第十一話 じゃじゃ馬、洞窟を離れ盗賊を退治する
アンヘル達がオボサ族に会いに行った頃、コルムはひたすら洞窟にいた。
時折、洞窟の外に出て辺りを散策し、山ぶどうや栗をとっては洞窟へと持ち帰り食べる毎日だった。
鹿などに遭遇すると彼女は声をかけるが、逃げるだけで声は聞こえない。
動物の声は全て聞ける訳ではないようだ。
少しがっかりもしたが、同時に安心した。
というのも、一々声がしていたら食べられる家畜の声まで聞かないといけなくなるからだ。
声は聞こえないが、小魚などもあの野良犬の声が聞こえた以来、口にしていない。
食べようとした時に声が聞こえたらと思うと食べる気がしないからだ。
「全く、やんなっちゃうわよね。でも、チーズが食べられるだけまだマシとするか」
彼女は菜食主義者ではなかったがならざるを得なかった。精神衛生上、良くないからである。
さらに彼女はある事を洞窟内で只管試していた。
巨大クラゲに襲われた際に、足から衝撃波が出て撃退出来た訳だが、これがどうにも足からしか出ない。
足からしか出ないということは、お気に入りの靴を買ったところで襲われたら靴が台無しになるのである。
「なんで、足からしか出ないのよ。大体、恰好悪いじゃないの」
そんな事を言っていると、愉快そうな口調でワヴェングがこう言ってきた。
「ケツから出ないだけマシだろ」
「ふざけないでよ! それじゃあ、おならみたいじゃないの!」
「ふざけてなんていないさ。考えてもみなよ。動物が襲われた際にケツから嫌な臭いを出して逃げようとするのは常套手段だぜ」
「お尻から更に「臭いまで出せ」なんて冗談じゃないわよ! 私だって、うら若き乙女なのよ!」
「大体、人前で使わないのなら問題ないじゃないか。いや、人前で使ったとしてもだよ。それが「神の奇跡の術」だと普通は誰も思わないから丁度良いかもしれないぜ」
「もう! いい加減にしてよね!」
ワヴェングはそういってコルムをからかう。
どちらかといえばガサツな彼女ではあるが、流石に「放屁で敵を撃退する」なんてことは恥ずかしすぎて出来る訳がない。
あまりにも腹が立ったので、洞窟から飛び出して外に出てしまった。
どうせあの汚らしい老人もまだ来ないであろうし、気分転換も兼ねて近くの町まで行くことにした。
辺りは既に冬になろうか、という寒さであったが、一応服は着ているし「神の奇跡の術」と呼ばれている得体の知れない術で左程寒くは感じない。
便利な能力ではあるが教会に目をつけられたくないので、なるべく目立つことは避けなければならない。
「怒って飛び出したはいいけど・・・小銭しかもうないわ。どうやって稼ごうかしら・・・」
流石に金の延べ棒を持って行く訳にもいかないのである。
そんなものをぶら下げていたら厄介な事になるぐらい彼女も分りきっていた。
彼女が一時間ほど歩いていくと遠くで悲鳴が聞こえたので「何事か」と思い、駆け付けてみると強盗らしい男達が荷馬車を取り囲んでいた。
荷馬車には二人ほど男が守ってはいるが、武器は棒切れぐらいしかない。
強盗は五人いるのでどう見ても不利である。
「あちゃあ・・・黙って見過ごしたほうがいいよね・・・うん・・・けど」
彼女は人一倍、正義感も強い性分なのでこれには困った。
更には勝気でお転婆である。
その正義感で何度、近所のいじめっ子を逆に泣かしてきたかわからない。
あまりにもやりすぎて父親に叱られたことも度々あったほどだ。
彼女はいつの間にか数個の石を握りしめていた。
彼女は投石が上手く、作物を盗み食いするカラスなどは百発百中に近いぐらい当てるのである。
彼女が念じると右手が少し光りだしたので、一か八か強盗に当ててみることにした。
ちなみに彼女は足も速いので、追いかけられてきても逃げきれる自信もあった。
彼女は忍び足で二十メートルほど近づくと、一番近くにいた強盗の一人に石を投げつけた。
投げつけた直後と同時に右手が少し光ったのがわかった。
投げつけた石は女性が投げたとは思えないぐらいの速さで、強盗の背中に襲いかかり、命中した。
「ぐわっ!!」
強盗は、そう悲鳴をあげると倒れた。無理もない話である。
拳大の石がプロ野球の剛速球投手が投げたぐらいの速さで不意に襲いかかったからだ。
他の強盗達も異変に気付いたが、彼女は容赦なく次々に強盗達に石礫をぶつけていく。
最後の五人目は辛うじて外れてしまい、石を探そうとするも、怒った五人目が襲いかかってきた。
「なんだこのアマ! ふざけやがって! 仲間の仇だ! 楽しませてもらってから、切り刻んでやるぜ!」
強盗は剣を振り上げながら彼女に襲いかかる。
慌ててその太刀筋を避けたはいいが態勢を崩してしまい、どっと倒れてしまった。
男は剣を持っていない手を自分のズボンに手をかけていた。
コルムは恐怖よりも嫌悪感で頭が一杯になると、同時に倒れたままであるが男に向かって蹴り上げた。
「ふざけんじゃないわよ! 誰がアンタなんかに!!」
そう叫ぶと同時に蹴り足が衝撃波を伴って男を襲った。
男は十メートルほど吹っ飛ばされて木にぶつかり、そのまま動かなくなった。
見事な戦いぶりというよりも暴れっぷりという表現のほうが正確と思われる彼女の行動は凄まじいものだった。
荷馬車に付き添うようにしていた男達はあまりの出来事に驚愕せざるを得なかったので、口を開けて眺めていたのだが、強盗達は未だに蠢いていたので我に返った。
「おおい! そこの御嬢さん! 早く一緒に逃げよう!!」
荷馬車の御者と思われる男がコルムにそう叫ぶ。
彼女も流石に「これ以上はまずい」と思い、急ぎ荷馬車に飛び乗ってその場を後にした。
コルムは乗り込んだ荷馬車の上で二人の男達の素性を聞いた。
すると近くの牧場にいる兄弟だという。
兄弟は先ほどのコルムの暴れっぷりを、頻りに多少の誇張はあるものの、褒めちぎってきた。
当初、コルムは嬉しそうに聞いていたが、途中から苛ついてきた。
というのも、下記のようなことまで言ったからである。
「例え相手がオーガーでも素手で絞め殺せそうだ」
「今よりもっと足が太くなれば数人の猛者が束になっても敵うまい」
「いやいや、そのうち大岩を持ち上げて砦ぐらいならそれで吹き飛ばしてしまうだろうぜ」
こんな事を言われたものだから彼女も少し居た堪れない気持ちになっていく。 彼女は半分、怒鳴る様にして兄弟を黙らせると牧場にチーズはあるのか聞いた。
兄弟は「お礼にたんまりチーズをご馳走する」と言ったので、途端にコルムはご機嫌になった。
洞窟での生活では大好物のチーズはおろか、パンも食べてなかったのである。
それが「腹一杯にありつける」というのであればこれ程有難いことはない。
兄弟たちは「鶏もさばいてご馳走する」と言ってきたがそれは丁重に断り、代わりに卵を所望した。
「卵なら悲鳴をあげて助けを請うことはない」と思ったからである。
牧場に着くとコルムは懐かしい気持ちになった。
厩舎からは臭いがこぼれてきたが、それもまた懐かしく思える。
牧場主である兄弟の父親は、いきなり兄弟たちが素性も知らぬ小娘を連れてきたので不審がったが、説明を聞くと態度が軟化してコルムを出迎えた。
晩餐は質素ながらもコルムの大好きなチーズやヨーグルトが置かれていたので、コルムは上機嫌だった。
父親は兄弟たちから聞かされる彼女の武勇伝に少し半信半疑であったが、面白おかしそうに聞いていた。
そして、父親はコルムにある提案を持ちかけてきた。
「この辺も最近、盗賊が出回るようになってしまってね。近々、用心棒を雇おうと思っていた矢先なので君が用心棒になってくれると有難い。食事は当然タダだし、少しではあるが給金も出すよ」
コルムは少し首をかしげた。
というのも、ここは教会が統治する荘園内だし、治安がそこまで悪いと思っていなかったからだ。
「それはいいんですけど、教会の警ら隊は何をやっているのかしら?」
父親はため息をつき、コルムに現状を説明することにした。
ここの荘園だけでなく教会は経費削減ということで治安のための人員を削減し始めたというのだ。
しかも、盗賊を捕縛したとしても罰金を支払えば簡単に保釈してしまうという。
最近では牛馬や農作物を盗む盗賊も多く、この牧場だけでなく他でも被害にあっている。
教会としては、治安のための人員の費用を牧場主や農場主に支払わせる方法なのだが、荘園の税金もあるし牧場主や農場主の負担は大きい。
「皆に安寧な暮らしをさせるための荘園や税金じゃない! おかしいわよ! そんなの!」
コルムは持ち前の正義感で憤るが牧場主の父親は仕方ないという。
喉から神の奇跡のカラクリをぶちまけるのを、何とか必死に堪えなければならないのはコルムにとって酷なことである。
グッと我慢して、彼女は用心棒を引き受けた。
未だに自分が神の奇跡の術を持つ者とバレてはいないし、洞窟での生活も飽きていたところだったからだ。
教会は教会で昨今、国境近辺でのゴブリンらによる侵略で両国家と一緒に兵を遠征しなければならなくなっていた。
というのも、教会の荘園も北部国境付近に多いのである。
司教らの賄賂からとれば良いだけとも思われるがそんな事をすれば自分らの取り分が少なくなるので、誰もそんな事はおくびにも出さない。
中には立派な司教もいるがそれは少数派であり、大声でそんな事を言うと異端派扱いされ良くて追放、最悪火刑にされるのである。
更には神の奇跡の術を持つ司教でさえ賄賂を平然と貰っている事実がある。
あの汚い老人が言っていた「殺人者でも使える者はいる」という言葉が本当なら致し方ないことだ。
大体、あまり信心深いとはいえないコルムに使えるのだから推して知るべしである。
満腹になり、眠くなってきたので「寝たい」と言うと寝室とベッドを提供してくれた。
久しぶりにベッドで眠ることが出来る。
それだけも用心棒を引き受けたのがコルムにとって価値はあった。
しかし、いざベッドの中に入るとワヴェングや老人のことを思い浮かべるのである。
「用心棒になったのはいいけど、これからどうしようかな。あの兄弟のどちらかと結婚でもしてこの牧場で暮らすのも悪くはないけど」
兄弟はどちらも純朴であるが、別にイケメンではない。
金だってそんなに持ってはいない。
けど、教会に追われて逃亡するよりは、どれだけマシだか分らない。
だが、用心棒になっていればまた盗賊と相対することになるだろうし、下手したら自分が「神の奇跡の術を持つ者」とバレるかも知れない。
彼女は少し悩んだが睡魔が襲ってきたのでここは大人しく降参することにした。
翌日となり、コルムは自ら進んで放牧の手伝いをした。
元々、牧場で育った彼女である。
羊や牛の放牧なんぞは慣れたものだ。
それ以上に用心棒なんてもんは盗賊でも襲って来ない限り暇なのである。
彼女は羊を眺めながら声を聞こうとするがやはり声は聞こえて来ない。
「やはりあの野良犬とワヴェングが特別なのであろう」と念を押すように、自分に言い聞かせた。
彼女は何時でも盗賊が襲って来ても良いように、手頃な石を詰めた手提げ袋を所望したので与えられた。
彼女の武器は石礫であるが、盗賊相手であれば充分な筈である。
怪我したとしても、バレないように傷を塞げば問題はない。
「昨日の盗賊たちが仕返しに来なければいいけれど・・・」
彼女はそんな思いを胸にしまいながら草笛を吹き鳴らし、牛や羊たちを眺めていた。
そんな事が一週間ほど続いたのだが幸い盗賊には出くわずに済んでいた。
そんなある日の昼である。
彼女が弁当のチーズとライ麦パンを食べていると一人の三十代半ばぐらいの青年がやってきた。
「おや? 貴方はどなたです?」
いきなりのご挨拶であったが、彼女は食べていたライ麦パンを胃袋に押し込むとゲップを堪えながら言った。
「コルムよ。用心棒に雇ってもらったの。で、貴方はどなたかしら?」
いきなり小娘が用心棒と言ったので、青年は少し驚いたが気を取り直して言う。
「私はデリックと言います。近所に住む者ですよ。ちょいと、こちらの牧場主であるガドウィンさんに野暮用がありまして」
「ガドウィンさんなら厩舎で掃除しているわよ。ところで野暮用って何かしら?」
「ああ、うちの所にも盗人に入られましてね。そこで自警団を作るって話になっているんですよ。貴方も用心棒なのでしたら入って下さると心強いですけどね」
確かに荘園の役所が役に立たないのであれば自然の成り行きである。
しかし、役所は役に立つという意味で役所という筈なのに「役に立たないというのであれば、どういう名称にすれば良いのか」と意味のないことをコルムは少し考えてしまった。
自警団の話には興味があるものの、盗賊の心配はなくとも放牧を見張る責任はあるので、持ち場を離れる訳にはいかない。
そこで笛を取り出して鳴らすことにした。
すると、兄弟のうちの兄のほうが程なく走ってきた。
「おい。盗賊が出たのか? ありゃ、デリックさんじゃねぇか。盗賊ってのはデリックさんなのかい?」
「そんな訳ないじゃない。急いで厩舎まで行って親父さん呼んできてよ。私にも関係あることだから、私も聞いておきたいの」
「コルムちゃんも関係のある話って何だい?」
「いいから早く行って。じゃないと、蹴飛ばして無理やり厩舎に叩きこむわよ」
「そいつぁたまんねぇ。んじゃ、行ってきますよ」
そんな、やり取りをデリックは見ていた。
兄はそれなりに腕力もある筈なのだが、コルムに対し少し怯えているようにも見えたので、コルムが用心棒というのも強ち嘘でもないように思えた。
暫くすると牧場主のガドウィンがやって来た。
ガドウィンはデリックを見ると笑顔で会釈した。
「やぁ、デリックのぼっちゃん。今日はまた何の用で?」
「その「ぼっちゃん」はいい加減やめてくれよ。僕はもう子供じゃないんだし、ウチだって既に落ちぶれているんだしさ」
「落ちぶれたって言うのはないでしょう。本来なら、ぼっちゃんがここら一帯の荘園を仕切っている筈だ。だのに、あの因業司教がのさばっているから盗賊だってのさばり始めてやがる」
「あまり大きな声で言わないでくれよ。ただでさえ、教会連中の目が厳しいんだから・・・」
デリックは元々、この荘園を治める司教の家系であった。
だが祖父の代に二十年ほど前のウェンゼンが問題提起をした際、支持はしていなかったものの異端派を火刑にすることには反対した為、濡れ衣を着せられて平民まで格下げされたのである。
彼の父も司祭であったが地位を剥奪されて今日に至っている。
そして、祖父も父も失意のうちに他界してしまっていた。
彼はその頃、まだ十代半ばであったが、その際に神学を捨てて今日に至っている。
そして、農機具や水車などの改良、発明に取り組んでいる。
わずかばかりではあったが農場はあったので、生活は楽ではないものの暮らしていくことは出来ているのだ。
ガドウィンが自慢げにコルムのことをデリックに話すと「それは心強い」と笑って家に招待したいと言う。
近所なので問題はないと説得し、嫌がるコルムを何とかクッキーを餌に丸め込むと、元は名家とは思えないような邸に案内をした。
「おや、アンタ。お客さんかい?」
齢は三十代半ばであろうか、デリックの妻という女性が汗を拭きながら畑仕事から帰ってきたところであった。
恰幅が良く、二重顎であるが明るそうな女性である。
コルムが家に入るとデリックの妻が早速、手製のクッキーとハーブティーを出してきた。
中々の美味であるので嬉しそうに頬張っていると、デリックの妻は
「そんなに気にいったのなら、お土産に持っていきなよ」
と袋に入れてくれたので、コルムは増々、上機嫌になった。
コルムが嬉しそうにクッキーを頬張っていると、デリックはガドウィンにも話すように自警団についての説明をしだした。
皆で組織するだけでなく場合によっては金を出し合い、傭兵を雇うというのである。
問題は「傭兵がこの辺にはあまりいない」ということなので、質は悪いが街で屯する無宿者にも声をかけなければならないという点であった。
「無宿人が役に立つかわからないし、そんな奴らなら金くすねてトンズラしかねないですぜ。ぼっちゃん」
ガドウィンはそう言ってデリックを諌めた。
確かにその通りなのだがこういうのは頭数が必要でもある。
「コルムさんが如何に凄い女傑とはいえ、一人では心許ないでしょう。ですから、そのような話をしているのです」
「それは、そうですがねぇ。だからといって街のダニみたいな連中を入れるのも・・・」
ガドウィンも実情は知っているのであまり強くは言えない。
それに農家や牧場の若者を自警団にしようにも働き手がいなくなるので、皆はあまり良い顔は出来ないのである。
デリックはまず一時的に一番大きな倉庫へ積荷を置き、そこから街での販売する荷馬車隊を組織して盗賊に備える事を提案したので、ガドウィンはそれには素直に応じた。
「問題は人手か・・・。どうすれば良いであろうか・・・」
デリックが困っているとコルムがいきなり唐突もないことを言ってのけた。
「頭数を揃えればいいんでしょう。まず、街の無宿人に声かけてよ。大丈夫。私が後は何とかするから」
いきなりのコルムの申し出にデリックはコルムの顔をまじまじと見つめた。
そして、こう言った。
「何とかするって・・・どうするんだい?」
「いいから、いいから。無宿者っていったって、その辺の男と大して変わらないんでしょ? だったら問題ないってこと」
コルムは強盗を追い払ったことで変な自信がついていた。元々、正義感だけは人一倍大きいというのもそれに輪をかけていた。
「しかしなぁ。一応、村の者達を呼んで会議をしてからでも遅くはないでしょう。ぼっちゃん」
とガドウィンが言うので、この村で一番大きいガドウィンの家で今夜、会議を開くことにした。
その晩のことである。
会議とあって続々と村の若者や農場主、牧場主らが集まってきた。
元司教である名家のデリックの呼びかけとあって全員が出席してきた。
するとコルムにとって予想外の出来事が起きていた。
あの出来事を兄弟たちは尾びれをつけて言い触らしていたのである。
耳をすませて噂話を聞いていると、とんでもないことになっていたのだ。
「あの小娘が噂のゲドルズ将軍の生まれ変わりだと?」
「ゲドルズ将軍とはいわないが、凄い事この上ないという話だ。笑いながら男を数メートルも蹴り飛ばして退治したって話だぞ」
「張り手で頭をふっ飛ばしたって言うじゃないか。くわばらくわばら」
ゲドルズ将軍とは前王国時代の女将軍で女傑として知られる女性である。
身長は二メートルを超え、並居るゴブリンやオーガーを一人で笑いながら蹴散らしたという逸話の持ち主だ。
問題はゲドルズ将軍の容貌であった。
普通、女将軍といえば美女で知られるのだが、この女性は稀に見る醜女としても知られていた。
こんな逸話がある。
ある勇猛な青年騎士に一騎打ちを申し込んだ。
その内容はというと
「私が勝ったら、私の婿になれ。私が負けたら、私が嫁になってやろう」
そう言った途端、勇猛で知られたその騎士は一目散に逃げ出して流浪の旅へと出てしまった、というのである。
実の所、これは後世に出来た笑い話なのだが、吟遊詩人らが面白おかしく吹聴するものだからたちまち人気の小話になってしまった。
そんな「ゲドルズ将軍の生まれ変わり」と評されているのにはコルムも堪ったもんじゃない。
彼女は絶世の美女とはお世辞にも言えないが、それなりに可愛いと自分では思っている。
挙句の果てには既に仇名がゲドルズになっていたのである。
「うるせぇぇ!! 黙れぇぇぇぇぇぇ!!!!」
耐えかねた彼女は怒号を発して周囲を圧倒してしまった。
瞬時に一同の会話はピタリと止まった。
その怒号は彼女の声ではなかった。
巨大な猛虎が「恐ろしい咆哮を挙げた」と言って良いほどである。
実はこれも神の奇跡の術の一つであった。
相手を威嚇し、意気消沈させるという術なのである。
思わず怒号を挙げたら会得していたか分らぬものが不意に表れてしまったのだ。
一同は唖然とした。恐怖で震える者もいた。
泣いていた赤子がいれば文字通り泣きやんだことであろう。
「ゲドルズ将軍じゃない!! コルムだ!! 良く憶えておけぃ!!」
またもや猛獣の怒号である。
これ以来、彼女に面と向かってゲドルズ将軍呼ばわりする者はいなくなった。
コルムにとって、これは幸いなことであった。
誰も彼女が神の奇跡の術を会得するような「聖女のような女性」と思わなかったからである。
聖女がこんな恐ろしい咆哮を叫ぶとは誰も思いも寄らないからであった。




