第二話 少年兄弟子と出会い、初めて女を知る
アンヘルは街に暫く留まることにした。
宛もなく放浪しても仕方ないし、まずはパルシュ村で見つけた本の解読する事が先決である。
報奨金で儲けた金でまずは狭いながらも家を借り、そこに居を構え、黙々と解読作業の日々を送り始めた。
だが、煩わしい事が多いのは、人が生活するどの世界でも同じ事である。
彼が魔術師と知られると、食事に出かける度に声をかけられる。
それも若い女性が多い。
彼が端整な顔立ちである事もさることながら、下心らしきものが皆無ということもある。
だが、それが鬱陶しい。
というのも、質問が占いといったものがほとんどで、そればかりしかしない勘違いしている連中が多いからだ。
魔術師を占い師と混同している者が多いのは、そういう手合いの者が商売する際に「魔術師を名乗っているのではなかろうか」とそう思えてならない。
女性の中には彼に恋い焦がれる者も多いのだが、彼には全くその気はない。
二人にその事を言うと、羨ましい限りだと笑うだけだ。
「鬱陶しいことが「羨ましい」などと下界には珍しい人間が多い。成程、老師が言っていた山の中の生活のほうが、遥かに楽というのが良く分る」
ため息をつきながら一冊の本を解読し、粗末なベッドの上に横になる。
先ほど読んだ本は古代の風俗についてなのだが、その当時の衣服やマナー、料理、流行などについてしか書いてなかったので、余計に忌々しく感じた。
「何冊も読んだがロクなものがない。だから捨ててきたのだろうか。しかし、それなら何故、あんな回りくどい術まで使ったのか理由が分らぬ」
少し憂鬱になりながら、林檎を齧っていると、下から呼ぶ声が聞こえる。
バズやクランクは遠慮せずに入って来るのだが、その二人のものではない。
玄関に出ると見たことがある者であった。いつぞやのあの横柄な役人である。
「あの件で文句でも言ってきたのか」と思ったが、それは違っていた。
「来る明日、ベルトルン伯爵邸にて晩餐会がある。その方を招待した故、その旨しかと心得よ」
アンヘルは訝しげに役人を見ていた、が次の言葉に絶句した。
「なお、参じない場合は不敬罪とみなし、投獄するものである」
そう一方的に言うと、出て行ってしまった。何とも無茶苦茶な話である。
人を勝手に呼びつけておいて、来ないと牢へ入れるというのだから当然だ。
しかし、如何に理不尽だからといって、無視する訳にはいかない。
「面倒だが行くしかなさそうだな。しかし、晩餐会など言われても、何をするのか分らぬままではまずかろう・・・」
バズやクランクに相談しても是非もないのでダリアに相談することにした。
ダリアは酒場にいる主人の妻で、主人よりも威張っているが、面倒見も恰幅も良い中年女性である。
早速、酒場に赴くとダリアが出迎えた。
「おや、こりゃあ嬢ちゃん魔術師のアンヘルさんじゃないか。まだ酒を飲むには時間も齢も早いんじゃないのかい?」
彼女と出会うといつもと同じような挨拶で幕を開ける。
いつも毎回、同じような挨拶なので、最初は少し苛立ちを覚えたが、最近ではめっきり慣れてしまった。
「ちょっと貴方に相談があってね。バズやクランクじゃ話にならないし、他に頼る相手もいないし」
とアンヘルが言うとダリアは意外そうな顔をして「どんな娘と付き合いたい?」いう意味不明な事を聞いてくる。
間違ったかと少し後悔しつつも
「そうじゃない。ベルトルン伯爵の晩餐会に呼ばれたんだ。で、どんな代物を着ていけば良いか、分からないもんでね」
「ああ、そう言うことかい。でも、大層な出世じゃないの。来て間もないのに晩餐会にお呼ばれなんてさ」
「こう見えても私は忙しいんだ。「行かないと不敬罪で逮捕する」と意味が分からないことを例の役人が威張り散らしながら言うので仕方なくね」
「へぇ、けど世の中には行きたくても、行けない方が多いんだ。贅沢な悩みを言ってくれるよ」
「代わって貰えるなら、喜んで代わるんだけどね」
「自分と瓜二つの人形でも作って、そいつに行かせてやればいいんじゃないのかね?」
「魔法はそこまで万能ではないよ。そんな事が出来るくらいなら、こんな所に相談しに来るもんか」
「それもそうだね。アハハハ!」
ダリアは一頻り大笑いした後に、小間使いの娘の一人に話し、服を一緒に買いに行かせることにした。
娘は大喜びで同行するという。
娘は茶色い髪にそばかすがあり、丁度アンヘルと同じくらいの年ごろの娘でエイリンという何処にでもいるような平凡な娘だ。
喜んでお供するエイリンを見ていると、何でそんなにも嬉しいのかがアンヘルには理解出来なかった。
「女というものは不思議な生き物だ。退屈な事をこうも嬉しがるのだから」
アンヘルはそう思いながら、古着屋に到着すると早速、店の主人と相談することにした。
晩餐会に出向くのに丁度良いとなると、やはりそれなりに値が張る代物になるので、アンヘルにとって頭の痛い問題である。
しかも、面倒な事にエイリンという娘は服に対し色々口出ししてくるので、面倒以外何者でもない。
今後の生活の事もあるので、選ばれた中で一番安い代物を買おうとするとエイリンは「それではいけない」と言う。
「ダリアは何だって、こんな面倒な者を寄越したのだろうか? 大体この娘は自分の何だと言うのだ?」
流石に苛立ちを隠せなくなったので、無視して自分が決めた服を買い、店から退出することにした。
当然エイリンは不満である。
「もっと見栄えのする服のほうが、向こうにも気に入られますものを。何故一番安いものにしたのです?」
とエイリンはアンヘルに問い詰めてくるので、面倒くさそうにアンヘルは
「それだと「厄介そうだから」じゃいけないのかい? そもそも私は、行く事自体が煩わしいんだよ」
と言ったのでそれ以降、特にエイリンは不満そうな表情をしつつも黙っていた。
酒場へ着き、ダリアの事の顛末を伝えたが、ダリアはというと
「そいつは済まない事したね。エイリンの方が服に詳しいと思って付き添わせたんだけどねぇ」
と言ってダリアまで不機嫌になる始末であった。
本当に女という生物は身勝手極まりないくせに意味不明である。
それ以上に、意味不明なのはバズとクランクだ。
何が楽しくて「女は良い」とか言うのかが全く理解出来ない。
違いとしては、胸が膨らんでいるか否かというだけのことだ。
アンヘルは女の未知なる箇所を見た事がないので、それぐらいしか分らない。
ただ、生殖することにおいては必要だということを「野生動物の交尾を見たことがある」というだけであるが理解はしている。
酒場から帰り、また古代文書の解読の作業に取り掛かると、今度はその本が服飾や楽器、挙句の果てには冠婚葬祭についてなど、という代物でしかなかったので、途中で本を投げ捨てて不貞寝する。
そうして大して貴重とも思えない一日をアンヘルは過ごした。
翌日となり、憂鬱な一日が始まると思うと、アンヘルは落ち着かせる為に深呼吸して精神を統一させた。
本来なら、魔法を使いそうな時に前もって行う手順なのだが、魔法を使うよりも精神を使いそうなので行ったのだ。
念のために通常よりも精神力が必要な魔法を駆使する際に、使用する方式に則って術式を行い、精神を安定させた。
まさか、このような事に「初めてこの術式を使用する」とは思わなかったのだが、余り考えたくはなかった。
夕暮れになり、憂鬱に駆られながらも伯爵邸に行くと、衛兵が招待状を見せるように言ってきた。
招待状を見てから不審そうにジロジロ見られるも
「呼んだのはそちらの勝手じゃないか」
という気持ちになったが、術式のおかげで平静を保てる。
衛兵が通すと、煌びやかなドレスを纏った貴婦人や、厳かな礼服を着飾った紳士らが会話を楽しんでいた。
こちらを見つけるとジロジロ見て隠れて笑っている。
嘲笑されているようだが全く気にならない。
これは術式とは関係ない。
一時間ほどして何もなければ、そそくさと退散するつもりであった。
すると執事と名乗る自分よりも身なりが良いと思われる服装をした中年に来るように言われたので渋々、後について行った。
中に通されると、静寂な部屋で本棚が並んでおり、その本棚には所狭しと本が並べられていた。
ただ題目を見る限り、現代語の本しかなく、彼にとっては無価値以外でしかない。
一人の随分と齢を重ねたであろう普段着の老人が椅子に腰かけて本を読んでいたのだが、アンヘルに気づくと声をかけてきた。
「君がアンヘル君かね。わしはグザヴィスと申す者だ。わざわざ来てもらってすまない」
アンヘルはてっきりベルトルン伯爵だと思っていたので、この辺の貴族にありがちな長い名前の一部かと思い
「貴方が伯爵ですか?」
と訊ねると彼は笑って否定した。
そして、静かにこちらを値踏みするかのように見るので、更に質問をすることにした。
「では、貴方はどなたなのです? わざわざ暇潰しに私を呼んだのですか?」
老人はまたも笑いながら、その問いに答えた。
「わしも魔術師なのだよ。君の師はおそらくザムレン導師であろう?」
「いえ、名もない一老魔術師です。名前はないと申していました」
「そうか。その方がザムレン導師らしい。だが、もしその名も無き老魔術師がザムレン導師ならば、わしは君の兄弟子となる。齢は大分離れているがね」
アンヘルは、自分と老魔術師以外の魔術師と名乗る人物に初めて会ったので、一瞬驚いたが「彼が魔術師である」という確証がないので反応に困った。
すると、それに気づいたのか、簡単な魔法を使ってテーブルの上に一冊の本を出現させた。
本はバググ語という文字で書かれていた。
バググ語は何万年もある古代史の中において、百年ほどしか使われていない言語なので、解読にはかなりの時間を要する。
そして、魔術師を名乗る老人は
「以前、恩師から預かっていた代物だ。恩師は元気かね?」
とまた質問してきたので、アンヘルは寂しそうに
「老師は亡くなりました。貴方が言うザムレンという人物かはわからないままですが」
「そうか。まぁ、わしもそろそろだから予感はしていたがね」
「で、グザヴィス導師。私に何の用です? 暇つぶしという訳でしたら、そろそろ帰りたいのですが」
「ハハハ。恩師と同じ対応をするな、君は。良く似ておるよ。恩師とね。実はここに君を来させた理由はだな」
グザヴィスが言うには「王都ヴァイロスに向かうな」というものだった。
現時点で王都ヴァイロスは魔術師にとって危険な街だという。
危険な理由であるが十年程前に魔術師同士の大粛清があり、これは老師が去った数年後のことの出来事で、俗にいう権力闘争によるものだった。
グザヴィスが助かった理由だが、彼は処世術に長けており、二人の娘をある上級貴族の男子に嫁がせ、更に高官にも賄賂などを贈って幽閉で済んだという。
アンヘルは魔術を使用しなかったのかと聞くと、彼は笑って「意味のないことはするものじゃない」と諭すように述べた。
何故、意味がないのかは静かに笑うだけで答えてはもらえない。
アンヘルが会話に困るとグザヴィスは
「実は今、王都では魔術師が大変不足していてな。君の噂を聞いて、ちと隣の街からここへ来たのだよ」
「それが何故「王都に行くな」ということになるんです?」
「あまり言いたくないのだが、ゴーレムの研究なのだよ。奴隷同様に魔術師を使役して、物質動力法を研究させている」
物質動力法とはゴーレムに限らず、生命のないものを動かすための法術の一つだ。
難易度が高い上に、解明されていない点も多い。
その為、現段階ではゴーレムを製造するというのは不可能である。
だが王都では現在、それを躍起になって研究し製造しようとしている。
アンヘルは何故、今の段階でゴーレム製造に王都が躍起になっているか不安と興味が同時に沸いたので、グザヴィスにまた問うた。
グザヴィスは少しため息をついたあと、徐に語りだした。
「ゴブリンどもが大挙して押し寄せている噂は、君も恐らく耳にしているだろう? 原因はそれだよ」
「つまり、兵士の数が足りないので今更ゴーレムを製造し、それに充てるというのですか?」
「有体に言えばそういう事だ。だが、ゴーレムのみならず、物質動力法は今でも不完全な上に危険なことも多い」
「ええ、マドリス史四巻によると「ある大国はそれが原因で滅んだ」という記述があります。何でも、全てが突如暴走し、人間を殺戮して瓦解したと」
「その通り。わしも反対したのだが、諫言というのは中々聞き入れられないものでな。幸い命はあるのだが・・・」
「王都もそうなら、ここも危険ではないのですか?」
「いや、その心配はないだろう。わざわざこんな辺境まで疑わしい一魔術師を引っ張ってくるのは賢い選択ではないからな」
「成程。では、兄弟子殿の言う通り、今は王都を避けることにします」
「聞き分けが良くて助かる。何せ、若い魔術師の連中は地位や名声を上げたいからという理由で自ら進んで行く馬鹿者が多くてな」
「それよりも、このバググ語の本ですが。これも古代史に関してなのですか?」
アンヘルはその本が気になって仕方なかった。
グザヴィスは「やはり似ている」とまた笑ってその通りだと言う。
そして
「君もまた、ザムレン導師のように古代史研究に没頭するつもりなのかね?」
と聞いてきたので、アンヘルは素直に滅ぼされた穀物の復活の為にと答えた。
するとグザヴィスは血相を変えた。
「本気で言っているのかね!? 確かにゴーレム製造のような危険はないと思うが自身の危険に及ぶことだぞ!」
「ええ、ですから秘密裡に行っています。何か良い文献をお持ちでしたら、貸して頂きたいのですが」
地位も名声もいらないという若い魔術師が、道理で先ほどのことを素直に受け止めたかをグザヴィスは理解した。
そして諭すように
「悪い事は言わん。やめておけ。わしもそのような書物は持っていないし、あったとしても既に焚書にしているよ」
「何故ですか? 飢饉であれほど死者が出たというのに。ゴーレム製造よりも安全で問題はない筈です」
「理屈はそうだ。だが、理屈でどうにかなるもんじゃないのは、ザムレン導師からは聞いていないのかね?」
「聞いております。ですが、誰かがやらねば仕方ないものでしょう。故に、私が進んでやるだけです」
「その目は幾ら言っても時間の無駄なようだな。致し方ない。ただ、間接的な手助けは出来るかもしれん」
そうグザヴィスが言うと、新たにバググ語で書かれた本を三冊テーブルに出現させた。
「それが手助けとなる。かなり回りくどい事になるがね」
アンヘルはバググ語についても、ある程度理解が出来るので、得意の速読法で粗方読むと不可解に思えてきた。
そして、またグザヴィスに問うてみた。
「これが手助けですか? 古代の眼鏡に関してのようですが・・・」
「その通りだ。それが手助けになる」
「何故、これが手助けになるか理解出来ません。教えてください」
「当然の疑問だろうな。それは小さすぎて、人の目に見えないと言われる微生物を見るための眼鏡作成の記述書だ」
「・・・微生物ですか?」
「その通り。君は疫病がどのようにしておこるか知っているかね?」
「教会では「悪魔が呪いの力をもってして広める」と言われていますね」
「で、解決方法は知っているか?」
「神に財産や土地を寄進して、運が良ければ助かるとか・・・」
「うむ。その通り。しかし原因がもし、その微生物だとしたらどうする?」
「でしたら簡単です。微生物を駆除すれば、自ずと疫病は収まります」
「うむ。理屈はそうだ。それが手助けになる」
「おっしゃっている意味が解りかねます。つまりどうしろと?」
「君がその事実を完全に証明すれば、一歩だけであるが「教会が間違った事をしている」と世間が見るだろう」
「・・・はい」
「それと同時に君の言う事が正しいとなれば、自ずと世間は君の言う事に耳を貸す。つまりそういう事だよ」
「つまりは「教会の布教活動と同じ事をせよ」ということですか?」
「そうだな。ただ、これもどんな邪魔が入るかわからんぞ。命をとられる危険もある。理由はだな」
「簡単です。教会の商売の邪魔ということですよね?」
「ハハハ。飲み込みが早いな。その通りだ。今の教会は腐っている。権力欲と金銭欲しかない連中が、幅を利かせているだけだからな」
「神とやらは、本来そういう連中に天罰を降すのではないのですか? 矛盾していますよ」
「そんな事はわしにも分らん。神とやらに会ったこともないのだからな。だが、神の奇跡と呼ばれる術を使える奴は間違いなくいる」
「本当ですか? 私はまだお会いしたことがありません」
「滅多にはおらん。それに何故分ると言えば、我らとの方式が全く異なる。あの方式は理解不能だ。故にそう考えるしかない」
「成程。では、その神の奇跡とやらが使える者は「信じるに値する」と思っていいのでしょうか?」
「そこまではわからん。神自体が解らぬのだしな。いい加減な人間と同じように気紛れなのかも知れぬし・・・」
神のことについては全くの専門外なので、グザヴィスも言葉を濁すしかなかった。
何か話題を変えようと、グザヴィスは思案しているとある事に気づいたので、アンヘルにその事を問う事にした。
「君はエルフの血を引いているのかね?」
「グラヴィス導師。何故そのようなことを?」
「いや、君の耳が少し尖っているのでね。もしやと思い、聞いたのだが・・・」
「さぁ・・・老師は何も申していませんでしたので何とも・・・」
「そうか。いや、おかしな事をわしも言ってしまったな。エルフなんぞ、最早この国どころか、大陸でも見た事はないんだからな」
そして、話題を変え、暫く魔術に関する談義をすると夜更けとなったので、アンヘルは去ることにした。
グザヴィスは「また何れ会うこともあろう」と言い、明日の未明にはここを発つという。
伯爵には少しだけ謁見しただけだった。
伯爵は「旧友のグザヴィスに頼まれて」と少し申し訳なさそうに言ったが、有意義な会談が出来たので、アンヘルは微塵も不満には感じなかったのである。
ベルトルン伯爵は温厚な人柄で知られており、更には趣味人である。
暇な時は只管、絵を描くだけに没頭するのだが、その絵も中々上手いと評判だ。 そんなベルトルン伯爵はアンヘルに意外な申し出をしてきた。
「私の絵を描きたい・・・?」
アンヘルは不思議な気持ちであった。
絵のモデルになってくれれば有難いと言うのだ。
「そのくらいならお安い御用」と軽く約束し後日、会うことにして元の寝床へと戻っていった。
ベルトルン伯爵のモデルになるという約束の日となったので邸に向かった。
一度会ったことがある執事に部屋へ通されると、伯爵は既に用意しており、信じられないことに「裸になれ」という。
別にアンヘル自体は裸になることは特に気にしていなかった。
既に部屋にいたもう一人も裸になるように指示された。
驚いたことに、その者は自分と全く違うのである。
恐らくであるが女と思えるその者は、胸の形も違う以上に、股間の形状が違うのである。
アンヘルはその不可思議な形態を眺めていると、女は顔を赤らめ、アンヘルに詰めよって来た。
「何をジロジロ見ているのです!? 失礼ではありませぬか!」
「いや、形状が違うものを見るのは初めてなので、失礼でしたらご容赦ください」
「形状? 意味がわかりませぬ。伯爵殿。この者は何ですか!?」
その様子を見た伯爵は大笑いした挙句、堂々と
「これは愉快だ。久しぶりに面白い場面に遭遇したよ。良い日記が書けそうだ」
と言うので女は紅蓮の炎が纏わりついたように、体全体が赤くなった。
アンヘルは何が何だか、分らないままである。
ただ女もアンヘルの表情から見て、実に不思議そうにしているので、次第にアンヘルという者がどのような者なのか把握してきた。
「赤子のような者だし、気にする事はない。寧ろ可愛い幼子なのだから、笑って過ごせばよい」
そう考えると端整な顔立ちと、華奢ながらもそれなりに筋肉がついた陶器の彫刻のような体つきを持つ幼子は、不思議と滑稽にも思えてくる。
思わず笑みをこぼれてしまった女に、アンヘルは更に怪訝そうな顔をするから余計に拍車をかける。
伯爵は女が落ち着いたと見るや、ポーズを両名に指図し、絵を描き始めた。
お互いの両手をとりあう形で、休憩を挟みながら六時間もの時間を要し、ほぼ原形が出来たので、伯爵は題名を「日の光の元で」と書いた。
背景には日光の下で、全裸の男女が互いに手を取り合い、幸せを分かち合う構図なのだがアンヘルは全てが理解出来ない。
アンヘルがその事を指摘すると、伯爵は苦笑するしかなかった。
アンヘルは後年、日記にこう記している。
この日ぐらい、おかしな日はなかった。女というものは自分が所持しているものが違うせいか、いきなり怒り出した挙句、暫くするとそれがおかしくて仕方ないようであった。
誠に女ほど情緒不安定で、おかしな生物はいないと思ったが、これが人間の半数を占めているのだから、人の世界というものは複雑で、不安定なのは然るべきである。