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娯楽都市  作者: 菊日和静
第03話 娯楽屋と怪盗ルピン
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発売日を待つのも読者の楽しみの一つ

「さて、向こうはどうなっていることやら」


 いつものように十八は本を手にする。

 読んでいるのは小説ではなくバトル漫画だ。オープンテラスの喫茶店でカバーもかけずにバトル漫画を読んでいる十八を、周囲の客が興味本位に見てはギョッとしている。

 それはそうだろう。

 見目麗しい女性がさぞ高貴な本でも読んでいるのだろうと思っていたら、読んでいるのはバトル漫画だ。ナンパしようとした高学歴っぽそうな男性客はすごすごと退散するばかりであった。


「きっと楽しい物語が展開していることなんだろうね」


 このバトル漫画のように——。

 ちょうど双六の修行が終わったのを見計らって、修行パートが終わって強大な敵に挑もうとしている漫画を読む気分になったので読み返している。

 やはり、修行パートからの決戦に挑むのは何度読んでも面白いと思う。


「まぁ、発売日を待つのも読者の楽しみの一つか」


 続きを待つのがもどかしく楽しい。

 それは読者に許された特権の一つでもあろう。

 双六がどのような展開にしているのを間近で見たい気もするが、ここは我慢だ。自分が物語に介入しては——その時点で駄作と成り下がる。読者が勝手に本を書き換えてしまっては、何も意味はないのだから。

 続きの本を取り出そうとバッグを漁っていたら——十八の真ん前に座った男がいた。ナンパかと思ったが違った。目の前に座った男は、擦り切れた僧服を身にまとい、隠しきれない血の匂いを漂わせながら口を開いた。


「十八殿。久方ぶりでござるな」

「戦場君じゃないか。久しぶりだね」


 破戒僧であり、プラチナランクであり、<ガチンコ屋>の名前で知られる、十八にとっては形容しがたい関係の戦場がそこにいた。落ち着いた雰囲気のカフェに、無骨としか言いようのない戦場が座ったことで周囲がザワリとした。

 つくづくカフェの空気と合わない男である。

 鬱陶しいことこの上ない。


「その割に不機嫌そうでござるな。いつものことでござるが!」

「私は私の読書の時間を邪魔されるのが嫌いなだけだよ」


 せっかく良い気分で漫画を読んでいたのにどうしてくれるのだ。

 読書が好きな人間なら共感を得てくれるだろうが、自分が良い気分で本を読んでいる時に限って電話を掛けてくる人間がいる。1回だけならまだしも、それが続いてくると、さすがに苦手意識も芽生えてくる。

 つまり、十八にとって戦場とはそんな存在であった。


「……そうなると、空いている時間の全てを読書に当てている十八殿の、どのタイミングを狙ったら不機嫌にならないのでござろうか? 後学のために教えていただきたい」

「私が自分で動く気になったらかな」


 空いた時間は全て読書に当てるのだから、当然の帰結だ。

 そんなこともわからないとは、やはり戦場の頭には脳みそではなく筋肉が詰まっているに違いない。


「それは無理でござるな〜。拙僧は自分から動く人間ゆえ」

「だろうね。ただまぁ、どうせ君は私の不興なんか気にしたことないじゃないか」

「まさしく。流石は十八殿の慧眼には恐れ入るばかりでござるな!」

「君のそういうところが、私の不興をさらに買っているんだがね」


 ずけずけと人の家に上がり込んでくるような男だ。その神経の図太さがもう少し細くなってくれれば良いのにと願って止まない。叶わないまでも、気遣いの一つでも欲しいものだ。まぁ、所詮は戦場なので無理だと諦めている。


「それで何か用かな?」

「おぉ〜そうでござった! <娯楽屋>の久遠健太殿と闘ったそうでござるな?」

「耳が早いね」


 どこから情報が漏れたものやら。

 同じプラチナランクなれど、扱っている情報の種類に違いはある十八には見当がつかない。戦場なりのコネクションがあるだろうから、多分そっちの筋から入手したのだろう。

 特に隠す努力はしてはいないので、漏れたところで別にどうとも思わないが——何となく相手が戦場だと気分が悪くなるのは生理的なものなのでどうしようもない。


「結果は?」

「もちろん、私が勝った」


 端的に修飾もせず事実だけを告げる。


「内容は?」

「私が下着姿になって油断したところを投げ飛ばした」

「お主相変わらず最低でござるなっ!?」


 席を立ち指を差しながら戦場は叫んだ。

 質問に答えた挙句、女性に最低と言い放つとは、この御仁は何様のつもりなのだろうか?


「どこがだい? 相手の弱点をついて勝つのは戦いの常道だろう。いくら人外の力を持っていようと、勝負という一点に関しては私の勝ちだ」


 勝ちは勝ちだ。

 これが生死を賭けた戦いならば、間違いなく十八は死んでいただろうが、勝負という土俵に久遠健太をルールで縛り付けた。異常な力を持っていようと、やりようはいくらでもあるのだ。

 それは、双六に対しても口を酸っぱくして言い続けたことでもある。


「まったく。これだから拳と拳のロマンを理解せぬから、拙僧もお主が苦手なのでござる」

「見解の相違だね。か弱き私にそんな理論当てはまるはずないだろう」

「か弱気は議論が分かれるところだと思うでござるよ」


 本当にこの男は心を逆なでするのが上手い。

 図書館本を読んでいるお姉さんがか弱くないとしたら世界中の人間はゴリラだ。


「そういう話なら私も読みたい——聞きたいことがある。君と久遠君の勝負はどうだったのかな?」

「むっ、よく知っているでござるな」

「私を誰だと思っている?」

「ふん。愚問でござったな」


 意趣返しとばかりに同じ質問をしてやった。

 こちらもこちらでそれなりの情報網は築いているので、久遠と戦場が戦ったことなど耳ざとい者ならば知っている情報だ。

 戦場もまさか自分の話が言及されるとは思ってなかったのだろう。不機嫌さを露わにしている。つくづくわかりやすい男だ。


「それでどうだったのかな?」

「まぁ、隠すようなことでもござらんからな。有り体に言えば——拙僧の負けでござろうな」


 ガチンコ屋である戦場が負けた。

 その事実に対して、十八は驚くことはなかった。

 なぜなら、


「ほう、どうせ君のことだ。真正面から久遠君の拳でも受け止めたんだろう? はは、愚かなことだね。彼の力量を見れば無事で済まないことぐらいわかるだろうに」


 ガチンコ屋という名前を冠しているように、戦場は相手と喧嘩することで相手を理解できるというとんでもない考えを持つ男だ。目には目を、歯には歯をというハムラビ法典を鵜呑みにしたかのように戦場は相手の拳を受けるような大馬鹿である。

 なので、久遠健太の拳を受けて沈んだのであろう。

 そんな展開だろうと読み解いていたのに、


「違うでござる」

「何?」


 戦場はいつになく沈んだ表情で否定した。


「真正面から受け止められず——逃げたのでござる」


 十八もこれには流石に驚嘆せずにいられなかった。

 どのような窮地に陥ろうとも拳だけでのし上がってきた戦場が逃げ出したなど、十八が読書したくないと言うの等しいぐらいあり得ないことことだ。

 戦場は、続けてその有様を語る。


「最初の内は軽い腕試しであった。力は久遠殿。技は拙僧。中々に血湧き肉躍る戦いであったが——戦いの最中に気づいたのでござる。久遠健太。あの男には底知れない『何か』があると」


 恐らく、それは十八には理解できない領域だ。

 十八は必要に駆られて戦闘技術こそ学んでいるが、生粋の武人ではない。あくまでも護身術の延長線上であると自覚している。こないだ久遠と手合わせした時には、十八はそんな不可解な何かを感じることはなかった。


「それで君は——何を見たんだ?」


 だからこそ、戦場が目にした何かを読みたい、知りたいと思う。

 戦場が何を感じ。

 戦場が何を恐れたのか。

 好奇心が抑えられない。


「アレを何と呼ぶべきか困るが……一言で表すなら『獣』でござろうな」


 獣と戦場が言った時、彼に鳥肌が立ったのを見逃さなかった。


「初めてでござったよ。人の拳で拙僧が『死ぬ』とイメージさせられたのは——いや、あれを受けていたら間違いなく死んでいたでござろうな」


 そこまでなのか。

 十八は久遠健太という男の情報は知っていても、実物を見たのは遊園地での正義屋との戦いと十八自身が戦った都合2回きりである。それでも、十八は久遠にそこまでの脅威を覚えはしなかったのだが、大分見通しが甘かったようだ。


「故に、拳と拳の理解を信条としている拙僧の負けでござる」


 戦場の勝負の真髄は理解にある。

 その理解をするための場から逃げ出したのであれば、負けと認めたのも納得できてしまった。


「君ほどの男でも久遠は理解できなかったか」

「無理でござるな。あれは人でござらん。人であって人でなき、獣の如き男でござるからな」


 人は獣と寄り添うことはできる。

 しかし、獣は時として牙を剥き人に害をなす。

 人は獣を——真の意味では理解できない。


「今更ながらに背筋がぞっとするね」

「久遠殿自身は分別ある男であるから、その点については心配ないでござる。ただし、一度久遠殿が本気になったら——こうなるでござる」

「これはまた……ひどいものだね」

「この傷のせいで最近まで身動きが取れなかったでござる」


 戦場は自らの胸元を開いて十八に見せた。

 そこにあったのは猛獣に引き裂かれたかのような爪の痕であった。

 かなりの深手であったのは一目瞭然であり、傷は塞がっていてもその痛々しさからは思わず目を背けてしまう。

 自分の迂闊な行動を責め立てるかのように、じっとりした汗が背中に流れる。やはり、下手に挑発などをせずに一気に勝負を決めて良かった。

 もしも、勝負を長引かせたりしたら——ああなっていたのは自分かもしれないのだから。


「なるほど。やはり久遠君は人の勝負に持ちこば勝てる可能性はある。ただし、命を賭けた殺し合いになれば——殺されるか」

「そうでござろうな。なまじ人の姿をしている故に拙僧はそこを間違えた」


 どこまで異常な力を持っているんだと呆れるばかりだ。

 だが、十八は思う。

 それで——良いと。

 十八の思惑なんてどこまでも越えていかなければ——面白くない。


「ふふ、実に面白い展開だね。ねぇ、戦場君。君は怪盗ルピンを知っているかい?」

「新聞程度で名前を拝見した程度には」


 急な話に戦場は訝しがる。

 元々は向こうから話しかけてきたのだ。こちらの話も聞いてもらおうじゃないか。


「実はあれね——黒式十一のモルモットなんだ」

「なんと<狂気の支配者>黒式の手の者でござったか!!」


 実を言えばこの情報自体は、双六に伝えた時点で知っていた。

 知っていて伝えなかった情報だ。

 戦場が言ったように<狂気の支配者>黒式と言えば、娯楽都市のマスターランクに名を連ねるものであり、遊木遊々程ではないがある程度情報に精通しているものならば名前ぐらいは知っているほどだ。

 ただし、その研究の内容は全て——噂話の領域を出ない。

 人体実験はもちろんのこと、人類史に残るような研究成果を出し、どこぞかの国のエージェントにも狙われているとも言われる、胡散臭いにも程がある人間なのだが、薄気味悪いのはその名前が消えることなく、ずっと噂され続けるところにある。

 まるで——封印していたものが漏れ出すかのように、彼の名前が噂として浸透するのだ。ひっそりと。しっとりと。べったりと。名前だけが残り続ける。


「そのルピンを開発するためのモデルに使われたのが——久遠健太なのさ」

「人工的に久遠殿と同じ能力値にした——ということでござるか?」

「あぁ、恐らくは性能的には同程度の力は有しているはずだよ」


 十八も今回の件がなければルピンのことなんて調べることはなかっただろう。そして、本腰を入れて調べた結果からルピンの実験内容を知った。


「教育と薬物による人為的な成長——さらには、人工臓器に強化骨格。人間の可能性を試すという名目のために、ルピンの身体は隅々まで手を加えられているそうだよ」

「不憫な。久遠殿を人工的に造り出そうなど——想像を絶するような実験だったろうに」


 戦場もこれには不快気に顔を顰めた。

 己が肉体のみを武器に戦う彼にしてみれば、ルピンのような実験は吐き気を催すほど嫌なものだろう。


「そこで君に聞きたい。ねぇ、戦場君。君は久遠君と理解しあえないと言った。ならば、獣と獣同士ならば理解し合えるのかな?」


 戦場は言った。

 人と獣は理解できない——と。

 ならば、人工的に作られた『獣』は『獣』を理解できるのか?


「……お主。何を考え——いや、何をしているでござる?」

「前にも言っただろう。本を作っているのさ」


 そうだ。十八はたった今この瞬間において本を作っている最中だ。

 ただし、物語を書き起こしてはいない。


「ただ私には作家としての才はなくてね。登場人物が思うように動いてくれないから発想を変えてみることにしたのさ」


 最初はほんの思いつきだった。

 双六と出会って、彼を思うように動かして物語を書こうと思っていたのであったが、その考えは早々に捨てることにした。

 幾千万の本を読み続けた十八であっても、全ての展開を操ることはできない。ましてや人の心など読みきれない人間が人間を操るなど喜劇もいいところだ。

 それならばと十八は考えを改めた。


「私がプロットを作るのではなく——登場人物が動いた結果を物語にすればいいとね。つまりは、ノンフィクションというやつさ」


 後は簡単だった。

 適当な駒と因縁がありそうな相手を探し、手駒である双六をその場に送り込む。どうなるかなんて十八にはまるで予想が付かないし、予想する意味などない。

 だって、十八は待っているだけでいいのだ。

 週刊連載を待つ子供のように——胸をわくわくさせながら待っていれば、後は双六が物語を作ってくれるのだから。


「そして、物語を作って手を汚すのは自分ではなく他人。やはり、十八殿は最悪でござるなー」

「君からどのような罵詈雑言を聞こうとどうとも思わないな。それに君とて私と同じ穴の狢じゃないか」


 意地悪そうに十八は笑う。


「私たちはマスターランクに挑んでいる。けれど、私たちの最終目的はマスターランクに勝つことじゃない」


 前にも話したことだ。

 プラチナランクになったことで、十八と戦場はマスターランクに挑むことに決めたと。

 だが、それはマスターランクの地位が欲しいからではない。

 むしろ、そんな地位など願い下げであり、欲しいだなんて思ったことすらない。

 そもそも、マスターランクに勝って何になるというのだ。

 復讐なんて動機もなく、金銭的にはすでに満たされており、名誉欲なんて一欠片もない十八からしてみれば無意味の一言に尽きる。

 ただし。ただしだ。

 マスターランクという登場人物は——ひどく魅力的であった。

 十八が好む修行パートを終えた弱い主人公が挑む相手としては、これ以上ないぐらいピッタリとお誂え向きの相手だ。

 そして、十八は告げる。

 彼女が双六を鍛えてきた——真実を。

 


「マスターランクに主人公が立ち向かう——そんな物語を見てみたいのさ」



 黒式の手の者であるルピン。

 弱い双六が懸命に強くなろうと足掻き、頼もしい仲間である久遠とルピン立ち向かう。それを想像しただけで十八の頬は紅潮し、息が荒くなってしまう。


「君はマスターランクに挑むことで、その過程にある強者との闘争、いや理解だったね。それを求めている」


 戦場もまた、十八とは違う理由ではあるが挑む理由は似たり寄ったりだ。

 結局は、同じ穴の狢だ。


「その結果、私たちにもたらされるのは娯楽という名の愉悦だよ」

「否定はせぬでござるよ。つまりは、十八殿は今は物語の出来上がり待ちでということか?」

「その通りだよ」


 満面の笑みで十八は笑った。

 大好きな本を紹介する読者のような笑みで。


「あぁ、双六君。早く帰ってくるがいい。そして、私に読ませておくれ。君が作り上げた——(ものがたり)を私は待っている!」


 今は奈落にいる双六に語りかけるかのようにうっとりとして。

 愛弟子であり主人公である双六の帰りを今はまだかと待つ。


「うふふ。本当に楽しみだなぁ」

「はぁ、まったく。だからお主とは相容れぬのでござるよ……」


 プラチナランクである図書屋とガチンコ屋。

 二人のティータイムはこうして過ぎていった。

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