発動条件:100
街の夕暮れは、柔らかい橙色に染まっていた。
冒険者ギルドの扉を押し開けると、喧騒と笑い声が耳に飛び込んでくる。
木の床を踏みしめながら受付に向かうと、昨日と同じ女性職員が微笑んで迎えてくれた。
「おかえりなさい、神谷さん。討伐報告ですね?」
「はい。ゴブリン十体、それと……なんか変なやつも倒しました」
「変なやつ?」
「たぶん、“ゴブゴブリン”ってやつです」
一瞬、受付嬢の目が見開かれた。
「えっ!? 本当ですか!? 確認しますね!」
彼女が慌てて端末――ではなく、水晶のような装置を操作する。
しばらくして、ぱっと顔が輝いた。
「ありました! 『ゴブゴブリン討伐』は、上位者向けの隠し依頼に指定されています。
それを討伐した場合、報酬が追加で支払われます!」
「マジですか」
「はいっ、通常の銀貨二枚に加えて、金貨一枚が加算されます!」
金貨。
この世界に来て初めて見る“輝き”だった。
受付嬢が差し出した袋の中で、重みを持って光るそれを見た瞬間――
ようやく、努力が報われた気がした。
「ありがとうございます!」
「本当にすごいですよ。Fランクでゴブゴブリンを倒したなんて、前例がありません」
周囲の冒険者たちもざわつく。
「マジかよ」「あの新人、ゴブゴブリン倒したらしいぞ」
そんな囁きが背後から聞こえた。
透は照れ隠しのように頭をかきながら、金貨を懐にしまい込む。
その夜。
透は宿屋の一階の食堂にいた。
目の前には、豪華な料理が並んでいる。
焼き立ての肉、濃厚なスープ、ふかふかのパン。
これまで草と実とスライムゼリーで飢えをしのいできた男には、あまりにもまぶしい光景だった。
「……幸せって、こういうことを言うんだな」
頬が緩む。
肉の旨味が口いっぱいに広がるたび、思わず涙が出そうになる。
――そんな中、隣のテーブルの会話が耳に入った。
「なぁ、聞いたか? 近くの山に“ドラゴン”が出たらしいぞ」
「ドラゴン? 嘘だろ」
「いや、マジだ。北東のカルド山岳に住み着いたって話だ。
村が一つ焼かれたらしい」
「……あれは災害級だ。ゴブリンなんて比じゃねぇ。
討伐ランクで言えば、最低でもA級クラスのパーティじゃないと無理だぞ」
“ドラゴン”という言葉に、透の手が止まった。
ゴブリンの百倍以上の戦闘力を持つ、災害級の存在。
人々が逃げ出す対象――それがドラゴン。
だが、透の中で、別の考えが芽生えていた。
(……数値を、100に調整して攻撃すれば……倒せるんじゃね?)
馬鹿げた発想。
けれど、彼はこれまで“常識外れ”を二度も体験している。
スライムも、ゴブリンも、そしてゴブゴブリンさえも――“100”の瞬間に木端微塵にした。
ならば、相手がドラゴンでも、条件さえ満たせば……。
「……やってみる価値はある、か」
食事をたいらげ、透は宿の部屋へ戻った。
装備を確認する。
ゴブリンナイフ、まだ切れ味は十分。
革鎧は少し破けていたが、布を縫って補修した。
「……明日、行くか」
窓の外には、静かな夜の街。
空を見上げると、月が丸く光っていた。
――この世界の月も、地球のそれと変わらない。
なのに、心はまったく違う方向を向いている。
彼はベッドに横になりながら、そっと呟いた。
「俺のスキル……“発動条件”は、100……だよな?」
翌朝。
透は街のあちこちを歩き回っていた。
行商人、兵士、鍛冶屋、宿屋の客――。
片っ端から話を聞き、ドラゴンの情報を集めた。
どうやら、カルド山岳の中腹あたりに巣を作っているらしい。
ブレスの威力は圧倒的で、岩をも溶かす高熱の炎。
直撃すれば、骨すら残らないという。
そして鍛冶屋で、透は“火耐性付きの軽鎧”を購入した。
全財産のほとんどを使い切ったが、後悔はなかった。
「ドラゴンとやり合うなら、これくらいは要るよな」
赤銅色に光る鎧を身につけ、鏡の前で拳を握る。
この瞬間だけは、少し勇者になった気分だった。
準備を整えた透は、一度森に寄った。
目的は、能力の“数値調整”だ。
ウィンドウを開くと、特殊能力欄の数値は――
――「0」
「……やっぱり、朝になるとリセットされるのか」
昨日の戦闘で“100”まで溜まった数値は、眠ることでリセットされるらしい。
ならば、再び上げ直すしかない。
「よし、行くか」
透はスライムを探し、狩り始めた。
一体倒すごとに数値が上がっていくのを確認する。
おそらく、攻撃の回数か、もしくは命中率のようなものに連動しているのだろう。
何体目かのスライムを倒したとき、ウィンドウを開く。
――「90」
「……よし、ここまで上げれば十分だ」
息を整え、視線を山へ向ける。
遠くの地平に、灰色の峰々が並んでいる。
その頂上付近――黒煙が立ち上っていた。
あれが、カルド山岳。
そしてその煙の主が、目標の“ドラゴン”だ。
山岳地帯に足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。
熱気。焦げた土の匂い。
遠くから、低いうなり声が響く。
「……いるな」
透は岩陰に身を潜めた。
目の前の崖の上、巨大な影が羽を広げている。
赤黒い鱗、蛇のような瞳、尾の先からは炎が漏れていた。
圧倒的な存在感。
まさに“災害”そのものだった。
「……あれ、勝てるのか?」
一瞬、心が折れかける。
だが、ここまで来た以上、引き返す理由はない。
透は深呼吸をし、ステータスウィンドウを開いた。
――特殊能力欄の数値:「99」
「……あと一撃、これで“100”だ」
棍棒ではなく、ゴブリンナイフを構える。
風が止まり、空気が静まり返る。
ドラゴンがゆっくりと首をもたげた。
その瞳が透を捉える。
――ゴオオオオッ!
咆哮。
山全体が揺れる。
炎が吐き出され、岩壁が溶ける。
「くっ……!」
転がるように回避。鎧が焼け焦げる。
立ち上がりざま、距離を詰め、刃を振り下ろす。
「――これで、決まれぇっ!!」
ゴブリンナイフが閃く。
空気が震え、時間が止まったような感覚。
……だが。
何も、起きなかった。
「……え?」
ドラゴンの瞳が光る。
次の瞬間、灼熱のブレスが放たれた。
透は咄嗟に飛び退き、地面に身を伏せる。
背後で岩が砕け、爆風が巻き上がった。
「はぁっ……はぁっ……なんで、発動しない……!」
ウィンドウを開く。
特殊能力欄の数値は――確かに、「100」。
だが、何も起こらない。
昨日までの爆発的な威力も、光も、衝撃もない。
「嘘だろ……なんで……!?」
ドラゴンが再び口を開く。
熱風が肌を焼く。
透は、必死に足を動かして逃げた。
山の斜面を転げ落ち、岩陰に身を隠す。
心臓が喉から飛び出しそうだった。
「……条件は、100じゃなかった……のか?」
息を荒げながら、透は呟く。
恐怖と疑問と焦燥が入り混じる。
視界の端で、ドラゴンの影が再び動く。
――炎が、空を裂いた。
透は歯を食いしばりながら、地を蹴った。
「くそっ……何なんだよ、このスキル……!!」
夕陽に照らされながら、逃げる彼の姿は小さく揺らめいていた。
そして、山の頂に立つドラゴンの咆哮が、世界に響き渡った。




