憧れの女子高生
私は幼い頃に奈落に堕とされた。
親の顔すら覚えてなんていないし、親の顔を思い出すぐらいなら自分のお腹を満たすことにしか興味がなかった。奈落に巣食う子供なんて大抵はそんなもんだ。
娯楽なんてものは当然何もなく、あったとしても奈落の底辺の連中が、更に底辺の連中を見下す行為ぐらいしかなかった。
あまりにも見苦しく、あまりにも汚らしい。
私の目にはそう映っていた。
当然、自分もそんな最低の連中の一人であり、汚らしいドブ鼠でしかないと思っていた。そんな反吐が出るような地獄の中で、私は幼いながらもこんなところ抜け出してやると誓った。
それは決して前向きな気持ちじゃなかった。
現実に対しての否定的な気持ちの表れだ。
生きるためにはそれこそ何でもやった。
盗みは必須技術だったし、詐欺なんて挨拶みたいなものだ。そうでもしないと、奈落では生きていけず、逆に毟り取られる未来しか待っていなかった。
ただし、それでも身体を売るような真似はしなかった。
命を賭けるようなことはいくらでもやったが——身体だけは売らなかった。
何でもやるとは言ったが、それは最低限の自分が自分で生きるための最低ラインであり、その最低ラインを越えてしまえば私はあっさりと死を選んでいただろう。
ドブ鼠であっても——矜持はあった。
だからだろうか。
同じように捨てられているドブ鼠みたいに倒れているルピン見つけた時、助けようと思ったのは。多分、それは私にとっても珍しいことだった。というか初めてのことだった。
奈落では人が倒れていても見向きもされず、下手をしなくても金品を取られた後、唾を吐かれて追い打ちをかけるように蹴られて終わるだけだ。
なのに、私はルピンを助けた。助けてしまった。
奈落の路地裏に捨てられるように、全てのものから逃げ出したいかのように倒れているルピンは——とても弱々しかった。子供のように弱く見えた。
何故そうしたのかは今になってもわからない。
けれど、ルピンに手を差し伸べたことは後悔していない。
とはいえ、助けた当時ルピンは常識なんてものは本の知識程度でしか知らず、大変な苦労はさせられた。身体はでかいのに常識は疎い。なのに、頭は良いようで知識だけは無駄にあった。
さらに驚いたのは奈落でチンピラに絡まれた時のことだ。
私は女なので男に絡まれるなど日常茶飯事だ。対処方法など今更だし、適当にお茶を濁して終わるつもりだったが、ルピンはチンピラをボコボコにした。あまりにもやりすぎたので、説教した後に奈落での常識を教えてやった。
ルピンが来てから生活は一変した。
私はよく笑うようになった。
誰かと暮らすのは初めてで、誰かに物を教えるのは初めてで、初めて尽くしであった。
心地よかったのだと思う。
端から見れば家族ごっこだったのかもしれない。ごっこ遊びでも良いじゃないか。私は心から楽しいと思えたのだから。
そんなルピンに私は夢を宣言した。
奈落を抜け出して成り上がるなんて、他の奈落の人間が聞けば笑って終わるようなものだ。それぐらい、ここから成り上がるのは難しい——というか、成り上がる前に死ぬか搾取される可能性の方が高いからだ。
だけど、ルピンは笑わなかった。
笑わず聞いて、協力してくれた。
その協力の結果が、まさか『真紅の瞳』を盗み出すことだなんて思わなかった。やることなすことが極端で困る。まぁ、宝石をもらった私がそんなことを言うなと話だが、そこは女だ。男からの贈り物はもらうものだろう。
順風満帆。
はっきり言って調子に乗っていた。
それがケチの付き始めだったことに気づいてなかった。
そんな私たちの元に現れたのが娯楽屋だ。
ルピンが盗んだ『真紅の瞳』を取り戻しに来た連中。そんなのも現れるのかと驚きつつも、所詮は娯楽都市に住まうぬるい連中だと侮った。侮ったらやたらとしつこい双六に追い回され、今までルピンにのされた連中に追い回され、果てには最強を名乗る桜子さんにルピンがやられてしまった。
正直、これで終わったと思った。
ルピンとの日々が終わることが悲しかった。
ところがが、私を追っていた娯楽屋の双六が<モニター>になれと言って、結果私とルピンは桜子の下で娯楽都市内で暮らすことになった。
複雑な気分だった。
あいつらさえ来なければルピンと笑って暮らしていたはずだが、あいつらがいたおかげでルピンと一緒に暮らすことができる。正直、未だに双六が何を考えていたのかわからない。ただまぁ、これは借りだ。意に沿わない形であっても、夢見た娯楽都市で暮らすことができるのだから。
そして今日、私は桜子さんの指示で常識を学ぶためにここへ来た。
知識としては知っていたが、通うのは生まれて初めてだ。
憧れはあったし、遠目から見たことはあった。
けれど、まさか自分がそんな立場になれるとは思わなかった。
奈落とはまた違う怖さが自分を包むのがわかる。
でも、それと同じぐらいこれから起こることが楽しみだと胸が高鳴っている。
すーはーすーはー。
呼吸を整えて、私は自分の名前が向こう側から呼ばれるのを待つ。
向こう側の名前は『楽々高校の教室』だ。
真新しい制服に身を包み、奈落では決して穿かなかったスカートを履いている。なんだかヒラヒラして落ち着かないが、ルピンは似合っていると言ってくれたので、多分大丈夫だ。
私の名前が呼ばれたので教室の戸を開ける。
入って数歩歩いて教壇の上に立つ。
好奇な目線が私をジロジロと見る。何これ超怖い。奈落のクズ共のスケベな視線と全然違う。敵意がない視線なんて初めてで戸惑いかけたところ、見知った顔があった。
双六だ。ぽかんとした顔で私を見ている。
私がここに来ることを何も知らされていないのだろう。
驚いて口がふさがらない様子だ。
ざまーみろ。
不思議と心が落ち着いた。
あれだけ競い合った双六が見ているのに無様な真似なんてできない。
なので、私はキリッとした顔を作って教室のみんなを見た。
「初めまして。り、利橋オセロです! 皆さん、よ、よろしくお願いします!!」
噛んでしまった。
けどまぁいっか。
私は今日憧れの女子高生になった。
友達100人できるかな?
ルピン編これにて終了です。




