娯楽研究会
楽々大学部室棟。
大学の本校舎からは少し離れた場所にあるそれは、八階建ての建物となっており、もはや、部室といういうよりはマンションと言っても差し支えない豪華さを誇っていた。その部室等の中には、シャワールームにトレーニングルーム、さらにはコインランドリーまで付いており、人が住んでいても不自由ない暮らしができる装いだ。
しかし、この部室棟の部屋は一つ一つ大きさや設備が違う。当然ながら設備が良い部室は人気も高いが、ここでも各部活やサークルごとにポイントの上位順に待遇が決められている。
つまり——最上位の階層がイコール最高待遇の部室となっている。
久遠健太はエレベータに乗り込み、迷うことなく最上階である——八階のボタンを押す。フっと足に重力が掛かるのを感じ、エレベータが振動もなく上昇する。チンっと付いたことを知らせるベルが鳴って扉が開くと、目の前にはさらに仰々しい豪華な扉があった。そんな洋風な扉の趣とは不釣合いなプラスチックのネームプレートには、こう書かれていた。
——娯楽研究会。
そして、部室棟の八階は部屋数がたった一つだけしかなく、八階全てがこの娯楽研究会によって占められているのだ。そんな部室棟の再上位階級に属するサークル——いや、サークルと呼んでいいのか定かではないが、この<娯楽研究会>のメンバーはたった一人の人間しか居なかった。
そう。この部室等の最上階は、とある一人の女性によって支配されていた。
「うぃーん。がっしゃーん。どがががー!」
狐島管音。
娯楽研究会の部長であり唯一の部員である彼女は、部屋の真ん中にある黒いテーブルの上で、精巧な飛行機を手に持ちながら、街のジオラマの上を徘徊させていた。
その様子を見た久遠は、溜息は吐くものの驚きもせずに狐島の前の椅子に座った。
「お前は何をしているんだ?」
「およ? ケンケンじゃーん。ばーん。いつの間に来たの? ずがががー!」
「その前に、遊びを止めろ。うっとうしいから」
「わかったー」
久遠が言うなり、狐島は手に持っていた飛行機を机の下にある玩具箱に収め、街のジオラマを部屋の隅に寄せた。そして、久遠の前の椅子にちょこんと座った。
改めて、久遠は狐島を見る。薄い紫水晶の腰まで届く長い髪を一つにまとめ、着物……というべきか、藍色の着物は右袖はそのままなのに、左袖はばっさりと根元からないため、白い左腕を露出し、足元は右足だけ露出する左右非対称な着こなしをしていた。
何度見ても慣れることのない人物。それが久遠から見た狐島管音だった。
「ふぃー、そいで何か用かい?」
「本気で言ってたらぶっとばすぞ」
「何だよー。ちょっとした挨拶じゃんかー。るーるー」
狐島は頬をぷくっと膨らませ、怒りを表すように両手を挙げたが、その姿はどこか怖いというよりは、かわいらしさを強調していた。だが、どこ吹く風と久遠は気にしていない。
「……まぁ、いい。それで今日は何の依頼を持って来たんだ? こないだみたいな胸糞悪い仕事はもうごめんだ。何で普通の一般人が連続殺人犯を捕まえないといけないんだよ」
「本当は殺人犯を捕まえる依頼じゃなくて、ご奉仕させる依頼だったんだけどねー。ケンケンが勝手に警察突き出したんじゃないかー。りーりー」
「普通の人ならそうするだろうが。つか、何で依頼内容俺に知らせなかったんだよ。知っていたら、あんな依頼絶対受けなかったぞ」
「んー? それはないと思うよー。ケンケンはそーゆーの見逃せないの知ってるからね。ちなみに、仕事はゴロ君には教えてたんだけど、聞いてなかったのー?」
とぼけた口調でありながらも、狐島は口元をにやけさせる。
「……選ぶ権利はあると言っているんだ。しかし、双六の野郎が……。絶対知っていて教えなかったな。何か妙にテンション高くておかしいと思ったら、楽しんでやがったのか」
「ゴロ君は楽しむためなら何でもするからねー。あぁ、でも依頼人さんも気にしてないようだったよー。殺人犯の末路を楽しむのも一興だとかなんとか」
「そんなのはどうでもいいんだよ。殺人犯消えたとなっちゃ、残された遺族がかわいそうだろうが。依頼人なんか二の次だ」
「らーらー。そこがケンケンのすごいところだよね」
「何がだ?」
すごい――そう狐島は言うが、久遠はその意味がわからなかった。
「だって、何でそんな関係のない人のことを考えられるの?」
「何でって、それが普通だからだろ。別に大層な理由なんかねーよ」
そう久遠にとっては、何ら特別なことでない<普通>のことだからだ。
「そーなんだよね。ケンケンって、燃えるような正義感もないのに、見捨てる悪意もないし、それを楽しもうっていう善意もないもんねー。ふつーふつー。ろーろー」
「当たり前のことやるのに、理由なんかいらねーんだよ。そもそも、当たり前のことができない奴が多すぎなんだよ。この都市の連中は」
「ふーん。まー、それに関してはここで議論してもしゃーないからねー」
それ以上は話す意志はないと、狐島は口を閉じた。久遠は、それに対して表立った反発こそないが、居心地の悪い何かを感じていた。
確かに、自分は当たり前のことをやっている——はずだ。しかし、それが本当に当たり前のことであるのか、当たり前でないのかは自分一人の主観に基づくものでしかない。
ならば、普通というものを理解していない存在は――自分かもしれない。
そんなことを考えつつ、久遠はその考えを一笑した。
そうしていると、
「お待たせしました! いやー今日も良い天気で楽しいですね!」
双六が娯楽研究会の扉をバンと勢いよく開いて入って来た。
いつもと変わらずにやけた顔をしているのを見て、久遠は軽くイラッとしながら言った。
「よう。双六。とりあえず、歯を食いしばれ」
「拳から始まる挨拶っ!?」
「よっすーゴロ君。とりあえず殴られとけー」
「嫌ですよ! もしかして、僕は殴られるために来たんですかっ!? 何て理不尽な展開が待っていたんですか! あぁ、もう、楽しいです!!」
双六が『さぁどうぞ!』と言わんばかりに顔を差し出してきたので、逆に殴る気が一気に失せた。
「変態かお前は。つか、何でこないだの依頼の内容俺に教えないんだよ」
「あぁ、そのことですか。だって、本当のことを教えたら久遠さん嫌がるじゃないですか。なので、僕としては気を遣って教えないようにしていました。もちろん、狐島さんも同意の上で協力してくれましたけどね!」
さらっと双六がそう言ったことに、久遠は狐島を睨む。
「狐島……。やっぱ、てめぇもグルじゃねーか」
「別にグルじゃないとは言ってないよー。ゴロ君に先に教えて、楽しそうだからケンケンに言わないでって頼まれただけだよ。らーらー」
「やっぱり、最悪だなお前らは……」
頭が痛くなるどころか、胃が痛くなりそうだった。ただでさえ就職活動がうまくいかず落ち込んでいるのに、追い討ちをかけられてはたまらない。
「まぁまぁ、いいじゃないですか結果的に円く収まったんですから」
「ちっ。まぁ、俺もこれ以上言う気はないが――次こんなことしたら覚えとけよ」
トーンを抑えた低い声と鋭い視線。場所が違えば、因縁をつけられたと勘違いして財布を無条件に差し出してしまいそうな久遠に対して、
「おぼえとくー」
「あはは。覚えておきます」
狐島と双六は、気にせず受け流した。ある意味、図太い二人であった。
「あ、そうだ。狐島さん。電話で聞きましたけど、今回の依頼って何ですか?」
「るらー。もう少ししたら依頼人さんが来るから待っててー」
「依頼人がここに来るのか? 珍しいな」
「そうですね。狐島さんの仲介で依頼人と会うなんてそんなにないですからね」
「顔合わせしたくない依頼人も結構いるからねー。蛇の道は蛇。がらがらー」
顔を見せない――つまり、依頼人には、少なからず後ろ暗い過去を持つ者もいる。
狐島は、楽々大学で娯楽研究会などと適当なサークルをでっち上げ、実際は仕事の仲介を主に行っている。
いや、狐島にしてみれば娯楽研究会はでっち上げでも何でもないのかもしれない。なぜならば、狐島が仲介する仕事の判断として<娯楽>がまず第一に挙げられるからだ。誰かにとっての娯楽ではない。狐島にとって楽しそうか、そうでないか。いわば、それのみで構成され、その種類によって仲介を行うのだ。
実際には、楽しくない依頼なんてものはわからないので、ほとんど受けているのだが、それにでも、基本はネット上でのやり取りが基本だ。しかも、依頼人にしても楽しみたいから依頼する輩も大勢いる。この間の連続殺人犯の依頼がまさにそれだ。憎しむ人たちの復讐でなく、ただ面白そうという興味本位からの依頼もある。
そんな依頼なんて受けるなと言いたい久遠ではあるが、彼の言う胸糞悪い依頼があることで膨大なポイントが集まった上でこの部室が存在している。久遠としてもバイトを斡旋してもらっている都合上、互いに踏み込んだことは言わないという不文律が狐島と久遠の間には出来上がっていた。
「まぁ、自分で判断できる分には直接顔見る方がいいだろう」
「楽しみですね~! どんな依頼人が来るのか」
「るーらー。多分、ゴロ君が一番びっくりすると思うよ」
「それって、どういう意味ですか?」
「言葉通りの意味だよー」
狐島がそう言った矢先、エレベータが着いたことを知らせるベルが鳴った。
久遠と双六はそのまま入ってきたが、今度の人はドアの前にあるチャイムを鳴らし、それを確認した狐島がドアの電子ロックを解く。
カツカツと入ってきた人の足音が響く。軽い音が聞こえたことから、男ではないなと思いつつ、久遠は入ってきた者を見る。
その人物を見て、久遠は少しだけ驚いた。どんな奇人変人が尋ねてくるのかと憂鬱だったところ、意外とまとも――というか、至極普通の格好をしていたからだ。
髪は黒髪で腰まで届くロング。涼しげな目元と薄い微笑がその上品な人となりを表しているのがわかる。幼い顔つきながらも、どことなく聡明さを滲み出している、その女の子の服装がまた意外だった。双六と似た服装――楽々高校の女子の制服だったからだ。
――こいつが、依頼人か。
言葉に出さず、久遠は依頼人を確認する。
さて、同じ楽々高校の双六の知っている奴なのかと聞こうとしたところ、
「おい、双六?」
双六が口元をポカーンと開けていた。双六がここまで放心して驚くのは珍しかった。
そして、双六は依頼人の名を呟く。
「天野天音さん……?」
それが依頼人の名前だ。
登場人物の名前の読み方です
・賽の目双六
・久遠健太
・狐島管音