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娯楽都市  作者: 菊日和静
第01話 娯楽屋とプラチナランカー<ジーニ>
18/97

壊決—ポイント殺人事件—

 もうとっくに限界を超えていた。

 今まではギリギリコップの淵に水が溢れて零れるかどうかの表面張力が働いていた。その危ういバランスの中なんとか我慢していたのに——それがとうとう溢れてしまった。

 その溢れ帰った水は取り返しのつかない水だから耐えていたのに、零れてしまった。

 けれど、零れるのはただの水ではない。

 ——血だ。

 それも、自分の血でなく相手の血。

 それがわかっていたから、限界まで限界を超えるギリギリのところで抑えていた。

 壊したくないから。

 それがとても異常な行為で、普通とはかけ離れた最低なものだと知っている。

 思えば最初から嫌な予感しかなかったのだ。

 狐島の依頼だけでなく、最初の空気感が既に澱んでいて、腐った腐臭みたいなのが鼻についた。

 決定的だったのは、屋久寺の姿を見た瞬間だった。

 感情が根こそぎ持っていかれた屋久寺の姿に、周りをウロチョロしている腹立たしい連中がいたのはさらに吐き気を催した。

 気持ち悪すぎて――つらい。

 早く楽になりたい。壊したい。ここにいたくない。

 だけど、ここで女を見捨てるような男は最低だと知っているから、普通ではないと知っているから、だから、なんとか逸る衝動を抑えて、我慢できた。

 なのに、こいつらと言葉を交わしていると頭がおかしくなりそうになる。

 何でこいつらは普通になり得るのに、わざわざ異常になりたがるんだ?

 異常なんて何一つない――普通の連中のくせに。

 異常なんてものは、世界から弾かれるためにある。

 異常なんて世界から疎まれるためにある。

 異常は決して何かを導くとか、格好いいものではない。

 異常とは――狂うことだ。

 周りも、自分も、全てが等しく狂う。

 なのに、こいつらは殺人を犯す。自分の欲望のために。

 意味がわからない。意図が理解できない。欲望が共感できない。

 苛々はつのり、腹の中にあるマグマが噴出す寸前だ。

 普通になりたい自分に、こんな異常な場所はきつい。

 そして、こいつらは欲望のために人間を殺すと言った。

 こいつらは本当に人間なのだろうか?

 認めたくはないが……人間なのだろうな。

 ――だけど、最悪な人間だ。

 こないだの、ヒーローとか言っていた男と同じだ。

 別に、壊しても構わない人間なのだろう。

 だから。


 ――なぁ、双六。もう、いいよな? 我慢しなくても。


 そう、もう、我慢の限界だ。

 あるのはただ一つ。

 楽になりたい。

 娯楽でなく、楽になりたい。

 故に、解放する。

 異常を。



「ぐらああああああああああああああああああああああああああああああああ――――!!」

 そのあまりの声量だけで、倉庫が壊れるかと思った。

 窓がぎしりと震え上がり、鉄骨がギリギリとうなり声をあげている。それはまるで、倉庫の中心にいる久遠の叫びに——怯えているかのようだった。


「うわ。久遠さん、完全にブチぎれてるなぁー。この距離で本当大丈夫かなー……」


 軽い声とは裏腹に、双六の目は一つも笑っていない。

 一応、久遠の後姿を見る位置にいるが、怖くて今の久遠の前には絶対に立ちたくないと思った。


「賽ノ目君。久遠さんはどうしたのですか?」


声量を抑えた声で天野が問う。


「どうもこうも、久遠さんがキレたんですよ。いいですか。死にたくなかったらジッとすること。息を潜めること。決して敵意を見せないでください。今の久遠さんは腹を空かせた狼や熊と同じです。そして、それらを守れば、最っ高に楽しいショーが始まりますよ」

「……わかりました。忠告に従います」


 そう言って天野は大人しく素直に双六の忠告に従った。

 天野もわかっているのだろう。双六の言っていることが何の誇張も無いことは——今の久遠を見れば火を見るよりも明らかなのだから。

 そして、存在を押し隠すように小さく身を縮こませた双六たちとは対照に、殺人倶楽部の面々は、ふてぶてしく久遠の豹変振りを見ている。

 それはまるでーー獲物を見定める狩人のような眼だった。


「はは。中々に面白い見世物ですね。――で、誰から行きますか?」

「オレから行くナリ」

「無反対」


 今の状態の久遠を見ても、何一つ物怖じせずにコレクターが名乗り上げた。

 順番を決めないで複数で襲い掛かればいいのに——それをしない。

 多分、これは彼らなりの美学なのだろう。

 人体収集を目的にしたコレクターはできるかぎり品質の良い状態で手に入れたいと考えるが、リレーションとスクリームは人体など傷ついても構わない。

 だから、コレクターができるかぎり傷つけないよう、収集品を手に入れるために――殺す。


「ふひひひ! もう我慢しないのはこっちの台詞ナリ! お前の身体は女と違い、力強さに溢れているナリ! 欲しい欲しい欲しい! 超絶欲しいナリよ~~~~~~!!」


 地面を蹴り、身を低くしながらナイフを右手に持つコレクターが久遠に迫る。

 天野の時とは、まるで違うスピードだ。

 天野を甘く見ていたのと傷つけないようにした配慮なのだろうが、今の相手は久遠だ。全力で潰してから収集するつもりに違いなかった。

 久遠もまた、ゆらりとだらけた状態から一転して動く。一直線にコレクターに向かってダッシュをして真正面から迎え撃つ。

 しかし、それを予期していたようにコレクターは、


「ふひっ! 馬鹿ナリね!」


空いている片方の手から小瓶を出して、久遠に振りかけた。


「これでお前の視界は封じたナリよ! 真正面から来る馬鹿は長生きしないナリ!!」


 鼻につく匂いが充満する。

 どうやら何らかの刺激物のようだが——コレクターの名前を考えれば収集品を傷つけるような酸や毒物ではないだろう。けれど、それはなんら安心できる材料にはならない。双六の知識に無いだけで危険な薬物など娯楽都市には溢れ返っているのだから。

 だけど、


「ふひっ!?」


 双六は、久遠の心配など何一つしていない。


「うらあっ!!」


 目潰しされたはずの久遠はそんなことを気にかけず、コレクターの顔面をその大きな手で掴む。「ふぐぅ」とコレクターが口を封じられ、足が地面から浮かんだ。小さな子供を持ち上げるように、久遠は片手でコレクターを掴んで離さない。

 コレクターの身体は決して小柄でないはずなのに、久遠の怪力により為すすべなく足をジタバタさせている。


「あー、今の久遠さんにそんなの効くわけないのに。馬鹿だなー……」


 ぼそりと呟く双六。

 目つぶしをして視界を潰したとコレクターは思っていただろうが、久遠にはそのようなものは何一つ効果がなかった。

 むしろ、コレクターの行動により久遠の暴力性がますます上がったように見えた。

 そして、久遠は躊躇なく掴んだ手の握力をさらに加える。加える。加える。加えて――ゴキリ。


「ふむぐぅぅぅぅぅぅぅぅ―――――――!?」


 コレクターの顎が外れた。

 顎が外れたのに、口元が手で押さえられているので悲鳴をうまく出すこともできないままコレクターは呻いている。

 その呻き声を聞いても——当然のように久遠は止まらない。

 久遠はそのまま大きく腕を引いてコレクターの顔面目掛けてぶん殴った。それも思いっきり。力強く。


「ぐびゃぁ!!」


 顔が陥没しているんじゃないかと思うぐらいの音が鳴り響き、コレクターの身体が地面と水平に飛び跳ねる。川で石切の遊びをするかのごとく、コレクターが丁度四回ほど飛び跳ねた。どれだけの力を加えれば、あんなに人が飛んでいくのがわからないが、少なくともその対象になるのだけはごめんだった。

 その直後ーー


「関係断絶」


 短く久遠の後ろから声が響く。

 コレクターがやられた瞬間から動き始めていたリレーションが背後から久遠を襲う。

 うまいやり方だ。仲間がやられたのに躊躇なく久遠を殺しに掛かってきた。

 それもそのはずだ。

 リレーションの目的は関係の断絶。人間関係を断絶することに意味を見出す彼に、殺人の結果に対して何ら意味を持たない。あるのはただの断絶だけ。断絶できるのであれば、誰であろうと彼は躊躇なく関係を絶ちに来る。

 ジャンプをしながら振り上げているのは――キャンプとかでよく使いそうな斧だ。

 なるほど。断ち切るなら斧はその象徴かもなー、と双六は暢気にそんなことを考えた。

 そして、双六は危険の迫る久遠に何も言わずに場を見る。久遠に対して注意を促そうだなんて、そんなことを一欠けらも考えない。そんな考えを持つこと自体が久遠にとっての侮辱だというようにただ沈黙を保つ。

 その双六の久遠に対する絶大な娯楽の信頼は的中した。

 双六が何も言わずとも、久遠は背後からのリレーションの斧を振り向きもせずに掴んだ。しかも、刃の部分を。親指と人差し指だけで掴む。


「驚嘆っ!」


 いや、あなたのその反応の仕方に驚嘆ですと内心ツッコんでしまった。

 ヒーローといいコレクターといい、どうも殺人倶楽部の面々は奇異な連中に溢れ返っていて、日曜朝の戦隊物の敵役を見ているようで面白い。といっても、その敵役にヒーローはいるし、今戦っているのは正義とは程遠い獣のような人間であるが。

 叫んだリレーションは先のコレクターと違い久遠に捕まる前に距離を取ったが、そんなものは何一つ意味はない。

 というよりも、意味をなさない。


 人間が多少距離を取ったところで――豹とか狼とかの脚力に敵うとでも思っているのだろうか?


 だが、今度ばかりは双六の予想が外れた。

 久遠は追いかけるのではなく、リレーションから奪った斧を久遠は振りかぶって――リレーションに向かってぶん投げた。

 しかも、プロ野球選手の剛速球すらかすむぐらいの速さでグングンと迫る。


「回避っ!!」


 その場で伏せて斧が迫るのを、リレーションは命からがらに回避することに成功。投げられた斧はそのまま、倉庫の壁を突き破り大きな穴をブチ開けた。

 あんなのが人体に当たれば、確実に死んでいた。

 しかも、間違いなく綺麗な死に方とはほど遠いような死に方になるだろう。……少し、プチトマトを想像してしまった。


「安堵――、」


 するには、早すぎる。というか、王将一枚だけになった将棋みたいなものだ。

 もはや、ただ詰まれることを待つだけの駒でしかなかった。

 リレーションの頭の上に、久遠の足がある。

 ……なんだか、彼が哀れになってきた。


「悲鳴――――――――――――――――――――――――――――!?」


虫のごとく踏み潰されたリレーションの頭が、地面と久遠の足とサンドイッチになり、地面に苺ジャムを塗りつけた。

 むしろ、最後の最後で悲鳴と言って散った彼の生き様というかポリシーが凄まじい。

 そして、沈黙したはずのリレーションの足を久遠が掴む。

 どうやら、まだ壊したりなかったようだ。リレーションの足を持って、勢いよく回り出す。気絶したままジャイアントスイングされ、倉庫内に積まれているダンボールの山を目掛けてリレーションの身体が綺麗な方円を描いて投げられた。

 ガラガラ!

 と、ダンボールが崩れて、リレーションがその中に埋まった。

 あまりにも圧倒的で、あまりにも脅迫的なその光景に――目を奪われた。隣にいる天野でさえ、ポカンと目を開けて信じられないといった様子で久遠を見ている。


「すごい……」


 今までの異常なんて生ぬるかったほどの、本当の異常がそこに――ある。

 心の底から双六は間に合ってよかったと思う。

 鳥肌が終始立ちっぱなしで——身体の震えが止まらない。

 かつて、人間同士を殺し合わせたコロシアムがあったそうだが、あれもこんな気分だったのだろうか。

 人と人の争いは原初から続く――最初にして最大の娯楽。汗が舞い、血で化粧するその舞台にも似た男たちの姿に、双六は涙を流しそうなほど感動していた。


「これはこれは。見事なものですね。あのお二方をこうも容易く壊すとは……」


 同じようにスクリームも感嘆の意を示すが、なおも、その余裕の姿勢だけは崩さない。崩すことはない。崩す理由がない。


「ですが、残念なことに――あなたは本当に壊すだけなのですね」


 そう言い放ち、スクリームは久遠から背を向け、床に臥しているコレクターのところへ歩いていく。

 ――まさか、今さらこの男が仲間の心配をしに?

 スクリームの意外な行動に双六は眉をひそめる。


「あぁ、コレクター。あなたがこのような姿になるとは……。悲しいものですね。私はあなたがそのような姿になって、とても、悲しい」


 スクリームが涙を流して、目元を拭う。


「悲しすぎです。あなたが悲鳴を出さず、ただ、気絶するなんて――悲しすぎます」


 スクリームは手に抱えていた日本刀を——コレクターの足に突き刺した。

 けれど、コレクターは久遠にやられたせいで完全に意識を失っており、刀に差されたにも関わらず何の反応も見せずただ血を流しただけだった。


「おや? 本当に壊れているようですね。悲しいです。悲しすぎです! 何故あなたは悲鳴を出さずに寝ているのですか!? もっと泣き叫び! もっと強く! もっと弱く! 人の魂に響く音楽を私に聞かせてください!!」


 ザクリ、ザクリ、ザクリ、ザクリ、ザクリ、ザクリ、ザクリ、ザクリ。

 なおもスクリームは壊れた人形のように刀を突き刺す。


「リレ~ションッ!! あなたの人間関係断絶するという楽しみはどこにいったのですか!?」


 次は、荷物の下敷きになっているリレーションを、引きずりだし、血みどろになっている彼に構わず、コレクターと同じように刃を突き刺す。

 太股に膝に踝にふくらはぎに背中に——ありとあらゆる箇所に突き刺した。


「あなたも何故一度だけの悲鳴で終わらせているのですか!? 一楽章すら一小節すらも終わっていないじゃありませんか! これでは、まだあの少女の悲鳴の方が遥かにマシです! 何故です! 何故あなた方は悲鳴を出してくれないのですかぁぁぁぁ――――!!」


 ザクリ! ザクリ! ザクリ! ザクリ! ザクリ! ザクリ! ザクリ! ザクリ!

飽きもせず、確認するかのようにリレーションにも同じ事を行うが、何の反応も返ってこない。当たり前だ。久遠が壊して、意識がそう簡単に戻るわけがない。

 なのに、スクリームは何度もその刃を突き刺す。


「――――ろ」


 そのイカれた非日常に。


「――めろ」


 異常な獣と化しいていた男が。


「やめろ!!」


 理性を取り戻す。


「何してんだよ!? それはお前の仲間じゃねぇのかよっ!!」


 久遠の必死な叫びに、ピタリとスクリームの行動が止まった。


「仲間? 何を馬鹿なことを。この方たちは同志ではありますが、仲間ではありません。利害が一致していれば同じ行動を取りますが、それに反すれば互いに自らの欲求を満たすために行動するだけですよ。多分、今この場にいるのが、リレーションでもコレクターでも同じ事を言うでしょう。あぁ、その先は言わなくて結構です。何故そんな異常なことが躊躇いもなくできるのか? 決まっているでしょう。楽しいからです。それがなくては死んでしまうからです。たとえ、それで人が死んだとしても、それは私たちにとってなくてはならないものなのです。わかっていますよ。殺人がいけないことなんて。ですがね。私たちの楽しみを追求すれば人は死ぬのです。そして、勘違いして欲しくはないのが、私や他の人たちも人が死んでも構わないなどの鬼畜ではありませんよ。むしろ、普通の人間という自覚すらあります。私たちだって誰かが死ねば悲しみますし同情もします。ですが、それらが霞むぐらい、私たちは楽しみたいのですよ。この人生を!!」


 そして、スクリームは血にまみれた日本刀の切っ先を久遠に向ける。


「だから、私はあなたに問いましょう。人は楽しむためにはどこまでのことが許されると思いますか? 考えてもみてください。この娯楽都市ができて、確かに娯楽性は高まりました。禁欲の結果の反動がこの娯楽都市なのです。しかし、私たちは満たされない。この程度では全く満たされないのですよ! どこにいようと何をしようと何時だろうと私は悲鳴を聞きたいこの衝動をどうすればよいのですか!? 代替すら利かないこの私の心が叫ぶのです! 悲鳴という音楽を聴いていたいと!!」


 恐ろしいほどの自己主張であり、自己中心的な考え。

 しかし、双六は少なからず彼の言った言葉に多少の共感を覚えてもいる。

 楽しむためならば、どこまでのことが許されるのか。

 基本的なことを言えば、それは法により、時代の移り変わる常識により、人によって制限をされている。

 しかし、どうしたってそれは完璧ではない。完全でもない。完成でもない未熟なシステムでしかない。その網の目を掻い潜り、禁制と呼ばれたものに手を出すその人たちは確かに罰せられなければならない。いや、罰せられる運命にある。

 だが、根っこのところでは同じなのだ。


 ただ楽しみたいだけ。


 それが、どこまでの行為を許しているのか。許されているのか。

 アクセルを踏むのか、ブレーキを踏むのかの違いしかないのでしかない。

 その答えを、双六は――未だ持っていない。


「……ようやくわかった。最初は、お前と双六が少し似ていると思ったんだけどな。どうやら俺の勘違いだったようだ。お前と双六は根本的なところが全然違う」


 ただ怒りしかない久遠の瞳が、スクリームを睨みつける。


「悲鳴が聞きたいから人を殺してもかまわないだと……。っざけんな!! そんなモンのために人を殺していいわけがねぇだろうが!! お前がやってんのはただの犯罪だ!!」


 指を差す久遠はさらに続ける。


「俺の周りにいる連中は、確かに娯楽娯楽言っている奴らばっかだけどな! お前みたいに誰かを不幸にして笑う奴なんざいねぇーんだよ!!」

「久遠さん……」

「楽しむためならば、どこまで許されるか教えて欲しいってか。じゃあ、教えてやるよ。お前の楽しみは、ここで終わりだ。お前のやってることは迷惑なんだよ! うぜぇんだよ! 邪魔なんだよ! むかつくんだよ! だから――俺がぶっ壊してやる!!」


 余りにもまっすぐな久遠の心の中の叫び。

 だが――残念ながら。残念ながら。久遠の言葉にはある綻びがあった。

 双六は他人の不幸を笑わないのではない。

 ルールが違うから他人の不幸を求めることがないだけだ。

 双六が求める楽しさは、追求すれば人間そのものにある。

 そのため、人間がいなくなることを何よりも嫌う。狐島やマークだってそうだ。彼らなりのルールがあって、その中で娯楽を追求する道楽者であり開拓者なのだ。

 それを、久遠は理解できない。恐ろしいまでに——すれ違う。


 ――だからこそ、僕は久遠さんが大好きだ。


 理解できぬ存在は久遠だけではない。双六もまた、同じように久遠を理解できない。

 だから、理解できない人間がいることが双六は何よりも――嬉しい。


「なるほど。それがあなたの答えですか。私が狂っているのだとすれば、あなたは真性の異常なのでしょう。それも取り返しのつかないレベルでね」


 人間として狂ったスクリームと、人間として異常な久遠。

 交わろうとすれば反発し、繋がろうとすればこじれる二人の答え。

 だから、


「私は、自らの欲求を満たすために、あなたの悲鳴を聞いてみたい」


 だから、


「もうお前は喋るな。癇に障る」


 久遠とスクリーム。二人が完全な戦闘態勢に入った。

 その静かに緊迫する雰囲気の中、二人を見守っていた天野が、


「賽ノ目君。いいんですか。久遠さんはさっきとは様子が違うようですが?」


 コレクターとリレーションを撃破した時と大分様子が違うことを懸念する。


「大丈夫ですよ。何度も言いましたが、僕は久遠さんのことを心配したことなんてありませんよ。いいですか。これが最後の最高に楽しい瞬間です。瞬きしないでくださいね」


 しかし、双六は久遠に絶対な信頼を寄せ、何もしない。

 そして。

 久遠とスクリーム。

 二人が何の合図もなく。

 同時に。一歩を踏み込む。

 スクリームは居合いをする形で刀を抜き。

 久遠は右手でスクリームを殴る形で特攻する。

 遠目で見ていると、よくわかる。

 完全にスクリームの間合いに久遠が入っている。

 真っ二つ、もしくは、切腹コースまっしぐら。

 時間がゆっくりと流れる――多分、今なら一秒が一分に感じることだろう。

 スクリームの顔に喜色の面が付けられる。

 勝利を確信――否、悲鳴を確信したのだろう。

 油断もせず、慢心もせず、今までの中の経験から逃れられないことを知っている顔だ。


 ――だから、甘いというのに。


 久遠がスクリームの刀が触れるその刹那――地面が踏み砕かれた。

目の前で見ていたら、スクリームは久遠が消えたように見えたことだろう。

 遠くから見ているはずの双六でさえ、見失いそうになったのだ。

 これから、双六の時間が正常に戻る。

 雷が落ちたかと思うほどの轟音が鳴り響いたかと思った次の瞬間には、別の音が倉庫の端から聞こえた。交通事故にあったような、人がぶつかったような耳に残る嫌なグシャリとした人間が壊れた音。

 スクリームが……久遠から十数メートル離れた倉庫の壁に張り付いていた。

 というか、めり込んでいた。

 何をどうしたらなんてわからない。あるのは結果だけ。

 ピクピクと反射で動いているが、間違いなく意識が壊れている。

 スクリーム、リレーション、コレクターの三人。

 時間にすれば十分にも満たないのだろう。

 そのたった十分で久遠は、殺人倶楽部の全てをぶち壊した。完膚なきまでに。

 傷一つ負うこともなく、その異常性を見せ付けた。


「ねぇ、天野さん。何で僕が久遠さんを心配しないか知ってますか?」

「え……?」


 何を言い出すんだろう? そんなことを言いたげな天野。


「まぁ、見ての通りなんですが、それ以上に、久遠さんの力って基本人間離れをしているんですよ。殺人倶楽部の三人は人間ですが、久遠さんは――獣みたいなものです」


 獣。

 そう形容するのもどうかとは思うが、それ以上に合う表現が見つからない。


「根こそぎ壊すだけの現象のような獣ですよ。それは天野さんも見たことでしょう」


 コレクター、リレーションを壊したときの久遠がまさにそれだ。


「ですがね、僕が最も楽しいと思うのは《獣》の久遠さんじゃないんですよ。最後の、スクリームを殴り倒した時の久遠さんです」


 スクリームを殴る前。獣のような久遠はなりを潜め、理性的な人間に戻っていた。


「人間としての《知性》と《獣》のような力を持ったのが、久遠さんです。知性をなくした獣なんて恐れるに足りません。そんなものは、ただの狩られる対象ですよ」


 そう。ただの、獣ならば何も恐れることはない。そして、ただの人間ならば恐れるに値しても、絶望には値しない。

 久遠はスクリームに切られる瞬間、一気に加速するという獣ではありえない知性を使い、知性ではありえない獣の力を持って――道具を持つ人間を圧倒した。


「僕はこう思うんですよ。人間にもし進化の道があるならば、次に向かう先は久遠さんのような人間になるんじゃないかって」


 知性を持つために獣を捨てた人間が、進化の先で知性という力を持って、さらに獣という力を獲得できれば――それは、もはや、進化だ。人間はあまりにもフィジカルが貧弱に過ぎる。純粋な力では犬にすら劣るような弱さでしかない。

 なのに、それをあっさりと体現している久遠を見ると――


「羨ましいんですよ。僕は。妬ましいとも言いますけど」


 嫉妬。双六が久遠を見て感じる――最大の感情。


「僕は、どうしようもなく《普通》の人間です。力もなければ知性も足りないただの人間です。久遠さんが僕を変態だと称しますが、所詮はただの道化です。本物の前では圧倒的にかすむ程度のおどけた道化ですよ」


 嫉妬に焦がれ、その炎に焼かれながらも、あまりにも眩い光を求めてしまう。

 悲しいまでに、追いつくことが不可能なその背中をずっと見てきた。

 双六は、久遠を心配しない。する必要もなく、する気もない。

 もしも、あんな殺人倶楽部に負けるようなことがあれば、久遠もただの人間なのだろうが、そんなことはありえない。

 異常というのは――ただ、そこにあるだけで異常なのだ。


「……それを聞いて私にどうしろと?」

「いえ? ただの独り言ですよ。僕はただの面白みもない普通の人間だってことです。そうですね。まぁ、今はただ祝おうじゃないですか。この事件の破壊という結末をね」


 そう。この坂月が死んで始まった、事件の結末を祝う。

 探偵もいなければ、犯人もいない。

 いたのは、異常な獣、狂った殺人者たち、天才の少女、愛に狂った少女、巻き込まれただけの少女、何のとりえもない普通の少年たちが、互いに互いを誤解し、互いに互いを理解しようともせずに起こった、つまらない事件。それがようやく壊れただけなのだ。

 解決でなく――壊れただけ。

 誰も彼もが得るものはなく、失っただけの事件。

 この事件に名前をつけるとしたら、生前、坂月が言っていた名前をつけようと思う。


『ポイント殺人事件』


それを壊した、一人の獣は倉庫の天井を見上げて、呟く。


「あー。少し、スッとした」


 何とも締まらない一言で。

 この事件は終幕した。

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