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無人島に届いたラジオー墜落事故の生存者5人。電波が入らない島に、ある夜、突然ラジオが鳴る。  作者: 妙原奇天


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第2話「選ばれた名と小石の投票」

 朝は静かに始まった。潮の匂いが薄く、空は昨日よりも白っぽく澄んでいる。だが五人の間の空気は張り詰め、焚き火の灰の上に小さな緊張が降りているようだった。佐藤が木の棒を握りしめ、現実的な調査の提案を切り出す。「ラジオが嘘なら放置すればいい。余計な混乱を招くだけだ」 声は低く、無駄を削いだ刃物のように冷たかった。芽依は診察用の包帯を指先で弄りながら反論する。「でも、ストレスで傷が化膿したり、判断力が落ちたりする。集団の精神状態を無視できない」 医療的な観点は、彼女の不安を裏取りする正当な言葉になった。


 葵は砂を蹴り、遠くの波を見ながら言葉を継ぐ。「情報は武器。ラジオが与えた『選択』そのものを利用できないか。相手が条件を突きつけるなら、こちらもルールを作る」 その眼差しには計算があった。健太は間に入るように笑ってみせるが、笑顔の奥で眉が降りる。達観しているようで、やはり怖がっている。晴はその輪の中心に立ち、自然とリーダー的な調子になる。「公平に見える方法を取ろう。投票にしないか。誰が選ばれるかをみんなで決めるんだ」


 投票。言葉は一見合理的に聞こえた。多数決は古くて単純な正義の機構だ。だが人間の心は数の背後にある暗い部分を映す鏡でもある。彼らは浜の小石を集め、紙片を切り、名前を書いた。紙を折り、小石と一緒に箱へ入れる。誰もが一つだけ石を投じる。投票という行為が、どれほどに残酷な決断を平然と日常に落とすかを誰もまだ実感していなかった。


 芽依は震える手で紙を畳み、唇を噛んで箱へ入れた。佐藤は無表情に投じる。その背中に、計算された冷静さが貼りついている。葵は周囲を鋭く見回してから、わずかに笑ったように見えた。健太は冗談を垂らしつつも、彼の手は決して滑らかではなかった。晴は一番最後に箱へ入れた。五つの影がゆっくりと揃う。それはもうゲームではなかった。


 結果は割れた。過半数に達しない。再投票となる。砂の上に立つ彼らの顔が、昼光の中で映る。風が箱の角を吹き、紙切れの端を震わせる。二度目の投票で、あらかじめ見えなかった重みが紙に刻まれた。僅差で決まった一つの名前。晴。彼がその名前を見たとき、時間が一拍止まったように感じた。目の前の風景が一瞬、油絵のようににじむ。選ばれたという事実は、誰の顔にも重さを与えた。


 怒号が上がる。取り消しを求める声、抗議、説得、哀願。芽依は泣きそうに顔を伏せる。葵は冷たい声音で「数字が出た」とだけ言う。健太は声を詰まらせながらも、「何かの間違いだ」と繰り返す。佐藤は拳を握りしめ、無言で空を見上げた。晴はただ、箱の蓋を押さえたまま沈黙した。理由は複雑だった。リーダーであること、責任を取るべきだという無言の圧力、そして無意識に誰かを疎外していた事実。集団の論理はいつも冷たい。


 日が落ちる前、ラジオはまた震えた。ノイズのあと、機械じみた声が断定的に告げる。「明日、春野晴は選ばれた。決定の日時は夕刻」 言葉は平然と事実を宣告する。空気が急に重くなった。風が止んだように感じ、波がいつもより穏やかに浜を撫でる。選ばれた者の表情と、選ばなかった者の視線が交錯する。信頼は小刻みに亀裂を生み、外側に見えていた関係の皮膜がはがれていく。


 夜、五人は距離を置いて座った。火を中心にした輪は形だけの共同体を保つが、中身は分断されていた。佐藤は計画を練る。「最悪のケースを想定する。自殺という選択は本人の意志に委ねる。他殺の合意はあり得るか。国語の時間の倫理の問題みたいだが、ここは倫理より生存だ」 芽依は顔を上げ、震える声で言う。「誰かを殺すことを決めるのが、どうして私たちなの? 私たちにその権利はあるの?」 葵は皮肉めいた目で答える。「権利じゃない。選択の代償だ。受け入れるか拒むかで、皆が死ぬか生きるかが変わる。そういうゲームを仕掛けられたら、ルールに乗るか壊すかだよ」


 健太は静かに手を組み、二人の間を見つめる。「誰かが押しつぶされるのは見たくない」と彼は言った。その言葉は小さく、誰にも届かなかったように思えた。晴は火を見つめながら、自分の内側を探る。自分が何を守りたいのか。名前、記憶、仲間、それともただ生きている事実。彼の中に答えはない。だが選ばれたことは彼の身体に確実に物理的な重さを置いた。


 深夜、誰もが眠れずにいた。各自が過去の場面を反芻し、自分の行為の意味を確かめていた。晴は一人、海辺を歩いた。月光が砂に銀の筋を作る。彼は貝殻の×印を見つめ、指先でその輪郭を辿る。貝殻は冷たく、ざらついている。選ばれることの倫理が彼の胸に食い込み、吐き出す言葉を持たない。海は無言で、しかし正直だった。水面は嘘をつかない。


 翌朝、彼らは「条件」を突きつけられるよりも先に、自分たちで線引きを始めた。晴は言った。「俺は……自分で決めたい。誰かに殺されるのを待つのは違う。だけど、自殺にすら誰かの同意が要るのかもしれない。俺は選ぶよ。どう選ぶかは、まだ言えない」 その言葉に佐藤が絡みつく。「自己犠牲の美学はもう要らない。冷静に、効率的に、やるべきことをやる。感情は後だ」 芽依は言葉を詰まらせ、葵は眉を寄せ、健太はぶるぶると肩を震わせる。


 昼を過ぎた頃、五人は小さな儀式のような合意を取り交わした。合意は紙切れに書かれ、火にくべられることはなかったが、そこには署名の代わりに幾つかの条件が並んだ。互いに暴力を振るわないこと。外部からの強制がない場合、自己決定を尊重すること。拒否が出た場合の代替案を一つは用意すること。だが合意は脆い。書かれた言葉は砂粒のように風で消えかねない。


 夕刻が近づくにつれ、島の光景は鋭く輪郭を得た。太陽の角度が低くなり、影が長く伸びる。ラジオは待ったなしのように静かだった。周囲の生き物たちがいつもと違うリズムで動き、五人の胸の鼓動を増幅させる。晴は椅子代わりの流木に腰掛け、最後の決断を思案する。彼の手は震え、しかし表情は落ち着いて見えた。誰かに操られるのではなく、自らの意思で幕を引こうとしているように見えた。


 夕刻、再びラジオの声が島を貫いた。言葉は淡々として、しかし絶対的だった。「本日の決定に従って処理を行う。晴、夕刻に指定の場所へ来い」 その瞬間、何かが崩れた。空気が振動し、五人の間にあった最後の拠り所がぱりぱりと割れる音がした。芽依は膝を抱え込み、葵は目を見開く。佐藤は怒りを飲み込み、健太は目をそらした。晴は立ち上がり、ゆっくりと海を見た。


 「俺は行く」と彼は言った。言葉は冷たくもなく、熱くもなかった。ただ事実を告げる声だった。「でも、待ってくれ。最後まで話し合おう。選ぶという行為が、誰かを断罪することにならないように」 五人は互いを見た。彼らが信頼を取り戻すには、言葉だけでは足りない。行動が必要だ。だが行動はいつだって痛みを伴う。


 夕暮れの風が、砂と髪を撫でる。ラジオのノイズが遠くで小さくうなる。選ばれた名を背負って晴が浜を歩くと、その足跡はすぐに波に消された。彼らの決断はまだ終わっていない。だが世界はすでに決定を刻み始めていた。誰が殺され、誰が生き延びるのか。その答えを生むのは、ラジオの声か、彼ら自身か。夜は重く、明日はもっと重い。

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