実直勇者とスラム街
店主から教えてもらった冒険者が集まっているという場所は、フィナンシェでも治安の悪いスラム街と呼ばれる地域だった。
所狭しに建てられた建物は、狭い土地の中で上へ上へと増改築が繰り返され、今にも倒れそうで見ているだけで恐怖を感じる。路上にはゴミが溢れ、それに野犬が群がり残飯を貪る姿がそこかしこで見受けられた。
通りをうろついている人は、誰もが色褪せたぼろを纏い、生気を失ったような顔をして闊歩する様は、まるで幽鬼のようであった。
プリムローズに危険だと言われた理由が納得出来たが、事件を解決する為には背に腹は代えられない。
辺りに立ち込める不快な臭いに思わず顔をしかめながら、ロイはフィナンシェのスラム街へと足を踏み入れた。
路地に入ると、明らかに場違いなロイを値踏みするような、いくつもの視線に迎えられた。
そのどれもが友好的な視線ではなかったが、決してロイに近付くようなことはない。
その独特の雰囲気に戸惑いながらも、ロイは教えてもらったスラム街にある酒場を目指す。
「……あそこか」
目指す酒場は、すぐに見つかった。
何故なら、店の周りに酒瓶を持って自堕落な姿を晒している男たちが何人もいたからだ。
ロイは泥酔している男たちを踏まないように注意しながら進み、酒場の門を潜った。
「うっ……」
中に入ると、外とは比べ物にならない程の強烈な酒の臭いに、立っているだけで酔ってしまいそうになる。
「おい、ここはガキが来る所じゃないぞ」
ロイが入り口で躊躇していると、中からドスの効いた声で話しかけられた。
目を向けると、眼帯をした中年の男がロイを睨んでいた。
「ここはお前のようなガキが来る所じゃないぞ。用が無いならとっとと出て行ってくれ」
「ま、待ってください!」
ロイは顎を引いて覚悟を決めると、大股で店内を突っ切って眼帯の男の前に立つ。
「俺は、ここに冒険者が集まっているって聞いてやってきたんです」
「ああっ、冒険者だ!? 奴等がここにいるように見えるか?」
そう言われて周りを見渡してみても、そのような人影は全く見当たらない。
まさか、騙されたのか? ロイが愕然とした表情で立ち尽くしていると、後ろから小さく嘆息する声が聞こえた。
「……冗談だ。連中は仕事で出払っているからいないだけだ。連中に何か用でもあるのか?」
「あの、冒険者に聞きたい事があって……」
「ということは情報か。俺でよかったら知ってることを話してやってもいいぜ」
「本当ですか? じゃあ……」
「おいおい、まさか何も支払わずに話が聞けるとでも思っているのか?」
眼帯の男は唇の端を上げ、自分の後ろに背負った酒瓶の並んだ棚を顎で指す。
ロイは棚を一通り眺め、
「わかりました。それじゃあ、ミルクをお願いします」
腰に吊るした袋から一枚の金貨を取り出して「釣りはいいです」と言ってテーブルに置いた。
眼帯の男は、ロイが差し出した金貨が本物かどうか何度も天井に透かし、更には歯で咥えたりした後「少し待ってな」と言い残して店の奥へと消える。
次に眼帯の男が表れた時には、手に木で出来たジョッキを持っていた。
「ほらよ。山羊のミルクだが文句はねえよな?」
ロイは乱暴にテーブルに置かれたジョッキを手に取ると、中身を勢いよく呷る。そのまま一気にミルクを飲み干すと、口についたミルクを乱暴に拭ってジョッキを眼帯の男に返した。
「フム……それで、何を知りたい?」
「この街で最近、事件を起こしている怪盗ナルキッソスについて教えて下さい」
ナルキッソス。その言葉をロイが口に下途端、空気が変わった様な気がした。
今まで泥酔状態で意識も朦朧としていたような男たちがこぞって身を起こし、ロイを睨む。
しかし、剣呑な雰囲気に包まれて尚、ロイは真っ直ぐに眼帯の男を見据えたまま、泰然とした様子で立っていた。
「…………ふぅ」
全く物怖じしないロイを見て、眼帯の男がついに折れる。
「兄ちゃん、何でそいつを追いかけているんだ?」
「それは、ナルキッソスが悪事を働き、人々を困らせているからです」
フィナンシェに怪盗ナルキッソスが現れ、好き勝手に暴れまわっている所為で、人々は嘆き悲しんでいる。だから人々に笑顔を取り戻す為、ナルキッソスを捕縛し、然るべき処罰を受けさせようと思っている。という自分の想いをロイは熱く語った。
その間、眼帯の男は余計な口を挟むことなくロイの意見を聞き続けていた。
「なるほどな。今、気付いたが……あんた、実直勇者だな?」
眼帯の男からの質問に、ロイは顎を引いて頷く。
「やはりな。噂通り、眩しいくらいの真っ直ぐな男みたいだな。だが、勇者さんよ。あんた、一つ勘違いをしているぜ」
「勘違い?」
何事かと顔をしかめるロイに、眼帯の男は諦観した表情で告げる。
「いいか? ナルキッソスが現れて人々が泣いているんじゃない。人々が泣いているからナルキッソスが現れたんだ」
「え? それは、どういう……」
「悪いがこれ以上は喋る事は出来ない。俺が言っている意味、わかるだろう?」
「…………」
眼帯の男は「何も教えることはない」ではなく「喋る事は出来ない」と言った。その言葉の意味がわからないほどロイは愚かではない。
それはつまり、これ以上喋るとロイだけでなく、眼帯の男の身も危ないという事だ。
先程の言葉に一体どんな意味があるのかはわからないが、これ以上この場所に止まるのは、得策ではなさそうだった。
「悪いな。別にあんたを嫌っているわけじゃないんだ。それだけ、この問題はデリケートな問題なんだ。勇者さんも人に話を聞く時は、聞く奴をよく吟味した方がいいぜ」
「わかりました。情報、ありがとうございました」
ロイは袋から金貨を適当に掴んで取り出すと、テーブルの上に置いて酒場を後にした。




