第1話 普通の女の子
青い空、白い雲。肌を優しく撫でる心地よい風。冷たくてざらざらした地面。まるで厳格な揺りかごのように、私の周りを囲む岩々。
すべてが美しく見える。まるで初めて世界を見た新生児のように、目に映るものすべてが新鮮で、輝いていて、心を奪われる。
私の体は今、全身が血で濡れている。それでも、どこにも傷はなく、痛みもない。まるで血の湯船に浸かったかのようだった。
その血さえも、私の汚れなき目には美しく映る。異常なほど濃く赤くて、雪のように白い私の肌と強烈なコントラストを成している。
こんなに大量の血を見たのは初めてなのに、嫌悪も恐怖も感じない。暑くもなく寒くもない。
唯一感じるのは――高揚感。この世界には、まだ見ぬ何かが溢れている。そんな気がした。
どうして、こんなことになったんだろう?
* * *
「先輩、好きです!」
「え? ごめん、君はあまりタイプじゃないんだ。」
「えっ……どういうこと?」
「うーん……君って、ちょっと地味だから。」
「そっか……時間取らせてごめんね!」
……最悪じゃない? やっと勇気を出して、ずっと好きだった人に告白したのに、フラれた。しかも、見た目のことまで言われた。
……今日、一日が終わった。
私は星野八重花、16歳。好きだった男の子に、バッサリと断られました。ま、せめて放課後に言ってよかったよね。
このまま家に帰って、ゲームでもして気を紛らわせよう。
……スンッ、スンッ……
だめだ、今は泣けない! 私は強い女の子なんだから! フラれたくらいで涙を流すなんてありえない!
……んぐっ!
知ってるよ、自分が地味で普通すぎるってことくらい、バカ!
ずっと友達として一緒にいたのに、結局は見た目で拒絶されるなんて……なにそれ?
私は昔から、周りと比べてずっと普通。勉強も苦手だし、授業の内容もよくわからない。性格も暗めで……。
顔も特別かわいくないし、体型も目立たないし、趣味も女子っぽくない。
……マイナスばかり。それでフラれたってわけ。そりゃ、好かれるわけないよね。
こういう時、大人たちは決まって言うんだ。「努力すれば変われる」って。でも、そんな簡単な話じゃない。
勉強だけじゃなく、運動だってダメ。前にダイエットしようと頑張ったけど、全然成果が出なかったし。
むしろ日焼けで肌は黒くなっちゃうし、シミまでできる始末。
……こんな私、誰が欲しがるの? 結局、ゲームと漫画に囲まれて、ひとりで生きていくんだろうなぁ。
……とにかく帰って、なんかゲームしよ。癒されたい。
通学路はやめとこう。目が赤いかもだし、誰かに会ったらめんどくさいし。
線路沿いの道を通ろう。子どもの頃、友達と「秘密の近道」って言って使ってた道。
もう夕方。赤い夕陽がまぶしくて、目にしみる。昔はこの景色が好きだったけど、今は見る気にもなれない。
……なんでこんなに傷ついてるんだろう? あんな男の意見なんか、気にする必要ないのに!
……でも、やっぱり悲しい。もうちょっと優しくしてくれてもよかったじゃんか。
レディへの接し方を知らないなんて、あいつバカすぎ。明日こそ、文句言ってやる……いや、顔見るのもちょっとつらいかも。
もう会わない方がいいのかな。だって、きっとまた心が痛くなる。
見た目で拒否されたってことは、つまり私は最初から恋愛対象にならない運命だったってこと?
……ゲームと漫画に囲まれた静かな生活も悪くないかも。でも、やっぱり……恋愛もしてみたい。
もし私のすべてが変わったら――性格も、体も――魅力的に見えるのかな? いや、それってもう私じゃないでしょ?
ダメだ、そんなふうに考えちゃ。男のために自分を変えようだなんて、間違ってる。私はまだ若い。まずは自分の人生をちゃんと生きなきゃ。それから恋愛のことは考えよう。
……でも、それにしても……フラれるのって、やっぱり、つらいよ。
「……スンッ……とりあえず帰ろ。明日の問題は、明日の私に任せるってことで! きゃあっ!?」
決意を新たにした、その瞬間――私は線路につまずいて、顔面から金属に突っ込んだ。
「あうぅ……」ゆっくりと起き上がって鼻を押さえる。「これ……血? イタタ……でも、骨は折れてなさそう。」
立ち上がって制服のほこりを払い、鼻血をハンカチで拭き取る。
「もっと気をつけないと……! しっかりして、八重花! 前を見なきゃダメでしょ!」――悔しさから線路を蹴飛ばす。「全部お前のせいだよ! いきなり現れやがって!……あれ?」
線路の上に足を置いたとき、不思議な振動が伝わってきた。……え、もしかして、電車?
いやいや、それはない。ここはずっと使われてない廃線だよ。子どもの頃、友達とここ通ってたし。
……でも、待って。線路ってもっと先の方じゃなかったっけ? 橋の近くにあったはず……まだ林の手前のはずなのに?
……なにこれ、どういうこと?
金属の振動がどんどん強くなる。振り向くと、強烈な光がものすごい速さでこっちに迫ってきていた。
電車? いや、音がまったくしない。それにこの光、強すぎる!
「ぎゃあっ!!」
急いで線路から逃げようとしたけど、足が引っかかって転んでしまった。足が線路に挟まって抜けない!
「ま、まってまってまって! やだ、やだやだやだ! 来ないで――!」
私は目をぎゅっと閉じて、衝撃に備えた。
……でも、衝撃は来なかった。体に何の痛みもない。怖さに震えながらも、ゆっくりと目を開ける。
* * *
目を開けると、そこに線路はなかった。後ろにあったはずの街並みも、もうどこにもない。
空を見上げると、まぶしい光が視界を刺す。
太陽? ……さっきまで夕方じゃなかった? 今はもう、真上に太陽があって――どう見ても昼の光。
え? なにこれ? さっきのって、夢だったの? でも夢だとしたら……私は昼間に学校で寝てたってことになるけど、今はどう見ても森の中。
……いや、これは夢だ、きっとそう!
ヒューゥゥ……
「さむっ!!」
なんでこんなに寒いの!? 今、夏だよね? 寒すぎて思考が止まりそう……とりあえず、ジャージ羽織ろう。
ここがどこかわからないけど、一つだけ確かなことがある。
――これは夢じゃない。
さっきぶつけた鼻はまだズキズキするし、少しだけど血も出てる。……夢の中でここまで感覚があるはずない。しかも、ここはどう見ても日本じゃない。
だって、今は日本の真夏のはずなのに、この寒さは冬の始まりレベル。それに、さっきまで日は沈んでたはずなのに、今は昼。
……つまり、私は「いるはずの場所」にいないってことになる。
まさか……あの電車みたいなのに轢かれて、どこか外国に飛ばされた? オーストラリアとか?
いやいや、そんなのありえない。そんなの、アニメだけの話でしょ。
……あれ? アニメ?
ま、まさか、今流行りのあれ!?【異世界】ってやつ!?
な、ないないないない! そんなはずないし、もし仮にあったとしても、なんで私みたいな地味で陰気な女子がそんな目に!?
異世界転生って、明るくて元気で、やたら正義感の強い人がなるんじゃないの!?
どう考えても、私が主人公になる世界線なんてないよ。ありえない。
……私は読む側でいい。ゲームして、アニメ観て、そういう世界を楽しむだけで充分。
とにかく、まずは周りを確認して、状況を把握しよう……
……無理! 私、完全に迷ってる!!
方向感覚ゼロの森の中で、どう動けばいいかわからないし、枝に頭ぶつけたり、足がもつれて転んだり、クモの巣が髪に絡まったり、坂道を転げ落ちたり……。
そのせいで、体中キズと泥だらけ。
もう、街が恋しい!!
「ここ、どこなの……?」
落ち込んで、しょんぼりと頭を下げる。
「私……帰れるのかな。お父さん、お母さん、弟……ごめんね。ここが私の墓になるかも……」
……って、なに考えてるのよ!
とにかく人を探さなきゃ! もしくは、人の痕跡でもいいから!
そう思い直して、またまっすぐに歩き出す。今度は転んだり、クモの巣に引っかかったりしないように慎重に。
「ピリス・バグン・ラティマ……」
「ガラ・アリトゥマ……」
……声?
少し遠いけど、間違いない! 人の声だ!
私は声の方へと全速力で駆け出した。よかった、誰かに会える……!
「きゃっ!」
……走りすぎて、木の根に引っかかって道に転がり出てしまった。恥ずかしい……でも、すぐに立ち上がる。
目の前に止まったのは、荷馬車のようなもの。そこから、剣を持った男が二人、降りてきてこちらに近づいてくる。
こういうの、外国の映画とかでしか見たことない。ってことは、これ……本当に異世界なの?
「すみません、迷子になってしまって……助けていただけませんか?」
そう声をかけるけど、二人の男は私の言葉に反応せず、値踏みするような目で私を見ていた。
……なに、このイヤな感じ。
「ラスバティア・ソリ・アブデル?」
長髪の男が、隣の男に何かを尋ねる。もう一人は、無言で頷くだけ。
喉の奥がギュッと締め付けられるような不安感。私はそっと視線をずらし、彼らの後ろを見る。
荷馬車は三台。最後尾の一台は大きな布で覆われているが、その隙間から鉄格子のようなものが見えた。
……やばい。これは、関わっちゃいけないやつ。
そう思って後ずさろうとしたその時、もう一人の背の低い、髭面の男が近づいてきた。あからさまに嫌そうな顔をしている。
「パリト・ゴゾ・カスム・ザナバ!? ジヴェノ!!」
怖い声で怒鳴られる。……なに言ってるのか、全然わからない。
今まで読んできた異世界モノだと、主人公って現地語をなぜか理解できるのが定番だったのに……。
でも、よく考えたら当たり前か。言葉も文化も違えば、そりゃあ通じるわけない。
……今は刺激しない方がいい。彼の顔、めっちゃ不機嫌そうだし。
「ご、ごめんなさい……何を言ってるのか、わたし――」
言いかけて、もう一人の男と目が合った。その顔は、まるで……夜道で変なおじさんにジロジロ見られた時と同じ、いやらしくて不快な視線。
……ああ、この違和感の正体、それだったんだ。
「す、すみません……やっぱり他を当たりますっ――」
私の言葉は、ビンタで吹き飛ばされた。
「ぐっ……!!」
「グラヴェ・スリエル、バスト・アグス!」
立ち上がって逃げようとしたけど、髪を掴まれて持ち上げられ、さらに腹に一撃。吐き気がこみ上げ、胃の中のものを吐いてしまう。
「ガハッ……!」
「ランク・パスル!」
命令のような口調で長髪の男に何かを言うと、私の体を持ち上げて、布で覆われた鉄格子の馬車へと運ぶ。男が扉を開け、中に放り込まれた。
「ディフ・ガルバ、ソウル・カドゥズ!」
ガチャン、と音を立てて扉が閉まり、また布がかけられる。足音が遠ざかるのが聞こえるけど……耳がズキズキして、よく聞こえない。
顎が痛い。耳も鳴ってる。体を起こせず、丸くなってお腹を抱えるしかできない。
……ふざけんな、このクソども!!
なに勝手に連れてってんのよ!?
完全に油断した。甘く見てた。もっと警戒すべきだったのに。
物語と現実をごっちゃにしてた……本当に、バカみたい。
……こんなの、異世界転生じゃない。
せめて、謎の声とか、突然覚醒するチート能力とか……期待してた私がバカだった。
……これから、どうすればいいの……?
お腹の痛みが少し和らいできたので、ゆっくりと体を起こして周囲を確認する。
鉄格子の中には、私を含めて四人。
疲れきった目をした子ども
第1章:普通の女の子
(…todo o conteúdo anterior permanece igual…)
鉄格子の中には、私を含めて四人。
疲れきった目をした子ども、やせ細ってピクリとも動かない大人の男性、そして丸い動物のような耳を頭に持つ、髪の短い女の子。
……ケモ耳……! 普段ならテンション爆上がりする要素なのに、今の状況じゃ喜べない。
この男の人……動かなすぎじゃない? いや、それどころか……周りにはハエが飛んでるし、体はカラカラに痩せこけてて、胸も上下してない。
……死んでる。
匂いはしない。たぶんさっき鼻血を出したせいで、嗅覚が鈍ってるんだ。
今それを気にしてる場合じゃない。とにかく逃げる方法を探さないと。
私は覆い布の端をつかみ、外の様子をこっそり覗こうとした。
「バーツァード!」
「いったっ!」
荷馬車の横を歩いていた男に見つかって、指を鉄格子に思い切り叩きつけられる。
布を手放して後ずさる。くそっ……これ、鉄の檻じゃん! 叩かれたから痛いんじゃなくて、指が格子に挟まれて痛かったんだ。
ちらっと隣を見ると、女の子も子どもも、私に不安そうな顔を向けていた。
……まあ、余計なことして怒らせた私のせいだよね。
くそっ、バッグを取られたのが悔しい。ハサミとカッターが入ってたのに。あれさえあれば、多少は抵抗できたのに。
女の子の手元に目をやると、彼女はボロボロの服を着ていて、手錠をかけられていた。首には、奇妙なタトゥーのような印。
子どもも同じだった。
……わかった。
この人たちは、誘拐されたんじゃない。
売られるんだ。奴隷として。
この世界に、まだ奴隷制度があるのなら……確かに、私は狙われてもおかしくなかった。
森の中で、言葉も通じず、武器も持たず、一人ぼっちの不審な少女。
まさに、「カモがネギ背負って来た」ってやつ。
話し合おうとしても、言葉が通じないんじゃ意味がない。情報収集もできない。
私は……
すごく……疲れた……。
ちょっとだけ……背もたれに寄りかかって……
……少し……寝よう……
バキィン!
大きな衝撃音に驚いて目を覚ました。あまりの音に思わず跳ね起きると、同じ檻の中にいる二人から警戒の眼差しを向けられた。
……今の音、何? 馬車が止まったの?
目隠しの布があるとはいえ、今まではまだ外の光が少し見えた。でも今は真っ暗。何も見えない。まるで世界から光が消えたみたい。
外では誘拐犯たちの声が聞こえる。チラチラと揺れる光も見える。たいまつだろう。もう夜か。都会暮らしの私には、こんな真っ暗闇なんて慣れてない。
「ねえ、誰か! 誰か助けて!」
――わざと騒ぎを起こして、誰かが扉を開けた隙に飛び出す。そして森の中に逃げ込めば、きっと見つからない。夜の闇は私の味方。
「おーい!!」
「ガピッツ!!」
来た! あの背の高い男の声だ。こっちに向かってきてる! 扉が開いた瞬間、突き飛ばして逃げる!
> ガチャッ
「ガピッツ!オニウ──?」
瞬間、私は男に飛びかかる。だが力で押し返され、逆に腹を殴られて吹っ飛ばされた。
馬車が揺れ、隅にあった死体がゴトリと倒れる。
「うぅっ……!」必死で立ち上がろうとするが、その男が近づいてきて──
バシッ!バシッ!バシッ!
「ぐっ……ッ! ぎゃっ! がはっ!」
何度も蹴りを叩き込まれ、息もできなくなる。
荒く呼吸をしながら、男は私の顔を見下ろして嫌悪に満ちた顔をする。そしてゆっくりと視線を下に向け、私の脚を見つめながら──舌で唇を舐めた。
この野郎……まさか……!
しゃがみ込んで、私のジャケットを掴むと、引き裂いて放り投げた。
「やっ……! なにしてるの!? やめて!!」
私の手首を押さえつけ、制服のボタンを次々に引きちぎる。お腹が露出し、寒さと恐怖で体が震える。
「きゃああっ! やめて! お願い、誰か……助けて!!」
必死に隣の女の子に助けを求めるが、彼女はただ目を逸らすだけだった。
……嘘だ。嘘でしょ? こんなの、夢に決まってる。お願い、終わってよ、こんなの!
「離して!!」
叫ぶ声を封じるように、男は私にキスを押し付けた。舌をねじ込もうとしてくる感触は、ただただ気持ち悪くて、吐き気がした。
脚に手が這い、無理やり開こうとしたその瞬間──
「ガピッツ!! ガンドゥ・ファラド・マッサー!!」
髭の男が怒鳴るように叫んだ。
「チッ……」
男は私を放し、扉を乱暴に閉めて檻の外へ出て行った。
……もう、立ち上がる気力もない。天井を見上げたまま、死んだように動けなかった。ようやく体を起こした瞬間、こみ上げてきた吐き気に耐えきれず、床に吐いた。
これはきっと蹴られたせいじゃない。気持ち悪さ、嫌悪感、そして憎しみ。体が、心が、すべてを拒絶している。
「バヴィト・グラッスル?」
隣の女の子が、そっと私の肩に手を置き、背中をさすってくる。でも私はその手を振り払って、距離を取った。
……優しいつもりなのはわかってる。でも、今の私は誰かに触れられるのが一番嫌だった。
それに、助けを求めたとき、彼女は目を逸らした。責めるつもりはない。彼女も同じ目にあっているかもしれない。奴隷として何もできなかったんだ。
私は檻の隅に身を寄せ、膝を抱えて顔をうずめ、声もなく泣き続けた。
……逃げられない。これが私の人生になるの? 違う、こんなの異世界なんかじゃない。ただの地獄だ。
---
あれからどれくらい経っただろう。あの事件以降、誰も檻の中には入ってこなかった。
夜になると馬車は止まり、朝になるとまた動き出す。それを繰り返す。
外からは、言葉の通じない大声と笑い声が聞こえてくる。
もう三日くらい経ったかもしれない。食べ物も、水も、一度も与えられていない。
声を出すのも怖くて、助けを求めることもできなかった。
昨日の夜、雨が降った。それでなんとか水を飲めたから助かった。もしあれがなかったら、私たちはもう死んでたかもしれない。
……実際、一人はもう死んでいる。捕まった時点で衰弱していた少年は、三日も水も食料もなく耐えられるはずがなかった。
あの獣人の女の子は、まだ元気そうだ。喉はカラカラみたいだけど、やっぱり身体能力は高いんだろう。
……私は? もう限界だ。
腹のアザは酷いまま、傷も癒えてない。
寒さで体は凍え、制服は破れていて、ジャケットも捨てられた。脚はスカートしか覆っていない。
馬車の床は、吐瀉物、排泄物、そして腐りかけた死体の臭いで満ちている。
私は、飢えて、渇いて、傷だらけで、動くことすらできず、何時間もただ横たわっていた。
もう……あと24時間ももたないと思う。
……せめて、もう少し楽に、痛みなく終わりたかった。
……せめて、死ぬ前に家族に会いたかった。ちゃんとお別れがしたかった。
あの朝、お母さんとはろくに言葉も交わせなかった。
お父さんとは、スカートが短すぎるって喧嘩になった。
弟は学校が早くて、顔も見れなかった。
今、あの人たちは何をしてるんだろう。きっと幸せに暮らしてる。私のことなんて知らずに。
もし、今の私を知ったら……死にかけてるって知ったら、どんな顔をするんだろう。
「ベギニ! ビギニ!」
「ハムット・ガル!!」
「きゃあああああああああ!!」
何よ、うるさい! なんでそんなに騒いでるの!? 静かにしてよ!
……え? どうしたの、獣耳少女? なんでそんな顔してるの? なんで布を持ち上げてるの? 見つかったら酷い目に遭うよ?
「グラアアアアアアアアア!!!!」
……何、この音……!?
映画で聞いたことある、恐竜の咆哮みたい……!
バキィィィィィィィン!!
何かが壊れる音がして、私は反射的に体を起こそうとする。
ドゴォォォン!!!
直後、檻が大きく弾け飛び、衝撃で体が宙を舞い、鉄格子に頭を打ちつけて──
……意識が途切れた
---
……目を覚ますと、周囲を見渡した。
檻──いや、檻そのものが完全に粉々に破壊されていた。隣にいた獣耳の少女は、目を見開き、口から血を流しながら倒れている。
いや……違う。彼女は「倒れている」のではなく、「串刺し」になっていた。
胸のあたりを複数の鉄が貫いている。
……こんな傷で、生きているわけがない。
「……さっきは冷たくして、ごめんね」
私は彼女の目をそっと閉じてやり、ゆっくりと立ち上がった。
「いったい……何が、起きたの……?」
──
「ぎゃああああああああああ!!」
「グオオオオオオ!!」
その叫び声に、私は咄嗟に振り返った。そして、そこで目にしたのは──
真っ黒な巨大なトカゲ。いや、トカゲではない。
翼を持つその巨体は、一人の誘拐犯をまるで紙くずのように引き裂いていた。
「……ドラゴン……?」
ああ、そうか。これで終わりなんだな、私の人生。
でも、最後に本物のドラゴンが見られただけ、ちょっとだけ幸運だったのかも。
……まさか、こんなに早く死ぬなんて思ってなかったけど。
──私はそのドラゴンをまっすぐ見つめる。
……あれ? 意外と体が動く。あんなに死にかけてたのに。きっと、アドレナリンのせいだ。
左腕は全然動かないけど、痛みはない。たぶん、折れてる。
でも、それでも私は「動ける」。
じゃあ、なんで私はここで大人しく死を待つの? なんで黙って喰われなきゃいけないの?
……私はいつから、こんなに簡単に諦めるような人間になった?
先輩のときだって、そうだった。好きな気持ちを伝えることすらできず、逃げた。
そして今、命の危機の中で、また逃げるの?
「グルゥ……?」
あ、目が合った。あのドラゴン、私に気づいた。
でももう決めた。私は──
諦めない。
たとえここが地獄でも、私は生きる。
生きて、生き抜いてみせる!
私は地面に転がる壊れた剣を掴み、走り出した。
「グルアアアアア!!」
剣を構えて向き直った瞬間、ドラゴンが口を開き──
私の全身をその巨大な顎で丸ごと噛み砕いた。
──
一瞬だった。
すべてが黒く染まり、足の感覚が消える。
意識がグラグラと揺れ、天地がひっくり返ったような感覚に襲われる。
さっきまで痛みはなかったのに、今になって一気に襲ってきた。
「……むぐぅぅぅぅ!!!!!」
声にならない悲鳴。喉が潰され、押しつぶされる。
この場所は、狭くて、苦しくて、息もできない。
私は下へ、下へと押し込まれていく。
──ボチャン。
急に広がる空間。ドロドロとした液体に落ちた感触。
「がはっ……! ぎゃああああああ!!」
叫んだことで、少し痛みが和らいだ。でも、痛い。
とにかく痛い。体中が燃えているように熱い。
「……ここ、どこ……!? 暑い……!!」
でも、聞かなくても分かる。
さっきのドラゴン……私を丸呑みにした。噛み砕かずに、まるごと。
おかしい。こんな状態で生きてるなんて──でも、今は生きてる。それだけが事実。
そうだ、私はさっき決めたんだ。「生き抜く」って。
たとえこの状況がどんなに絶望的でも、私は──
生きたい!
剣の柄を強く握り、胃壁に突き立てる。
……けど、剣は刃が折れていて、ナイフ以下のサイズしかない。
こんなものじゃ、切り裂いて外に出るなんて無理だ。
それでも、何かしなきゃ。
何かしなきゃ、私は──このまま死ぬ。
消化液に溶かされる? 水分不足で死ぬ? どれも嫌だ。どれも恐ろしい。
とにかく時間を稼ぐしかない。なんとか、なんとか──
……喉が渇いた。空腹が限界。
もはやネズミの尿でも飲むレベルで渇いてる。……待って、それだ!
このドラゴンの血を飲めばいい! 肉を食べればいい!
決心すると、何度も同じ場所に剣を突き立て、ようやく肉片がちぎれ、血が噴き出す。
それを必死で口に含み、噛みちぎり、飲み込む。
まずい。吐きそう。胃液の臭いでむせそう。
でも、文句を言ってる暇はない。
好き嫌いを言ってる場合じゃない。
生き延びるために──私は喰らう。
---
どれだけの時間が経ったのだろう?
もう分からない。食べることも、飲むことも、限界を超えてる。
剣を振るう力も残っていない。
寒い。体が重い。
……ここは胃の中。温かくて湿っているはずなのに、なんで私は寒さを感じてるの?
いや、寒さじゃない。これは──
痺れ。
体が、動かない。感覚が、消えていく。
……これが、「消化」されるってこと?
……クソッ……
もう少し……生きたかったな……
これが「死」の感覚か。
もう、眠くて、眠くて、起きていられない……
……お母さん……お父さん……ユウスケ……
また会えるといいな……あの世で……
---
……
意識は闇に溶けていく。けれど、なぜか──私はまだ「私」だった。
自分が自分であることを、まだ感じている。
この感覚……なんだろう?
自分の「本質」が、外に広がっていくような……
魂は、まだ体の近くにある。でも、「本質」は何かを探すように広がっていく。
……あれ? 何かに触れた。いや、見つけた。見つけてしまった。
なぜか分かる。
私の肉体、私の魂……
さっき喰らったあの肉と血が、何かの「栄養」になってる。
それは──
純粋で、無垢で、未熟な存在。
小さくて、弱いけど、ちゃんとした「魂」を持っている。
私とその存在が、溶けていく──
魂も、体も、本質も。まるで、ミルクがコーヒーに溶けるように。
あぁ……なんて心地いい感覚。
そして今──意識が……完全に……溶けていく……
でも、次に起こることが……
少しだけ──楽しみかも……
---
バキィン……
暗闇。
バキィ……
湿気。
バキィ……!
……ここは、どこ……?
私は、何をしていた……?
いや、覚えてる……覚えてるぞ。
あの時、私は喰われて、そして──溶かされて……
でもそのあと、何があったの? どれくらい時間が経ったの?
「いたっ……!」
頭を何かにぶつけた。
硬い。全身を包むように覆ってる。ヒビが入ってるみたい。
……壊せる。なら、壊してやる!
「うぅぅうあああああああああ!!!!」
> バリィィィィィン!!!
砕けた。砕けたぞ!
あとは、この破片を──どかすだけ……!
あっ……眩しい……
これが……太陽?
明るすぎて……目が焼けそう……
まるで、徹夜した朝にカーテンを開けたときみたい……
……長い間、闇の中にいたんだね……
……ん? ここは……?
見たことない場所。でも、どこかで似たような風景を……
そうだ、ネットで見たことがある。これは──
火山の火口。
まるで石造りの闘技場みたいに、平らで円形の空間。
そして──
私の周りにある、この白と黒の硬い破片。
まるで──
卵の殻……?




