改造人間の覚悟
久遠が到着して第一に思ったことはただ一つだ。
「……なぁ双六。今一体どういう状況だ?」
現場に到着した早々、双六が無事だったことは良かったとは思う。
ルピンと戦っていた場所から離れていたものの、久遠の尋常じゃない聴力により双六の高笑いが聞こえてはいた。ただ、その直後に銃声が鳴って「どうせ双六が何かしたんだろう」と普段の経験から推測したものの、流石に多少は心配になった。
ルピンの方も同じく少女——オセロといったか。彼女の悲鳴——久遠には怒声に聞こえた瞬間に、ルピンは久遠を残して走り去って行った。それに伴い久遠も同じく双六たちのいるだろう場所へと向かって行き、ようやく今到着した。
現場にいるのは4人。
双六とオセロ。それに仕事の依頼に来た銭形と知らない女がいる。
大勢と争った音が聞こえたり、銃声がしたりで漠然と何が起きたかはわかっているが、詳しいことは何もわからないままの久遠は状況が飲み込めず混乱した。
「えーと、簡単に説明しますと——」
双六から何が起きたかを聞く。
「なるほどな」
別れてから30分も経っていないのに、よくもこんなにトラブルに巻き込まれるものだと呆れてしまった。双六から言わせれば久遠にだけは言われたくない台詞だろうが知ったことではない。
「ちなみに久遠さん傷だらけですけど負けたんですか?」
「アホか。勝った——と言いたいところだが、銃声が聞こえてこっちに向かったからノーカンだな」
「いやーそりゃまた面目ないです」
実際、勝ち負けは着いていない。
前半はルピンの戦闘技術に押されはしたが、後半はこちらが押していたと思う。あれ以上続けていれば負けは——流石にないとは思う。
うやむやになってしまい若干の不完全燃焼感は残る。
だが、これから勝負をする必要があるかと言えば、その意味は全くない。
なぜなら、双六から聞いた話では依頼人の上司である人間がここにいるからだ。
「んで、碧井桜子さんだったか? 見ての通りルピンはまだ捕まえてないわけだが、あんたはどうするつもりだ?」
久遠は聞く。
娯楽屋としては、ハッキリ言えばルピンを責任者の前まで連れてきたのだから、ある意味仕事は達成しているとも言えなくはない。
そんな桜子はニヤニヤと不敵に笑い、この状況がどのように流れるかを楽しむかのように憮然としている。
久遠が今まで見たことがない女性のタイプだ。ゆるりと自然に構えている様は、人の上に立つ人間の有り様としてはなるほどと思える。
そんな桜子は久遠の問いに答える。
「どうするもこうするもそれは向こう次第じゃないか?」
クイッと指差した方向。
ルピンとオセロの二人を指した。
◆
「オセロ……大丈夫?」
「へん。こんなの屁でもねーよ!」
口元の血を拭いながら笑うオセロ。
強がりではない。奈落に来てまだ間もないルピンであるが、それでもここの連中の性根の腐り方は1日も経たずにわかった。女とわかれば見境無く獣のように犯すような連中だ。本当に吐き気がしてくる連中だったので、目についたらとりあえず再起不能なまでに痛めつけておいた。
そんな環境でオセロは生き抜いてきたのだ。生傷なんて耐えない日々が続いていただろうことは想像に難くない。
だから、オセロ自身にしてみれば本当に何もないのだろう——が、ルピンにとっては別だ。大問題だ。大好きな人間が傷つけられて何とも思わないわけがない。
だってそれは——ルピンにできたたった一つの繋がりなのだから。
「——だから、そんな心配そうな顔すんな」
「オセロ」
そっとオセロの手がルピンの頬に触れる。温かなぬくもりが確かにそこにあり、二人が生きていることを教えてくれる。
「それよかお前の方がひどい傷じゃないか」
「俺僕の方は大丈夫だよ。肉は抉られているけど痛覚は止めてるから痛くないし」
「そうか。……って、それ全然大丈夫じゃないからな!?」
そうだろうか?
過去、人体実験のために体のあちこちに手を放れられて激痛で眠れない日もあったし、戦闘教育ということで骨が折られても痛みに耐えながら戦う方法など、ありとあらゆる痛みに耐えてきたので、この程度はどうということもない。
「まぁ、俺僕の方は身体が頑丈な方だから」
「言っておくが、いくら頑丈でも肉えぐられたらやばいからな」
どちらも心配のエンドレスになりそうだったが、ここでそんな心配をしても仕方がない。なにせ今は四方八方的に囲まれた状態なのだから。
「ルピン。この状況で逃げられそうか?」
「ん〜逃げられるかもだけど、結局追いかけっこを続けることになりそうだよねぇ」
「だな。そうなると——」
「——真正面から戦って切り抜けるしかないよね」
とはいえ、どうしたものかとルピンは考える。
相手の目的は自分一人に的を絞っている。
最悪、自分一人の身だけを差し出せばオセロは——と考えたところ。
「『二人』で一緒に帰るぞ。ルピン」
オセロは強く言う。
もしかしたら、オセロもそのことを考えたかもしれない。
いや、間違いなく考えていただろう。オセロは奈落の中でも逃げ足と頭の起点で生き抜いてきたと公言していた。そんな彼女がこの程度のこと気付かないわけがない。
そして、その可能性を考えた上で『二人』と言ってくれた。
——捨てられるわけがない。
この繋がりを。
この絆を。
初めて感じた確かな温もり。
それらを手にした今のルピンは捨てられない。
「ルピン。お前は私のものだ」
「うん。俺僕はオセロのものだよ」
誓いの言葉と共に互いの手をギュッと握り合う。
それだけのことで、ルピンは胸に抱えていた不安や苦しみが無くなった。
「ヒューお二人さん。話はまとまったかい?」
茶化すように碧井桜子が言う。
オセロから聞いた話では一応は助けてもらった恩人らしい。
だが、ルピンは初めて会ったはずの目の前の女が何者であるかを知っている。直感している。確信している。
——こいつは黒式十一と同じ側の人間だと。
生まれながらの絶対的に支配者にして、傲慢な振る舞いを全て許された人間。世の中は自分の思った通りになると信じ、事実そうなって生きてきて、他者の痛みなど道端の石ぐらいにしか思っていないような最悪な——人間だ。
「くく。そんなおっかない目で見んなよ。疼いちゃうじゃねーか」
「ならその疼きを鎮めてやるよ。あんたの命でね」
「へぇ。やっぱり、降伏しないのか」
「するわけがないだろ。お前が黒式十一と同じ側の人間であることぐらい、俺僕にだってわかっている」
「なんだ、知ってたのか」
なら話は早いと桜子は続けて言う。
「まっ、一応言っておくが私と黒式ちゃんは、仲良しこよしの仲間じゃねーぞ。互いの領分を守ってる限りは基本不干渉だ。それに、今回の件は私の可愛い部下が情けなくやられた仇討ちに来ただけだしな」
「へぇ、それじゃあ俺僕達は見逃してもらえるのかな?」
「そんなわけないだろ。優しいことで有名な私だが甘くはないんでね」
その桜子の言葉に、隣にいる銭形が「優しいって辞書で引いたことあります?」と尋ね「やかましい」と桜子にどつかれていた。
やはり、この場を切り抜けるには目の前の桜子を倒すしかない。
黒式十一と同じ側の人間。
それだけでも十分にルピンの胸中を不安でかき乱す。グッと手を強く握りオセロの温もりを思い出し、覚悟を決める。
ただその前に、一つだけ言っておかなければいけない相手がいた。
「おい、久遠健太」
「……何だ?」
突然ルピンに呼ばれ、久遠は一拍おいて返す。
つい先ほどまでの獣のような殺気はない。
この状態ならば大丈夫だと思い、ルピンは言う。
「俺僕はお前に負けちゃいないからな」
「俺だってお前と勝負がついたなんて思ってねーよ」
正直、久遠と決着がつけられなかったのは心残りだ。
だが、おかげで実験動物にされていた頃にはわからなかった、久遠の人となりを知ることはできた。
「お前とは必ず決着をつける」
「あぁ」
「だから……悔しいけどお前に一つだけ頼みがある」
「何だ?」
久遠健太は——真っ直ぐな人間だ。
約束を交わせば必ず守る。
一度拳を交わしたことで、それはわかった。
そして、それ以上に彼の中に眠る底知れないものがあることも。
それでも、何もないルピンには彼を頼るしか方法がないのだ。
「これから起きることを——見届けてほしい」
ただ一言だけ。一言だけ彼に告げた。
久遠はルピンを見た。次に桜子を見た。最後にオセロを見た。
「わかった」
とだけ、久遠はルピンに返した。
本当におかしな奴だと思う。
一回も会ったこともなく、ただ一度しか拳を交わしていないのに、どうしてそうも頼みなんか引き受けられる。
だが、そんな久遠の言葉にルピンは救われた気持ちになった。
自分が実験の先にある人間が——くだらない人間じゃなかったことに。
実験の意味は少なくともあったのだと救われた気がした。
ならば今、その結果を示そう。
「碧井桜子。俺僕と勝負しろ」
「おう、いいぜ。んで、お前が勝ったら何が欲しい?」
あっさりと申し出に乗ってきてくれた。
断るとは思っていなかったが、万が一もありえたので都合が良い。
「自由だ。お前に勝ったら俺僕とオセロを見逃して欲しい」
「うんうん。そんで、負けたら?」
「俺僕のことは好きにして構わない。ただし——」
ちらりとオセロの方を振り向く。
そして、聞こえないように声量を抑えて言う。
「オセロを傷つけたらお前を殺す」
聞こえていたら間違いなくオセロは怒るだろうなと思う。
二人一緒にといったのに、こんなことを思っているルピンを叱り、蹴飛ばし、ふざけるなと言ってくれるだろう。
それでも、ルピンは自分よりオセロの方が大切なのだ。
「はは。今日はオセロちゃんにも楽しませてもらったからな。最初から手を出すつもりはねーよ」
「ならいい」
これで全ての憂慮は無くなった。
後はやるだけだ。
マスターランク碧井桜子。
改造人間ルピン。
二人の対決の幕が切って落とされた。




