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娯楽都市  作者: 菊日和静
第04話 娯楽屋と奈落王
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遊びの始まり

 人生とは死ぬまでの暇潰しだ。


 なんて言葉はよく聞くが、今まで生きてきた人生の中で得た教訓と独断と偏見から、この言葉には色々足りないものがありすぎだと思う。

 人生とは死ぬまでの暇潰しだが、それは自分が主役になっての暇潰しではなく、他の誰かの暇潰しの可能性があるので気をつけよう――だ。


 自分が自分のために暇潰しを行うのであれば、自分の責任の範囲内なので誰かの迷惑になることもない。けれど、どこかの誰かが暇潰しのために『他の誰か』を勝手に巻き込んで、楽しいからという理由で好き勝手をすることは、この世界では往々にしてよくある。否、よくあったが正解だろう。


 この世に生を授かったその瞬間から自分のための暇潰しなんて実はなかったのかもしれない。それこそ、父である遊木遊々が暇で退屈だからという理由で、百人もの子供を作ったのだから、ある意味では遊木遊子の人生というのは父の暇潰しの延長線上でしかなかったのだと思う。

 それから解放された瞬間があるのだとしたら、父が死んだ――殺した瞬間でしかあり得ないだろう。だというのに、父の暇潰しから自分は解放されたというのに、父の全てを受け継ぎ、あまつさえ父の遺言である「最高に楽しめる人生を生きろ」という初めてのプレゼントを後生大事に胸に抱いているのだから始末に負えない。

 最高に楽しめる人生を生きろ。

 そこではたと気づいた。



 最高に楽しいとは一体何なのであろうかと?



 もちろん、言葉の意味はわかっているし、その答えなど人それぞれなどということは言われるまでもなく気づいている。遊子が知りたいのはそんな禅問答のような答えではなく、具体的な行動という意味での楽しみだ。

 人の楽しみはそれぞれというのであれば、遊木遊子にとっての最高に楽しいとは何を指すものであるのだろうか。

 楽しいという感情が欠落しているわけではない。

 むしろ、遊木遊子は父が母に送った手切れ金1億円というお金のおかげで、貧困とは程遠い生活を送ることができた。


 美味なる食事は楽しい。

 友との語らいは楽しい。

 運動で体を動かすのは楽しい。

 美しい景色を見るのは楽しい。


 だけれども。しかしながら。だというのに。

 楽しいというものが何なのかわかっているはずなのに、そこに最高がつくと途端に楽しいとは、どんなものなのであろうか。わからない。

 ずっと、そんなことを父の死後考えていたわけだが、残念なことにその楽しいを追求する時間というものは中々取ることができなかった。

 というのも、遊子はマスタークラスになって、父の後を継いでからというもの更に多忙を極めた。極めまくって過労死するかと思った。

 元々、遊木遊々の仕事を肩代わりしていたものだというのに、さらに上乗せされることになってしまい、一時は「あの父は間接的に私を殺す気なのではなかろうか?」と本気で疑ってしまったぐらいには働き尽くしていた。

 ただ考えてみれば責任者になったということは、自由裁量にできる範囲が広がったということで、有能で信頼の置ける部下に仕事を放り投げてしまえばいいということに気づいてから、結構な量を割り振って以降はかなり楽ができた。

 部下が当時の自分と同じような目に遭っている?

 そんなものは知らん。自分だってできたのだから部下だってできる。

 とまぁ、仕事が落ち着いたので、改めて「楽しい」を考えてみた。


 楽しいとは欲望が満足している状態だ。

 こんなことは辞書を引けば誰だってわかる当たり前のことでしかない。

 欲望。欲望。欲望。

 自分が望み欲すること。

 父の存在を知って、父の人間性を知って以降は、如何に殺すかをずっと画策していた。それこそ数年単位の時間を費やしており、解放された今はポッカリと穴の空いたような気持ちになり、それを塞ぐかのように仕事をしていたのだ。

 父を殺す前は、あれだけ身を焦がすかのようにあった情熱が、今は嘘のように気持が凪いでいる。


 ……認めたくないが、遊子は楽しいと感じていたのだ。


 楽しいが要望の満足した状態を示すのならば『父を殺すことを考えていた時間』は遊子にとって楽しいと定義するに足ることなのだ。

 そして父が死んだ時、確かな充足感と達成感に満ちたものの、それは一時のことで持続するようなものではなかった。よく目標を達成するより、達成するために努力した期間の方が大事だというが、遊子もご多分に漏れることがなかった。


 そこから導き出されること。

 遊子が最高に楽しかったと思えるのは「父を殺すためにあれこれと考えること」だったのだ!

 ……改めて言語化することで気持悪すぎて死にたくなってきた。

 こんな様ではかつてプラチナランカーの<ジーニ>が自分のことをファザコンと評したことも笑えない。生前も死後も父のことを考えているだなんて、ファザコンにもほどがあるではないか。

 そうなってくると、遊子にとっての楽しいことをするためには父が生きていなくてはならないのだが、父はもういない。その楽しみを追求するのは無理だ。

 父はいない。私が殺した!!

 かといって、人生に満足したので死のうと思えるほど遊子は達観していない。むしろ、父を殺して自分も死ぬとか意味不明すぎる。大体にしてあんな人でなしのために自分が死ぬなどまっぴら御免だ。


 しかし、この考えは中々良い線をいっている。

 遊子もまた過程に価値を見出すという点において「楽しさ感じる人間」であるならば、「父を殺す」という結果をすり替えてしまえば良いのだ。

 ――過程を楽しむために、目標を新たに定める。

 目的と手段が別のような気がするが、別にそれほど矛盾した概念ではない。遊子にとって大事なのは「最高に楽しい人生を謳歌する」ことであり、その目的を達成するための手段として「目標を定めて努力をする」ことなのだ。

 よく「自分が生きている意味」を問う人間がいつの時代、どの世代でも一定数の割合がいると思うが、その答えは決まりきっている。


 ヒトは幸せを追求するために生きているのだ。


 そんな当たり前どころか前提条件すらわからない人間がいることすら遊子にとって驚きの事実であるが、人として生まれた以上、幸せや楽しみを求めるのは当たり前であり本能的に刻まれたことであるのだ。議論することすら馬鹿らしい。

 だから、幸せになることを達成するために、人は手段として様々なことを為す。


 人助けをして悦に入ったり。

 人殺しをして愉悦に浸ったり。

 仕事をして充足感を得たり。

 堕落をして安楽を得たり。


 要は自分が幸せに生きるために、どの手段を取ればどれだけ自分が幸せに生きられるのかが肝要なのだ。幸せがそこそこで良い人間はそこそこでいいし、幸せが最高値でなければ満足できない人間は苦行のようなことをするし、苦しみこそが幸せという人間ならば飽くまで責め苦を負うというだけの話なのだ。


 となれば、あとは簡単だ。

 遊子にとっての幸せや楽しさというのは目標を達成するための過程にこそあり、そして、遊子が最高に楽しめることは『父に関すること』なのだ。


 だから、これから宣言することは遊子にとって当然のことなのだ。

 長かったような短かったような期間だったが、やはり、楽しいと思える期間であることは間違いなかった。

 ふぅ、と一息をつく。


「はい。それでは『第九十九回 娯楽都市を盛り上げるための会議』を始めたいと思います。司会進行を務めるのはこの遊木遊子でございます」


 奇しくも百回に届かなかったのは残念といえば残念だ。

 まぁ、それもまたいいだろう。

 遊子はこの場にいるマスターランクの面々を見渡した。

 狐島管音は相変わらず画面の向こう側からのんびりこっちを見ている。

 碧井桜子は傲岸不遜に胸を張っている。

 黒式十一は不気味そうに笑ってブツブツ言っている。

 揃いも揃ったり変人奇人の巣窟。

 かつてこの場には父もいたのだから、さらにその度合いは増したことだろう。

 全然まともな自分では荷が勝ちすぎる場所で本当に困った限りではあるが、新人としての仕事は最後まで全うしようではないか。



「議題は――『娯楽都市をぶっ壊す』です」



 さぁ、遊木遊子の最高の遊戯を開始しよう。

 かつて父が作ったこの娯楽都市を――壊す。

 父が築いてきたものを――殺す。

 あぁ、それはなんて楽しそうな遊びなんだろうか。

 遊子の冷めていた熱がドクンと音を立てて再度熱を帯びた。

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