どんと うぉおりぃ、ぷりず。
最近の僕はなんとなくおかしい。
それは、本調子ではない、ということではなく、
また何か異常をきたしている、という訳でもなく。
「昔に逆戻りって感じかなぁ」
雲が太陽より遠く見える空に、一人呟いた。
ゆっくりと、しかし確実に僕に痛みを与えている僕の体質。
所謂、偏頭痛というものと付き合い始めて、もう10年になるだろうか。
痛みは激しく変動し、治らないことが苛々する上に、これは病気ではない。
一度もなったことの無い人にとってみれば、奇言に過ぎないのだろうけれど、吐き気すら催すそれに抗うにはやはり薬に頼るしか無い為、結果として僕の毎日は薬漬けになるのである。
まぁ、他にも薬は飲んでいるのだが、法的に危ないものだけは飲んでいないことを念の為忠告しておくとして。
ねぇ、君達は、とある宗教では自分の苦しみこそが相手の幸せになる、なんて唱えていることに疑問を持っていないかい?
僕は持っているんだ、だって僕の行動全てに意味を持たせることは難しいと思うから。
例えばさ、極論だけど、誰かが死んだら絶対に他の誰かが喜ぶ、なんてことは無いでしょ?
ニアイコールにはなっても、絶対的なイコールにはならないって思うんだ。
まぁ例えが極端過ぎて不謹慎かもしれないので宗教の方に話を戻すけどさ。
そもそもその宗教の言う苦しみって要するに我慢のことだと思うんだ。
だとすれば、その考え方は実に日本的だけど、果たして他人の幸せに繋がったからと言ってそれは自分の幸福追求に意味を持たせることは出来るのだろうか。
人の幸せを考えていない訳じゃないけど、君たちだって、そう思うこと無い?
まあ実際、君がどう思っていても構いやしないんだけどね?
なんとなく、その思想に疑問を持っただけなんだよ、うん。
話は変わるけどさ、こういう論破知ってる?
「お金が一番大事なら、大事過ぎて使えないな」っていう、某サイトでやってたやつなんだけど、僕はそれにひたすら感動しちゃって。
お金について、考え込んでしまった訳ですよ。
そもそも、僕自身はお金に執着してる気は無いけどさ、一般人並みに得したい気持ちは持っているんだよ。
でもそれってさ、使うことが前提になってる訳じゃん?
大事にも程度差があるってことを改めて気づかされたのですよ。
つまり何が言いたいって、僕は要約するのが苦手なんだけど、論破って格好いいよね、って話。
時間的にそろそろ最後かな。
だらだらとごめんね、こんな駄文。
因みに暗号とかは含まない、本当に単純な文なんだけど、さてさて、僕は何が書きたかったのだろうか。
答えは無いよ?




