第75章:勇者、帰還す(ゆうしゃ・きかんす)
紫色の魔族がゆっくりと歩み寄ってくる。全身から発せられる圧迫感に、風間伊佐は震え上がり、口をわずかに開いたが、声は出なかった。目を大きく見開き、恐怖に満ちたまま、ただ相手を見つめることしかできない。
「ひどいなあ~。そんな化け物を見るみたいな目で見ないでよ~♪(魔族語)」
紫の魔族は甘ったるい声でそう言ったが、その言葉の奥には冷たい嘲笑が潜んでいた。
「でも、人間なんて哀れむ価値もない。お前たち害虫どもにとって、我らが滅ぼしに来た存在が化け物に見えるのなら――それでいい。その恐怖を抱いたまま、死ね!(魔族語)」
その瞳が鋭く光った瞬間、風間伊佐の背筋に冷たいものが走った。
「う……動け……っ」
殺気をまとった魔族の前で、逃げ出したいという衝動に駆られながらも、体は恐怖に縛られて動けなかった。
「さあ、アレクシスの勇者よ――死ね!(魔族語)」
魔族がゆっくりと手を掲げ、魔法の発動に移ろうとした、その時だった。
「火属性魔法――《龍焔》!」
「──っ!」
突如、巨大な炎が魔族を襲った。火焔が彼女の姿を飲み込んだその刹那、空から舞い降りたのは、アリアンだった。彼女は静かに風間伊佐の前に立ちはだかった。
「……無事?」
その短く抑揚の少ない声に、風間伊佐はようやく我に返り、かすかに笑って答えた。
「だ……だいじょ……ぶ……」
炎が収まると、紫の魔族は闇紫の結界で身を包み、攻撃を防いでいた。
アリアンは鋭い眼差しで魔族を睨み、杖を構える。
「……十年前、師匠を殺した魔族は……お前か?」
魔族は答えず、代わりに強力な闇紫の衝撃波を放った。アリアンは即座に光属性の防御魔法を展開し、攻撃を受け止めた。
光と闇の魔法がぶつかり合う様を、風間伊佐はただ茫然と見つめる。再び聞こえてきた彼女の声が、彼を現実に引き戻した。
「……ここは任せて。退いて」
「……あ、ありがとう……!」
風間伊佐はアリアンの言葉に頷き、手綱を引いて撤退を始めた。背後から響く戦いの喧騒と魔法の衝撃音。それらを聞きながら、風間伊佐は目を閉じ、ひたすら祈った。
――早く、この地獄から逃れられますように。
*
戦いは終わった。
マイヤーとリチャード公爵は協力して青の魔族を撃退し、アリアンは紫の魔族と互角の戦いを演じた。帝国元帥がアレクシスの緊急報告を受けると、即座にプシスとウランクスの軍を支援に派遣。増援の到着により、魔族たちは撤退を決断した。
その頃、風間伊佐は野営地の裏にうずくまり、膝に顔をうずめていた。
「勇者殿はどこだ?」
巡回中のリチャード公爵が尋ねると、マイヤーは視線で方向を示した。リチャードはテント裏に回り込み、そこに縮こまる風間伊佐の姿を見つけた。
「勇者殿……」
「ぼくは……勇者なんかじゃ……ない……」
「勇者殿、そんなことありません。あなたは精一杯……」
「精一杯……?」
「ぼくの何が、精一杯だったって言うんですか……?」
風間伊佐は突然、両手で自分の頭を掻きむしるようにして叫んだ。
「ジェイソン……ジェッド……さっきまで笑って話してたのに……あの青い魔物に、一瞬で……目の前で殺されたんです……!」
「副団長、公爵様、アリアンまで……ぼくを守るために戦ってくれたのに、ぼくは……逃げたんです……!」
「みんな、ぼくのために戦ってくれたのに……ぼくは、戦場から逃げ出した……」
「勇者の力があるのに……戦うべきはぼくだったのに……!」
「ぼくなんか、勇者じゃない!!!」
「もし……もしあの時、勇気を出して戦っていれば、ジェイソンは……彼の婚約者が、家で帰りを待ってるのに……」
「みんなの家族が待っているのに……ぼくは、誰一人守れなかった……!」
風間伊佐は顔を覆い、大声で泣き始めた。リチャード公爵は、その姿をただ黙って見守るしかなかった。
*
夜が更け、焚火の光がちらつく。
巡回と見張りの音に混じって、負傷した兵士たちのうめき声がキャンプに響く。治療を受けた者たちは医療用のテントに集められ、苦しみの中に身を横たえていた。
風間伊佐は地面に膝をつき、顔を膝にうずめたまま、涙でズボンの裾を濡らしていた。
あの光景が、頭から離れなかった――
血飛沫、断ち切られた笑顔、仲間の肉体が魔族に裂かれる音。
ケンたちの笑顔、そしてジェイソンの果たせなかった約束。それらすべてが、死と共に消え去った。
そして、自分は逃げた。
「ぼくは……臆病者……」
風がテントの端を揺らし、砂を巻き上げた。
そんな静寂の中、一つの足音が近づいてくる。
「勇者殿」
風間伊佐は顔を上げた。涙で濡れたその先にいたのは、マイヤーだった。
「……副団長……」
「隣、いいか?」
「う、うん……」
マイヤーは静かに座り、二人は肩を並べたまま、夜風と沈黙に包まれた。
やがて、マイヤーが口を開く。
「俺もな……初陣のとき、似たようなもんだった」
風間伊佐は黙って耳を傾ける。
「士官学校を出たばかりの見習い騎士だった。任務中、奇襲を受けて仲間が次々に倒れていった。血が顔にかかって、剣を握る手が震えて、動けなかった」
風間伊佐は唇をかみしめて問うた。
「……どうやって……乗り越えたんですか?」
「乗り越えられなかった奴らは、あの戦で死んだよ」
マイヤーはそう言って、風間伊佐の目をまっすぐ見つめた。
「多くの者が死んだ。でも、勇者殿、あなたは生き残った。怖かった、逃げた――それでいい。でも生きてるなら、まだやれることがある」
「今ここで自分を捨てたら、命を懸けてあなたを守った者たちの想いが、無駄になる」
「彼らは、ただの“勇者”だから守ったんじゃない。あなたが“希望”になれると信じたから、命を賭けたんだ」
「でも……ぼくは……あの笑顔を、忘れられない。ぼくのせいで……死んだ……」
「なら、贖えばいい」
「彼らの意志を背負って……生きろ」
マイヤーの言葉が、風間伊佐の心の闇を鋭く貫いた。
炎のゆらめきを見つめながら、風間伊佐はそっと涙を拭った。
「……ぼくは、まだ勇者とは言えない。でも、副団長……手を貸してくれますか?」
「もちろんだ」
「俺だけじゃない。アレクシスの皆も、あなたと共に歩んでくれるはずだ」
マイヤーの言葉に、風間伊佐は数秒呆然とし、やがて立ち上がって笑った。
「じゃあ……この臆病な勇者を、よろしくお願いします!」
「仕方ないな……でも次はないぞ?」
「えぇぇ~~~っ」
二人が笑い合うその光景を、少し離れた場所でアリアンが静かに見つめていた。
彼女は、何も言わずに小さく微笑むと、背を向けて歩き出した。
*
西方連合軍の攻勢が行き詰まる中、遠方から戦況の報が届いた。東方帝国が敗北したらしく、それを受けて今回の討伐は失敗と宣言され、皆は帰路につき始めた。
アリアン(Arian):
主人公と仲間:
風間 伊佐〔MAX〕
リック(Rick)
エマ(Emma)
レイチェル(Rachel)
世界・国家:
休ジェスト(ヒューゲスト)〔世界名〕
アレクス王国
王族・王宮関係者:
シャルルマン・ハンスウォーケン〔国王〕
エリザベート・ハンスウォーケン〔王女〕
ウォリック・ハンスウォーケン〔第一王子〕
ジフク・ハンスウォーケン〔第二王子〕
クリス・ハンスウォーケン〔第三王子〕
宮廷・騎士団関係:
リゼス・アンコベル〔首席女神官〕
アルドフ・ツァイコロフ〔宰相〕
アーサー・リチャード〔騎士団長〕
マイヤー・オギリテ〔騎士団副団長〕
アリアン・レフォルト〔魔法騎士団長〕
カフス・フォンデシーン〔魔法騎士団副団長〕
ジュリエット・ナスタント〔初級神官〕
ダンブズ・ホークランド〔前大賢者〕
イレス・ヴォジリット〔メイド〕
リチャード・ディオジット公爵〔東方領地領主〕
天翔〔風間伊佐の騎乗馬〕
他国・神・魔族
東方帝国 ロールス
南方王国 シーク
中土王国 プシス
中土王国 ウランクス
シドレフ・グランシス〔プシス国王〕
プシス公爵 ヒルトン・ヴァルキス
ウランクス公爵 ヴァキル・キルコフ
魔族将軍 クラシド
魔族魔法将軍 シフィス
神:
光の神 エリクス(エリクス)
大地の神 ディートラ(ディートラ)




