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娯楽都市  作者: 菊日和静
第02話 娯楽屋と正義屋の極楽遊園地
39/97

新人にとって出社1日目は誰だろうと緊張する

 今日は新しい職場の出勤日だ。

 中々に厳しい夏の日差しに晒されながら、秘書子と呼ばれた彼女は気だるげにアスファルトの上を歩いていた。


「秋も近いというのに、鬱陶しい暑さですね」


 ハァとついため息が出てしまう。

 こんな状態で職場に出ては心証を悪くしてしまうと思い、駅の自販機でスポーツ飲料を購入する。やはり、甘味と多少の塩分を摂取すれば大分先ほどの状態からは改善されたように思える。

 電車到着のアナウンスが聞こえたので、少し駆け足で乗り込んだ。逃しても時間的には問題はないが、こういうのは自分の心の問題だ。遅れるよりかは早めについておきたい。

 あとは駅に到着するまでおよそ30分ほど乗っていれば済む。鞄の中に仕舞っている文庫本でも読もうかと思ったが、どうも気分ではないので電車の微かに揺れるリズムに体を預け眠ることにした。

 そして、彼女は夢を見る。

 父と最後に言葉を交わした時のことを。

 

        ◆


「ふふ。あ〜暇だな。暇で退屈であくびが出てしまうよ」


 そう言いながら本当に欠伸をする横目にやり、自分は構わずに仕事をする。一度構ってしまえば、際限なく調子に乗って話し出すからだ。

 何しろ仕事は大量に溜まっている。

 遊木が仕事をしないので自分が確認書類に目を通さなければならず、ハンコを押すだけの仕事と聞いていたが、実際は書類の数値に間違いがないか、その企画はきちんとした調査に基づき利益を出すことを考えているか、第三者にとって見やすいものであるかなどチェックする点は多々有る。

 これを怠ってしまうと関係各所に迷惑が掛かるだけではなく、面倒な時は途中で仕事が戻ってきてしまうこともあり、気は抜けない。

 そんな風に仕事に没頭していたら、


「よし、そうだ。死のう!」


 仕事をしていなかった上司がいきなり死ぬと言い出した。

 本当に死ねばいいのにと思う。


「死ぬぐらいなら死ぬ気で仕事してくれませんか?」


 ヒステリックにならないよう気をつけながら言う。

 イライラする気持ちは抑えられないが、というかもういっそのこと仮面を被った怪しげな風体の上司の顔をブン殴りたい気持ちに駆られるが、最後の一線だけは抑えておく。


「秘書子くんは辛辣だなぁ! これから死のうとしている人間なんだから優しくしてくれないかね!?」

「冗談ばかり言う上司を優しくする必要はありません」

「冗談? いやいや、何を言っているんだい。僕は本気だよ」

「……はいはい。じゃあ、何で死にたいんですか?」


 これ以上付き合っていたらまた仕事が遅れてしまう。

 突っ込んでしまった自分の未熟さのせいなので、諦めて会話に付き合いさっさと終わらすことにする。


「僕は暇だと言っただろう?」

「はい」

「だから、死ぬんだ」

「意味がわかりません」

 

 どんな論理だ。

 それだったら、全ての人間が暇になった瞬間死ぬことになる。


「わかりやすくいえば、この先退屈な未来しか見えなくなったからだ。さっきも言ったが、人は楽しみを能動的に求めなくなれば終わりだよ。それは人間として終わっている。それ以上の生は苦痛でしかない。なのに、何故これ以上生きなければならない? 僕はそんなの真っ平ごめんだ。死に際は自分で決めて死にたい。いつ生まれるかは自らは決められないが、いつ死ぬかは自分で決められる。ならば、自分の死というのは人生にただ一度だけ楽しめる最高の瞬間じゃないか! 僕はそれを感じてみたいのだよ!!」


 言わんとしていることはなんとなくだがわかった。

 確かに退屈な生しかないならば死ぬことを選ぶことも考えられる。生は選べないが死ぬことは選べるというのも、ある意味人間としての最後の権利とも言える。

 だが、さっきまでテンション高く遊園地のイベントを楽しみにしていた人間の言葉とは到底思えなかったので、


「……はぁ、もうわかりました。ではさっさと死んでください」


 ぞんざいに扱うことにした。

 上司に言う言葉では絶対にないが、馬鹿みたいな量の仕事をこなしているのだから文句は言わせない。


「むぅ。今一つ秘書子くんには私の本気が伝わってないようだなぁ〜。よし、じゃあ僕の本気を見せようじゃないか!」


 本気を出すなら仕事にしてくれ。

 そう言ったところで何も変わらないので、これ以上は絶対に反応を返すまいと秘書子が決意ししたら——生温かい何かが顔に触れた。

 何をしているのかわからないが、仕事の邪魔をするなといい加減本気で怒ろうとして遊木の方を振り返ると、秘書子は自分の目を疑った。



「——ほら、本気だろう?」



 遊木は自らの手首を切り裂いていた。

 明らかに動脈まで達しているだろう傷から、血がダラダラと溢れている。


「何を……しているんですか……?」

「だから、死ぬんだって」


 いつもと何も変わらない口調であっさりと言われた。

 死ぬ、と。

 そうだった。

 この遊木という人間は、そういう男だった。

 退屈を殺すためならば、自分を殺すことすら躊躇わない男だった。


「ふざけないでください! あぁ、こんなに血を出して!!」


 見誤っていた。

 この男の冗談のような言い分は全て本気で、楽しそうなことならば全力で取り組む遊木遊々という男の人間性を見誤っていた。


「おぉ! こんなにも秘書子くんに心配してくれるなんて感激だなぁ! これだけでも死ぬ甲斐があったというものだ!!」

「心配? するに決まっているではないですか!?」


 遊木の手を取り傷の具合を見る。

 放っておけば死に至ることは素人目にもわかる。

 遊木が死ぬ。

 それだけは困る。困りきってしまう。

 なぜなら、



「あなたを殺すのは私なんですから!!」


 

 ずっと遊木を殺すことを夢見ていたのだから。


「へ……?」


 さすがの遊木もこれには驚いたのか、仮面を被ってもわかるぐらい目を白黒とさせている。そんなことは何も気にせず、秘書子は激情のまま胸に秘めた思いを吐き出す。


「何私の許しなく勝手に死のうとしているのですか? あなたを殺すために様々な殺人方法を立案、準備までしてきたのに水の泡じゃないですか。勝手な人間だとは思ってましたがこれほどとは思ってませんでした。こんなクズを殺すために私は苦労してきたのかと思うと泣きたくなります。あなたを殺すのを楽しみにしてきた私が馬鹿みたいじゃないですか。誰かに殺されるならまだしも自殺? 本当にふざけていますね。反省してください。あなたを殺すのは私なんです。そうではなくては意味がないんです。聞いているんですか——お父さん!!」


 自らの欲望を満たした後、母に1億円だけ渡しただけの父親。

 そんな最悪な父親を殺すためだけに、何年も前から殺人を計画してきたのに、それがこんな突然の結末になるだなんて思わなかった。

 こんなのは自分が望んだ結末じゃない。

 自分が望んだ結末は——手ずから父という存在を殺すことなのだ。


「……そうか。君は僕の娘だったのか」

「やはり気づいていなかったのですね」


 履歴書には顔や名前は記載されている。

 調べようと思えば家族構成なんて調べられる立場なのに、気づいてもいなかったようだ。


「ざっと100億円払ったから子供は100人ぐらいいるのは覚えていたよ!」

「何の自慢にもなりませんね」


 数しか覚えていないとは最悪にも程がある。

 余計殺意が濃くなった。

 なのに、遊木は今更のように、


「いや、そんなことはない。君は——僕の自慢の娘だよ」


 そんなことを言い出した。

 名前も顔も知りはしない、1億円だけ払っただけの血を分けた娘を自慢だと。そう言った。


「本当に今更ですね」

「そうだね。僕は確かにダメな父親で子供達には何もしてこなかった。まぁ、後悔なんて何もないわけだが、折角愛娘がここまでしてくれたんだ。だから、(ぼく)の命を(きみ)にあげよう」


 父が娘を気遣うような口調で彼は言った。

 命をあげる、と。


「人生最後の日にこんな素敵なことが起こるなんて想像もしなかったよ。まさか、僕の命の幕を閉めてくれるのは血を分けた娘とはねぇ〜」

「自慢の娘に看取られて幸せですね」

「まさしく。思っていたよりも最高な死に様になりそうだよ」


 治療をすれば生きられるだろうが、遊木も秘書子もそれを望んでいない。

 遊木遊々は——今日死ぬ。

 他人のような娘の手にかかり、彼は死ぬ。


「では、最後に何か言い残すことはありませんか?」

「そうだな。じゃあ、三つほどお願いがある」

「聞きましょう」


 今もなお血が流れ続けている。

 正確な時間はわからないが遠からず死んでしまうだろう。

 そうなる前に、彼の最後の願いは聞いておきたい。

 何しろ死は——人生に一度しかないイベントなのだから。


「一つは、私の死後についてだ。私はこの後死体になるのだろう? どうせ僕が死ぬならイベント優勝者のサプライズとしてバラバラ死体で驚かせてみようじゃないか!!」

「死後も驚かせたいとは……呆れを通り越して尊敬の念すら抱きますね」


 どこまで人を驚かせば気がすむのか。

 死体すらもサプライズとして扱う彼は死の間際でもブレない。


「そして、二つ目だ。君に僕の『全て』を上げよう」

「……どういう意味ですか?」


 これには秘書子も意味を掴みかねて訪ねた。


「文字通り『全て』だよ。君が望むのならばそれが手に入るがどうする?」


 どうするもこうするもない。

 そう言われれば、返す答えは一つだけだ。


「父親としてあなたは最低で最悪でしたが、あなたが築いてきた実績は本物でした。ならば私が全てを貰い受けましょう」

「素晴らしい即断即決。それでこそ僕の後を継ぐに足る娘だ」


 うんうんと遊木が嬉しそうに頷く。

 血が流れすぎたのか、どことなく言葉に力がなくなってきた。


「では、これが最後だ。これが一番重要な言葉だから、ちゃんと聞きなさい」


 ゴホンと咳払いをして、真っ直ぐに秘書子を見て彼は言った。

 


「最高に楽しいと思える人生を過ごしてから死になさい」



 それはどの立場から出た言葉なのだろうか。

 父親としての遊木遊々なのか。

 個人としての遊々遊々なのか。

 最後までそれはわからなかった。


「はい——お父さん」


 ただ、それでも父からの言葉として娘は言葉を受け取った。

 そして、その言葉を最後に娘は父を殺した。

 

        ◆


 まどろんだ夢の中から目が覚めた。

 あの日から何度もこうして夢を見てしまう。

 それは幸せな思い出なのか、不幸な思い出なのか自分でも判断はできないが、今はそんなことを考えている場合ではない。


「どうやら着いたようですね」


 電車から降りて駅のホームを見た。

 その駅には誰も存在せず、駅の看板にも名前は何も書かれてはいない。

 世界から切り離されたかのような駅とでも言えばいいのだろうか。

 明らかに異質な雰囲気しかない。


「初めての場所は少し緊張しますね」


 そう言いながらも彼女は迷いなく歩き出した。

 前もって、この場所に来いと指示されていたし地図も受け取っていた。

 社会人たるもの10分前行動は常識として身についているので、遅れないようにスタスタと歩く。

 駅のホームにあるエスカレータを上るとそこは——高級ホテルと見紛うような豪華絢爛なホールであった。

 赤い絨毯が敷き詰められた上を歩き、その奥にある重厚そうな扉を見る。

 間違いなくこの奥が目的地である。

 ただ、その大きな扉を開ける前に一応は身だしなみを整えておく。

 新人にとって第一印象は大事だ。できれば職場の先輩方には良く見られておきたいという下心はある。

 そして、全ての準備は整い彼女は扉を開いた。


「ようこそ新人。歓迎するよ」

「……といっても、歓迎会とかはありませんけどね」

『るらー。今度はゆゆっちじゃなくて、ゆゆちゃんなんだねー。よろしくに〜ゆゆちゃん』


 その扉の奥にいた三人の男女が迎えてくれた。

 新しい職責はかつて父がいたマスターランク。

 職場の先輩方はどれもこれも奇抜で、父と同じかそれ以上に一癖二癖あるような人たちばかり。

 やりがいに満ちたお仕事内容は、娯楽都市における「楽しい遊び」を最大限追求し企画立案実行を行うこと。そのためならば何をしても許される、何をしても構わないという太っ腹っぷり。

 それが父の残した最後の遺産だった。

 まったく途方も無いものを寄越したものだと思うが、新人たるもの挨拶は大事だ。先輩方に向けて元気よく挨拶をする。


「はい。新たに遊木家の<マスター>となりました『遊木遊子』です。この度は父である遊木遊々を殺したことで新たにマスターの座を頂くことになりました。遊木家の名に恥じぬよう誠心誠意マスター兼畜生として働かせていただく所存です」


 少し挨拶が硬かったかなと思って秘書子こと遊木遊子はフレンドリーさも大切だろうと思いニコリと笑った。


「これから仲良くしてくださいね。先輩方」


 父という呪縛から解き放たれた遊子は、奇しくも父の最後の言葉を大切にすることに決めた。

 最高に人生を楽しんでみようと。

 まだまだ遊び心が足りない遊子であるが——彼女は歩き始めた。

 遊木遊子という人間の短くも長い人生という道を。

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