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例えば時計が左に回ったとして
それを、「天変地異」と定義づけることは出来るだろうか。
時計が左に回る。
2時の次は、1時。
自分の手で回すのでなく、自然に回って、
それを奇妙に思わなければ、
それを定義づけることは出来ない訳で。
つまり、
「まだ2時か、お昼まであと二時間もある。」
「今日も時計は左回りね」
「反時計回り、即ち右回り」
そうなれば、ごくごく自然な答えとなる。
かと、言っても。
今と、その状況を比べれば、おかしなこととなる訳で。
今から考えれば、それは戻ることになるのか、進むことになるのか。
これは、人が死ぬとどうなるのかに、少しだけ似ている。
死んで、無となれば、時間は戻っていることと同じ。
今、そこに考えが無く、一つひとつが消えていく、そんな状態。
死んで、例えば転生するとすれば。
つまりそれは、時計が左に回ることをおかしいと思うのと同じで。
一つ無くなったもの、プラスして今からのこと、そのいうこと。
時間を戻したい、なんて思っている内はプラスなんだ。
どんなに後悔して、どんなに足掻いても、
それは、プラスなんだ。
私が、いつか、あの時を忘れた時。
きっと、時間は戻ったんだ、悲しいね。