実直勇者と幼馴染
緑豊かな森の中、土を固めただけの簡素な道を黒髪の青年が肩を落として歩いている。
引き締まった体を包むのは黒のチュニックに膝の破れたパンツ、足元は皮製の編み上げブーツというここら辺りでは珍しくない、いかにも平民然とした格好をした少し冴えない印象の青年が、世界を救った救世の勇者と同一人物とは思えなかった。
「はぁ……」
ロイは、もう何度目になるかわからない溜め息をつく。
救世の旅が終わり、両親の待つ故郷の村へ戻って来たまではよかったが、それから始まった普通の生活が問題だった。
学校に行っていなかったロイは、故郷へ戻ると迷うことなく就職する道を選んだ。
少しでも身銭を稼いで両親の支えになれば、と思ったのだ。
救世の勇者であるロイを雇ってくれるところは多く、それこそ最初は引く手数多だった。
だが、いざ仕事を始めると、ロイの真面目過ぎる性格が災いすることになる。
世間から実直勇者と呼ばれるように、理想の勇者としての教育を受けてきたロイは、良い意味でも悪い意味でも真面目過ぎたのだ。
最初はその力を利用して大工に弟子入りしたのだが、家を建てる基礎工事で杭を打ち込む際に、棟梁から思いっきりやれと言われたロイは、言葉通り思いっきりハンマーで杭を打ち、用意されたハンマーを全て壊すだけじゃなく、杭全てを地面へと埋没させてしまった。
次は道具屋で働いたのだが、雇い主である店主が薬草の管理を怠り、商品が傷んでいたにも関らず客に販売しようとしたのを客の目の前で告発し、信用を失った道具屋を廃業まで追い込んだ。
他にもいくつもの店で働いたが、日常的に行われていたちょっとした不正、怠惰な行動を逐一言及したロイは、その度に居場所を失い、職も失っていった。
今日もようやくありつけたウェイターの仕事の最中に、一人の客がウエイトレスのお尻に触れようとしたのを見つけたロイは、声で注意すればいいものを、わざわざ客の腕を締め上げて注意してしまったのだ。
客を注意するのに暴力に打って出ただけで無く、しかもその相手が、いつも店にそれなりのお金を落としてくれる上客の常連だったのが尚、拙かった。
被害に遭いそうだったウエイトレスはロイを擁護してくれたが、常連客は怒り心頭で、とてもじゃないがロイを無罪放免に出来る状況ではなかった。
そこで喫茶店のマスターは、世界を救った勇者とはいえ入って一日目の新人より、いつも大量の客を連れてきてくれる常連を取ったというわけだった。
申し訳なさそうに何度も頭を下げるマスターに、ロイは自分も軽率だったから気にしなくていいと言って、今日のところは岐路についたのだった。
「はぁ……本当、これからどうしよっかな」
もう何度目になるかわからない仕事の解雇に、ロイの心の中に焦りが生まれ始めていた。
ロイが産まれた小さな村では既にロイを雇ってくれるところはなく、仕方なく近くの町まで出稼ぎに来ているのだが、そろそろあの町でも仕事に就くのは難しいだろう。
それだけ、ロイの悪評は町中に広がってしまったのだ。
こうなると、次は更に遠い町まで足を運ばなければならないが、そうなると日の出と共に出かけ、帰るのは夜遅くなるのは否めない。
だが、ロイにはそんなことよりも気がかりな事があった。
それは、長年自分の胸の中にあった熱く燃えるような情熱が殆ど感じられなくなっている事だった。だからなのか、最近は以前よりどうでもいいことが目に付き、それが新たなトラブルを生んでいる様な気がした。
「旅をしていた頃は、こんな気持ちはなかったな……はぁ」
「そうやって溜め息ばっかりついていると、幸せが逃げるわよ」
溜め息とともに洩れたロイの呟きに、応える声があった。
ロイが声のした方に顔を向けると、木の陰から黒いフード付きのマントをすっぽり被った女性がこちらを見ていた。顔が見えなくても相手が女性とわかるのは、マントの上からでもはっきりとわかる女性特有のふくらみが見て取れるからだ。
声の主はロイの前に立つと、フードを外し、口角を上げてにんまりと笑う。
「その様子だと、また仕事をクビになっちゃったみたいね」
「エーデル……」
ロイは目の前に立つ、同い年ぐらいの少女を見て苦虫を噛み潰したような顔をする。
流れるように美しい茶色の髪を後ろで綺麗にまとめ、目鼻立ちは整っているが何処か眠そうな表情をした彼女の名前は、エーデル・ワイス・リベルテ。ロイと共に竜王ドラーゲン討伐の旅に出た仲間の一人で、ロイとは幼馴染に当たる。マントの下から覗く衣服は、足元と胸元が大胆にカットされた緋色のワンピースで、格好だけ見れば踊り子のようだが、彼女は世界で五指に入るほどの実力を持った魔法使いとして知られていた。
世間では大魔法使いと称され、時には畏怖の対象ともされるエーデルだが、そんな世間の評価など微塵も思わせない年相応の笑みを浮かべると、ロイの腕を取って自分の腕と絡める。
「ねえ? 私、また胸が大きくなったんだけど、どう?」
エーデルは豊満な胸を押し付けると、頬を上気させ、潤んだ瞳でロイに問いかける。
しかし、ロイは迷惑そうに顔をしかめるだけだった。
「知らん。それより、あんまりくっつくなよ」
「いやん」
ロイに鬱陶しそうに手を払われても、エーデルは一向に気にしない様子で再び腕を絡める。
「いいじゃない、私とロイの仲でしょ。それよりこれでクビになるの何回目? ロイってば本当に仕事、長続きしないよね?」
「クッ、辞めたくて辞めてるわけじゃないんだよ」
ロイが気まずげにエーデルから視線を逸らすが、エーデルは追撃の手を止めない。
「これじゃあ、ロイのお父さんとお母さんに楽をさせてあげられないね?」
「言われなくても、痛いほど痛感してるよ」
「他のおいしい話をわざわざ蹴ってまで帰ってきたのに、これじゃあ何の為に帰って来たのかわからないよね?」
「…………言葉もないです」
矢継ぎ早に繰り出されるエーデルからの厳しい言葉に、ロイは力なく肩を落とす。
「フフ~ン♪」
今にも消えそうなくらい小さくなっているロイを見て、エーデルは慈母の笑みを浮かべると、ロイの耳元へ口を近づけて囁く。
「ねえ? よかったら私が現状を打開する良い方法を教えてあげようか?」
「本当か!?」
ロイが目を見開いて尋ねると、エーデルは任せろと謂わんばかりに鷹揚に頷く。
「本当よ。ロイにとって、最良の方法だと思うわ」
「そ、それは一体どんな方法なんだ?」
縋るように尋ねるロイに、エーデルは大きな胸を揺らして堂々と告げる。
「簡単よ。私と結婚すればいいのよ」
「…………は?」
ロイは、間近でニコニコと満面の笑みを浮かべている幼馴染の顔を呆然と眺める。
「何?」
ロイからの視線を受けて、エーデルは可愛げに小首を傾げる。
どうやらこれ以上は、何も話してくれなさそうだった。
ロイは盛大にため息を吐くと、エーデルに質問する。
「……それのどこか現状を打開する方法なんだ?」
「あら、わからない? ロイは私の夫として、私と幸せで愉しい家庭を築くの。子供は二人がいいわね。それで私は幸せになるし、ロイだって幸せになる。仕事なんかしなくても私は一向に気にしないわ」
「いや、俺が言いたいのは……」
「心配しなくても家事なんかは家のメイドにやらせるから安心して。それに、ロイの両親も一緒に住めばいいわ。ちゃんと全員の面倒をみてあげるから……」
「そうじゃなくて!」
ロイは自分の右腕に寄りかかっているエーデルを引き剥がすと、神妙な顔つきで自分の真意を語る。
「俺は自身の力で金を稼ぎたいんだ。真っ当な仕事に就いて、日々汗を流し、例え多くなくても人に喜んでもらって、頑張ったねと言ってもらって給金を得たいんだ。エーデルの家がとんでもない金持ちなのは知っているけど、俺はエーデルの家に養ってもらうつもりはない」
「う~ん、別にそういうつもりじゃないんだけどな……」
「……すまない。エーデルが俺を心配してくれるのは非常に嬉しいけど、今は俺のやりたいようにやらせてくれ。俺はまだ、何一つとして諦めるつもりはないんだ」
腰を九十度に折り曲げて謝罪の言葉を口にするロイを見て、エーデルは苦笑して肩を竦める。
「まっ、いっか。ロイがそう言うなら尊重してあげるのが妻の役目よね。それに、ロイのそうやって簡単に諦めない所、好きよ。愛してる」
「ありがとう。俺も仲間として好きだし頼りにしてるよ。それと、せっかく久しぶりに会えたんだ。よかったら家に寄って行ってくれ」
ロイは一方的にお礼を言うと、エーデルに背を向けて我が家へ向けて歩き出した。
「も~う、相変わらず連れないのね。でも、そんなロイも素敵よ」
背筋を伸ばし、勇ましく闊歩する幼馴染の背中を見て、エーデルは頬を染めると、うっとりした表情でロイの後に続いた。