幻のプラチナランカー
心臓が口から飛び出る。目が飛び出す。
そんな漫画とかならば使い古された驚きの表現があるけれど、とりあえず今なら使えそうな気がする。双六はそれほどまでに驚きを隠せなかった。
目の前にいる少女――天野天音は普段ならば絶対に話すことがない人間である。見かけたとしても、人盛りのできた遠くからでしか見たことがない。例えば、彼女が成績優秀者として話す体育館での壇上の挨拶や、おこぼれに預かろうと必死な彼女のファンが群がっているような時である。
品行方正、大和撫子、楽々高校始って以来の天才。表彰される数など数えるのも馬鹿馬鹿しくなるほどの——天才と呼ばれる人種だ。
「ここが娯楽研究会の部室で間違いありませんか?」
カナリアのような細い声が歌う。天才児は声までも天才なのかと、まるきり本人の努力と関係のないものまで天性のものなのかと双六は結び付けてしまう。
けれど、そんな彼女を知って知らないでか狐島は何も気にせず挨拶をした。
「そーだよー。初めまして、こんにちはー。娯楽研究会の狐島だよー」
「初めまして。天野天音と申します。――あなたが狐島さんですか?」
「びっくりしたー?」
「はい。文面から想像した人物像と食い違っていたので」
「あっちはビジネスー。こっちもビジネスー。どっちも私様さー。るるー」
などと会話する狐島と天野。どうやら、狐島は依頼人とコンタクトを取る際の人格を使い分けているようだ。
「狐島と会う奴は大抵はそう言う。気にしないことだな」
「……あなたは?」
「久遠健太」
椅子に座りながら、端的に名前だけを告げる。
「ケンケンは今回の仕事を請け負う娯楽屋だよー。あともう一人は――」
「あぁ! 狐島さん! 今日のこの日を神様でなくあなたに感謝します! 楽々高校始まって以来の天才である天野さんの依頼!! 何たる楽しそうな響きなんでしょうか! あぁ、もうこれは僕にとっての天命と言っても差し支えないでしょう。天才ですよ天才。久遠さん早く依頼を受けましょう!! やります、やれます、やってみせます!!」
「――単なる変態さんだから気にしないでー」
双六はくるくると舞いながら、どこかのステージダンサーのように踊り狂っていた。あまりのはしゃぎように、久遠はおろか狐島すら、どことなく引いていた。今の双六にスポットライトを当てたなら、背景に流れ星が幾億千流れていそうであった。
「あなたたちが娯楽屋なんですか?」
「そう名乗った覚えはないが、周りからはそう呼ばれているらしいな」
「彼も?」
「……不本意ながらそうだ」
未だに回り続ける双六を見ても、天野は表情一つ崩さずいた。
「私と同じ楽々高校の人ですよね?」
ピタリ。一通りはしゃぎ終わった双六は、その言葉でようやく止まった。
「はい。賽ノ目双六です。初めまして天野さん。ちょっと騒ぎすぎましたね。まっ、僕の方は天野さんのことを噂などで聞き及んでいますが、天野さんは僕のことを知らないので一応自己紹介しますと――」
「一年二組賽ノ目双六。学年ランキングでは平均七十位程度をキープ。得意教科は特になく、不得意教科もないオールラウンダータイプ。現在は都市ランクのアイアンランク。楽々高校の学生寮で暮らしている男子生徒――で合っていますか?」
サラリと双六の全データをすらすらと述べた天野に対して、ひゅーっと双六は口笛を鳴らす。
「ただ、データには娯楽屋をやっている情報はなかったので、そこは私の確認不足ですね」
「いえいえ。学内データには載っていないプロフィールなんですが、そこまで知っていてくれたら自己紹介の時間は省けましたね」
無論、天野が双六のストーカーで知っているなんてわけではない。
娯楽都市のポイント制の中にある<学内ポイント>を溜めれば、生徒のプロフィールのアクセス権を得ることができる。恐らく天野が双六を知っているのは、そのアクセス権を得たことで知っているのだろう。
しかし、それは自己プロフィールに関わるプライバシー的な情報なので相当なポイントがなければ知ることができないことから、天野は既に相当なポイントを貯めていることは明白である。
だが、恐れるべきはそんなところではない。
楽々高校は生徒数だけで言えばざっと千人は超える。そして、天野は双六のことを直接知っているわけではなかったのは——先ほどの会話から察することができた。
つまり、天野は双六という個人のデータだけを覚えていたのではなく、楽々高校の生徒の情報全てを頭の中に入れているのだ。生徒全員一人も漏らさず。下手をすれば本人すらも忘れているようなことすら覚えているに違いなかった。
そんなどうでも良いとすら思えることも記憶している天野に——双六は背筋に冷たいものが走るのを感じる。
これが楽々高校きっての——天才児なのだと。
「今は楽々高校の生徒でなく、娯楽屋の双六です。以後お見知りおきを」
「はい」
「ういー。それじゃ万事つつがなく自己紹介が終わったところで、お仕事の話をしたいんだけど、えーかい?」
「そうですね。お願いします」
「構わん」
一部、自己紹介ではなく他人紹介になってはいたが、全員が着席した。
「そいじゃー、あまちゃんからどぞー」
いつの間にか、狐島の中では天野天音があまちゃんというニックネームになっていたようだが、誰も気にしていないようだ。
「わかりました。どこから話していいのか迷うのですが……《ジーニ》という名のプラチナランカーをお二人はご存知でしょうか?」
ピクリと双六は動きを止める。その話は既に今朝聞いた話だ。
まさか、ここでも《ジーニ》という名前を聞くことになるとは思わなかった。自然と周りの反応を窺うと、どうやら久遠のみが頭にクエスチョンマークを浮かべていた。
「ジーニって、昔有名だったプラチナっちのことだよねー? 小学生でプラチナになったっていう、都市伝説のー。すごいよねー。ろーろー」
わかっていない久遠に説明するように狐島は教える。久遠も話の腰を折る気はないのだろう。とりあえず、静観しながら聞いていた。
「僕も噂程度に知っているぐらいだけど。それが今回の依頼とどのような関係が?」
「関係がどころの話ではありません。ジーニこそが私の依頼そのものです」
凛と振舞っていたはずの、彼女の語尾が感情的に上がった。
「私の依頼は一つだけです。ジーニを見つけ出して欲しいんです」
ジーニを見つけ出す。彼女の一言に、双六は心がうずくのを感じる。
「そゆことー。ジーニを見つけるのが今回の依頼だよー。やるーやらないー?」
「う~ん。一応聞いておきたいのですが、ジーニって本当に実在するんですか?」
所詮は噂程度でしか知らない、双六は念のためという意味を込めて聞く。娯楽に関わる噂なんていうものは、この都市には溢れかえっている。
曰く、ポイントを稼ぐ最も簡単な方法論からサービス、モノまで枚挙すれば数えられないぐらいだ。
探してみて『やっぱり、ありませんでした』というのは互いにとっての徒労でしかない。
「実在します」
しかし、天野はきっぱりとそう断言する。
「それはどうしてですか?」
「言いたくありません」
「…………」
さらに、言いたくないときっぱり断言された。
双六は「え〜」と心の中で突っ込みを入れてしまった。ある意味、ここまで露骨に拒否されると逆に新鮮ではある。さて、どうするかと考えていたら――意外なことに狐島がすぐに返答した。
「ろーろー。ならこの話は、ここまでー。依頼もなしだねー」
やはり。というか、そうならざるを得ない。
依頼人が、そんなことを言ってしまうのであれば——<娯楽屋>はそうせざるを得ないのだ。
「はぁー。そうですね。残念ですが……」
「……待ってください。何故依頼を受けてくださらないのですか? 報酬はきちんと支払いしますし、依頼に掛かった経費も全て持つつもりです」
露骨に残念がる双六に狐島。二人が下した依頼の拒絶に、天野は疑問を持ち問いかける。
仕事の経費を全て高校生が持つこと自体が異常なことだが、彼らが言っているのは、そんなことではない。もっと根本的な事なのだ。
「何故って、決まってるじゃないですか?」
きょとんとした顔をする双六。とぼけているのではない。何を当たり前のことを聞いているのかが理解できていないのだ。
彼らが仕事を拒否した理由。それは――
「僕らは<娯楽屋>で」
「私様は<娯楽研究会>だからさ〜」
娯楽の提供——それこそが、彼らの最大の存在理由だ。
双六のやる娯楽屋は基本的には何でも屋に属する。依頼があれば何でもするが、何でも屋と違う点は一つだけだ。依頼に<娯楽>を求める。逆を返せば、娯楽がなければ一切の依頼を受けるつもりはないのだ。
それゆえに、天野が拒絶したジーニに関する情報は――間違いなく彼女の生い立ちや背景に関わる情報だろう。引いては彼女の半生を描いた物語という名の娯楽。それを差し出さなければ、依頼を受け付けない。そしてまた、狐島も同じ理由で拒絶する。
彼らは飽いているのだ。退屈に。日常に。正常に。
しかし、ここには一人だけ相反する男――久遠がいるが、なおも沈黙を保っている。
「天野さんもわかっていると思いますが、ここは娯楽都市です。金や地位や名誉なんてものは二の次ですよ。まぁ、それで楽しめるならそれでもいいですが、僕らは違います。仕事の価値をお金に求めていないんですよ。僕らに依頼するのに必要なのは娯楽性があるかないかです。楽しめるかどうかです。楽しむためならば、いくらでも、誠心誠意、全力で依頼を達成させますよ。しかし、あなたはそれを拒否しました。ならば、僕らも依頼を引き受ける義理何一つないんですよ。わかりますか? 仕事を頼むならば、金よりも前に娯楽を提供して欲しいと言っているだけなんですよ。僕らが求めているのはそれだけです」
――だからこその、娯楽屋です。
ビジネス用の性格を狐島が使うのであれば、このただただ何の感情も込めていない笑顔こそ双六のビジネススタイルだ。
——さて、あなたはどうしますか?
そう問われている天野は、目を閉じて数秒もしない内に考えをまとめたようだ。話す前に少し息を整えた。
「……わかりました。お話します」
彼らが欲する意味を理解した天野は、仕方がないと嘆息し、彼女は話し始める。
「ジーニは私の父親を殺したんです」
一気に部屋の空気が変わった。重苦しい空気の中に、不謹慎にも――むしろ、ある意味では一番この場に相応しき興味深そうな匂いを漂よわせる。
「どうぞ、続けてください」
おくびにもそれを顔に出してはいないが、狐島と双六の顔は一見真面目だ。
「正確には、ジーニという人物そのものが殺したわけではないのですが、最終的にはジーニが父を追い込んだのは間違いありません。ジーニは、父の会社を乗っ取った挙句、それを好き勝手に弄び、父は会社を追い込んだ責任を取り自殺をしました」
自殺。それを聞いても二人の娯楽探求者の表情は揺るがない。
四つの目は、そのまま天野を見つめている。
ほら。その先があるでしょ。さぁ、話しなよ。
ほらほら。さぁさぁ。もっともっと。
――その娯楽を私たちにおくれ。
自殺だけではない。その先にあるものを求める。
それは異常なほど正常なことで、正常とは言いがたいほど異常なまでに求める。
娯楽という、人生の愉悦を味わいつくすために。
「父の死後。私は、父と懇意にしていた今の義父の下に引き取られました。ここまで育ててもらって感謝をしています。――そう、父を追い詰めたジーニのことも何度も忘れようと思うぐらいに。そして、もう諦めようと思っていたときに、ある噂を聞いたんです」
「ジーニがまた最近現れたという噂ですか?」
コクリと天野は肯定する。
「そうです。その噂を聞いてから、ジーニに関するあらゆる情報を掻き集めました。そして、死に物狂いで突き止めることができたのです。ジーニが主催しているというポイント収集のイベントの存在を」
たかが噂話。しかし、彼女にしてみれば、それは天から下ろされた蜘蛛の糸のようなものだろう。それを見事掴み取ることができたのだ。
しかし、ここで双六は一つの疑問が頭によぎる。
「少しいいですか? 天野さんは、ジーニのポイントイベントを突き止めたのなら、何故わざわざ僕たちに依頼するんですか? そこまでわかっているなら、自分で調べに行った方が早いと思うんですけど」
当然の疑問だ。そこまでの執念を燃やして調べていたのならば、はっきり言えば娯楽屋の出番など半分以上終了している。
「もちろん、私もそのイベントに行くつもりです。ですが、実態のわからないものに対して踏み込むほど愚かではありません。ですから、私はあなた方娯楽屋に私の身を守るボディーガードとして付いてきて欲しいのです。最終的には、ジーニを見つけ出したら逃さないよう手荒なことになるかもしれません。それが、ジーニを見つけ出して欲しいという依頼になります。これで、私の話は全てです」
なるほど。頷く双六は話を租借する。
噂でしか知らないジーニの実体があり、かつ、それを裏付ける人物がここにいる。ジーニと呼ばれたプラチナランカー。その犠牲となった天野天音。
――あぁ、何て楽しそうな依頼なんだ。
部屋の照明を顔に浴び、目を瞑りながら祈るように双六は感謝した。神になどではない、この巡り会わせを作った全ての人に対しての感謝だ。
「おけー。あまちゃんの話は全部全部ー。あはー、それでゴロ君にケンケンは依頼を受けるー? 受けないー? さぁ、どっちかなー。るるるるー」
「当然、受けます。久遠さん、いいですよね?」
今の今まで何一つ話を挟まなかった久遠は、双六に振られることで、ようやく重い口を開き、意見を述べる。
「別に構わねーよ。ただし、そこの嬢ちゃんに聞きたいことがある」
「何でしょうか?」
久遠はポケットに入れてあった煙草を取り出し、火をつける。深呼吸をするべく、肺に煙が満ちてから白煙の空気を吐き出す。
「ジーニとやらを見つけた後は――どうするつもりだ?」
ふわりと香る、煙草の独特な匂いが部屋に漂う。
強いて言うならば、双六としてはそこはあまり聞く気はなかった。なぜなら、過去の動機や経緯は、依頼人の物語に関わる背景として、感情移入しやすくなるから――ひいては、より楽しくするための行為だ。
しかし、これからどうするのかは違う。
先がわからないからこそ楽しい。その反面、それを喉から手が出るほど聞きたいとも思う二律背反な気持ち。もどかしくあるからこそ楽しくもある。
――まぁ、どちらにせよ。楽しめるのは間違いないんだけどね。
ただ、できるだけ知らないように努力をしているだけ。それを知りたいと思う人が出るならば、そこまでの努力はしないだけだ。
「くすっ。娯楽屋ともあろう方がおかしなことを聞きますね」
薄い微笑。ようやく、この部屋で始めて天野の感情らしい感情を感じた。
「当然、私の気の済むようにするだけです。それ以外の目的なんてありません」
気の済むまで。結局のところはそうだろう。人が一人、それも肉親が誰かのせいによって死んだのだ。後悔、怨念、悲哀。どんな感情が彼女にあったのかは察することはできないが、時間が経って薄まることなかったのだろう。自分ひとりで調べたぐらいなのだから。
「……そうか。いいだろう。この依頼を受けよう」
とりあえずは、その答えで良かったのか、久遠は依頼の受理を認めた。
天野は、九十度腰を曲げて頭を深く下げる。
「ありがとうございます」
「気にするな。その言葉は、仕事が達成したときに取っておきな」
「はい」
これで、娯楽屋は仕事を正式に受けることになった。
プラチナランカー《ジーニ》を見つけること。
そのことで、双六の心にある、楽しさの爆弾の導火線に火がついた。
「それじゃー、ビジネスの話をしよかー。れーれー」
狐島のその言葉を合図に、楽しい仕事の時間が始まった。