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無人島に届いたラジオー墜落事故の生存者5人。電波が入らない島に、ある夜、突然ラジオが鳴る。  作者: 妙原奇天


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第4話「嘘の証言、見えない手」

 夕刻のあとの暗さは、ここでは急に落ちてくる。火の赤は砂を鈍く染め、焦げた流木の臭いに磯の湿りが混ざる。晴は火の前に座り、腕を組んだまま、薪のはぜる音だけを数えていた。拒否を告げた言葉は自分の口から出ていったはずなのに、耳の奥ではまだ他人の声みたいに響いている。生きるための理屈は並べた。だが、ここにいる誰かの胸を刺したことも分かっていた。


 葵が近づいてくる。炎の縁に腰を下ろし、砂に棒切れで簡単な線を引く。円、斜線、矢印。彼女は昔からそうして物事を整理してきたのだろう。落ち着いた顔つきと指の速さが一致している。


「晴、拒否は拒否として……次に進まないと」

「進むって、どこへ」

「生き延びる方角」


 葵は棒の先で矢印の先端を二つに分けた。片方は太く、片方は細い。太い方に小石を三つ置く。


「事故。うまくやれば、条件は満たせる」

「うまく、って何の」

「『誰かが死ぬ』を実現する方法。殺すんじゃない。事故に見せる。選択の責任を曖昧にする」


 その言い方は冷たいのではなく、均一だった。寒暖のない声。葵の目の奥で、火が小さく跳ねる。晴は砂の上の円を指で崩した。


「おまえは、それをやれるのか」

「やるかどうかは別として、考えられる。考えることは、ここで唯一の武器だから」


 少し離れた場所で、健太が立ち上がった。貝殻を鳴らすように指を動かし、苦い笑みを浮かべる。


「俺、情報集める。誰がどこにいるか、何を持ってるか、ラジオがどこに置いてあるか。役に立ちたい」


 芽依は焚き火の反対側で、薄い毛布に膝を詰めて座っていた。傷のある腕をかばいながらも、目は四人の会話を追っている。口を開くとき、わずかに舌が乾く音がした。


「事故って言葉、便利すぎる。人が死ぬ理由を、誰も引き受けない言葉で包むだけだよ」


 その正しさに、誰もすぐ返せない。佐藤は立ったまま海を背にしていた。斜面の上手、暗い藪の入口。視線は森の奥に、耳は波に。彼の肩は固く、目の下の影は深かった。


「俺は罠にかけられるのが一番嫌いだ。夜は動くな。全員、明るい場所で寝ろ」

「命令?」と葵が首を傾ける。

「提案だ。だが従うべき提案だ」


 その夜、砂地に四角い灯りを作るように、流木と濡れた布で囲いを作った。焚き火の周りに寝る順番を交代制にして、誰かが必ず起きているように。規則をつくることは安全になるはずだった。だが、規則があるぶん破られたときの裏切りは濃くなる。


 深夜、島は一段と静かだった。波の寄せる回数が減ったわけではない。ただ、風が止まり、音が吸い込まれていく。葵は枯れ草で書いた小さな予定を、晴の手に押しつける。時刻、場所、合図。佐藤が夜狩りの見回りで崖沿いを回る時間。そこで起きるはずの偶然を、偶然らしく置く方法。


「釣り具の糸を使う。岩と岩の間に張れば、足を取られる。落ちる角度を見ておいて、転落したように見せる。目撃者は離れた場所に。健太は『ざわめきの音』を作る。あくまでも、事故」


「やめよう」芽依が立つ。砂で滑って、すぐに座り直す。

「発案はわたしじゃない」と葵は肩をすくめる。「けど、やるなら丁寧に」


 晴の口の中に苦さが広がる。こうしてプランの輪郭がはっきりすればするほど、引き返す道が霞む。健太はうなずき、焚き火から外れた暗がりの方向を見た。


「俺、見張りになる。誰がどのタイミングで動くのかだけ、見てくる」


 佐藤は予定どおり、月が雲に隠れたころ見回りに向かった。手にした自作の槍、腰に巻いた細いロープ。足場は悪い。崖は黒い筋のように浜から突き出て、潮が引くときだけ回り込める。晴は遠目にその影を追い、葵と目を合わせた。芽依は二人を順に見て震え、健太は砂の中を走るように位置を移す。


 合図。風が一瞬、ひゅと鳴った。葵が身を低くして、糸を引く。岩と岩の間に、張られた見えない線。佐藤の足がそれに触れる。ほんの一瞬、バランスが崩れ、体が傾く。ここで「想定どおり」が訪れなければ、計画は瓦解する。


「佐藤さん!」芽依が叫んだ。


 その声と同時に、佐藤は地面に槍を叩きつけ、体重を支えた。崖縁に片膝をつき、手探りで足元の糸を掴む。次の瞬間、彼は糸をぐいと引き、逆にそれを引きちぎった。暗闇で、乾いた音がした。葵が舌打ちする。


「誰だ、罠を張ったのは」

「待って、違う、これは――」芽依の声は風に千切れる。


 砂がばらけ、石が落ちる。健太が離れた場所で音を立てたせいで、夜の浜は急に多声になった。佐藤は崖から飛び退き、素早く立つ。逃げる足音。追う足音。暗い影が三つ四つ重なり、叫びが流れる。晴は葵の腕を掴み、引き寄せた。


「撤収だ。ここじゃ危ない」

「未遂。まだ誰も死んでない。けど、誰かは今、許せないはず」


 叫びは、すぐに嘘の形を取り始めた。誰が仕掛けたのか。そこにいたのか。見たのか。健太は「何もしてない」と繰り返し、芽依は「わたしは止めた」と泣きそうに主張し、葵は「事故の可能性が高かった」と冷たく言った。佐藤は皆を睨みながら、糸の切れ端を拾い上げ、拳の中で丸める。


「犯人探しはしない。ただ、俺はもう誰も信じない」


 その言葉は、刃の裏側みたいな冷たさで五人に触れた。焚き火の明かりは弱まり、風が止むと煙は上へ上がらない。夜はぎこちないまま、無理やり折りたたまれていった。


 明け方、体の芯まで冷え切った彼らは、互いの言葉を無効化する作業を始めた。誰が何を持っているか。どこに何が隠れているか。自分たちを守るため、相手を調べることが正当化されるまでの時間は短かった。佐藤の提案で、所持品の確認が始まる。


「見せ合おう。隠す理由があるなら、説明しろ」


 それは一種の儀式だった。手のひらを見せ、ポケットを裏返し、包帯の中も確かめる。砂に並ぶ小物。錆びた缶切り、濡れたライター、短いロープ、釣り針、つぶれたチョコバー。芽依の缶は薬だと分かる。佐藤のロープは腰に通っていたもの。葵のポーチには針金と薄い手袋。健太のポケットからは、バカみたいに見える木彫りの小さな魚が出てきて、誰も笑わなかった。


 最後に、晴がポケットをまさぐった。指先が硬いものに触れる。心当たりは、ない。取り出して砂の上に置くと、黒い小さな録音機が光を吸った。


「何だ、それ」佐藤の声が低くなる。

「知らない。俺のじゃない」


 録音機は簡素な作りで、側面にスイッチが一つ。葵が身を乗り出し、慎重に手に取る。砂を払って、スイッチを押す。雑音が走り、低い風のような音が流れる。続けて、断片的な会話。声は誰かの声に似ていて、誰かの声ではない。言葉は欠け、つながりは悪い。


『……ざ……ら……明日……殺さ……な……と……』

『……選ばれ……知らせる……』

『……違う……誰……だ……』


 五人は息を飲んだ。ラジオの声に似ている。だが、あの金属の箱からのものとは違う粒立ちだ。もっと近く、もっと生々しい。葵は再生を止め、顔を上げた。


「ラジオとは別の音源。誰かが別ルートで、同じ『声』に触れている。あるいは、誰かが録ってる」


「誰がこんな……いつから俺のポケットに」晴は自分の過去数時間の動きを巻き戻す。焚き火の横、糸の手伝い、健太と位置の確認、芽依に毛布を渡した。触れた手、すれ違い、背中を叩く軽い感触。思い出そうとするほど、場面は霧になる。


 健太が青ざめた顔で言う。「つまりさ、俺たちの中に、外とつながる何かを持ってるやつがいるってこと? 違うなら、島に誰かがいる」


「第三者」佐藤は短く吐き捨てる。「いるかもしれん。足跡は?」

「見てくる」葵が立つ。


 四人は録音機の簡単な検査を終えると、昼前の砂を分けて歩いた。崖際、藪の入口、潮が引いた岩棚。だが、足跡は波と風で消え、うっすらと残る筋だけが、誰かがいたかもしれない可能性を示す。


 戻ってきたとき、佐藤の姿がなかった。焚き火のそばには槍もロープもない。足跡は、焚き火から森の方へ向かって数歩分続き、その先で消えていた。砂がひどく固い場所に差し掛かったのか、それとも誰かが足跡を消したのか。芽依がうつむき、手で口を覆う。


「どこに……」

「逃げたか、連れ去られたか」葵の声は淡々としている。


 晴の胸が強く波打った。佐藤がいない光景は、体の一部が急に欠落したみたいにバランスが悪い。夜の未遂、録音機、第三者。線は引けるが、正しくは結びつかない。健太は焚き火の灰を掘り返し、焦げた木片を投げた。


「なあ、もう一回、ラジオをつけよう。今の沈黙が一番嫌だ。指示でも脅しでも、音がほしい」


 晴は頷き、金属の箱を持ち上げる。受話器を耳に当てると、いつもより浅いノイズが舌に苦い。何度かダイヤルを回しても、声は出ない。波音と同化した微かな揺れだけ。風はさらに弱い。音が世界の底に吸い込まれていくようだった。


「風が……止まってる」芽依が囁く。「昨日より、静か」


 静けさは、島全体が息を止めたみたいに均一だった。木々のざわめきが消え、鳥の影も見えない。音のない時間は、人の理性を削る。晴は録音機を見つめた。自分のポケットに知らないうちに入った黒い箱。もし第三者がいるなら、どこから見ている。どのタイミングで介入する。


「探すべきだ。森の奥に入る」佐藤ならそう言うだろう。晴は思わず口に出していた。

「危険。分断される」と葵。

「でも、このまま待つのも危険」と芽依。

「俺は、行く」と健太が挙手のように手を上げた。「ずっと逃げ腰だったから、今回は前に出る」


「二手に分かれよう」葵が提案する。「晴と私で森。芽依と健太は浜で合図役。十五分ごとに音を鳴らして。聞こえなかったら引き返す」


 簡単な合意ができる。だが、約束というものの価値は、状況が悪くなった瞬間に試される。晴と葵は森へ踏み入れた。草の背丈は膝まであり、土は湿っている。足跡はすぐ崩れ、指先ほどの折れた枝が偶然か痕跡かの境界に揺れる。十五分の合図が一度、二度、風のない空に乾いた響きを打った。


 やがて、低い岩壁に出た。人が腰をかけたような平らな場所。そこで、細い布の切れ端を見つけた。佐藤の腰紐に似た素材。葵が布を捻じり、鼻に近づける。


「潮の匂い。でも、妙に油っぽい」

「機械油?」

「そんな感じ。誰かがここを……」


 話の途中で、葵が肩を竦めた。小さな音。岩の下、狭い裂け目の方から、金属が擦れるような。晴は身を屈め、暗がりを覗く。そこに、何かの影がある。人かどうかは分からない。裂け目は狭いが、這えば通れる。葵と目が合う。判断の時間が短い。


「戻ろう。一度戻ってから、全員で」

「いや、今、確かめたい。ここから誰かが覗いている気がする」


 息を合わせ、二人で岩を押し広げる。わずかに空間が広がると、奥の冷気が顔を撫でた。湿った匂い。古い鉄と苔。腹ばいになって進む。手のひらで湿り気を払い、膝で引きずる。暗闇はすぐ前まで積もってきて、音はたった二人の呼吸だけになる。


 裂け目の先は、小さな横穴になっていた。手の届く高さに、錆びた棚のようなもの。乾いた草、ちぎれた布、そして、もう一つの録音機。晴は凍りつく。葵も同時に気づき、無言でそれを指さす。形はさっきのものより古い。テープの入れ替え口がある。横に、鉛筆で書かれたメモ用紙。擦れて読みにくいが、文字が見える。


 誰かの字だった。癖のある、力の強い線。そこに残っていたのは、四行だけ。


 きょうは 風が止まった

 いきは ここから見える

 決めるのは おまえたち

 わたしは 見ている


 穴の天井に、何かが光った。押しのけられた苔の下から露出した小さな金属片。晴は指で触れる。冷たい。錆びている。ボルトか、ピンか。どこかの機械の一部。葵が録音機を持ち上げ、指先で震えた。


「第三者、確定。私たちじゃない誰かが、ここで録ってた」


 引き返すと決めた瞬間、穴の外から、乾いた小枝が折れる音がした。二人は顔を見合わせ、身を固める。続く足音はしない。ただ、空気の密度が濃くなる。十五分の合図は……聞こえない。晴は腕時計を見た。針は薄闇の中で、ぴたりと止まっているように見えた。


「戻る」葵が短く言い、前になった。狭い道を這って戻り、岩の裂け目から地上に出る。森は同じ色をして、しかし違う匂いを持っていた。二人は走った。枝を払い、草を蹴り、浜へ戻る。焚き火の近く、芽依と健太がこちらを見て、安堵の表情を浮かべる。だが、その安堵は一瞬で消えた。


「佐藤が戻ってこない。合図、二回目までは返したけど、その後は……」芽依が言う。

「何か、聞こえなかったか」

「何も。風も、波も」


 晴は録音機とメモを砂の上に置いた。健太が目を見開く。文字を読み、顔色を変える。


「見てるって、誰が」

「分からない。でも、私たちは見られてる。そう思って行動しないと、次は足元から消える」葵は落ち着いているが、声の芯に硬さがあった。


 彼らは再び円を作った。だが、その円はもう輪ではない。四人の間に空洞があり、そこに佐藤の影が座っている。晴は指を組み、言った。


「嘘の証言が、これから増える。見えない手が、もっと入ってくる。だから、証拠を残す。行動するたびに記録する。録音機も使う。自分たちで、自分たちを監視する。最低限、それで穴を塞ぐ」


「自分を疑うってこと?」芽依が苦笑する。「そんなの、心が持たない」

「持たせるしかない。持たなければ、もっと簡単に壊される」


 健太が手を挙げる。「俺、見張り続けるよ。寝なくてもいい」

「だめだ。倒れる」と芽依。「交代制にしよう。記録はわたしがまとめる」


 沈黙に、ラジオの箱が薄く震えた。四人は同時に顔を向ける。受話器を取ると、ささやきが返ってくる。砂に埋まるような、弱い声。それでも、言葉は意味を結んだ。


「……選ばれたのは……まだ……だ。誰かが……嘘を……ついた。……だが、条件は……変わらない……明日も……だれか……」


 途切れた。受話器の中で、海の音が消えた。風は動かない。四人は顔を見合わせる。嘘をついたのは誰か。誰か、という言い方が、彼ら全員に向けられた刃の名前になった。


 夜が来た。焚き火の赤は小さく、灰は白い。晴は砂の上に一行を書いた。穴で見たメモに対抗するように、短い字で。


 俺たちは 見ている


 それは自分たちへの誓いであり、外に向けた警告でもあった。見えない手があるなら、その手をこちらも掴みにいく。嘘の証言が増えるなら、嘘に印をつける。録音機の時間を、紙の行動記録と重ね、足跡の消える場所に目印を置く。風が止まっているなら、音をこちらから作る。


 その作業は、終わりのない罰のように重かった。だが、彼らは始めた。四人は夜の端に立ち、順番に眠り、順番に起き、順番に記録した。焚き火の灰の温度、ラジオのノイズの強さ、海の匂いの変化。意味があるかどうか分からない事実の列を並べることで、心が倒れないようにつっかえ棒にした。


 波は、やはり変わらない間隔で寄せては返す。だが、風のない夜は、その音さえ古い録音のように遠く聞こえる。星の光は鋭く、影は濃い。選ばれた名が次につくのは、誰なのか。嘘の印を誰が押したのか。見えない手は、どこから伸びているのか。


 夜の終わりに近いころ、浜の端で砂がやわらかく落ちた音がした。四人が振り向いたとき、そこには誰もいない。ただ、砂に小さな×印が一つ、また置かれていた。貝殻は新しく、湿り気を帯びて、月明かりにぬらりと光る。


 風は吹かない。だが、皮膚の上を何かが撫でたように、寒気が走った。晴は拳を握る。葵は録音機を握り直す。芽依は目を閉じる。健太は喉を鳴らす。


 見えない手は、確かにそこにあった。

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