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第一話 少年大志を抱き、恩師と永久の別れを告げる。

 彼の名はアンヘルと言い、元は山間の村の小作人の家に生まれた。

 だが天候不順による旱魃、冷害などで飢饉が起こり、彼の村も例外ではなく「飢え」という魔物以上に恐ろしいものに襲われた。


 飢餓とは恐ろしいものだ。

 魔物であれば「英雄が退治してくれる」などという、お伽噺のようなこともあるかもしれない。

 非力でも魔物の打ちどころが悪ければ、運よく倒す者もいるかもしれない。

 しかし、飢餓や疫病の類はそれとは違うものである。


 彼の両親もその恐るべき飢餓によって倒れ、彼も死ぬ寸前であった。

 彼を救ったのは偶々通りかかった異端審問を受け、逸民となるべく王都ヴァイロスから逃げるようにして来た一人の老魔術師であった。


 異端審問にかけられた理由だが老魔術師には心当たりがなかった。

 だが、魔術師の連中にも政局というものが存在している以上、無関心過ぎたのが原因である。

 老魔術師は出来る限り書物を携えていたが、一人の赤子を見つけると十数冊の書物をその村の家の何処かへと隠し、代わりに赤子を拾った。


 名前は判らないのでアンヘルという名前をつけた。

 アンヘルとはその地域で「豊穣の光」という意味合いを持つものだった。


 幸い老魔術師は痩せこけていた山羊を連れていたので、山羊の乳を赤子に飲ませながら中へと更に入って行った。

 山羊もあまり乳が出ないので仕方なく、なけなしの乾パンを山羊に与えながらであった。


 頃合いの山小屋を見つけると、彼は書物をとり、まずはこの山で食べられる山菜について調べた。


「ふむ、意外と豊富にあるものだ。だが、無知とはやはり罪なものだ。知っていればこの子の両親の命も助かったかも知れぬものを」

 老魔術師はそう呟くと、道端で取ってきた山菜を鍋で調理した。

 

 あまり美味くはないが空腹が食欲を掻き立てる。

 彼は元々、食事に関しては無頓着だったことも幸いした。

 下手なプライドなんぞあったら「宮廷内の一魔術師としてこんなものは食えぬ」と捨てたかもしれない。

 しかし、老魔術師にはそんなプライドなどはない。


 自分を追い出した連中なぞはどうでもよかった。

 ただ、研究を続けたかっただけである。

 研究といっても大した事はない。

 彼の趣味のようなものだ。

 しかし、何が幸いとなるかは分らない。

 そんなものは預言者にも分る訳がないのだ。


 老魔術師の研究とは古代史研究であった。

 この世界の古代に関しては不明な点が多い。

 神話とごっちゃになっており、辻褄が合わない記述も多い。

 そして、下手に追求すると困る連中もいたりする。

 

 神を信仰している連中なんぞにとっては目障り以外の何物でもなかったりする。

 確かに神による奇跡の術を使う者もいる。

 ただ、そういうのは極一部であり、滅多にお目にかかれるものじゃない。

 しかも声高に叫ぶような連中には、まずその術を使えぬ者が多い。


「本当に神とやらがいるのなら、この現状を対処すると思うのだがなぁ。試練とか言ってもこのような赤子にどう乗り越えろというのだ」

 老魔術師はまた山羊と会話するように呟くと、苦笑して山羊に山菜を食べさせた。

 まずはこの赤子でも救い、身の回りを世話してもらうつもりなのだ。

 

 月日が経ち、赤子は少年となっていた。

 本来なら小作人の倅なんぞは読み書きがまず出来ない。

 だが、老魔術師はそんなアンヘルに様々な文字や言語を教え込んだ。

 

 幾ら「研究が好き」といっても、そればかりしていたら頭が持たない。

 ただ、それだけの理由であった。要は気分転換である。

 また、魔術の心得も教えた。

 元々魔術を使うのは好きではないが、いざという時に忘れていたら話にならない。

 この山奥には飢えた獣もいるし、ゴブリンという下等な連中も何時来るか分らない。


 復習みたいなもので教えると自身も思い出すし、アンヘルが使えるようになれば、自分とアンヘルも守れるからである。

 アンヘルは小作人の倅にしては非常に頭が良く、好奇心旺盛で、砂漠で打ちひしがれた旅人が水を欲するかのように自らの力として吸収していった。


 ある日のことである。アンヘルは名も知らぬ老魔術師に質問をした。

 老魔術師の名前を聞きたい訳ではない。

 彼はアンヘルに迷惑をかけたくないので、名前を決して明かさない。

 そして、物心ついた時に老魔術師は「彼の両親が飢饉によって既に他界した」とも告げていた。


「老師、質問ですが古代史の研究とは、何か役に立つのですか? 立つのであれば私にもご教授してくださいませんか?」

「アンヘルよ。残念ながら、これはただの趣味じゃ。それでも良ければ教えることは出来るがの」

「いいえ老師。それは違います。ゾフス古代史書の三巻にはある作物に関しての記述がありました」


 老魔術師は怪訝そうな目でアンヘルを見た。

 確かにゾフス古代史書の三巻にはその記述はある。

 だが「既にその作物は滅んだ」とあるのだ。


「まさか、それをこの現代に甦らせるつもりかね? しかし、何のために? 雲を掴むような話じゃぞ」

「老師。私は仇を取りたいのです。両親の仇は飢饉です。ゴブリンでもなければドラゴンでもありません。ましてや王国の兵士でもない」


 老魔術師は少し考えた。

 問題はゾフス古代史書の記述であった。

 それにはこう書かれている。


「その作物は神への冒涜とみなされ、神に遣わされた竜によって焼き払われた。高慢なラギフ人は恐れおののき、それにより再び神の僕となったのである」


 この記述がある限り、神を信仰する連中はその作物がもし復活したとしても許しはしないであろう。

 愚かしいことではあるが、それも人間なのである。

 理由は書いていないので「神が怒った理由」ということも説明出来ない。

 ましてや、これは理論でどうにかなるもんじゃない。


 老魔術師は徐にこう述べた。

「アンヘルよ。もし、その作物を見つけるか復活させたとしても、お前に名声はないぞ。それどころか災いとなるかもしれん」

「老師よ。私は名声なぞ要りません。吟遊詩人の詩に出てこないでも構いません。ただ私の功績は、それを聴き入る人々の傍らのパンとして残るでしょう」


 この答えに老魔術師は「アンヘルの決心を無にすることは出来ない」と感じた。

 自分も老い先短い身だ。

 自分が如何にしてやめるように諭しても、この場では「納得したように演技をするだけだ」と思ったからだ。


 老魔術師はアンヘルに自分の知り得る魔術を全て教えてから、この世から去ることにした。

 老魔術師は確かに魔術師であるが所謂「火炎球」のような攻撃魔法というものの知識はあまりなかった。

 だが変性や幻術、付与といった間接的な術には長けていた。


 これらの手法は地味ではあるが、効果的に使えば有効である。

 ただ、難点があるとすれば、独りでの行動はあまりにも危険なのである。

 故に信頼できる者が複数いれば良いのだが、巷には他人をただ利用して使い捨てにしようとする輩がいるのは当然だ。

 その見分け方は魔術などでは到底、会得出来るものではない。

 老魔術師はそこに苦心した。


そして、老魔術師はアンヘルにこう助言した。

「アンヘルよ。世の中には善人と悪人がいる。これは分るか?」

 アンヘルは暫く悩んだ。

 というのも「何が善で、何が悪か」がまず理解出来ない。


 暫く悩むと老魔術師はまた口を開き

「それで良い。善や悪なんぞというものは、時と場合によって使い分ける場合が多い。ただな」

「ただ、なんです?」

「信頼出来る人という者は使い分けることは出来ぬ。それに信頼出来る者というのはわしも長年生きているが、これが中々いない。それが人というものじゃ」

「そういうものですか。私は信頼できる人というものですか?」

「それは何とも言えぬ。まぁ、わしにとってはそうじゃな。ただ、人というのは立場や考え、さらには性格など複雑だ。魔術のように単純ではない」

「よく解りませぬが、肝に銘じておきます」

「このあばら家での生活なんか生易しいものと考えるのじゃ。でなければ、お前の仇はとることは叶わぬ」


 そんな会話をした後に、いよいよアンヘルは老魔術師から過酷な修練による魔術の会得を開始した。

 魔術の会得は体力的なものではなく、精神的なものであり、数日間も何も言わずに過ごすこともあれば「ただ只管眠らずに我慢する」といった訓練もある。

 当然、何度か失敗はあったが老魔術師の叱咤激励もあり、一つずつ会得していった。


 さらに数年が経ち、全ての会得が終わると老魔術師は老衰しきっており、間もなくこの世と別れるまでに至った。


 アンヘルは泣きながら老魔術師に言った。

「すみませぬ。私の我儘で老師の寿命まで犠牲にしてしまいました。この上は老師の証である古代史研究に没頭し、老師の供養とさせて頂きます」

「馬鹿なことを申すな。これはわしの元々の寿命じゃ。それにここでひっそりと研究しても意味はない。それよりも仇を討つのじゃ」

「しかし、それでは老師の無念が晴らせないではないですか。お願いです。古代史研究をやらせてください」

「それは仇をとった後にやれば宜しいじゃろう。わしはもう眠りたいのじゃ。静かに逝かせてくれ。後生だからとは言えぬがな。ハハハ」

「・・・」


 老魔術師はそれが最後の言葉となった。

 アンヘルは涙し墓を作った。そして、数日間慟哭した。

 そして、それが老魔術師の与えた最後の鍛錬であった。


 アンヘルはその後、暫く篭って作物に関する資料を読み漁った。

 その資料の中に老魔術師が、赤子であった自分と引き換えに隠した書物の場所のメモがあった。

 作物に関しては図柄や説明を読むにあたり、麦に近いものであるようだが、どのような代物かは不明で、それ以上の事は記していない。


 そこで、まずはメモにある書物を探しに山を下りることにした。

 老魔術師の墓に最後になるかもしれないお参りを捧げると、不思議と背中を押されたような気がした。


 山を下って暫くすると、遠くから耳慣れないカーンカーンという甲高い音が鳴り響く。

 ある程度してから拍子が途絶えると、樹木が倒れるのを遠目から見えた。

「何であろうか?」


 近くまで行くと身長は2メートルほどの大男が上半身裸で斧を振るい、木を伐採していた。

 季節は春なれど、まだ少し肌寒い。加えて高地なものだから余計である。


 しかし、余程暑いのであろう。

 体から湯気が濛々とたっており、少し息も荒い。

 アンヘルは汗を拭う彼を見ていると、彼が大きな声で問いかけてきた。


「おおい! そこの! こんな所で知らねぇ奴たぁ珍しい! こんな所で何をしてんでぇ!?」

 獣の咆哮に似た大声を上げると驚いたのか、あちこちから小鳥が飛び立った。

 大男はその光景を笑いながら近づいて来た。

 

 アンヘルは老魔術師に事前に聞いていたことがあった。それは

「旅する魔術師たる者にはまずは武器となり、盾となる同胞が必要じゃ。大体が戦士と呼ばれる連中じゃの。なぁに、会えばわかるじゃろう」

 というものであった。


 そこでアンヘルは近づいて大男に逆に問いかけた。

「貴方は戦士ですか?」


 すると大男は思わず間が抜けた顔に一瞬なるが、数秒後に大笑いをした。

 そして、こう述べた。

「どっからどう見ても、木こりにしか見えねぇと思うがねぇ。俺っちが戦士だって? 冗談じゃない。傲慢で因業な領主なんぞに使われるなんぞ真っ平御免だ」


 男は狼男とまでいかないが、毛むくじゃらで、胸や腕だけでなく背中にも剛毛がある。

 長髪だが額は少し広い。そして髭も伸ばし放題だ。

 男はそう言うと汗か鼻水か分らないが、手のひらで顔を拭うと男が逆に質問してきた。


「そういうお前さんは何者だい? 恰好は隠者みてぇだが、この辺にそんな奴がいるなんて聞いたこたぁねぇ」

「私は一介の魔術師です。アンヘルと申します」

 大男はそう聞くと、途端にまた大笑いした。


 彼の中では魔術師とは爺、婆、妖艶な美女と勝手な憶測で固めていたからである。

 それがまだ少年の面影を残した汚らしいボロ布を纏う青年が、堂々と名乗ったものだからおかしくて仕方なかった。


 大男がアンヘルを目の前にして大笑いしていると、一人の中肉中背の男が獣道から走り寄って来た。

 大男はその男に声をかけた。


「おお、クランクか。丁度良かった。今、大傑作な小話をこの小童がしていたからよ」

「おめぇのせいで兎が皆、驚いて逃げちまったじゃねぇか。馬鹿みてぇにでけぇ声で大笑いしやがって。ただでさえ、おめぇの地声はでけぇってんだ」

「悪い悪い。けどよ、この小童事もあろうに魔術師とか言うじゃねぇか。まだお姫様のほうが真実味ってものがあらぁな」

「はぁ? 魔術師だぁ? 成程、こいつぁ物乞いにしか見えねぇ。魔法で物乞いをするのか? こりゃあいいや」


 二人とも大笑いし出したので流石に馬鹿にされていると思い、アンヘルも少しムッとした。

 だが、老魔術師からは「滅多やたらに魔術は使うべからず」と日頃から教わっていた為、我慢して笑い声が途絶えるのを待った。


 クランクと呼ばれた男はアンヘルに

「で、どんな魔法を使えるってんだい? 見せてもらいてぇもんだ」

 と言ったので、空かさずこう言い返した。


「今、お二人は大笑いしたじゃないですか。これが私の魔術ですよ」

「へぇ、じゃあもっと笑える魔術はないかい? こちとら山で獣や木しか相手にしてねぇもんだから、暇潰しにはもってこいだ」

「生憎、魔術っていうのは一日に何度も使えるものではないのです」

「へぇ、トンチみてぇな事を言いやがる。まぁ、いいや。おめぇさんの事気に入ったぜ。俺はクランクで、このうすらでけぇのがバズってんだ」


 バズと呼ばれた大男はクランクに

「うすらでけぇのは余計だ。だが、丁度いいや。こちとら木ばっか切っていたら、気がおかしくなりそうだし、休憩がてらに小童のこと聞いてやろうじゃねぇか」

 とバズが言うので、クランクもそれに同調した。


「厄介な人たちに絡まれたのかな?」

 アンヘルはそう思ったが、まずは情報を聞かねばならない。

 メモにはパルシュ村と書いてあったので、それについて聞いてみると二人は「聞いた事がない」と言う。


 そもそも二人は流れ者で、元は山賊である。

 既にこの周辺で仕事はしているが、まだ来て三年である。

 そこでアンヘルはメモに書いてあった村のことを聞くのを諦め、代わりに自分が老魔術師と隠遁していた間のことを聞いてみた。


 二人は隣国から逃れて来たのだが「こんな小童に身の上話なんぞ聞かせても問題ない」と思ったのか、自慢話も含めてベラベラとしゃべり始めた。


 バズは元牢役人、クランクは元猟師だったが、飢饉の際に各地で餓死者が続出すると、次第に各地で暴動が発生し、水不足で隣村同士で殺し合うなどしたので、身を守るために山賊になった。


 山賊になると次第に王国に対する民衆の不満も手伝って、貴族の領地などを強引に襲うようになり、出てきた官軍を蹴散らすと、それが更に人気に拍車をかけた。 当初は数百人の規模でお互い首領として暗躍していたがその内、次第にある大勢力の山賊の傘下となった。


 その最大勢力の山賊の首領はランヴィルといい、豪放磊落な性格で、元は村長をしていたが徴税役人のあくどい取り立てに腹を立て、ついに徴税役人を一人残さず殺してしまうと、山野に逃げて山賊となり、蜂起して穀倉を襲った。

 それが功を奏して人気者となり、次第に雪だるま式に増えていった。

 クランクやバズも同調し、その時に仲間に入った。


 人気者になったランヴィルであるが、当初は良かったものの次第に傲慢となり、国王と名乗って周辺を略奪するようになった。

 見かねて同志となっていた古参の者が諫言すると、その者の首を落としてさらし首にした為、次第に同志が離れていった。

 クランクとバズが離れたのも丁度その時期である。


 噂によるとランヴィルは既に戦死して、残った仲間同士で跡目争いとなり、官軍に鞍替えした連中が他を皆殺しにして手柄をとり鎮圧されたという。


 飢饉はというと、つい五年ほど前にようやく収まり、荒れ果てた農地などにも人が移住し始めた。

 この国の国王は五年程前に即位したばかりだが、自身の家庭教師でもあった身分が低い貴族の青年を大臣の一人に取り立てて政治を任せた。


 するとその元家庭教師は、罪の軽い罪人、物乞い、仕方なく娼婦となっていた女などを召し取り、半ば強制的に崩壊した村へ移住させ、能吏の管理の元に指導させたので次第に人心と国力は安定しつつあるという。


 ただ、最近になって西にあるボリグ荒野と呼ばれる大平野から、ゴブリンやオーク等が大量に侵入して来ているので「戦費を賄うために徴税の額が増えた」と酒場の主人が愚痴をこぼしていたとのことだ。


 アンヘルは礼の代わりとして持ってきた数少ない酒を二人に振る舞ったので、二人は上機嫌となり「近くの街まで案内してやる」と言ってきた。

 二人は喜んで自慢話も聞いてくれる「物乞いらしき自称魔術師」を気に入ったというのもある。


 馴染みの酒場に入ると初老の男性がカウンターに居て、一人の中年女が二人の女中を顎でこき使っていた。

 この時、女というものをアンヘルは初めて見た。

 肥え太った中年女はクランクとバズを見ると酒焼けした声で話しかけてきたが、隣にいるアンヘルを見ると訝しがった。


 二人から事情を聞くと中年女は

「へぇ、婆さんじゃない魔術師がねぇ。ひょっとしたらそのガキ、婆さんかもしれないよ。あたしがひん剥いてやろうかい?」

 といきなり変な事を言いだした。

 どうも、世間には魔術師と言うと「爺や婆」と思う風潮があるらしい。


 ただ、アンヘルは何の事か分らなかったので

「いいですよ。別に見てもらっても減るもんじゃないし、好きなだけ見てください」

 といきなり言いだしたもんだから、クランクもバズも面喰って急いで止めた。 


 中年女は大笑いしてから

「どうでもいいけど、臭くていけないね。近くの浴場にでも行って出直してきな。あんた達」


 アンヘルは言うに及ばず、クランクもバズも確かに臭うので、近くの共同浴場へと向かうことになった。

 三人とも臭いの原因となる着衣を浴場の居間にいる洗濯係の女達に預ける。


 その際、下着は着けたまま浴場に足を運ぶのだが、アンヘルは堂々と下着まで手渡してしまった。

 偶にはそういう客もいるので年増の洗濯女達は動じないが、意外にも脱いだ体が端整なため、ジロジロ見ているとバズがアンヘルを連れてそそくさと浴場へ向かった。


「何さ! 減るもんじゃないし!」

「こちとら汚い亭主の体を毎日見ているんだ!」

「少しは目の保養ぐらい良いじゃないか!」


 といった洗濯女達の罵声を、湯に浴びる前に浴びながら着くと、二人はアンヘルを連れて無理やり浴槽の中へ入れた。

 昼間なので空いてはいるが、それでも他の客はいるので、三人は極めて迷惑な存在だ。

 だが、バズの巨体は他の客が文句を言わせぬ威力を充分に発揮している。


 痛がるアンヘルを無理やり洗っていくとアンヘルの体は次第に白い陶器のような色合いへと変貌していった。


「驚いたな、こいつぁ。その辺の汚ねぇ女どもに高く売れるんじゃねぇか?」

 クランクはそう言うとバズは

「どうせなら、有閑マダムとやらに売り込んだほうがいいな。あっちのほうが金を持っていらぁな」

 と相槌を打った。


 顔立ちも整っていて一見女性と思える風貌であったが如何せん、二人はアンヘルの股間を見るとため息をついた。


 アンヘルは二人が悪い人物ではなく信頼の置ける人物として、浴槽の中で自分が下界に思えるような場所に来たことを明かしたのだが、二人にはそれが真実なのか懐疑的であった。

 だが、今までの行動を見ると如何に世間外れかは理解したので満更、嘘でもなさそうなのである。


 そこで、クランクは魔術で今すぐ女になったら認めてやると言い出したのだが、アンヘルはそもそも「女が如何なるもの」か理解出来ないのである。

 バズも一緒になって丁寧に説明してもどうにも煮え切らないので、二人とも一緒にアンヘルの股間をまた見ては、ため息を出すだけであった。


 アンヘルは二人の何が残念なのが分らないまま浴場を出ると、暑いのでそのまま外へ出て涼もうとした所で二人に止められた。

 その様子を年増の洗濯女が、またこちらを見ては「目の保養にしてやる」とばかりにいやらしい笑みを浮かべながら眺めている。


 二人はアンヘルに今度は無理やり着衣を着せると、そそくさと共同浴場から出てアンヘルを引っ張り回すように酒場へと向かった。


 酒場へ戻ると中年女がアンヘルを見るなり「小倅と思ったら小娘だったのかい」と言ってからかった。

 ただ、当のアンヘルはあまり理解出来ていない。

 そもそも男と女の違いでさえ解らないのである。


 あまりに中年女が頻りとアンヘルにちょっかいを出すので、クランクは遮って中年女にパルシュ村について聞いたのだが、その事を聞かれるやいなや、急に今まで笑っていた中年女の顔は曇った。

 そして今度は囁くように、その事について話し始めた。


 中年女が言うにはパルシュ村は、この街から十キロメートルほど離れた山麓にあり、現在でも手つかずの廃村として残っている。

 昔は豊かで、主に小麦や芋の類が名産の村であったが、飢饉の時に村人は誰一人として生き長らえる事なく滅んだ。

 そのせいなのか、その村には今でも昼夜問わず、恐ろしい死者の呪われし叫び声が木霊し誰も近づかないという。


 その話を聞いたバズはアンヘルに対し

「おいアンヘルよ。こいつぁいけねぇや。幾ら、俺っちやクランクが『オーガーやらを倒したことある』って自慢したところで土台無理な話だ」


 同調するようにクランクもまた

「確かに亡霊っていうのはちとまずいな。弓矢が効かないんじゃ手も足も出ないぜ。悪い事は言わねぇよ。諦めようぜ」

 こう述べたのだが、アンヘルは何か思い当たるフシがあるらしく、笑顔で何処吹く風のように答えた。


「それよりも、その呪いの正体を見破って叫び声を黙らせたら報奨金とやらは出ますかね? 生憎、私はお二人に金を借りっぱなしですから」

 中年女はそう聞くと渋々とだが

「ああ、領主のベルトルン伯から60ヴェロスが出ると言うけど、まさか本気なのかい?」

 と答えた。


 1ヴェロスは木こりの五日分の給金にあたるので結構な額である。

 アンヘルはそれを聞くと嬉しそうに

「これでお二人に金が返せそうですね。それでは明日にでも赴いてみましょう」

 と涼しい顔で言うので、中年女を含めた三人はアンヘルの顔をまじまじと見つめて「こいつは正気なのか?」と囁き合った。

 

 宿がないアンヘルは酒場から出ると野宿すると言う。

 仕方ないのでクランクが「自分の家に来い」と言い、アンヘルはその通りにした。


 家と言ってもあばら家で狭いのだが、アンヘルにとっては大して気にならない。

 クランクはアンヘルに

「ノミやシラミは我慢してくれ。お互い贅沢は言えない立場なのは分っているだろ?」

 と言うので、アンヘルは笑って頷いた。


 アンヘルは自分の寝床に就く際に、何やら不可思議な言葉を囁いてから寝たのだが、クランクはいつも通り体を掻きむしりながら寝ているのに対し、アンヘルは何もないように良く眠っている。

 クランクは不思議と思い、添い寝をするように無理やりアンヘルの寝床に寝てみるとノミもシラミもいないのである。


「おかしいな・・・存外、こいつは本当に魔術師とかいう奴かもしれねぇ。試しに『親切心から』と言ってパルシュ村に同行してみるか」

 そう考えて、この日はアンヘルと一緒に眠った。


 翌日の早朝、クランクが起きると未だに呑気にアンヘルは寝ていたので、役所まで行き、中年女が言っていた報奨金について調べに行った。


 役所に入り、その事を届け出ると、横柄な態度の警ら隊の一人が書類を渡して「よく読め」と言って持ち場へと引っ込んでしまった。


 クランクは文盲であったが幸いバズは文字が読めるので、バズに読んでもらおうと急ぎ足で向かうと、バズもまだ寝ていたので叩き起こして読ませた。

 バズは寝ぼけていたものの、書類に不備はない事をクランクに告げると、バズも一緒にパルシュ村へ行くと言い出したので、共にクランクの家に出向いた。


 アンヘルは未だに気持ち良く寝ていたので、その間に二人で話し合うことにした。

 クランクはバズに「アンヘルが呪いを解いたなら二人で襲って金を山分けにするのか?」と聞くとバズは首を振った。

 というのも「魔術師が相手となると自分達に知識はないので、どんな目に合うかわからない」と言う。

 クランクは「それも尤もだ」と思い止まる事にした。

 話しているとアンヘルが起きたので、二人は護衛と称してアンヘルに付き合う事にした。


 本当にアンヘルが魔術師なのか興味もあったのであろう。

 二人は装備を整えて「さも護衛でござい」とアンヘルに言った。

 ついでに、大金を山分けするように言うとアンヘルは欲がないので素直に頷いた。


 パルシュ村への道のりは特に危険もなかったのだが、村に近づくにつれ徐々に人気もなくなってきた。

 流石に山賊の類は出ないかもしれないが、日中と言えど油断は出来ないので、アンヘルを除く二人は何時でも戦えるように警戒しながら進んだ。


 すると遠くから慟哭やら断末魔のような叫び声が聞こえ始めたので、二人は流石に気味が悪くなってきた。

 アンヘルは一向に澄ました顔で早足のまま進むだけだ。


「あの野郎本当に怖くねぇのかね? というか、あいつの方が怖くなってきたぜ」

 とクランクが言うと、バズも同調して

「ああ、あいつが化け物になって襲ってでも来たら何時でも逃げる用意しておかねぇとな。気が気じゃねぇや」

 とアンヘルの後ろで聞こえないように内緒話をしている。


 パルシュ村へ着くとやはり恐ろしげな声が木霊し、辺りは廃墟しかなく荒れ果てていた。

 日中だが天気は曇っていたので不気味さが増す。

 二人は恐る恐るアンヘルの後ろから付いて行くのだが、アンヘルは散歩するかのように呑気に周りを見渡しながら進むだけだ。

 徐々に叫び声が大きくなり、二人は気が気じゃなくなっていたが、アンヘルはある家でピタリと止まり二人に話しかけた。


「どうやら、ここから音が鳴っているようです。それでは入りましょう」

 と笑顔で言うのだが、二人は当然入るのを躊躇った。


 だが、ここで入らないと「護衛として報奨金を山分けにする」という大義名分が崩れるので、アンヘルを先頭にして渋々、中へと入って行く。


 アンヘルは中に入ると、元は家具であったであろうガラクタをどかしながら、床を調べる。

 二人は周りを警戒して手伝おうとしなかった。


 音の原因が元はタンスであったと思われる大きなゴミの下だとアンヘルは気づくと、二人を呼んで一緒にどかすように頼む。

 すると二人は及び腰になったのだが、その様子を見たアンヘルは大声で笑いだした。

 大の男が二人して怯えているのが、おかしくて堪らなかったのである。

 

 流石に二人はムッとしてアンヘルが指した元はタンスだったらしき物を片付けた。

 そのタンスらしき物がどかされると音はさらに大きくなった。


 あまりにも大きいので二人は耳を塞ぎ、その場から離れようとした時、アンヘルは何やら詠唱を始めた。

 アンヘルの詠唱は音に掻き消され聞こえないが、手を音の原因と思われる床にかざすと、徐々に音が小さくなっていった。

 

 アンヘルは、これが「老魔術師による幻聴の術だ」と薄々気づいていたので、ここに書物が隠されているのだろうと思い、解呪の術で音を消したのだが、二人は途方もない力で消したように見えたので、アンヘルを畏敬の念で見るようになってしまった。


 音が消え去ったと同時に、アンヘルは二人に床を外すように頼むと二人は床を外した。

 すると袋が出てきたので、中を見ると書物が何冊も出てきた。

 バズは文盲ではないので、恐る恐る本の一冊をとって読もうとするが、何が書かれているかは分らない。

 それもその筈で、現在では使われていないラギフ語という言葉で書かれているからである。


「読めるのでしたら手伝って欲しいですが、その様子じゃやはり読めないようですね」

 アンヘルはバズにそう言ったので、バズは小馬鹿にされたとムッとしたが本当のことだし、殴ろうとしたらどんな災いが降ってかかるか分らないので、黙って本をアンヘルに渡した。


 最後の一冊の本を渡されたアンヘルは、もうここには用がないので家から出た。

 そして振り向くと、暫くその家を眺めたのである。


 「恐らくこの家が自分の生家であろう」

 アンヘルはそう思ったら何か不思議な想いがしてきた。

 だが、記憶に一切ないし生前の両親の思い出もないので、ここから去ることにした。

 

 街へ着くとクランクは、バズとアンヘルを連れて役所へと向かった。

 呪いが解かれたので報奨金を得る為である。

 役所に着くと、先ほどの横柄な役人が出てきて

「嘘であろう」

 と鼻で笑ったので、クランクは

「それなら早馬で見に行くといい」

 と、言った。


 役人は「嘘なら承知しないぞ」と言ったので「嘘なら逆に60ヴェロスを出すからよ」とクランクは笑いながら言った。

 そこで役人は酒場で待っているように告げると、数人の仲間を引き連れて向かった。


 酒場へ向かうと例の中年女が、事の顛末を興味本位で聞かせろというので、アンヘルは笑いながら二人を肴にして話した。

 二人は「面目ねぇ」と笑った後「60ヴェロスも懐に入ってくるから豪勢な料理を頼む」と言うと、どんどん料理が出されてきた。


 アンヘルは、この世には「これほど美味いものがあるのか」と思い、夢中で食べだした。

 あまりにも頬張るアンヘルに三人は笑いながら見ていると、件の横柄な役人がやってきて「ご苦労」と言ってから30ヴェロスを渡した。

 当然、これにはクランクが食ってかかった。


「おい! 60ヴェロスの筈だぜ! 残りの30ヴェロスはどうしたんだよ!」

「税金に決まっているだろ。そんな事もわからんのか? 30ヴェロスでも高い方だ。有難く頂戴しておけ」

 横柄な役人はそう言ってせせら笑った。


 クランクが飛びかかろうとするとバズの逞しい腕がクランクを掴んだ。

「おい! 止めるな! どうせテメェの懐に入れる気だぜ! こいつぁよ!」

「やめておけ。また流浪する気かよ? それにどうせ、こいつぁ一週間と持たねぇ身だ。呪いにかかってな」


 そんな会話が聞こえたので、役人は「どういう事だ」と問いかけると「アンヘルが呪いを解いた魔術師である」と聞かされた。

 「嘘だろう」と思い込むようにして立ち去ろうとするも、本当だったら怖くて仕方ない。


 その様子を見ていたアンヘルが、役人と目をあった途端

「呪いですけど、誰かに擦り付けないといけないんですよ。死刑囚か何かに擦り付けるつもりだったんですが、良い相手が見つかって良かったです」

 と、これまた笑顔で言うものだから、その役人は恐ろしくなり15ヴェロスをさらに手渡した。

 残りは本当に税金なのでクランクも納得せざるを得ない。

 

 逃げるように役人が出て行くと、三人はその様子を肴にして騒ぎ、そして笑いあった。

 こうしてアンヘルの旅が始まったのである。


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