【58】麦嶋の行方
「──なぁ委員長。月咲が言うにはここって国なんだよな? なのに、何でこんなぐっちゃぐちゃなの?」
「私に言われても分かんないよ……」
昼過ぎ。目的地であるフォルトレット公国についた私たちは、その崩落した関所を前に唖然としていた。
怪物に襲われた後、私は茜ちゃんと数日樹海を彷徨って、何とか神白君、朝吹君、等々力君とは合流できた。しかし、月咲さんを含む他十名は行方が分からなかった。それでも、きっと皆ここへ向かっているはずだと信じ、やっとの思いで公国に辿り着いた。
それなのに、公国は大災害にでも見舞われたかのように酷い有様だった。
朝吹君が辺りを見回し言葉を漏らす。
「怪物に襲われた日にさ、空全体にオーロラみたいなやつ出てきたじゃん? それで急に空が昼間みたいに明るくなったけど、あの現象と関係あるのかな? 知らんけど」
神白君が痺れを切らしたように前に出る。
「いいから行こうぜ! ここに転校生がいんだろ!? 他の連中もいるかもしれねぇし!」
「転校生はともかく、他の人達はどうだろうね」
「あ?」
茜ちゃんが、彼の言葉尻を捕らえた。
「だって、月咲さんならとっくに私たちの位置も把握してるはずでしょ? 彼女だけは一番早く誰かと合流してるはず。それなのに私たちが彼女と合流できないってことは、彼女に何かあったか、もしくは私たちが避けられてるって考えるのが普通じゃない?」
「何で俺たちが避けられるんだよ!?」
「知らない。あんたが嫌われてるからじゃない?」
「黒尾とかならまだしも、あの十人が俺を避けるわけねぇだろ。茉莉也だっているんだぞ!」
「めでたい奴。新妻だって別にあんたの彼女ってわけじゃ──」
神白君が茜ちゃんに掴みかかろうとした。すぐさま茜ちゃんはスキル『7』を使おうとするが、等々力君が間に入った。大人顔負けの体格を持つ彼に阻まれたら、さすがの神白君も引くしかない。
「ちっ……てめぇは毎度邪魔なんだよ!」
「落ち着くんだ神白。七原さんも、どうしてそんな意地の悪い言い方するんだ」
「……」
「委員長も何か言ってやってよ」
等々力君に振られて二人を宥めようとしたが、茜ちゃんの顔を見た途端、あの時のキスが脳裏をよぎった。そういえば、あれからまともに彼女と言葉を交わしていない。
恥ずかしさや気まずさ、言語化しがたい何やらがこみあげてきて、私は閉口してしまう。
「どうしたの委員長? 顔真っ赤だけど?」
「え!? そ、そんなことないよっ!」
「あ、そう……? まぁとにかくさ。今はこれからどうするかを考えないと」
彼の言う通りだ。ここで立ち往生していても始まらない。
「ま、でも入ろうぜ。転校生はこの辺にいるんだろ?」
朝吹君が提案する。
「あれから彼が移動していなければ、たぶんね」
「じゃ行こうぜ。あいつジョーカーなんだろ? 会えば何とかしてくれるって。俺はここにいる方に千円賭ける」
「ちょっと、賭け事なんて良くないよ」
「まぁまぁいいじゃん。雄介はどっちに賭ける?」
「いなかったらあいつ殺す」
「それ賭けじゃなくて殺害予告な」
その瞬間、いきなり関所の辺りに誰かが現れた。
テレポートしたみたいに出てきたのでびっくりしてしまう。
赤いローブみたいなものを纏っている子供だ。でも、たぶん人じゃない。セミロングのふわふわした赤髪にも目を引かれたが、何よりも頭に生えた四本角が特徴的だった。
「縺ェ繧薙□縺翫∪縺医i……」
藍色の大きな瞳でこちらを見ながら、少女は聞いたこともない言語を発した。
「あ、あの! 私たち怪しい者ではなくて──」
すると、少女の傍に今度は耳の長い女性が出現した。これまた突然。
そして、少女は私たちを指さしながら何か告げ、その女性がこちらに手をかざす。万華鏡の模様みたいな、銀色の円が現れる。
「──これで通じるだろう? どうだ?」
少女の言葉が分かるようになった。声質の割に固苦しい言葉遣いだ。
「問題無さそうだな。ところで、おまえらムギ……ムギシマの知り合いだろう?」
「あ、はい! 彼のこと知ってるんですね? 私たち彼の知り合いで──」
「やはりな。どうりで魔力が感じられないわけだ」
神白君が威圧するように少女へ言葉を返す。
「あいつがいるんだな!? どこだ? さっさと教え──」
耳の長い女性の方が、また光る円状のものを出した。今度は青色で、氷柱みたいなものを発射し、神白君の頬を掠める。
「ぬわっ……!?」
「言葉を慎みなさい。あなたが前にしているのは三代目魔王、ラヴィニア・ゼロ・セリーヌ様ですよ?」
「ま、魔王? アハハッ! こんなガ──」
危機察知した朝吹君が彼の口を素早く押さえた。
「すみません。こいつクソ馬鹿野郎なんですよ。許して下さい」
「んぐ~ッ!!」
「まぁいいでしょう。次は無いですよ?」
良かった。朝吹君がいて。
しかし、魔王と紹介された少女の目つきは鋭かった。
「おまえらが来たらもてなしてやれと、一応ムギに言われたが……正直気に食わない。おまえら、あいつを仲間外れにしたらしいな?」
「……」
彼女は神白君を見て、さらに険しい表情になる。
「カミシロっていうのはおまえか。ムギの持っていたカードに顔が載っていた」
あ、やっぱり盗んでたんだ。ていうか麦嶋君、この人にロワイアルゲームのこと話してるし。
「おまえなんだろ? その言い出しっぺは?」
どういうわけか、麦嶋君が魔王様に物凄く気に入られている。一体何があったのだろう。
朝吹君に口を押さえられながらも、また神白君がいらないことをしそうなので、私が先に謝ることにする。
「はい。確かに言い出しっぺは彼ですけど、最終的な決定をしたのは私です。彼には本当に悪いことをしたと思っています」
「そうか。最低だな」
「はい……だから私、彼に謝りたくて──」
鼻で笑われる。
そして、彼女は私の心を見透かすように、チクチクと痛いところを突いてくる。
「ムギはな。おそらくロワイアルゲームにおける“ジョーカー”とも言うべき力をつけている。おまえはどうせそれ目当てなんだろう? 自分から突き放しておいて、そんなの虫が良すぎるとは思わないのか?」
「……」
「ムギは楽観的な奴だからな。おまえらを悪く言うことはなかったが……誰かに自分の存在を蔑ろにされて、快く思う奴なんていない。あいつもきっと傷ついたはずだ。心底反吐が出る……」
彼女の言葉に、誰も反論できなかった。
たぶん私も皆も、傷つけた彼の気持ちを分かった上で、考えないようにしていた。だから、彼に会って謝ればそれで済む話だと思っていた。これは慢心か怠惰か。たぶんその両方だ。
魔王様は背を向けて、街へと歩き出す。
「やはり手を貸す気にはならないな。ムギにおまえらは必要ない」
「……」
「さっさと私の街から出て行け。どうせここに、あいつはもういない。合流したければ自分たちで勝手に探すんだな」
魔王様と耳の長い女性が離れていく。
誰も彼女らを呼び止めはしない。ただ黙って俯いている。
でも、引き下がるわけにはいかなかった。
虫がいいのは分かっている。最低なのも分かっている。でも、だからこそ私たちは絶対に彼と会わなければいけない。
「待ってください……!」
二人は無視して、歩を進めていく。
私は考えるより先に足を動かし、二人を追い抜いて、前に立ちふさがる。
「どけ」
「嫌です! 私たちは麦嶋君に会わないきゃいけないんです!」
「だから、どの面下げて──」
「どの面下げてでもです! 会って……それでちゃんと謝らないと。許してもらえなくても、軽蔑されても。彼が“ジョーカー”とかそんな損得勘定ではなく、ただ為されるべきけじめとして……!」
「……」
麦嶋君はこれまでに、私たちの想像を絶するような修羅場をくぐり抜けてきたのではないだろうか。この魔王様の態度から、何となくそれを察した。
私たちのせいで辛い思いをしたはずなのに、それでも彼は諦めず、一人で生き抜いたのだ。
彼の心中を慮るとともに、自分たちの愚かさにも改めて気づかされ、涙が溢れそうになる。
だが、私はそれをぐっと抑えて頭を下げた。
「……お願いします。教えてください。麦嶋君は今、どこにいるんですか?」
「……」
しばらく彼女は沈黙し、そしてまた歩き出した。私の横をすり抜けていく。
「頭を上げろ」
「……」
「私は涙を交渉の道具に使う奴が嫌いだ。相手の良心に訴えかけようとしているようで、卑怯に思えるからだ。だが、おまえは今、涙をこらえたから気に入った。一先ずはな」
頭を上げると、横目で私を見ながら笑みをこぼす彼女がいた。
「ついて来い。異世界人ども。我が国、ゴルゾラへの入国を許そう」
※ ※ ※
「捕縛対象、みーっけ」
魔界のとある山脈。そこから、ゴルゾラを双眼鏡で覗き見る。
この双眼鏡は俺の特別製だ。数十キロ離れたところも鮮明に見えるし、手振れも自動で防止する。
だから、こんな山の尾根からでも、ゴルゾラの関所で五人の少年少女が魔王ラヴィニアと言葉を交わしているのもばっちり見えるのだ。
「残りの捕縛対象三名を見つけたか? 私にも見せろ、ルェンザ」
「冗談だろ。そんな指先まで石で覆われたイカれ鎧を身につけてる奴に、俺のイカした秘密道具は貸せないね」
「だったら、もっと状況を分かるように説明しろ。早くしろ」
「なんだてめぇ。女のくせして童貞みたいな落ち着きの無さだな」
「黙れ。今度私にその類の下品なジョークを言ったら、その場で速攻殺す」
「笑ってくれよ。凹むぜ。俺の心も、あそこも」
「ちっ……」
双眼鏡から見える景色が暗くなった。
レンズから目を離し、ナコロが岩の塊みたいな拳を振り上げているのを視認し、瞬時にそこから退避する。
そして、彼女が地面を叩き、どかんと爆発音みたいな音が響いた。
「お~い、山が丘になったらどうすんだ。そんなに面白くなかったか?」
「おまえの言うことを面白いと思ったことはない」
「あーもう分かったよ。真面目に状況話せばいいんだろ?」
再び双眼鏡を覗き、ゴルゾラを見る。
「捕縛対象はいるが、カミシロユースケとアサブキスイトの二人だな。他に三人同行者がいるが、知らねぇ奴らだ」
「ニーヅママリヤは?」
「いねぇ。そいつがいれば、前の七人と合わせて十人。見事、依頼達成なんだがな」
「その三人の同行者は本当に知らない奴らか?」
「ああ。がたいのいい男子と、賢そうな女子二人だ。依頼書の絵は、バカっぽい俺好みの女だったはずだぜ」
読唇術で彼女らの会話を盗み取る。
だが、いまいち会話の内容がピンとこない。ロワイアルゲームだとかジョーカーだとか言っているが、あんなところで魔王とカードゲームの話をしているとは到底思えない。
すると、おさげの利口そうな女子が、魔王に頭を下げた。他四人もそれに続いて頭を下げる。
その後、魔王が彼女らをゴルゾラへと案内した。
「なんかゴルゾラに入ってくな。魔王と知り合いなのか?」
「連行されている、の間違いではないか?」
「そんな雰囲気じゃねぇな」
捕縛対象を含む五人が、ラヴィニアと共に街へと入っていく。
その時だった。信じ難いことが起こった。
双眼鏡の丸いレンズの中で、おさげの女子が振り返り、俺と完全に目が合ったのである。
「……うおっ!?」
この俺が一丁前に体をびくっとさせてしまった。
双眼鏡を離し、後ずさりまでしてしまう。
「どうした?」
「……気づかれた」
「何?」
「捕縛対象と一緒にいる女子が、急にこっちを見てきやがった……」
「馬鹿な。ここからあそこまで数十キロは優に離れているぞ? 偶然だ」
「偶然か……今のが?」
ナコロは俺の訴えを全く信じず、話を流す。
「しかし、魔王ラヴィニアもいるなら好都合だ。確か先日、ギルドに奴の暗殺依頼があったな。ついでにやってくか」
「……え、ああ、そうするか?」
うわの空で返事すると、それを否定する者があった。
「──いいえ、魔王ラヴィニアは殺さないのがベターです。例の少年少女十名の捕縛に専念すべきと考えます」
どこからともなく、根暗オタクが幻影のように現れた。薄汚れた茶色のジャケットを羽織り、フードまで被っている。そいつは、長い尾根の中で、比較的足場が安定しているところに腰を下ろし、ご自慢のロングバレルの魔法銃をいじっていた。
「いたのかノロース。お化けみたいな登場しやがって。てか、何で魔王は殺さないんだ? 俺は別に構わないと思うが」
寝ぐせだらけの茶髪をかき分け、ノロースは答える。
「ラヴィニア暗殺の依頼は今のところ報酬がしょぼいんですよ。魔王としてはまだ子供だから、甘く見られているんですね。はっきり言って割に合いません。しかし、そうは言っても魔王は魔王。数年放っておけば、きっと十倍のレートになるでしょう。それまで待つべきだとは思いませんか?」
彼は四六時中かけているゴーグルを、珍しく上にずらした。
「それに、今回の捕縛依頼は不可解です。油断するべきではないでしょう」
「まぁな。匿名依頼だしな」
「それもそうですが、僕が気になっているのは捕縛対象のほうです。先日捕縛した七人、妙ではなかったですか?」
「そうか?」
「お気づきでない? 全員が魔力を有していなかったんですよ? 全くのゼロです。あんなのは初めて見ました」
マジか。感知は不得手だから気づかなかったな。
ナコロもその事実に気づいていたらしく、もっと魔法を練習しろとぼやかれる。
だが、そうなるとおかしなことがある。
「ちょっと待て。魔力が無い? それはおかしいんじゃないか?」
「というと?」
「だって、俺は確か精神魔法らしきものを使われたぜ? それで捕縛対象の女子に好意を抱いたんだ」
「……あなたが呆けていただけでは?」
「俺は生まれてこの方、呆けたことなんてないっ!」
「その発言が既に呆けていますが……だとしたら、魔力も無しに魔法を使ったとでも──」
瞬間、ナコロがまた地面を殴った。辺りが響いて、ノロースがいじっていた銃の部品がカラカラと鳴った。
「関係ない。私たちはハンターだ。ターゲットを狙い、仕留める。それが仕事だ。依頼主やターゲットの詮索など不要。違うか?」
「……違わないな。ただ、片手間にやっていい依頼でもないだろうよ。ラヴィニアの暗殺はまた今度だ。一切油断はしない。驕りもしない。依頼は確実に遂行する。最も重要なのはそれだぜ」
「ああ」
シルクハットを取り、双眼鏡を中に入れる。一度指パッチンしてから、シルクハットをまた被る。
「さ~て、楽しい楽しいお仕事だ。カミシロ君とアサブキ君をひっ捕らえよう」
尾根を進み、後ろからナコロがついてくる。ノロースはまたゴーグルをかけて、銃と共に姿を消した。
横目でゴルゾラを見る。肉眼ではもちろん街の状況は見えない。
それでも、あの子は今も俺の視線に気づいているのだろうか。あれは一体何だったのだろうか──




