【96】おちる
高所から落ちる夢。それで体がガクンとするなんてあるあるだが、今日のはやけにリアリティがあった。脳天に鉄骨でも直撃したかのような衝撃だった。
「──きろ。カミシロユースケ!」
妙なアクセントだな。でも俺の名前だ。
女の声。がさつな雰囲気。
「いい加減起きろ! 自分で歩けってんだ!」
「うが……!」
また衝撃だ。意識はまだおぼろげで、何が起きたか分からない。まず第一に、自分が今どういう姿勢なのかも分かっていなかった。とりあえず夢ではない。鮮明な痛みだ。
「それにしても異世界人は丈夫ですね。あの高さから落ちても平気なんて」
別の声がした。さっきのより落ち着いている。
「そりゃクロー様の同郷だしな。強いに決まってらぁ」
「姿形はわたくしたちとそう変わらないと言うのに不思議ですね」
またまた衝撃を感じた。これまでで一番強い。しかも二回連続。
一度目は腹だった。その後に体がぶっ飛んで、背中に何かがぶつかった。体内で聞いたこともないような低音が鳴った。耐えがたい激痛が体内から一気に全身へと広がる。
「うああ……うっ!?」
死ぬ。おそらくそのレベルの痛みだ。
「パーズ。急になんだ? ビビんだろ?」
「キックしたのら!」
「それはわーってるよ。理由を聞いてんだ理由を」
「じれったかったのら! 起きないのが悪いのら!」
ガキみたいな声を聞きながら、俺は悶え苦しむ。
「……ちょっと? 大丈夫ですか?」
俺に言ってんのか? 大丈夫なはずねぇだろ。
「まずい……虫の息です! 手加減くらいなさい!」
「え……屋上から落ちて平気だったのに、パーズのキックで死ぬわけないのら!」
「でも現に死にかけています! 今ここで死んでしまったら、クロー様の復讐計画が水の泡ですよ!?」
消えかけていた感覚が蘇り、激痛が増した。しかし、それも次第に和らいでいき、呼吸もしやすくなってきた。薄目を開ける余裕さえ出てきた。青い髪の眼鏡をかけた若い女が目の前にいた。そこは薄暗くて冷たい場所だった。
「ふぅ……これで何とか。わたくしの回復魔法がなければ大変でしたね」
「よ、よかったのら」
「しかしパーズ! このことはクロー様に報告しますからね!」
「そんな! 堪忍なのらぁ!」
クソチビがクソ色をしたクソパーマを両手で掻き毟る。
「んじゃ、オレは他の七人を牢に連れてくぜ──おまえら進め。牢に戻るんだ!」
埃っぽい地下室のような場所で、男勝りの赤髪女が七人の少年少女を歩かせる。
「あ……お、おま……おまえら!?」
やっとまともに言葉を発せた。そこにいたのは翔哉たちだった。
そういえばさっき黒尾もいた。なんか色々ツッコミどころ満載だった気がするが、いつの間にか奴と合流していたようだ。今の今までモレットの森にいたはずで理解は到底追いつかない。それでも先ほどの激痛が、これが現実であることを保障していた。
「翔哉! よく分かんねぇんだけど、さっき黒尾が──」
「黙れよ」
「……は?」
彼らの視線がぞっとするほどに冷たい。
「おまえと口を聞きたい奴なんて誰一人いねぇって言ってんだよ。おまえさえいなければ、こんなことにならなかった。黒尾をあんな風にしたのは──」
赤髪の女が翔哉の頭を叩いた。
「ミヤジマ~? てめぇ何ぺちゃくちゃ喋ってんだ? オレ、なんて命令した?」
「す、すみません……歩けと命令されました! 牢に戻れって!」
「だったらそうしろよ! それともなんだ!? 喋らず暴れず勝手な行動を慎み全員仲良く整列して右足左足交互に動かし牢まで戻れって、事細かに命令しないといけねぇのか!?」
「い、いえ!」
女に背中を叩かれ、翔哉たちがその場を去って行く。
すると、目の前にいた眼鏡女が体を起こし、俺を見下ろした。
「立ちなさい。あなたも牢屋に行きます」
「は!? んだよ牢屋……って」
つい声を荒げたが、こいつらには直感で勝てないと察し声量を抑える。
「牢屋は牢屋です。あなた方を収容し、クロー様が復讐を為す場です」
「クロー様って……黒尾のことか?」
女は「ええ」と答え、指をさす。
振り向くと、俺が寄りかかっていたのは鉄の扉だと気づいた。上部に鉄格子があって、女はそこを指していた。
ふらふらする頭を抱えておもむろに立ち上がり、その中を覗いてみる。
「!?」
六畳くらいの殺風景な牢屋。天井の質素なランプに照らされていたのは──
「そこは、あなた方の学校の担任教師、校長およびその関係者の牢です」
「な……なんで……」
思わず後ずさりすると、女に後頭部をつかまれ、強制的に鉄格子の中を見せられる。
「う!?」
「どうしました? これが今後あなたの辿る運命ですよ? しかとその眼に焼き付けなさい」
死んでいた。見るも無残な人間の死体だ。かつて顔を合わせていた大人たちが、血みどろで生ゴミのようにまとめられている。
「この者たちはクロー様が元の世界で苦しんでいたとき、救うことはおろかその事実を隠蔽し、クロー様をさらに追い込んだ者たち……と聞いています。ヴェノムギアという人物が、ダークテイルとの友好の証としてクロー様に捧げたものです」
「ヴェノムギアが!?」
「この者たちへの復讐は本日、クロー様が執行いたしました。あの方の復讐は着々と進んでいるのです。次はあなたたちの番ですよ。カミシロユースケ」
「く……!」
女の手を振り払い、逃げようとしたところ、一瞬で黄色髪のチビが横に現れ足を引っかけられて転んでしまう。
「パーズから逃げようなんては百億万年早いのら!」
「あ、ありえねぇ……こんな……こんなのいかれてる! いくらなんでもやりすぎだっ!!」
「やりすぎかどうかはおまえが決めることじゃないのら? そもそも復讐はやりすぎくらいがちょうどいいのら? そしてカミシロ。おまえへの復讐は、そこで死んでるクズどもよりもさらにハードでスペシャルなのら」
「え、え……」
「おまえは“別室”行きなのら」
チビが不気味な笑みを浮かべ、他の女二人も口角を上げていた。
そして、チビに胸ぐらをつかまれ、俺は通路の奥へと放られる。着地と同時に、そこの床がガコンと音を立てて抜けた。
「わぁぁぁ!?」
落とし穴みたく俺は闇の底へと落ちていった。
女たちが上からこちらを覗いて嘲笑う。
抜けた床が閉じ穴はすぐ塞がった。
闇が一層深くなった。
何も聞こえない。
何も見えない。
何も居ない。
何もない。
「──」
※ ※ ※
私たち七人に用意された部屋は、牢屋と呼ぶにはやけに広い地下室だった。元々ここは辺境伯……とかいう貴族の隠れ家で、ここはそのさらに深部に位置する隠し部屋である。ぼろくてカビ臭いけど最低限生活に必要な家具や設備は揃っていた。
「…………」
バスケコート一つ分くらいはある空間で、女子のすすり泣く声がこだましている。また雛乃だ。イライラする。
「なんか泣いてる奴いない? ウザいんだけど?」
隅で体育座りしている女子が顔を上げて睨んでくるが、すぐにまた顔を埋めた。代わりに、側で彼女を慰めていた夏姫が生意気にも言葉を返してくる。芋っぽいひっつめ髪で今日もおばさんみたい。
「……言い方きつ」
「じゃあどういう言い方すればいいの? キモいとか?」
「キモいのはみくでしょ!? さっきの“ダイブ”で、高いとこは苦手とか言って、自分だけ助かろうとしてたじゃん!? でも結局落とされてマジいい気味だったけど!」
「高所恐怖症なのは事実だも~ん。てか急に興奮してどしたん? 鼻息荒いよ?」
一緒にソファに座っている宮島翔哉の腕に抱きつく。今日も彼のマッシュは綺麗で格好いい。
すると、壁際でそのやりとりを見ていた戸川が口を挟んでくる。
「喧嘩してねーで、こっからどう脱出するか考えよーぜ?」
「……脱出って。まだそんなこと言ってんだぁ~?」
「あ?」
「無理に決まってんじゃん。カードも没収されてるし。やっぱヤンキーってアホだよね」
「桃山! てめぇ殺すぞ!?」
「こわ~い! ショウくん……!」
そう助けを求めると彼はすぐに立ち上がって、向かってきた戸川から守ってくれる。
「みくに手出したら許さねぇぞ?」
「うっせぇよ、キノコ野郎!」
「んだと!?」
ショウくんが戸川の顔面を殴った。戸川も負けじとタックルするが、チビの戸川ではショウくんをよろめかすこともできない。すぐに彼は強烈な膝蹴りで戸川をダウンさせ、夏姫たちのほうにそいつを押し飛ばした。夏姫の悲鳴が上がり、雛乃の泣き声はさらに大きくなる。
あぁ~人と人が喧嘩してるとこ見るの楽しい~。
「ゲホゲホッ……!」
私の強くて格好いい彼に対し、戸川まだ鋭い視線を向けていた。そんな二人の間に福山が仲裁に入る。彼も戸川と同じヤンキー仲間である。
「もういい。こっからは俺がやる」
「必要ねぇ! 俺はまだ──」
「──おう、そうだな」
福山は突然、膝をついている戸川の顔面に回し蹴りをした。神白並みの体格を持つ福山の蹴りを顔面に受けて無事なはずもなく、戸川は一撃で伸びてしまった。
「……なんだよ? おまえが俺とやるんじゃねぇのかよ?」
「誰がそんなこと言った? 俺がやるって言ったんだ。俺が戸川をやるって」
何それつまんな。冷めるんだけど。
「で、そろそろ真面目に話すか? さっきの“ダイブ”について」
やっぱり福山は気づいてた。てか普通の脳みそしてたら気づくか。アホヤンキーの戸川とか、泣けばどうにかなると思ってる雛乃あたりは気づいてなさそうだけど。
「さっきの“ダイブ”って……?」
あれ? ショウくんも気づいてなかった? でもショウくんはそんなとこもお茶目で可愛いから好きだよ。
「常識的に考えて、あの高さからの落下で全員無傷はありえん」
「……言われてみれば、黒尾の取り巻き女たちも凄いとか言ってたな」
「そうだ。それと落ちる寸前に風を感じなかったか? 地表から吹く強風だ。あれって誰かのスキル、ないしは魔法なんじゃないか?」
「誰かのって、七原か? でもあいつ速攻カード奪われてたよな? それ以外の誰かが助けてくれたってことか?」
その通り。
「ひらめいた! 空気ちゃんのスキルだべ!」
床に寝転がっていた湯沢が急に体を起こし、ポンと手を叩いてそう発言した。
「絶対そうっしょ!? あいつのスキルとか知らんけど、風を吹かせる~とか地味なスキル持ってそうだべ!」
湯沢のそれっぽい推理に、ショウくんが首を傾げる。
「……雲藤のスキルか。けど、だとしたらなんで俺たちを助けてくれたんだ? あいつって完全に黒尾側だろ?」
「あー。じゃ違うべ」
「おい」
二人の掛け合いに私はつい笑ってしまう。
強面の福山が眉間に皺を寄せて考え込んでいるのも愉快だったし、目が泳いでいる雛乃と夏姫も滑稽だった。
「うふふふ……!」
「みく?」
ショウくんが訝し気な顔で見てくる。子犬みたいにつぶらな瞳だ。
「ごめんごめん。ただ……正解だよ、湯沢」
「へ?」
「湯沢の言う通り、あれは雲藤の『空気』ってスキル。空気を操れるんだって」
「マジか。俺、名探偵!?」
すると、ズボンのポケットに手を突っ込んでいる福山が向き直る。
「なんでそんなこと知ってんだ? 俺たちが知ってんのは黒尾のスキルと桐谷のスキルくらいだ。それも傍から見てたくらいで詳細は知らないし」
先日ハンターを名乗る三人に捕らえられた後、私たちは雲藤、茂田、桐谷の三人に引き渡され、黄色い電車に乗せられた。桐谷のスキルを知ったのはそのときだ。
そして、このアジトに到着するなり、ウケるくらい豹変した黒尾が現れ、あいつは嬉々として自身のスキルを披露した。あのときは黒尾がヤンキー二人(戸川と福山)を挑発して、それに怒った二人が殴りかかったのだが、黒尾がなんらかのスキルを発動すると、全攻撃がその二人に跳ね返されたのだった。
「おまえって、な~んか余裕だよな? さっきの“ダイブ”でも若干取り乱してたくらいで、終始どこか達観してる感じだ」
「そうかな~?」
私はほくそ笑み、ソファの背もたれに寄っかかって脚を組む。
すると、ちょうど地下室の扉が解錠される音が響いた。扉が開くときは決まって拷問が始まるときなので、みんなの間に緊張が走る。
けど、私だけは密かに勝利を確信していた。
「待ってたよ……雲藤」
「……」
一同が目を見合わせる中、私はソファから立ち上がり堂々と扉へ歩いていく。
私の異様な雰囲気を察して、福山が口を開く。
「なんでおまえが雲藤を待つことがある!? やっぱり何か隠してるな? 説明しろ!」
雲藤が代わりに答えてくれる。
「違うの! 私、みくちゃんの助けになりたくて──」
「あのおまえが桃山を? 桃山のこと一番嫌ってたおまえがか?」
私はスカートのポケットに隠していた自身のプレイヤーカードを出す。
「はいはい、スキルだよ。私の『愛憎劇』で雲藤は今、私に惚れてるの」
「は? いや、なんでおまえ……カード持って──」
「そんなことより雲藤。みんなのカード持ってきてくれた?」
面倒くさいので一旦福山の疑問は流す。
しかし、雲藤は申し訳なさそうに俯いた。そして、その背後から見知らぬ少女が現れたのだった。セミロングの紫髪に、吸盤のような髪飾りを左右につけていて、両の瞼を固く閉じている。
「……皆様のカードは現在octo8us様がお預かりしています」
「誰それ? タコ? なんだっていいけど返してくれない?」
「……それはできかねます」
私は『愛憎劇』を発動した。
「返してよ。私のこと好きでしょ?」
「……」
少女の目が開かれた。赤い。こいつ、エラーコードだ。
少女はこれまでとは打って変わって汚い言葉遣いでかつ低い声で喋り出した。
「──効かねぇよ。次元が違うぜ、ボケカスクソビッチ」
「……」
「で、カードを返せって? やだね。僕らは黒尾と手を組んでいるし、何よりそんなことしたら黒尾がおまえらを殺せなくなるかもしれない。返せと言うのはむしろこっちのセリフだ」
改めてスキルを使ってみるがやはり上手く発動しない。というか、こいつを対象にできない。目の前にいるはずなのになぜだろう?
「でも考えてみろよ? 僕からカードを取り返す必要なんてねぇだろ?」
「え?」
「だって自分のカードがあるんだから。どうやってカードを手にしたか知らんけど、その時点でおまえには選択権がある──」
瞬間、少女のうなじから太いタコの触手が伸びてきた。抵抗する間もなく私は頭をつかまれ、少女の目線と高さを合わせられる。
「このまま僕にカードを没収されるか、もしくは今ここにいる転移者を殺してスキル所有権を奪取するか……選べ」
「……」
「所有権を奪取すればおまえのカードにスキルが登録される。わざわざカードを取り返さずとも、おまえだけはスキルを使えるってわけだ。もしそっちを選ぶなら僕はおまえを見逃す。黒尾の寝首を搔くことになるかもしれないが、転移者が減るなら同じことだ」
エラーコードは私の手にあるカードに目を向け、そのスキル効果を読む。
「……相手を惚れさせるスキルねぇ。普通に発動した場合はともかく、この二段階目の“キスによる完全奴隷化”がえげつないな。これ使えば、おまえが“死ね”っつったら死んでくれるんじゃねぇの?」
エラーコードの悪魔的発想を耳にし、雛乃たちがギャーギャー騒ぎだす。
「みくちゃん……!? そんなことしないよね!? ウチら親友だよね!?」
福山は殴りかかってくるが、私の頭をつかんでいた触手が動き、彼は容易く拘束される。
「く!? 桃山ッ……そっち選んだら許さねぇぞ!!」
一方でショウ君は何も言わず、怯えた顔でじっと私を見ていた。
それがたまらなく可愛くて、愛おしくて、気づいたら私は駆けだし、彼の胸に飛び込んでいた。
「ショウ君、大好き。ショウ君は私のこと好き?」
「あ、あ、当たり前だろ!? 好きなんてもんじゃない! みくは俺にとって世界一大切な──」
彼の首に腕を回し、その耳元で私は囁いた。
「じゃあなんで雛乃と浮気したの?」
「…………え?」
「他にも去年卒業した先輩とか、他校の女子とか、色んな人としてたよね? 気づかれてないと思った? それとも気づかれてもいいやって思ってたの?」
「い、いや……それは……」
たじろぐ彼はもっと可愛いかった。
私は彼を抱きしめながら、その眼前に顔を出して目を瞑る。
「でもいいの。私はショウ君のこと好きだし、私がショウ君の一番だって信じてる。そうでしょ?」
「も、もちろんっ!」
「だったらキスして? ショウ君の方から私に。大丈夫。スキルは使わないよ」
「……」
「あなたを信じる私を信じて──」
彼の息遣いが聞こえる。彼の拍動が聞こえる。
しかし、そんな研ぎ澄まされた感覚の中で唯一、彼の唇だけが感じ取れなかった。
時が止まったかのようなしばしの沈黙の後に、私は目を開いた。青ざめた彼がそこにいた。
「み、みく。俺は──」
何か言いかけた彼に私はキスをした。瞳を閉じて身を寄せて、ただ唇を奪った。もはや彼の口から聞きたい言葉など無かった。私は本当に愛していたのに。
ふと、黒尾が自慢気に話していたことを思い出す。この異世界での彼の武勇伝だ。悪逆非道の辺境伯を成敗し、虐げられていた人々を救い、自分はこの地の英雄なんだと。
幼稚な話だと思った。自身を正義と思い込んでるところが特に。
この世は結局喰うか喰われるか。陳腐な教訓だが、正義とか悪とか、はたまた愛だとか……そういう雑念のせいでついつい忘れてしまいがちだ。
けれど見誤ってはいけない。世界は思いのほかシンプルだ。
ならば、どんな手を使ってでも喰う側に回ってやろうじゃないか。
黒尾もロワイヤルゲームも、私が喰ってやる。
何を犠牲にしてでも、最低なやり方でも、私は必ず生き残る──
そうして、私はクラスメイトの男子から唇を離した。
「──じゃあね、宮島君。死んで」




