修行パートのある物語は名作だが、大抵その前に打ち切られる
「物語における修行パートというものがある」
太陽が燦々と照りつける中、日傘の下で読書をしながら十八一はそんなことを言い出した。
オープンテラスのカフェと見間違うような白いテーブルと椅子に座り、紅茶とお菓子を頬張る彼女は絵画のテーマなのではと思うほど似合っていた。
「物語の展開が遅くなることから、読者受けが悪い場合がある。しかし、私は修行パートが結構好きでね。修行パートをきちんと描く作品は名作だと言ってもいいぐらい私は修行パートが好きだ」
と、彼女は言う。
確かに長期連載になればなるほど修行パートというのは重要になってくる。
むしろ、修行無くして強敵を倒すようなことがあれば逆に問題だ。
努力もなく途中経過もない勝利など興醒めにもほどがある。
「何故なら、修行によって培われた根幹がこれからのキャラクターの方向性を決定づけるものであり、バトルものであれば修行によって得られた力によって敵を倒すというのは何とも痛快じゃないか。うん、やはり修行パートは物語になくてはならない要素だと思うんだよ」
修行があるからこそ、主人公は強大な敵に勝てる。
修行があるからこそ、主人公は自信を得る。
それは、現代社会においても当てはまる概念だろう。
「昨今、最強主人公が幅を利かす物語が幅を利かせているようだが、やはり弱き者が強くなっていく過程というものは何とも心躍らせるものがある。——おっと、誤解をしないでくれたまえよ。無論、私は最強主人公系の物語も好きだよ。ただ、好きの度合いが違うというだけの話さ。私は修行で強くなるキャラにとても強く惹かれてしまうのだよ」
一部危険な発言があったが、概ね同意できる意見だ。
弱い者が強くなる。
弱い者の努力が報われる。
誰だって憧れる、とても『理想的』な世界だ。
現実が理想でないことを知っているだけに——人は努力が報われるの好むのだろう。
「やれやれ、相づちがない会話というのはとても味気ないものだね。せっかく私が修行論を語っているわけなのだが、君はどう思っているんだい——双六少年」
名前を呼ばれてようやく双六は身を起こした。
相づちを打たなかったわけでない。
相づちを打てなかっただけだ。
全身の痛みに打ちひしがれて声すら出せなく、横たわって痛みを引くのを待ち、ようやく起き上がれる程度には回復してきた。
「……僕は娯楽都市に住む現役高校生ですからね。『楽』して勝つに越したことはないですよ」
それは誰でも思うことだろう。
努力をしたくない。
誰かが何とかしてくれる。
他人任せで世の中は何とか動いてくれる。
そう思っていたかったし、そう思い込んでいれば『楽』だった。
だけど、楽なだけでは——どうにもならないことがあった。
「ははは! それはとても現代っ子の意見だね。昔の人が『苦労は買ってでもしろ』という言葉のありがたみが薄れてしまうね。ただまぁ、確かに君の意見にも一理ある。楽をするというのは人間の本能に基づいているものだ。楽というのはつまり『効率』だ。より短い時間でより大きな利益を得たいという欲望こそが人間だとも言える。おやおや、双六少年はその歳でこんな真理に辿り着いているとは、その慧眼には全く恐れ入るばかりだよ」
そこまで深い意味で言ったわけではない。
どうも十八は人の言葉の裏を読むのではなく深読みする癖がある。
しかも、深読みの結果が勝手に人を持ち上げるものだから「そんなことはありませんよ」と言っても「謙遜することはない」と返されてしまう。
期待のインフレーションが恐ろしいことになっている。いずれ、デフレーションになって期待の裏返しの失望に変わるのではないかと、心配するばかりだ。
とはいえ、せっかく期待されているのであれば答えておいたほうが良いだろう。
まだ身体は怠く感じるが——動かせないほどではない。
「雑談タイムも終了だ。そろそろ休憩も十分だろ?」
「——はい」
「うん、良い返事だ。では掛かってきなさい」
クイクイと十八は手を動かし、双六を誘う。
それを合図に、双六は十八に向かってタックルを仕掛けた。
男子高校生が成人女性にタックルを仕掛けたというと、端から見ているだけでも、文章だけでも危険な響きがある。
とはいえ、これは双六が若さゆえの有り余った性欲を暴走させたわけではなく、単純に格闘技の稽古を十八がつけているにすぎない。打撃、寝技、投げ技の何でもありということで「本気でやって大丈夫ですか?」と言ったら「本気でやらないと意味がないだろう」と当然のように言われた。
相手はプラチナランクといえど女性だ。
下手に力を入れて傷をつけたら危ないのでは——などと最初は思っていたが、それはすぐに思い上がりであったことを知る。
何しろ、双六はこれまでに何度も十八に対して様々な攻撃を試しているのに、指一本触れることなく地面に投げつけられているのだから。打撃は全て裁かれ、投げ技をしようと懐に入ろうものならば逆に投げられ、寝技や関節技など夢のまた夢だ。
それどころか、今となっては十八は本を片手に読みながら相手をされ、ここまで舐められていても傷一つ付けることができなかった。
「ガァッ……!」
もはや何度目になるかわからない呻き声をあげる。
身体中の酸素を出し尽くし、呼吸も荒く、空を見上げる。
「おや、もう終わりかい。だらしないね。う〜ん、根本的に体力が足りてないようだね。100メートルダッシュを10本に筋肉トレーニングを3セットやろうか。とりあえず、身体を鍛えておくことは全ての基礎を作っていると言っても過言ではないからね」
まだ回復していないのに鬼かと思った。
ただ、それは口に出さない。
今の双六にしてみれば、十八の言うことを断る理由など何もない。
なぜなら、
「……はぁはぁ。それをすれば、久遠さんに近づけるんですよね?」
「もちろんだとも」
気付かされたから。
自分の奥底にあった炎のように激しい感情に。
絶対に無理だと思って胸に秘めいたものを——自覚した。
「久遠さんに勝てるようになるんですよね?」
「何を言っているんだ。勝てるわけないだろう」
「わかりました。やりま——え?」
久遠に勝つこと。
それが今の双六にとっての目標であった。
「って、いやいやいやいや!? じゃあ、何で僕はこんなに扱かれているんですか!!」
なのに、十八はあれだけ修行パートについて語ったにも関わらず、あっさりと『勝てないと』断言した。詐欺にもほどがあるだろう。修行詐欺だ。
「だから言っただろう。基礎作りだって。身体を鍛えておくことは損にはならないさ」
「そうかもしれませんが、そうではなくってですね!!」
別段、双六は健康のために鍛えているわけではない。
というか、健康のためにあれだけ扱かれているのだとしたら、たまったものではない。
「僕は久遠さんに勝ちたいんですよ」
「うん。知っているよ」
「十八さんはその手伝いをしてくれているんですよね?」
「無論だとも。手伝うと言った以上、手を抜くつもりなどない」
「じゃあ、今の『修行』を乗り越えたら久遠さんに勝てるんですよね?」
「双六少年は面白いな。普通の人間が身体を鍛えただけで熊や虎に勝てるわけないだろう」
「えぇ〜……」
修行パート終了のお知らせが来た。
問:修行をしたら久遠に勝てますか?
答:勝てません。
まったく、どうしろというのだ。
「まぁ、君の言わんとしていることはわかるよ。勝てないのに身体を鍛えるなんて無意味だと、そう言いたいんだろう?」
「かいつまんで言えばそうです」
少なくとも十八に師事してからの1ヶ月間の時間を返して欲しい。
あれだけ汗をかき、苦痛に耐え、全ては久遠に勝つためだと思っていた自分が馬鹿みたいではないか。
「では、私は君にこう質問しよう。君は久遠健太に勝ちたいと言ったが——どの分野で勝ちたいんだい?」
「……え?」
「ほら。即答できない」
言葉が詰まったわけではない。
十八の問いかけに、双六は明確な答えがなかった。
久遠に勝ちたいと双六は思っている。
それは間違いない。
間違いないのに——自分は久遠の『どこに』勝ちたいのだ?
「君が何の分野で勝ちたいのかハッキリしていない以上、現状やれることなど基礎トレーニングや知識の習得に努めるぐらいしかない」
キッパリと十八は言う。
久遠に勝ちたいのであれば、何に勝ちたいのかハッキリしろと彼女は言っている。
確かに双六は彼女に『勝ちたい』と意思を示したが『何で』勝ちたいかは言ってなかった。というか、意識すらしていなかった。
ただ漠然と久遠に勝ちたいと思っていたことに、今更ながら羞恥の念が込み上げてきた。
子供が思い描く『最強の自分』のような夢物語を思っていた自分が、中二病のように浮かれれていた自分が途端に恥ずかしくなってきた。
そんな双六を見透かしたように十八は続ける。
「全てにおいて勝りたいとか、そういう子供じみた答えは期待していない。もしも、そんな夢物語を口にすれば、私から手伝うことは何もない。私の目が曇っていたと恥じ入るばかりさ」
ニヤリとシニカルに笑って十八は言う。
その言葉だけで、彼女は双六が浮かれていたことをわかっていたことを察する。
本当にとんだピエロを演じていたものだ。
とはいっても、彼女を責めるつもりはない。そこまで厚顔無恥になりたくはない。
これは、何も考えずにいた努力をすることに酔っていた双六の責任なのだから。
「それを踏まえた上でもう一度考えてみてくれたまえ。双六少年。君は久遠健太を相手に『どの分野』で勝ちを収めたい?」
改めて考えてみる。
双六が久遠に勝ちたいと思っていること。
一番最初に思い出されるのはやはり——遊園地で正義屋の虎徹真理と戦っていた久遠の姿だ。
「今君の頭によぎった答えを当てよう。喧嘩だろ?」
「……読心術でも使えるんですか? もしくは操心術とか」
「まさか。私ほど人の心を読めない者はいないよ。私が読めるのは地の文ぐらいのものさ」
小説における会話以外の説明や叙述である『地の文』。
まさか本当に人生を小説のように捉えているわけではないだろうが、彼女が言うとあながち嘘のように聞こえないから不思議だ。
「だがそれはお勧めしない。君が久遠健太と真っ向から喧嘩をして勝てる確率など0だ。1パーセントもない。それでも勝ちたいというのであれば、まず完全武装した人間を100人ほど用意して、久遠健太の大切な人間を人質に取る。その上で、人質の命と彼の命を迫る選択を迫り、彼の心を折った上で自決に追い込み『戦わずして勝つ』のが最良なプランだろうね」
「それどんな悪魔ですか!?」
もはや喧嘩ではなく、それはテロリストとか、そういう武装集団的な何かだ。
さらりと、とんでもないプランを提案されたが様々な点で却下だ。
そこまでして勝ちたいというよりも、そこまでしないと勝てないことが驚きだ。
「うん、とても悪魔的だね。だが、久遠健太に戦いで勝つというのは、そういうレベルの話だと思っても大仰ではないということだけは自覚しなさい」
「どんだけ規格外なんですか久遠さん」
改めて自分が勝とうと思っている自分の壁の高さに愕然とする。
プラチナランクの十八にすらこう思われている久遠。
もう化物じみているとかじゃなく、化物でいいんじゃないかとさえ思う。
「というわけで、私が君に与える最初の課題がこれだ。久遠健太に勝ちたい『分野』と『ルール』と『勝敗条件』を君が決めなさい。それができるまでは、基礎トレーニングのままだ」
「わかりました。きちんと、その辺りを考えてみます」
何だかんだ言っても、こういう助言をもらえるのはありがたい限りだ。
よく教師陣であっても漠然としたアドバイスしかをもらえない時があるが、こうした具体的な指示と助言は本当にためになる。
「ちなみに双六少年。君に良いことを教えておこう。これは修行パートではなく、ただの準備運動だよ。早く私に修行パートを読ませておくれよ。あぁ、もちろん安心したまえ。修行パートに移ったら、もっとハードな修行を課してあげるから」
ふふっと楽しそうに十八は笑う。
久遠に勝負を挑む前に、双六は自分の心が圧し折られる気がした。




