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短編集  作者: 篶-suzu-
53/86

愛しい君よ、永遠にさようなら!

「サヨナラが再開の約束」なんて嘘に決まってる。


だって、日本語には「またね」っていう言葉があるのだから。




人はみんな言い訳を考える。


僕もいつも言い訳を考える。


正当化、利己的、狡賢くて騙し合ってるから。


そして人は自分に無いものを欲しがる。


だから僕も自分に無いものを欲しがる。


正直者、優等生、真っ白で素直を求めて。




それが悪い、訳じゃないけど、


後付けをどんどん入れてしまえば、先に入っていた、求めていたはずの素直さが消える訳で、


思ったことを口にすれば、変人のレッテルが、強制的に貼られる訳で。


こうやって人は、妥協し貫き形成する。


その人が、集まり作り積み重なることで社会は出来上がる。



小さな社会が、起き固まり競うことで世界は構築されていく。




その中で、新しい人はまた形成されるのだ。







新しい人が出来るということで、世界は自分自身を壊さないように、古い人を亡くしていく。



新しい人は自分の住処を作るために古い社会を消していく。



新しい人が作った社会のために、古い世界は表皮を新しくする。




そして、進歩か退化か分からないけれど、


人は次々に新しく生まれる。


人は次々と消え去っていく。








もしも「さよなら」に「またね」の意味があったなら、それは人類の進化だと僕は思う。



つまり、先を見越す力、定型的なものが見えているのだから。





逆に、退歩でもある。



僕たちが求めた“まっさらなひと”とはかけ離れているのだから。









それを踏まえて、僕は思う。



ミクロの視点で人は進歩し、マクロの視点で人は退歩しているけれど、


人はとりあえずどっかに歩いてて、少なくとも「またね」を覚えていると。




だから人は、言い訳を考える。


進むために。


そして、僕もまた…

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