目という窓
毎朝目を開けると、世界が広がる。赤いものは赤く、青いものは青く映り、手前のものと奥のものの距離感もわかる。私たちは当たり前のように三次元の世界を認識しながら日々を過ごしている。
しかし最近、その「当たり前」が少しずつ揺らいでいる。社会人になりデスクワークが増えてから、視力の低下を感じるようになった。画面を長時間見つめ、遠くのものがぼやける瞬間、自分の目がいかに繊細で、そして有限な器官であるかを実感する。普段は意識すらしない「見る」という行為が、実はとても精巧なシステムの上に成り立っているのだと気づかされる。
ところで、目を持つ生物は人間だけではない。犬は色盲で、世界を青と黄のトーンで見ていると言われる。蛇には可視光を捉える目とは別に、赤外線を感知するピット器官があり、温度の差として世界を「見て」いる。昆虫の複眼は、一つひとつが独立したレンズの集合体で、広い視野をまるでレーダーのように使いこなす。それぞれの生物が、それぞれの方法で外側の世界を確認しているのだ。
ここで一つの問いが浮かぶ。もし世界が三次元ではないとしたら?
物理学では、私たちが知覚できない余剰次元の存在が議論されている。そう考えると、ある生物は人間よりも少ない次元しか認識できないかもしれない一方で、人間には見えない次元を感知できる生物がいるのではないか、とふと想像してしまう。その次元が何なのかは、私にはわからない。時間の流れ方が違う何かなのか、空間の折り畳まれた部分なのか、それとも私たちの言語では表現すらできないものなのか。
目は、世界を見るための窓だ。しかしその窓の形や大きさは、生物によってまったく異なる。
そして地球上のどこかに、私たちとはまるで違う窓から世界を眺めている生き物がいるとしたら——その生き物の目に映る景色を、私はどうしても想像せずにはいられない。




