「ロイの言ってる事は正しいよ。盗みは悪い事。そんな事は子供だって知ってるし、悪い事をしたならその報いを受けるのは当然だよ。でもね、今回は事情が違うんだよ」
「事情が……違う?」
「ロイは、義賊って知ってる?」
義賊。それは義侠心を備えた盗賊を意味する言葉だ。主にあくどい手口で金を稼いでいる人間から金品を奪い、金がなくて困っている人たちへ還元するような行いをする者をさす。
「まさか、ナルキッソスがその義賊だというのか?」
ロイが愕然とした表情で尋ねると、リリィは神妙な表情で首肯し、この街で起きているナルキッソスについて語ってくれた。
フィナンシェ王国はここ一年で、考えられないほどの変化があった。
竜王ドラーゲンがロイによって討たれ、各地の魔物が消滅した事で、フィナンシェ王国のアイデンティティともいえる騎士の存在意義が根底から覆される事となった。
魔物の討伐、護衛の任をはじめとする騎士団の収入は激減し、それはそのままフィナンシェ王国の歳入欠陥の原因となった。
「だけど、それでもこの街の偉い人たちは、贅沢な暮らしを変えるつもりはなかったの。それこそ税率を勝手に上げたり、商会からの賄賂を積極的に募集したりと、お金を集める為なら、手段を選ばずなんでもやるって感じだったわね」
当然ながら、生活が圧迫される事に多くの民からは不満の声が上がったが、貴族の横暴に対して具体的な行動を起こす者は誰一人としていなかった。
そんな中、現れたのが――
「怪盗ナルキッソス、というわけか」
ナルキッソスはとりわけ、フィナンシェ国内で悪と目されている貴族の屋敷へと忍び込み、金品を奪ってはお金に困っているスラムの人たちに分け与えているという。
ロイがスラム街で男たちに襲われそうになったのも、ナルキッソスが捕まればその恩恵に与れなくなるから、という理由からだった。
だが、ナルキッソスが本物の義賊だとしても、ロイには納得出来ない事があった。
「奴は人攫いもしてるって話だ。それに何か意味があるのか?」
「それについてはわからない……だけど、それって本当にナルキッソスの仕業なのかな?」
首を捻るリリィを見て、ロイは眉を顰める。
「……現場にナルキッソスを示すカードが残されていても、か?」
「だからよ。現場にそのカードが残されてさえすれば、どんな罪でもナルキッソスに擦り付ける事が出来るじゃない。だから……」
「貴族から金を盗んでいるナルキッソスと、人攫いをしているナルキッソスは別物だと?」
ロイからの質問に、リリィは首肯をする。
「ふむ……」
確かに二つの犯行は、全くと言ってもいいほど繋がりが見えない。リリィの言うとおり、それぞれの事件の犯人は、別の人物だと考えてもいいかもしれない。
だが同時に、それこそが犯人の狙い目という可能性も捨て切れなかった。
そう、例えばロイにそのように告げることで、本来の目的から目を逸らさせるとか――
(俺は今、何を考えた!?)
ロイは、一瞬でもリリィがナルキッソスと関係があるのではないかと考えた自分を恥じた。
リリィはスラム街で何の繋がりもないロイを助けてくれたのだ。そんな恩人を疑うなんてどうかしていると思えた。
だが、リリィはロイにナルキッソスを捕まえて欲しくないようだ。
その理由は……考えるまでもないかもしれないが、確かめないわけにもいかなかった。
「……もしかして、リリィも?」
「うん?」
「リリィもナルキッソスの恩恵を受けているのか?」
リリィは元冒険者だ。魔物がいなくなり、収入源がなくなったのは騎士だけなく冒険者も同じ。当然ながら彼女も収入がなくなって困っているはずだった。
リリィに対して失礼な物言いをしている。そんな自己嫌悪に陥って眉を下げて俯くロイだったが、リリィは特に気にした様子もなく、あっけらかんと質問に答える。
「ボク? ボクはナルキッソスからお金なんてもらっていないよ」
「……そうなのか?」
「そうさ。生活は決して楽じゃないけど、貧乏には慣れているからね」
そう言うと、リリィは肩を竦めて照れくさそうに笑う。
「でも、今のままじゃ、いつの日かボクもナルキッソスの世話にならないといけなくなるかもね。だから……」
「それまでナルキッソスに捕まってもらっては困る?」
「というより、ナルキッソスを通じてボク等の現状をお偉いさん方に知ってもらって、お偉いさんが心を入れ替えてくれることを祈っているよ」
「そう……だな」
リリィの願望を聞いて、ロイは目から鱗が落ちたようだった。
ロイはナルキッソスを悪と決め付け、捕まえて王へ突き出せば全てが解決すると思っていた。しかし、ナルキッソスを巡るこの国の問題を知ってしまった以上、このまま素直に王の言葉通りに依頼を遂行してもロイが望む結末は得られそうになかった。
ならば、ロイがするべき事は決まっている。
「よし、決めた!」
ロイは残っていたパンを一気に口に詰め込むと、リリィに向かって笑いかける。
「俺、やっぱりナルキッソスを捕まえるよ」
「え? あっ、そう……だよね。ロイはその為にこの街に来たんだものね」
「どんな理由があろうとも、他人の物を盗むのは悪い事だ。それに、人攫いなんて言語道断だ」
「…………うん」
ロイの決意を聞いて、リリィは表情を曇らせる。
だが、次のロイの言葉はリリィの予想を上回る物だった。
「先ずは二つの事件の関係性を探る。次にナルキッソスを捕まえたら、二度と悪い事をしないように改心させ、人攫いの真相を突き止める。最後に皆を困らせている貴族も同じ様に改心させ、皆の生活を改善させてみせるよ」
「え?」
「俺がこの国に来たのは、言われた事だけをやりにきたんじゃない。皆の笑顔を取り戻す為に来たんだ」
「ロイ……」
「俺はこの国を必ず救ってみせる。だからリリィ、もう少しだけ待っていてくれ」
「……うん、待ってる」
リリィは思わず流れてきた涙を拭うと、満面の笑みで頷いた。




