【68】敬意を払え
アルさんの思い付きを聞いて、俺は強く異議を唱える。
「──そんなの自殺行為ですよ?」
「でも、ニーヅマさんたちの安否は百パーセント分かります」
「それは……そうですけど」
すると、彼は顔を綻ばせた。優しい微笑みだった。
「ムギシマ君。僕のモットーはね、どんなものにも敬意を払うことなんですよ。人にも動物にも魔族にも物にも自然にも、必ず魂というものがあって、紡いできたであろう歴史があるんです。それは等しく素晴らしいものです。理解を深めれば、さらにその素晴らしさに気づけるでしょう。僕が冒険者ギルドを立ち上げたのは、そんな理由です」
「……」
「迷宮探索もその一環でした。しかしその結果、あまりに多くの人が犠牲になってしまいました。恐い恐いと言って永らく逃げ続けていましたが、僕はもうこれ以上、敬愛する方々が犠牲になるのは嫌なんです」
アルさんが手のひらをこちらに差し出してくる。
「ムギシマ君、僕にやらせてくれませんか?」
向けられた手は、いつもの彼からは想像もできないくらい大きく、豆だらけでごつごつしていた。
実を言うと、彼の提案は俺も既に思いついていた。だが、それを自身で実行する気には到底なれなかった。不確定要素が拭えなかったからだ。そんな未知への恐怖が俺を踏みとどまらせた。
だが、アルさんは違った。
未知は冒険の醍醐味、とでも言わんばかりに、今の彼からは微塵も恐怖を感じなかった。
なるほど。他の冒険者がどんなのか知らないが、ギルドの長はこの人以外ありえないだろう。
ハンターたちに落ちこぼれギルドなんて馬鹿にされることもあったがとんでもない。あいつらも俺も、見る目が無かったようだ。
そうして、俺はプレイヤーカードをアルさんに渡した。
「ありがとうございます。では行きますね」
「……」
「『餓鬼大将』──」
彼は足元の苔にスキルを使い、カードをポケットにしまって、茂みから飛び出した。
「おい、ペリカン! 僕が相手だ!」
「カァ?」
激しい戦闘を続けていたペリカンが止まり、エリーゼも彼の奇行に声を張り上げる。
「あんた何してんのよ!?」
「うぉぉおおお! 仲間たちの仇ィィ!」
アルさんは丸腰のまま、一直線にペリカンへと走っていく。
だが、ペリカンは少しも怯まず飛翔して、アルさんへと突っ込み、彼を消し飛ばした。そして、何事もなかったかのように翼を畳み、すぐさまエリーゼへ向き直る。
「仲間もいたか。だが弱い。おぬし以外は話にならんな」
「……」
その時だった。俺の足元にあった苔がひとりでに動き出したのである。
根っこを足みたいに動かし、やや右へずれて根を下ろす。
アルさんだ。彼がペリカンの口の中で『餓鬼大将』を使用しているのだ。彼はまだ生きている。上手くいった。やはり飲み込まれても死ぬわけじゃない。つまり、新妻さんもまだ──
「──俺もいるぜ。ペリカン!」
俺も茂みから姿を現す。エリーゼは眉をひそめた。
「あなたまでどういうつもり!?」
「まぁまぁ。ところでエリーゼ! 身体能力を上げる魔法とか使えるか? 俺にかけろ」
「え?」
「早くしろ!」
ペリカンが目を光らせ、翼を広げた。俺も飲み込む気だろう。
だが、その前にエリーゼが俺の足元に灰色の魔法陣を出した。体が少し軽くなった気がする。
矢継ぎ早に、ペリカンが突っ込んでくるが、動体視力も向上したらしく目で追えた。山なりに跳躍してそれを躱すが、勢い余って迷宮の天井に頭をぶつけてしまう。
「いてっ!」
反射的に痛いと言ったが、加護魔法もかかっているので別に痛くないし怪我も無い。
しかし、スーパーボールが跳ね返ったみたいなクソださい挙動で、俺はエリーゼのもとへ落ちていく。
「何がしたいのよ……」
うつぶせから跳び上がって体を起こす。
「お、俺に任せとけ。今から新妻さんたちを助ける」
「……!?」
エリーゼは何か言いかけたが、口を噤み、ペリカンへと手をかざす。
「私はどうすればいいの?」
俺は手で口を隠し、ペリカンに聞かれないような小声で、とある指示をエリーゼに出す。
「──それを言うの? 何のために?」
「説明してる暇はない。いいから頼むぞ」
コソコソ話をやめて、俺はペリカンへと体を向けた。
「それと魔法銃の用意をしといてくれ。アダムが作ったっていうおもちゃのあれ」
「そんなのどうするのよ?」
「やっぱり味気ないなと思ってな。もちろん新妻さんたちを助けるのが最優先だけど、やられてやり返さないのは俺の性に合わない。てか、あいつを倒さなきゃ迷宮探索も進まないしな。勝つぞ。俺たちでペリカンに!」
大分無茶なことを言っている自覚はあったが、意外にも彼女は突っかかってこなかった。
代わりにペリカンが翼をはためかせながら激高する。
「何ぃ~!? 朕に勝つだと~!? クワァ! 簡単に言ってくれるわ! この痴れ者がぁ~!!」
「ハハッ! じゃあ鳥! これで負けた方が痴れ者で、勝った方が王様なっ!」
「クファァァァ! よかろう! 朕は国家なりィィ!」
「俺も国家だぁぁ!!」
地面を思いっきり蹴り、猛ダッシュで一直線にペリカンへと距離を詰める。
ペリカンも例の如く、大口を開けて飛んでくる。
そうして、俺は為す術もなく飲み込まれた。
辺りがブラックアウトして、落下するように吸い込まれる。ペリカンの口内。そのさらに奥の奥へと──
「──うわっ!?」
尻から落ちた。目が慣れないくらい急に明るい場所に出る。
迷宮ではない。果てしなく真っ白で、曖昧で、不確かな空間だった。
「麦嶋!?」
聞き馴染みのある明るい女子の声がした。
顔を向けようとした瞬間、たぶんその子に後ろから抱きつかれる。
「麦嶋っ!」
「わ!?」
俺はこの感触と匂いを知っている。間違いない。新妻さんだ。
我ながらキモいと思いつつも、喜びが勝った。
「新妻さん。良かった。やっぱり生きてたんだ」
「うん! 生きてた!」
しがみつきながら、彼女が横から顔を覗かせてくる。少し涙目だった。
振り返ると、想像以上にたくさんの人がいた。ツベルクやそのヒッピーたち、見知らぬ老若男女。ざっと三十名はいる。飲み込まれた人たちだ。なぜかヤマタノオロチは見当たらない。
全員、疲弊しきった表情で、辺りには食べ物の残骸が散乱している。各々が持参したものだろう。何人か衰弱の酷い人もいるが、ギリギリ生きているみたいだ。
「口の中は異空間に繋がってたのか……」
すると、そのうちの一人、アルさんが駆け寄ってくる。
「麦嶋君!? 君も飲み込まれちゃったんですか!?」
「はいまぁ」
膝に手をついて立ちあがると、ツベルクが足音を鳴らして近づいてきた。
「おい、アルから聞いたぞ!? 助けてくれるんじゃないのかヨ!? おまえまで喰われてどうする!?」
「いや、これでいいんですよ。今から全員ここから脱出させます」
「何……だと!? 言っとくが出口なんかどこにもねぇぞ!? たまぁ~に、あのペリカンが出てくるが、目視もままならない遥か上空だ! 攻撃が届く距離でもねぇ!」
ツベルクはその大きな右手で、俺の肩を乱暴に掴む。
「……これだけの数の冒険者とハンターが脱出できなかったんだぞ!? だのに、おまえはそれができるって!? いい加減なこと言ってんじゃねぇヨ!」
すると、怒鳴り散らす彼の腕を、アルさんが鷲掴みにした。
「ツベルクさん、彼にはきっと考えがあるんですよ。信じましょう。手を離してください」
「あぁ!? てめぇ誰に指図してると──」
「離しなさい」
「いっ……」
アルさんが腕に血管を浮き上がらせ、力づくで手を離させる。
ツベルクは顔を歪ませて後退し、アルさんを睨みつけるが、彼は全く動じない。
「麦嶋君。それでどうするんですか?」
「……ああ」
かっけぇ。俺が女だったら惚れてたかもしれない。
「えーと、ここからは新妻さんが頑張ります」
「私~?」
※ ※ ※
「クワァクワァ! ホーホケッケ! コッコケコォォォ!」
ムギを飲み込んだペリカンが、翼を目一杯広げ、色々な鳥の鳴き声を響かした。
こいつも他のエラーコードよろしく、あらゆる種の遺伝子を持っているのだろう。
「勝者は朕! 朕は勝者! 王にあらずんば朕にあらず、なのだぁ!」
違う。あのムギが考え無しに突撃したとは考えにくい。むしろ自分から口に入ったように見えた。おそらく、ムギは何らかの方法で、ペリカンの口内が安全であると確信したのだ。思えば、あの冒険者の男が飲まれたのも作戦のうちだったのだろう。
「さてと、最後はおぬしだ! 女ぁ!」
「……」
一応、言われた通り魔法陣からアダムの魔法銃を出す。そして、私は棒立ちになる。
「むむ!? どうした!?」
「別に。ムギが次にどう動くのか窺ってるだけよ」
「先ほどの小童のことを申しているのか? 動くも何も、奴は──」
ペリカンが固まった。やっと気づいたようだ。
「……ん、あららら」
翼で頭を触り、ペリカンは目を見開く。
「王冠が……無い! 朕の! 朕の王冠は!?」
慌てふためくペリカンに、私は先ほどムギに頼まれたことを実行する。これがペテンだと気づかれないよう、自然にあっさりと言葉を発した。
「ムギが盗んだのよ」
「小童が!? そんなことをして何のつもりだぁ!? 嫌がらせか!?」
ペリカンは怒りを露わにし、翼をばたつかせながらピョンピョン跳ねる。
「しかし、盗まれたのならば、その事実を消してしまえばいいのだ!」
「……」
「クワッ……!!」
ペリカンがくちばしを叩きつけるように閉じた。
だがしかし、冠は元に戻らなかった。ペリカンの頭には、ふわふわした白い毛が生えているのみである。
「な、なぜ能力が発動しない!? しかしこの感覚…………あるぞ!? 朕の口内に王冠の感覚がある! やはり盗まれたのだぁぁ!」
ペリカンはその後何度も能力を使うが、変化は起こらない。
「カ、カァ? なぜだ……?」
ようやく私はムギが指示したペテンの意味を理解し、密かに息を飲んだ。しかし、ここまで功を奏するとは驚きだ。
事実を消すという、あの無敵とも形容しうる能力をムギは打破してしまった。信じられない。
「わ、分からん……だが問題無いッ!」
「……?」
「朕自身が、口内と口外を行き来できるのと同様、飲み込んだものを指定して吐き出すなんぞ容易! 王冠だけ吐き出してやるわ! 出てこい! 朕の王冠ッ! グゲェェ!! グ、ウエェェ……!?」
ペリカンはなぜか大量の王冠を吐き出した。バラバラっと、地面に同じ形状の冠が散らばる。
しかし、その状況に当人が一番驚いている。
「な、な!? なぜこんなに一杯……!?」
その疑問は即時解決される。
「『桜花爛漫』!!」
王冠の一つから女の声がした。
ともに、無数の王冠が一斉に爆発した。大した爆発ではないが、ピンク色の煙で一瞬辺りが満たされる。
「クワッ!?」
驚いてペリカンが後方へ飛び、その風圧で煙が飛ばされた。
そこには、数十人の人間と冒険者ギルドの長、ニーヅマ、そして、ムギが立っていた。
「よぉペリカン。数分ぶりだな?」




