久遠の就職活動
その男――久遠健太は楽々大学の敷地を歩いていた。
パリっと皺一つないノリの利いたクラシックな青いストライプの線が入ったスーツ。靴は履きなれた感が見える革靴だが、きちんと手入れしていることがわかる。五月も過ぎているのでスーツの上着を外して肩に掛け、シャツの第二ボタンまで外している。一見すれば、社会人にも見える出で立ちなのだが、普通の人よりも頭一つ分以上を超えた身長と他人を睨みつける眼差しによって、否が応でも威嚇するような存在感を周囲にアピールしてしまっている。そんな自分を自覚しているのか、娯楽都市には珍しい黒髪をしていても、逆に周囲から浮いてしまって見えていた。
しかし、そんな久遠は至って気にせず大学構内を歩いているが、その顔は楽しい気分など一切ない、憂いに帯びたものとなっていた。社会人でもない大学生がスーツを着る用事はそう多くはない。彼はその一つの用事のためにスーツを着ているのだ。
そう——久遠は就職活動の帰りだった。
「あー……ったく。今日も良い反応じゃなかったな。今回も駄目だな。こりゃ」
ぶつぶつと今日の面接の反省点を呟く。書類選考は受かり、一次試験のペーパーテストも受かり面接にまでこじつけることができた。そして、久遠は数日前から面接の対策も行い、その企業の業績や働きたい部署などを一通り調べ、来るだろう質問に対しても一通りの答えを用意し、淀みなく答えることができた――はずだった。
「大体、何で俺が話すたびに相手が怯えるんだよ」
どこの企業でもそうだった。久遠の声は通りやすいが、それゆえ、相手にとっては威嚇しているように感じられ怯えられていた——と本人は判断している。
「だから、黒髪にして、アイロンやクリーニングにもこまめにしてるのに……、これ以上何をどうすりゃいいんだ」
一応、彼も自分が周りに与える影響については自覚していた。それ故に、面接官に対して少しでも好印象に見えるように努力をしているわけだが、少しも実る様子は見えなかった。もう少し自分の努力を評価して欲しいという下心はあるが、どうにもこうにも世の中は自分の狙い通りに動いてはくれなかった。
「好景気の世の中なんだから、少しぐらい人を多めに雇ってもいいだろうに」
やれやれと久遠はため息をついた。
そう、記憶にも新しい大不況の時代から一転し現在は好景気の世の中となった。特に、ここ娯楽都市においては不況というものを知らないほど活気に溢れている。
そもそもの話——娯楽都市は日本文化の保全とやらを目的としていたため、年寄りが大勢集まる立地条件にあった。不況期では、人は先行きに不安を覚えるため貯蓄の行動に移り消費が抑えられる。特に、どこの世代が金を持っているのかなんて簡単だ。じいさんばあさんたちが金を持っているのである。莫大的なまでに。
それに目のつけた当時の企業家が、ありとあらゆる方法を用いて、年寄りの貯蓄を崩すことに成功した。それはもう、とんでもないレベルの話で金を放出させた。堰を切ったダムのように。氾濫した川のように。金が経済の海を回遊魚のように泳ぎ始めたのだった。
それがきっかけで、娯楽都市が発展を開始し、人の認識は改められる。金は使えば増えるし、使わなければ増えない。無論、そんな馬鹿みたいに使う人が増えるわけではないが、少なくともそれなりの効果が現れ始めた。
そして、経済が上向きになるにつれ、徐々に余裕を持った人々は人間特有の――古代からずっと続く、あることに金を費やすことになる。
つまり——娯楽だ。
今ではありとあらゆる娯楽がこの都市に集う。
供給が需要に対して足りていない昨今では、労働者はまったく足りていないのが現状である。なのに、それでも就職のできない久遠は——極めて珍しい例でしかない。事実、周りの連中などはろくすっぽ就職活動もせず内定をもらっている人もいる。それも、差別を推奨する娯楽都市ならではといえばそれまでだが、納得できないものは納得できていないのだった。
「くそ。絶対、この娯楽都市は間違えてやがる。努力している奴が報われないなんてどういうことだ。どいつもこいつも娯楽娯楽と馬鹿みたいにうるせーんだよ。人は普通に食って生きていければいいんだ。ちっ、いかれてやがるぜ」
吐き出すように久遠は呟く。
半ば八つ当たり気味に怒ってはいるが、無理もないだろう。就職活動に落ち続けると誰しも——『人格や能力が著しく劣っている人物』と評価されていると思い込むようになる。それについて、久遠も例外ではなく自信を無くしていた。
「ハ~イ。クドケン! 何だかとってもブルーな顔してるネ! ダメよそんな顔したら。笑うアホにはフコウ来るって、日本では言うよ~」
「マークか……。笑う角には福来ると言いたいのはわかるが、お前の台詞だと阿呆に不幸が来るという意味になるぞ。救えなさすぎるだろ。そいつ」
「マジですか~。日本語は難しいですネ~」
マークは陽気にニコニコしながら久遠に近づいてきた。仏頂面の久遠とは対称的ともいえるような明るいマークは、物怖じを一つしていなかった。
浅黒い肌に、くすんだ茶髪。久遠よりも背は少し低いが、それでも平均身長を遥かに超える二人の姿は圧巻ともいうべきか、道行く人々が振り返る程度に目立つ。だぼだぼなTシャツに傷だらけのジーンズという簡素な装いなのだが、マークが着るとストリートバスケをするスポーツマンのように似合っていた。
「そのカッコウは、今日も就職活動デスか?」
「その通りだ。……まぁ、駄目だったけどな」
「オ~! クドケンを採らないなんて見る目のないアホですネ! そいつは、豆腐の角にスネを打って死んで悔い改めるべきデース」
「豆腐で脛を打って死んだ奴は見たことがないな。どんだけ骨がもろいんだよ。豆腐の角に打つのは頭だ。覚えておけ――というか、無駄に諺を使うな」
「日本のコトワザはとてもユニークですネ。オレはとっても好きなので、やめませーン」
「そうか。いや、そうだな。悪いことを言ったな。日本語を覚えることは良いことだ。水を差すようなことを言ったな。でも、使うならちゃんと正しい意味を覚えてくれ」
「おーけー。クドケン! チリも積もればゴミとなるね!」
「……まぁ、がんばれ。そういや、お前は私服のようだけど、今日はインターン先の企業研修に行かなくていいのか?」
「今日はお休みデース。勉学を優先する日デース」
マークが行っているインターンは、学生が実際に企業で働く制度だ。そのインターンを行うことで、学生が気になる仕事の現状を学ぶと共にキャリアアップにも繋がる。留学生であるマークもその制度を利用しているわけだが——それにはある理由がある。
その理由とは、特殊な制度を採用している娯楽都市では——今までにない価値観を引き出し、新たな市場を開拓しているということで、世界的に取引を行いたい企業が数多く存在する。
そのため、諸外国においては物珍しい娯楽都市のノウハウを学ぶとともに、将来的なパイプ作りのために、インターンを利用しようという留学生が大勢いる。当然、マークもその内の一人である。
「何かほしい情報でもあったデスか?」
「んーいや、別に。この時間帯にお前がいるの珍しかったからさ」
「オ~! それはこっちのセリフでーす! 単位を取り終えて就職活動しているクドケンがいる方が珍しいデース!」
実のところ、久遠は大学三年生終了時には必要な単位を既に取り終えていた。本人が言う所の『努力』の成果なのだが、あまり結果につながらない所を考えると虚しい気持ちになる。
「それもそうだな。就職活動終わったから、とりあえず、狐島の奴に会おうと思ってな」
「フォックスちゃんに会うデスか? それなら、この間はお世話になったと言っといてほしいデース。それと今度オレとデートしてくれとお願いしマース!」
「何でそんなにテンション高いんだよ……。あんな最悪な性格をした奴のどこが良いのか俺にはさっぱりわからんがね。わかりたくもないが」
狐島という言葉を出した時のマークのテンションに、久遠は付いて行けず辟易した顔をする。
「そこだけがクドケンの残念なところデスネ。いいですか、日本には偉大なる言葉がありマース。ワビ・サビ・萌え・キュン!」
「日本の高尚な文化に対して何ということを言うんだ」
「つまり、それすらも良い。否、それが良いのだという心を持つのが大事なのデス!」
「そこに至るには俺は仏門に入らないと駄目だろうな」
やれやれ、と久遠は手元の腕時計を見た。狐島と会う時間が迫っていた。時間厳守は社会人としての普通のマナーであるため、久遠は約束事は出来る限り守るようにしている。
「おいマーク。俺はそろそろ時間だから行くぜ」
「そうデスカ。クドケンと喋るのはタメになるから好きですが、仕方ないデス」
「おう。また今度飯でも食おうや」
「楽しみにしてマース」
久遠とマークが互いの拳を軽くぶつけ合い、久遠の足は楽々大学部室棟へと向かった。