実直勇者とお迎えの老紳士
トルテ村の近くにある名も無い波止場から船に乗り一週間、ロイたちはフィナンシェ近くの港町、マドレーヌへと辿り着いた。
「あ~、ようやく陸地に上がれる」
橋が架けられると同時に走り出し、意気揚々と上陸したロイは、一週間にも及ぶ船旅の疲れをほぐすように体を大きく伸びをする。
人目も憚らずストレッチをするロイの格好は、青を基調としたシンプルなデザインの服に、裾が切れてボロボロのマント、背には練習用の木剣が吊るしてあった。
竜王討伐の時に装備していた精霊王から授かった魔法の剣や、地下世界に住むドワーフが作ってくれた瑠璃色の鎧は、国宝にしたいという王の申し出に二つ返事で献上してしまったので、今の装備は、初めて冒険に出た時に着ていた昔懐かしい装備だった。
一通り体をほぐしたロイが大きく深呼吸をすると、いつもとは違う匂いが鼻孔に広がり、ここが異国の地であることを認識させてくれた。
辺りを見やれば、乗ってきた船がおもちゃに思えてしまうくらい何倍にも大きな船がいくつも並び、中から丸太ほどの太さの腕を持つ偉丈夫たちが、こことは別の国から届けられたであろう荷物を次々と運び出していた。
活気溢れるマドレーヌの街を見ながら、ロイが偉丈夫たちの仕事ぶりに感心していると、
「勇者ロイ様ですね。お待ちしておりました」
いつの間に現れたのか、燕尾服に身を包んだカイゼル髭が特徴の老紳士が話しかけてきた。
見知らぬ人間の登場に、ロイが「誰?」と頭に疑問符を浮かべていると、プリムローズが横に並び、すかさずフォローを入れる。
「ロイ、この方はカーネル様。王に仕える近衛筆頭を何年も務め、今は侍従長をしながら憲兵も任されているお方だ。城まで私たちを案内する為に迎えに来てくれたんだ」
「カーネル・エテルノと申します。本来なら麗しい乙女が迎えに来られればよかったのですが、生憎と手の空いている者がわたくししかおりませんでしたので、失礼ながらわたくしが勇者様のお迎えに上がりました。どうかご容赦を」
「そんな、わざわざありがとうございます」
ロイは、深々と腰を折る老紳士の手を取ると、硬く握手を交わして微笑を浮かべる。
「はじめまして、ロイ・オネットです。どこまで協力できるかわかりませんが、少しでもお力になれるよう、全力を尽力します」
「ほっほっ、勇者様は噂に違わず、実に真っ直ぐなお人柄なようですな」
カーネルは嬉しそうに双眸を細めると、何度も頷く。
「それに、どうやらわざわざ器量好しの娘を連れてくる必要はありませんでしたな」
「はい?」
「またまた。勇者様、ご冗談を」
小首を傾げているロイに、カーネルは顔を近づけて耳打ちする。
「後ろに控えている胸の大きな女性、あの方は勇者様のいい人なのでしょう? ここに来るまでに勇者様は、二人だけでそれはそれは有意義な時間を過ごしてきたのではないのですか?」
そう言ってカーネルが指差す先には、胸元が大きく開いたローブに、黒い大きな鍔広の三角帽子を被った姿が眩しいエーデルが、気だるそうに愛用の杖にもたれかかっていた。
「で、どうでした?」
「はあ、それはもう……」
ロイはここに来るまでの快適な船旅を思い出す。
エーデルがお金を出してくれたお陰で、最高級クラスの部屋とサービスを受けられた。
ロイたちが宿泊した部屋は、二十人は軽く入れそうな広さに、目を見張るような豪華な調度品の数々が設えられた最高級のロイヤルスイートルームだった。
部屋のベルを鳴らせば、どんな食べ物や飲み物、様々な娯楽の品から、更には最新の演劇や流行りの音楽演奏まで、ありとあらゆる要求が叶った。
普通の人ならば、もう一生この船で生活していたいと願うような毎日ではあったが、ロイはそんな一時的な幸せに心から浸れるほどの余裕はなかった。
「確かに有意義な時間でした。ですが、あれ以上自堕落な毎日を送っていると、自分が駄目になる様な気がしていたので、正直ホッとしています」
「ほほ~う、自堕落な毎日を……」
カーネルは目を光らせると「詳しく」と先を促す。
至近距離で鼻息が荒くなっているカーネルに、ロイは少し引き気味になりながら船での生活を説明する。
「え、え~っと、先ず何よりも忘れられないのが、自分で何もしなくても、あれこれやってもらえた事ですかね?」
「なるほど。相手にしてもらうのは、いつもと違う感じが新鮮でいいですな」
「えっ? ああ、はい。でも、俺としては、自分でやる方が安心出来るんで、なんだか少し心許なかったです」
「むっ、それはいけません。せっかく勇者様を思ってやってくれたことです。例え技術が未熟だとしても、感謝しないのは感心しませんな」
「ええっ!? あ、その……すみません」
カーネルの迫力に押され、ロイは思わず謝罪する。
殊勝な態度のロイを見て満足気に頷いたカーネルは「他には」と言って続きを促す。
「他には、寝る時は今までにないくらい気持ちよかったですね」
「ほほ~う、そ、それはいかほどの柔らかさで?」
「や、柔らかさ……ですか? ええっと、少なくとも、今まで経験したことがない感触でしたね。まるで何処までも沈んでしまい、やがては溺れてしまうのではないかと思いましたよ」
「わ、儂もその柔らかさに溺れてみたいですな」
カーネルは思わず流れてきた鼻血を慌ててハンカチで拭う。
「ほ、他には一体どのような体験を?」
「ん、んんっ! カーネル様!」
尚もしつこく食い下がるカーネルを、プリムローズが間に入って窘める。
「もうその話はいいではないですか。そろそろ王宮へと向かいましょう」
「クッ、プリムローズ。儂の数少ない愉しみの邪魔をするでない」
「はいはい、言い訳は後で聞きます。ほら、ロイ行くぞ」
「え? あ、ああ」
プリムローズに促され、ロイは仕方なくその後に続く。
しかし、数歩進んだところで歩を止めると、振り向いてカーネルに注釈を加える。
「そうそう、一つ言い忘れていましたが、船で共に過ごしたのは、俺とエーデルの二人だけではありませんでしたよ」
「なんと!? では……」
カーネルが「まさか」と口の動きだけで問うと、ロイはゆっくりと頷く。
「もちろん、プリムローズも一緒でした。俺たちはかけがえの無い仲間、ですからね」
「さ、流石は勇者様……その器の大きさにこのカーネル、感服致しました!」
満面の笑みを浮かべるロイに、カーネルは畏敬の眼差しを持って平伏するばかりだった。
「…………このジジィ。最低ね」
一部始終を見ていたエーデルは、地面にひれ伏すカーネルを胡乱な目で見下ろしていた。




