実直勇者とその後の話
暗雲立ち込める闇を振り払うように、一条の青い光が闇を切り裂く。
「ギャオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!」
光の如き速さによって繰り出された攻撃に、禍々しい角を頭に持つ漆黒の竜が苦しげな咆哮を上げた。
胸からどす黒い血を大量に撒き散らし、六メートルは超えようかという巨体を痛みにくねらせながら、大理石で出来た城を支える柱を何本も砕く。
その破壊力は凄まじく、漆黒の竜はこのまま自身の根城ごと全てを破壊してしまうのではと思われたが、胸から噴き出す血の量が減るにつれてその動きも緩慢になり、動きが止まったかと思うと、派手な音を立ててその身を地面へと横たえた。
次の瞬間、突如として現れた黒い竜巻が竜の巨体をあっという間に飲み込んだかと思うと、後には竜と同じ禍々しい角が生えた褐色の人間が残された。
「クッ、もはや竜の姿すら保てないとは」
褐色の男は、口の端から一筋の血を流しながら己の不甲斐なさを嘆くと、目の前に立つ瑠璃色に輝く鎧を身に纏った戦士を射抜くように睨む。
「女神の加護を受けた勇者とはいえ、この我が人間などに遅れを取るなど……」
勇者と呼ばれた鎧の戦士は、剣を背中の鞘に収め、兜を外して素顔を晒すと、深呼吸を一つしてから褐色の男へと話しかける。
「魔物の長、竜王ドラーゲンよ。その人間を見下す傲慢さが敗北を呼んだのだ」
「ハッ、何を言うかと思えば……人間など、徒党を組んで城に篭らなければ、とうの昔に魔物によって滅ぼされていた脆弱で惰弱な生き物ではないか」
「確かに貴様の言う通り、人間一人一人の力は弱いかもしれない」
鎧の戦士は、憎らしげにこちらを睨む褐色の男、ドラーゲンに対して深く頷く。
「だが、人は力が弱い故に力を合わせることが出来る生き物なんだ。力を合わせれば、その力は何倍にも膨れ上がり、どんな困難でも立ち向かうことが出来るようになる。それこそ、魔王とだって対等に渡り合う事が出来るんだ」
鎧の戦士の言葉に、彼の後ろに付き従う仲間が力強く頷く。
そんな強い絆で結ばれた勇者一行の姿を見て、ドラーゲンはくつくつと笑い出す。
「……何が可笑しい?」
予想してなかった宿敵の反応に、鎧の戦死が眉根を寄せる。
「勇者よ。貴様の戯言、認めよう。確かに人間は、我々魔物と違って他者と力を合わせ、強大な力を得る事が出来るようだ」
だが、とドラーゲンが続ける。
「今まではその強大な力は魔物だけに向けられていたが、今後、その力が正しく使われるという保証はどこにもないのだぞ。貴様はそれを理解しているのか?」
「……何だ、そんな事か」
鎧の戦士は、ドラーゲンの質問に笑顔で応える。
「人間は平和を願い、平和の為に魔物と戦ってきたんだ。その力がそれ以外のことに使われるなんて絶対にあり得ないさ」
「……本気で言っているのか?」
「勿論、本気だ。人は貴様が言うほど愚かではないし、俺は人間を信じている」
ドラーゲンの脅しなど、取るに足らない些末な事。鎧の戦士はそう言ってのけた。
「クク……どこまでもめでたい奴だ……ククク……」
ドラーゲンは傷跡から血が吹き出るにも構わず立ち上がる。
「面白い! 我を滅し勇者よ。我の名において貴様に宣言しよう!」
豪快に笑いながらそう告げるドラーゲンの体は、限界が来たのか、鎧の戦士に向かって伸ばしている指の先から燃え尽きた炭の様にボロボロに朽ちていく。そんな状況になっても目だけは獰猛さを失わず、真っ直ぐに鎧の戦士に睨み続けながら叫ぶように告げる。
「これから先、貴様のその甘い信念は、何も知らない他者によって容赦なく踏みにじられ、壮絶な裏切りに遭うだろう。世界中の全てが貴様を否定しても尚、その信念が歪まぬかどうか、地獄の底で見させてもらうぞ!」
鎧の戦士に向かって呪詛の言葉を吐いたドラーゲンは、高笑いを響かせながら、まるで最初からそこにいなかったかのように塵一つ残さず消えてしまった。
ドラーゲンの最後を見届けた鎧の戦士は、
「安心しろ。そんな事態は、未来永劫訪れないから」
よく通る声で、はっきりと宣言した。
人類の滅亡を、魔物という人外の存在を使って企てた竜王ドラーゲンの野望は、瑠璃色の鎧を着た戦士と、その仲間によって打ち滅ぼされた。
ドラーゲンの死亡と共に各地の魔物も忽然とその姿を消し、魔物が放つ瘴気が消えたお陰で世界中を覆っていた暗雲が晴れ、世界に待望の日の光と、平和が訪れたのであった。
鎧の戦士とその仲間は、救世の勇者として世界中から称えられた。
救世の勇者となった鎧の戦士を、各国が放っておく事は無く、姫の婿にとなって欲しいという話や、国を守る騎士になって欲しいという話、果ては望むだけ金を用意するから我が国へ移住して欲しいという話がいくつも舞い込んできた。
しかし、鎧の戦士はその全てを断り、両親を支えたいと言って故郷の村へと帰っていった。
並の人間ならば、一生かかっても手に入らないような厚遇の話に一切の興味を持たず、平和の為だけに邁進した鎧の戦士を、人々は尊敬と親しみを込めて実直勇者と呼んだ。
――それから一年の時が過ぎ、世間でも勇者ブームにも陰りが見え始めた頃、実直勇者ことロイ・オネットは、
「ロイ君……悪いけど、今日で仕事……辞めてもらえるかな?」
仕事をクビになっていた。