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無人島に届いたラジオー墜落事故の生存者5人。電波が入らない島に、ある夜、突然ラジオが鳴る。  作者: 妙原奇天


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第3話「最初の光景――火の前の拒絶」

 夕刻の光が砂を薄く焦がし、空気は磯の匂いを濃くした。波はいつもの律動で浜を洗い、だがその単調さがかえって不穏を際立たせる。五人は火の周りに散らばり、影が長く伸びては消える。晴は火に顔を向けて座っていた。掌に温もりはなく、薪の弾ける音だけが彼の耳を満たす。選ばれたという紙片の重みが、胸の中で小さな石となって凝っていた。


 芽依がそっと晴の手を取る。指の先は冷たく震えていた。「お願い、やめて」声は擦り切れた糸のように細い。彼女の目には徹夜の疲労と、眠れない不安が滲んでいる。晴は手のひらを差し出す力もなく、ただその視線を受け止めた。彼女の願いは震える祈りに近く、それが届かないことを二人とも恐れていた。


 佐藤は秩序を口にする。「ルールに従え。今われわれが作ったルールだ」言い方は単純で強い。彼は戦場を知る男のように、事態を数字と手順で抑え込もうとする。だが、その声はどこか揺れていた。自分の提案が本当に公平かどうか、彼自身にも答えがなかったのだ。葵はそれを見透かすように微笑み、計算の歯車を回す。彼女の目は常に先を見ている。どうすれば情報が武器になるか、どうすればルールを自分たちに有利に動かせるかを考えている。


 健太はばつの悪い笑いを混ぜながら、身を縮めた。「俺はさ、嫌だよ。誰かが死ぬのを見るのは」しかし彼の顔には、同時に生き残りたいという焦りが現れている。人間は矛盾の塊だ。笑顔と恐怖は同じ顔の裏表で、彼はその両方を隠そうともしない。


 火の光が揺れる。晴は静かに言った。「俺は拒否する。自分の命を自分で絶つなんて、できない。誰かの手で奪われるのも望まない」彼の声は低く、しかし確かなものだった。周囲の空気がギクッと鳴る。芽依は歓喜と失望が混ざった表情で彼を見る。「でも、どうして。私たちは決めたじゃない」佐藤は鋭く返す。「決めるのと、実行するのは別だ。責任というのは、言葉だけで消えない」


 晴は目を閉じ、ゆっくりと呼吸を整えた。「だから代替案を出す。俺が死ぬのも、俺を殺すのを待つのも嫌なら、ルールを満たすために別の方法を取ろう。誰かを直接選んで殺すんじゃない。状況を作って、そこに“死に至る道”を置く。つまり、誰かが選ばれて、結果的に死ぬ仕組みを外的に作る。強制じゃなくて、選択の余地を残すように見せかけるんだ」その言葉に、一瞬の静寂が落ちる。波の音さえ遠くなるように感じられた。


 葵の瞳が鋭く光る。「要するに、誰かが自らの意思で死なざるを得ない状況を演出するわけね。倫理的にグレーだが、論理的には成立する」彼女は魅入られたように続ける。「人は極限まで追い詰められると、自己保存と倫理のバランスが崩れる。情報の与え方で行動を誘導できる」その口ぶりに、佐藤は唇を引き結んだ。芽依は顔を覆い、健太は目を伏せる。


 話し合いはいつしか討論になり、討論は告白へと滑り落ちる。人は追い詰められると、理屈ではなく血肉の過去を晒してしまう。佐藤は不意に視線を落とし、戦地のことをほのめかした。「俺は……人を殺した。生き延びるために、選択を強いたことがある」その言葉は重く、浜の空気を割る。芽依は震えた。「そんなことを……」彼女の声は震える花のようだ。葵はにがく笑い、曖昧に肯く。「人の手を汚すのは簡単よ。正当化の仕方は山ほどある」


 芽依は医者としての良心を震わせる。「医療倫理では、患者を見捨てることは原則として許されない。だけどここは例外かもしれない」彼女の瞳には抵抗と疲労が混ざる。健太は過去の裏切りを告白した。「俺は昔、仲間を見捨てたんだ。今でも夢に出る。だから怖い。俺がまた誰かを裏切るんじゃないかって」その告白は五人の関係を一瞬温めるかに見えたが、同時に弱点を曝け出すことで他者に利用されうる脆弱性も示した。


 告白が続くほど、互いの信用は薄皮一枚の網のように露出する。信頼を得るための告白が、逆に相手を制しうる材料に変わる。夜は深まる。火はやがて薪を吃いつくし、冷たい海風が肌を刺す。誰も眠れず、五人はそれぞれの過去と可能性を刳りながら朝を待った。


 夜明け前、空は灰色の帯を呈し、潮の匂いが鋭くなる。晴は立ち上がり、波打ち際へ向かった。砂に足跡を残すと、波がその輪郭をすぐに消す。彼は後ろを振り返り、五人の顔を見た。「ルールを変えよう。殺しの“実行”を誰かに押しつけるんじゃない。俺たちがやるべきは、選択を迫る状況を作ることだ。具体的には、資源の分配を条件にしたり、脱出手段を差し止めることで一時的に『生かすための代償』を提示する。選ばれた者が自分で決断する余地を残しつつ、結果的に誰かが命を失う可能性が生まれる。俺はその道具にはならない。だが、提案はする」言葉は冷静だが、内には揺れがある。


 佐藤は鋭く反応する。「つまり、倫理的には薄氷の上に立って、運命を仕組むということか。お前は自分を守りたいだけではないのか」晴は静かに首を振る。「違う。俺は自分で死ぬことを拒否した。だけど誰かの死は絶対に嫌だ。だから可能な限り、選択の余地を尊重しつつ結果を生む方法を探す。それが現実的だと思った」芽依は嗚咽を漏らす。「そんなの、ただの誘導よ。私たちは人の尊厳を奪うつもりなの?」彼女の問いは正しく、答えは容易に出ない。


 葵は冷笑を含めて言った。「尊厳なんて言葉、ここでは贅沢品よ。だがおもしろい。どれだけ説得力があって、どれだけ人を動かせるか。心理操作が成功すれば、手を汚さずに条件は満たせる」その口ぶりはプロのそれで、背筋が寒くなる。健太は小さく呟く。「俺はやだよ……でも、どうすればいいかもわからない」その率直さが、逆に決断の重みを増す。


 太陽が薄く昇り始めると、浜は凍りついたような静けさを取り戻した。五人は寝不足の瞳で互いを見つめ、言葉を紡ぐ。この議論は彼らの内面を引き裂き、同時に結びつける。誰もが自分ができることとできないことを測り、線を引こうとする。だが線はいつも曖昧だ。倫理の境界線は潮のように移ろい、かすかな風で崩れる。


 晴は最後に言った。「俺は行動の主体にはならない。だが状況を作る提案は出す。ただし、誰かを manipulative に追い詰めるようなやり方は拒否する。選択は本人の手に残す。どうしても抵抗する者がいれば、別の道を探す」その言葉は譲歩にも聞こえ、逆に新しい緊張を生む。芽依は目を赤くしながら頷き、佐藤は歯を食いしばる。葵は微笑みを消さず、健太は顔を伏せる。


 選択の時は近づいている。浜に残るのは焼け残った灰と、五人の足跡と、まだ消えない焚き火の熱だけだ。彼らは知らない。次に訪れる光景は、どれほど人の魂を刻むか。握られた小石がどこへ投げられるのか。選択とは道標であると同時に断罪の槌でもある。日の出が完全になると、四方の海が白く光り、五人の影が一つずつ長く伸びた。決断の秒針は確実に動き、やがて、それが落ちる。

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