第10話
小さくイヤイヤと首を振り、視線で司に抗議したけれど司はそんな私の反応を心得ていたみたいで、悪戯っ子みたいにニヤリと笑った。
「なに恥ずかしがってンです? 課長の場合、両手が塞がっているから仕方ないじゃないですか」
「で、でもぉ……」
「あー、い~な~」
周囲の目線を気にした私は、恥ずかしくなってもじもじしているのに、一緒に居た琴美は素早く反応して羨ましがった。
「あー、じゃあ良かったらそっちと交換しますか?」
「うん!」
琴美は貰った紅いキャンディーを返すと、代わって司が手にしていたオレンジのキャンディーをぱくりと咥えた。
琴美……貴方、司から『餌付け』されているの……判ってる?
私の『退き』の視線を気にせずに、司から構って貰ったと思っているのか、琴美は凄く嬉しそう。
「課長の分は、ここに載せておきますね?」
「え? え、ええ……ありがと」
司は琴美から交換奪取した紅いキャンディーを、私の持っていたトレーの上に載せた。
「じゃあ、僕はこれで失礼します」
「え……ええ」
「おいひぃ~、ひらかひゃん、ありあとー」
司は誰にも気付かれないように素早く私にウインクを遣すと、司のサービスに感激した琴美にもニッコリと愛想笑いを浮かべてその場を立ち去った。
私はランチを載せているトレーを両手で持ったまま、その場に立ち尽くしてしまった。
意識している心算は無いのだけれど、自然と頬が熱くなる。
い、今の……今のは確かに司が計算したこと……なの? 私に紅い方を渡そうとして、ワザとあんな事をして琴美の気を惹いて……?
* *
「ね? 彼があの『峠の日高』って呼ばれている本人に見えた?」
私は琴美とランチを摂りながら、さり気無く予防線を張っておくことにした。さっきの司からは、とても走り屋だと断定出来る要因は見い出せ無かった筈だもの。
「ん~、そうなのよねー。でもさ、私の知っているドライバーの人も、普段はおっとりとして居て、全く『それ』らしい所を見せない人が多いのよねー」
「ハンドル握ると性格が変わるとか?」
「うん、そう。それに、この辺りで『日高』の姓は地元には無いしね。今でも彼は限りなく黒に近いグレーだわ」
コーンスープをスプーンで上品に飲みながら、琴美はまだ司が『シロ』だとは判断出来ないと言い切った。
「ところでさぁ、今の彼って中途採用じゃなくて新卒よね?」
「ええ」
「あー、じゃあ、私とは三歳年下なのね~」
「それがどうしたの?」
意味深な琴美の言葉に何か引っ掛ってしまう私。琴美とは同期で同い年だから、三歳空き……は、私にも当て嵌まる。
だけど、やっぱり三歳年下の彼って『ナシ』なのかしら……?
司は私との付き合いを遊びくらいにしか思っていてくれないのかな……そう不安に思っていたら、琴美から意外な提案が……
「今の彼が恵理の部署に居る彼で間違い無いよね?」
「それがなにか?」
「彼……私に紹介してくれないかしら?」
「ぐ? ……けほ、けほ、けほ……」
とんでもない頼まれ事に、私は飲んでいたお茶に咽て咳込んでしまった。
一体何を言い出すかと思ったら……
でも、流石はスカウト経験者。狙いは正確だし、なかなか見る目を持っているわ。だって、琴美が覚えていた車種と、アマとは言えレース慣れしていた連中を振り切って逃走したと言っていた状況……これはもう、どう考えても司しか居ないでしょう?
単純に嬉しいと思うべきか、困ったヤツねと思うべきか……微妙だわ。
「ね? どう?」
「げほっ……あ、あのね……私は『彼氏』の斡旋は遣っていないわ。それなら私の方がお世話して貰いたいくらいよ。第一、プライベートな事まで、上司だからって関知するような事じゃないでしょう? なんなら今度は琴美が直接話し掛けてみれば良いじゃないの? もう初対面じゃないでしょう」
「直接話し掛ける勇気を持っているのなら、もうとっくに遣ってるわよ。彼、さっきは凄く優しそうだったけど、案外そう言う人に限って、スケベでだらし無くて性格キツイって噂で聞くもの」
「紹介してって言う割には……なんだか物凄い言い様ね?」
『スケベ』って所だけしっかりと言い当てられちゃっているけれど……少なくとも私よりも生活はだらしなくは無いし、性格も普段は結構優しくて良い人よ?
私の放置対応に、琴美は頬を大袈裟に膨らませて拗ねた。その琴美の視線が、私のトレーに置いてあった、さっきのキャンディーに注がれる。
「あれ? 恵理はまだ食べないの?」
「うん? ああコレ? 今はお腹一杯だから、午後のデザートに取っておくわ」
トレーの隅っこに司が置いて行った、棒付きキャンディー。自分で食べれば良いものを、わざわざ私の所にまで持って来てくれたのね。
私はそっと棒の部分を摘んで手に取ると、クルクルと指先を遣って回転させてみた。
光に透かせると、鮮やかに赤く反射するキャンディー。じっと見詰めていると、子供の頃によく食べていた懐かしい頃の思い出が蘇って来そうな気がする。
たった一本のキャンディーなのに、何だか食べちゃうのが勿体無く思えて来てしまった。