生きているだけで恨まれる存在
久遠が駆けつけてくれたことで双六はホッと安堵の息を吐く。
ヒーローのように駆けつける久遠はまさしく主人公のようだどころか主人公そのものだ。そんな主人公に助けられるなんて「きゃっ! 僕ってヒロイン!?」とうっかりトキメキそうなぐらい格好いい。
天音という彼女がいるのにどうしてくれるのだ。責任取ってくださいと言ってやろうかと思ったが、その時は地獄のしっぺとデコピンが待っていそうなので言わないでおこうと心に誓う。せっかくスイカのように頭が飛び散るのを回避したのに、本末転倒になってしまう。
そんな、どうでも良いことを考えられるぐらい余裕が戻ってきた。
「助かりました」
「ったく間一髪だったな。あんま心配させんなよ。……だけど、よく頑張ったな」
「——はい!」
その一言で報われた気になった。
何度離されそうになってもガムシャラに食いついた甲斐があるというものだ。
そして、久遠が目の前にいるルピンを視界に捉える。
「そんで、俺の相棒を甚振っていたのは——てめえか?」
「うん、そうだよ〜」
呑気な雰囲気を解かないルピン。
先ほどの投擲を見ても久遠の危険度がわかっていないのだろうか?
そうであれば久遠の敵ではないし、何の障害にもならない。
あるいは、久遠の危険度を認識してなお余裕があるのだとしたら——油断はできない。
「おい双六。あいつがルピンで合ってるのか?」
「はい。オセロさんがそう言っていたので間違いありません」
「なるほどな。依頼は意外と簡単にすみそうだな」
何せ奈落に立ち入ってから数時間足らずで見つけることができたのだ。
ルピンのことを躍起になって探っている情報屋界隈からしてみれば、この情報を与えるだけでちょっとしたお小遣いを稼げることができるレベルだ。
問題があるとすれば——
「ねぇねぇ。二人さんの狙いって俺僕なの?」
「まあな」
ルピンの底知れなさだろう。
初めて会った時から思っていたのだが、ルピンという男が醸し出す雰囲気が常人のそれとは明らかに違っている。プラチナランクの天音や十八、正義屋の虎徹真理にも似ていると思ったのだが、それとも違う感じだ。
それよりも遥かに近いと感じたのは——久遠健太のそれだ。
人懐っこそうな笑顔の奥に得体の知れない何かが潜んでいる気がしてならない。
「な〜んだ。オセロごめんね〜。俺僕のせいで巻き込んじゃって」
「アホか。あたしが盗めって言ったようなもんなんだから、巻き込んだも何もないだろ」
「きゃーオセロったら格好いい! 惚れちゃうっていうか惚れてる!」
オセロとルピンは知り合い同士どころか、オセロが指示して『真紅の瞳』を盗ませた主犯格であったのだ。そうなってくると、依頼内容はルピンの捕獲であるので二人とも捕まえておいた方が無難だろう。ルピンと名乗っているのが二人のコンビ名の可能性だってあるのだから。
「なーのーで! 俺僕の格好いいところ、もっとオセロに見せたいから二人ともちゃー
んと雑魚っぽくやられてね〜!」
陽気に物騒なことを言ってくれるものだ。
「……なんか俺の抱く怪盗のイメージとかけ離れてるんだが」
「久遠さん、安心してください。僕もです」
とはいえ怪盗のイメージなんてものは、エンターテイメントとして出版・放送されたものであるため、現実と見比べればイメージの違いなんてあるに決まっている。
それでも、ルピンという名前が付いているからには、それなりにミステリアスな雰囲気を出すとか、探偵と対決などして欲しいものだと思う。
などと久遠としょーもない雑談をしていたら、
「——久遠?」
ルピンが久遠の名を呼んだ。
先ほどまでの陽気さが消えて、そこには何の感情も見当たらない。
「ねぇ。君ってもしかして久遠健太って名前?」
「……だったら、どうだっていうんだ?」
久遠が訝しがって聞く。
今しがた久遠の名は呼んだが、下の名前は言っていないはずだ。
二人は知り合いなのかと思ったが、そうでもない様子だ。
「ハ、ハハ」
ルピンが無表情で笑った。
「アッハハハハハハハハハァァァァ————————!!」
壊れた人形のように。
壊れた玩具のように。
何の感情も見えない笑いに、双六の背筋が逆立った。
「お、おい。ルピン……?」
ルピンに懐かれていたオセロが心配そうに呼ぶ。
けれど、ルピンはオセロではなく久遠健太ただ一人を見ている。
ほあっ! もしかして、これからルピンはかねてより憧れ、遠くから見つめるだけであった久遠健太に告白する場面かもしれない! こうしてはいられない。相棒である自分を差し置いて告白なんて——とアホなことを考えてようやく落ち着いてきた。
落ち着いてきたが——未だ鳥肌は収まらない。
「君が久遠健太かぁ〜。はは、こんなとこで会うなんてねぇ」
「どこかで会ったことがあったか?」
「いや、会うのは初めてだよ。俺僕は一方的に知ってるだけ」
娯楽屋としての久遠健太の名前は大して売れていないはずだ。
狐島が意図的にそうしているため、プラチナランクの人間でもない限り調べようがないはずだ。
なのに、久遠の名前を知っているということは、このルピンはどこでその名前を知ったのだろう。因縁の対決のような展開に双六の心の昂りが天井知らずだ。
「この世で一番ぶち殺したい奴に会えて——嬉しいよ」
親の仇に会えた復讐者みたいな台詞だ。
ただ、この台詞が冗談でもなんでもなく、嘘を見抜く能力を持たない双六であっても心から言っていることだけはわかる。
「あのー久遠さん。ルピンさんに何したんです?」
「……何もしてねーよ」
何もしてないのにあれだけ恨まれるとは——さすが久遠さんだ!
生きているだけで殺したい奴が現れるなんて、その存在感たるやとても真似できない。双六の中で完全にサイコさんとしてルピンは認識されたため、もはや怪盗としてのイメージなんて欠片ほどもなくなった。とんだイメージ泥棒である。
「ねぇ、オセロ。頼みがあるんだけどさ。ちょっとこの場から離れてもらえないかな?」
「ルピン——お前」
「お願い。後で話すから」
「……わかった。後で必ず話してもらうからな」
「うん。ありがと」
そう言い残してオセロはこの場から離れて行った。
「あっちはオセロさんが二手に分かれたようですね」
「そうだな。……双六、お前はあの女を追え。ルピンの相手は俺がやる」
主犯格でありそうなオセロを追うように久遠は言う。
ただそれは、
「……足手まといですか?」
双六にとって、そういう意味でしかない。
やはり、この手の状況になった時に自分の力なんてと思ったら——ガツン!
頭に軽い衝撃が走る。
久遠が双六の頭にチョップをしていた。
デコピンより痛くなかったことから大分手加減されたのだろうが、痛いものは痛い。涙目で「何をしているんですか!」と抗議しようと声を発する前に久遠は言う。
「ちげーよ。依頼はルピンの捕獲と『真紅の瞳』だろ? そっちをお前に任せる。できねーとは言わせねーからな?」
挑発するように久遠は笑った。
あぁ、そうだった。
これは娯楽屋の仕事であった。
久遠にちっぽけな劣等感を抱く前にやるべきことは——ある。
「——はい。任されました!」
双六は久遠に勝ちたいと思っている。
その想いは今でも変わらない。
だったら、この挑発。
乗らないわけがない。
◆
双六とオセロがいなくなり、二人きりとなった久遠とルピン。
ようやくといった具合に口を開く。
「これで一対一になったわけだが、お望みの通りか?」
「うん。そうだよ〜。君はこの手で殺したいと思ってたからさー」
「何度も悪いが、お前に恨まられる筋合いがないんだがな……」
何回思い出そうとしても、やはりルピンの記憶はない。
こんなヤバそうな人間に出会ったものなら、絶対に忘れなさそうなものだ。
「はっはー。いや〜これが逆恨みだっていうのはわかってる。それでも、許せないものは許せないんだよねー」
相当恨みを買っているようだが、覚えはない。
誰かと勘違いしているんじゃないかとも思うが、そういう様子でもない。
もう少し何か事情を聞けないものかと質問しようとして——
「君っていう『異常』な男が存在している——それだけで十分だろ?」
ルピンが一瞬で目の前に迫ってきた。
油断していたつもりはない。
いや、たとえ油断していたとしても久遠の能力ならば、動き出してからでも余裕で見切れるはずだったのに——ルピンのあまりの早さに姿を見失っていた。
反射的に久遠は右腕を腹の前に出し、ルピンの拳を受ける。
「なっ!?」
瞬間、生まれてこのかた受けたことのない力が打ち込まれる。
あまりの衝撃に久遠の体が宙に浮かび、後方へと無理やりに下がらされた。
「はは。この程度はそりゃ防ぐよねー」
打ち込んだ当人であるルピンはヘラヘラと冷笑している。
久遠はジンジンと痛む腕をさすり驚愕していた。
——俺が痛みを感じている?
痛みとはある種の危険信号だ。
正義屋の虎徹真理と戦っていた時は何度となくナイフで斬られはしたが、久遠本人としては痛いとは感じていなかった。致命傷は避けていたし、薄皮程度の傷など痛いうちには入らないからだ。
ただし、このルピンの拳は——痛いと感じている。危険だと感じている。
「お前、一体何者だ?」
「さーてね、俺僕は本当に何者なんだろうね。教えてよ。久遠健太」
「教える気はねーってことか」
「教えて欲しいって言ってるんだよ」
「……どうやら、てめーとは話が通じないみてーだな」
聞きたいことは沢山あるし、依頼のこともある。
小難しいことが嫌いな久遠は決めた。
「とりあえず、怪盗ルピン。てめーをぶん殴ってから話を聞くことにするわ」
「それには及ばないよ。俺僕が君をぶち殺すからね」
怪盗ルピンと娯楽屋久遠健太。
異常な二人の決闘が開幕した。




