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娯楽都市  作者: 菊日和静
第03話 娯楽屋と怪盗ルピン
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鬼ごっことは命をかけるもの

 オセロは文字通り奈落で生きてきた人間だ。

 ただし、オセロ自身が娯楽都市からあぶれた落伍者というわけではなく、オセロの両親が奈落へと堕ちてきたのだ。物心ついた時から奈落にいるので、奈落に来た経緯などはわからないし興味もない——というよりも、そんなものを気にしていたら生きてこれなかった。

 それに、オセロの両親に至ってはすでに死んでいるか奈落から消えたことだろう。一時は両親のことも恨みもしたが、いつしかその憎しみ自体もどうでもよくなった。むしろ、哀れみすら感じている。こんなクソッタレな環境で役立たずな赤子を育てる労苦を考えたら捨てるのもやむなしである。

 そんな地獄みたいな環境でオセロは生きてきた。育ってきた。

 結果、オセロはあるスキルを必須教養的に学ぶことになる。どんな状況下であろうと逃げ道を探し逃げ切ることのできる逃げ足だ。

 奈落の、しかも年端もいかない少女が生きていくためには食料を盗む必要があり、それで捕まれば問答無用で殴られる。無論オセロも例外なく何度もとなく失敗したが、その数多くの失敗から学んだ結果、オセロの逃げ足スキルは洗練されてきた。

 どんな状況であろうと逃げてみせる。

 それだけの自信を得るだけの経験がある。

 今回、ルピンを追ってきた連中がいたようだが、まず真っ先にオセロが確認したのは逃げ道の確保であり、逃げれると確信したからこそ彼らと言葉を交わしたのだ。欲しい情報は得たので、後はさっさとルピンと合流して姿をくらませばいい。

 そう思っていた。

 なのに、オセロは今少しばかり焦っていた。


「逃がしませんよ!」

「ちっ、しつけーんだよ!!」


 地の利はこちらにある。

 奈落の廃墟や裏道にちょっとした段差を利用したショートカットなど、オセロが意識的にあるいは無意識的に通っているルートがあり、いつもならば同じ奈落の住人といえど逃げ切るなんてわけがないはずだった。

 なのに、今自分を追っている相手——賽ノ目双六と名乗った少年が距離こそ詰められないものの、確実に一定の距離を保ちながらジリジリと追ってきている。


「娯楽の住人のくせにどうなってんだ!?」


 こちとら地獄で鍛えてきた足があるのに、生っちょろい娯楽都市の人間が付いてきているなんて完全に予想外だ。窓から抜けた時点で終わりだと思っていたのだ。

 だが、オセロは百戦錬磨の逃げのプロだ。

 逃げるやり方は走るだけではない。

 逃げるやり方は無数にある。


「だったら——こっちから仕掛けるしかねーよな」


 久々に緊張感のある鬼ごっこをしているオセロは楽しそうに笑った。


        ◆


 いける!

 かつてないほどに神経が研ぎ澄まされて、体が思ったように動いているのを双六は感じている。目の前を走っているオセロはやたらとトリッキーな道を走っており、もはやパルクールと言ってもいいレベルだ。パルクールと違う点があるとしたら、パフォーマンスな動きと違い、逃げ切るために洗練された動きというべきか一切無駄が見えない。

 そのせいで、直線上の脚力ならば双六の方が上であるのに、ジグザグと曲がって時にはフェンスを乗り越えて走るオセロに追いつけないでいる。

 だが、それでも離されずに食いついていけるのは、十八が双六を鍛えてくれたおかげである。

 双六は十八のトレーニングを思い出す。


「まずは逃げ方を覚えなさい」


 基礎もそこそこ固まってきた頃のことだ。

 十八は双六を鍛える時にそう言った。


「あのー僕は久遠さんと勝負する気なんですけど?」

「あはは。バカを言うんじゃないよ。君はスポーツでもする気なのかい? 生きていればこそ戦えるし、生きている者が勝者だ。君が少しでも勝率を上げたければ、効率的な体の動かし方を覚えるべきだよ」


 なるほど。一理あると思った。

 相手は人外であり異常な久遠健太なのだ。勝負が一回で終わることもあれば、決着も着かないこともあるだろう。そのために、十八は双六にアスレチックでタイムアタックするかのようにずっと走ることを課してきた。時には獣道のような林道を駆けることもあれば、アスレチックのような場所を体がぶっ倒れるまで走ってきたのだ。

 その特訓のかいもあり、双六はオセロを見失わずにいられる。体力が尽きる心配はまだまだないし、相手は女の子だから体力切れも十分に狙えられる。心の中で十八に鍛えてくれた感謝した。


「また、曲がったか!」


 建物と建物の間をオセロはすっと消えるように曲がった。

 見失わないために双六はスピードを上げ、オセロを見失わないように努める。

 絶対に見逃しはしない。

 そう思って双六もまた曲がった瞬間——


「いない!?」

 

 オセロの姿は見えなかった。

 一瞬、焦りはしたが双六はすぐさま道の状況を確認した。建物と建物の隙間のような細い道であり、ゴミ箱等は見えるがぶつかって散らかったような形跡はない。窓から逃げたかもしれないと確認するが、1階部分には窓は見当たらず換気口ぐらいしかない。

 まさしくオセロは煙のように消えてしまった。

 見失ったかとも思ったが、そんなに早く人間が消えることができるわけがない。

 見落としはないかと、もう一度双六は落ち着いて検証をしようと決めた矢先——背筋にゾッと寒いものがよぎった。

 それは反射的とも言うべきほど無意識的に取った行動だ。いや、もしくは体に染み付いた反復練習の賜物かもしれない。十八の特訓は効率的な体の動かし方だけではない。十八の体に一撃を打ち込む試合も行っていたのだ。

 まぁ、結果としては双六は1回も十八の体に攻撃を与えたことはなく、あまりに何度も殴られ投げ飛ばされるせいで防御と受け身がやたらとうまくなってしまった。痛いのは嫌だという双六の本能がなした成果だったのかもしれない。

 それが功を奏した。

 双六は頭上に両腕をクロスさせ見上げると、そこには踵落としをしようと落下してくるオセロがいたのだ。


「もらったぁぁぁぁぁ!!」

「……っつぐぁ!!」


 ズシン!

 双六の両腕に鈍い衝撃と激痛が走る。体重が軽そうに見えるオセロの力とはいえ、体重に落下速度をプラスされれば相当な負荷がかかる。

 逃げるだけかと思っていたのでオセロの行動は想定外だった。あの狭い道を曲がった理由は双六から逃げるためではなく、建物と建物の間隔が狭いことを利用して双六を撃退するための作戦だったのだ。


「防いだっ!?」


 バカなことを言わないでほしい。

 こんなのは防いだうちに入らない。本当なら躱しておきたかったし痛いのなんて真っ平ごめんだ。証拠に腕がジンジンと痛み麻痺したかのように触覚が鈍い。骨が折れてないかとヒヤヒヤする。

 けれど、双六にはそんなことを心配している時間などない。

 でも、ここで痛みにかまけて引いたら全てが水の泡となる。


「ちっ!!」

「逃がさないって言ったでしょ!!」


 踵落としを防がれたせいで態勢を崩したオセロが、再度逃げようと立ち上がる。

 腕が痛むせいで、双六が用意してきたスタンガンなどの道具が取り出すことができない。また鬼ごっこをしたら形勢が不利になるのは双六の方だ。

 どうする?

 十八から教えてもらったのは全て逃げか防御の技だ。攻撃系の技は一切教えてもらっていない——が双六は覚えている。正確には双六の体が覚えている。

 何度もなんども十八に倒された技の数々を。

 迷っている暇はない。双六は決断する。

 全力でオセロの元へ向かい彼女の奥襟を掴む。腕のことなんて知ったことか。そのままオセロの右足を払い上げて倒した。


「うぁっ!!」


 大外刈りが見事に決まったわけではない。勢いにかまけたかなり不格好な技となって、オセロと一緒に転がるように倒れた。地面はコンクリなので柔らかい畳と違って効果は大きくオセロは咳をして呼吸を乱している。

 それから双六は上から覆いかぶさるように寝技でオセロを絞め上げた。


「形勢逆転ですね。さて、ルピンの居場所と真紅の瞳について洗いざらい喋ってもらいましょうか。なんなら今ここで絞め落としてもいいんですよ?」

「……くっそ!!」


 最後の悪あがきにオセロがジタバタするが、そこは男と女だ。体格差は覆しがたく、双六は完全に抑え込んでいた。後は久遠が来るまで粘っていればいい。

 そう思っていた矢先、背後から足音が聞こえた。

 ようやく久遠が追いついてきたのかと安堵したら、


「ねぇ、あんまり汚い手でオセロに触らないでくれる?」

「は?」


 久遠ではないまったく別人の声が聞こえた。

 その直後、双六の脇腹から衝撃が伝わり、抑え込んでいたオセロから引き離されるようにゴロゴロと転がる。


「がぁ! っげほ! ごほ!」


 息ができない。

 まったく予期せぬタイミングで蹴られたせいで痛みが大変なことになっている。


「オセロ大丈夫?」

「うん。結構ギリギリだったけど大丈夫だ」

「もう〜ちょっと出るだけって言ったのに、あんな男にオセロが襲われていて俺僕超ショックなんだけど〜。あ、助けたご褒美に俺僕がオセロを襲ってもいい〜?」

「うっさいバカルピン! アホなことを言うなっ!!」


 どうやらオセロと話している男がルピンらしい。

 風貌自体は優しい青年といった感じで、とても暴力沙汰ができそうには見えない。身長は久遠と同じぐらいに高そうで体格自体はしっかりしている。

 ——この人が本当に警察を全て一人で相手取ったのか?

 てっきり、鬼みたいなどっしりとした人間を想像していただけに、ギャップが激しい。


「よう、にいちゃん。形勢逆転だな」

「そのようですねー」


 呼吸自体は落ち着いてきたが、体は立てるほどではない。

 立場が完全に逆転してしまった。


「ちなみに、そこの人がルピンさんですか?」

「そうだよー俺僕がルピンだよ!」

「せめて真っ赤なジャケットぐらい羽織っていて欲しかったとこですね」


 などと冗談の一つでも挟んでおく。

 何はともあれ今必要なのは時間だ。久遠が来てくれるのが一番だが、そうなることを期待するほど双六はバカではない。

 せめて体が動き出せる程度の時間は稼いでおきたい。


「あ、でさー。ものは相談なんだけど君はどこがいい?」

「どういう意味ですか?」


 ルピンの問いがわからず尋ねた。


「あはーごめんね。骨を折られるならどこがいいって謂う意味。脚? 腕? それとも歯とかでも全然いいよ。オセロ人が死ぬの嫌いなようだから半殺しで済ませてあげる」

「とんだバイオレンスな怪盗がいたもんですね! どこもごめんです!!」


 前言撤回だ。

 優しい顔に似合わずとんでもない暴力野郎がいたもんだ。

 捕まった日には言葉以上の拷問が待っているに違いない!


「まぁ、別に君の意見なんてどうでもいいんだ。俺僕が勝手にやるだけだから」

「意見が何も反映されてない!」


 怪盗ルピンにはこの国は民主主義であることを是非教えてあげたい!

 だけど、よくよく考えてみれば奈落の住人といえど年頃の女の子だ。そんな女の子相手に追跡して柔道の技を使って寝技で抑え込んでいた。

 あれ。おかしいな。

 何度思い返しても双六の悪い印象しかない。

 もしも、これがオセロを天音に置き換えたとして、双六がその現場を目撃したら有無を言わさず相手の男にスタンガンの一つでも突き刺していることだろう。

 つまり、相手は今そんな感じだ。

 形成は圧倒的なまでに双六が不利で相手の不興も買っている。

 となれば、双六が取る手段は一つだ。


「すみませんが、うちの師匠の教えが『命を大事に』になんでこれにて御免!」


 時間は稼ぐだけ稼がせてもらった。

 痛みはまだあるが動けないほどではない。

 奈落対策として持ってきた煙幕をバッグから取り出して投げつける。

 路地一帯に煙が立ち込める。


「煙幕で逃げようとか古典的だねー。でも俺僕からその程度で逃げられると思ってるの?」

 

 古典で結構だ。

 使い古された手であろうと有効的であれば何だって使ってやる。

 そして、ルピンが煙幕の中に立ち入ろうと一歩目を踏んだ瞬間、


「残念ながら思ってますよ」

「あれ?」


 双六はルピンの横をすり抜け走り去った。

 煙幕を張ったら、そのまま順方向に逃げると思っていた相手の虚を付き、双六はルピンとオセロ側の方へ向かって駆けて行った。 


「ばかルピン! 逃げられたじゃないか!!」

「あはー大丈夫だよオセロ」


 これだけのリスクを張った理由は2つある。

 奈落の地理に詳しくない双六としては、そのまま逃げていっても捕まる可能性の方が高いということ。もう一つは、うまくすれば追っているだろう久遠と合流するかもしれないということだ。


「すぐに追いつくから」


 後は、この命がけの鬼ごっこをどれだけ続けられるということだが、


「はーい残念。追いついちゃった〜」

「んなっ!?」


 開始数秒でルピンに追いつかれてしまった。

 その人間離れした走力に、双六は自分の読みがあまりにも浅かったことを後悔した。


「というわけで、一発目ね〜。ちゃんと歯を食いしば——!?」


 もうこれまでかと目をつむった双六。

 なのに、ルピンは凄まじい勢いでそこから飛び去った後——双六の目の前を何かの物体がとんでもない早さで通り過ぎて行き、ドガンとビルの壁が突き破った音がした。

 どうやら自分の読みの浅さは一つだけで済んだようだ。

 こんな人間離れしたことをできるのは、双六が知る限り一人しかいない。


「悪いがそいつは俺の相棒なんでな。殴るのは勘弁してくれや」


 主人公よろしく颯爽と現れる久遠に、双六はエールを送りたい気分になった。

 ただ惜しいことにそんな気分にはなれなかった。


 ——久遠さん。

 ——その石が僕に当たっていたらスイカのように頭が飛び散っていました。


 心から久遠のコントロールの良さに感謝をした。

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