【56】チェックインⅡ
商館を出た後、俺たちは適当にモレットの街を散策した。ラヴィニアから貰った宝石類を換金したり、市場で買い物したり、広場で大道芸人を見物したりした。残念ながら“ギア”に繋がる手がかりは掴めなかった。新妻さんが言ったように、ほぼ海外旅行になっている。
そうこうしているうちに日は翳り、俺たちは今、商工ギルドが運営しているという宿屋にいた。街で一番大きく綺麗な宿だ。しばらくここで寝泊まりすることにした。
しかし、そこでエリーゼが謎の自主性を発揮したのである──
『ゴルゾラのホテルでムギがやってたあれ、私もしてみたいわ。あのチェックなんとかってやつ』
『チェックインな。そんな難しい言葉でもないだろ。覚えろよ。それに俺がやるからいいって』
『舐めんじゃないわよ。チャックインくらい余裕よ』
『なんだ“チャックイン”って。さっき“チェック”までは言えてただろ。なんで退行すんだよ』
『ごちゃごちゃうるさいわね! とにかく私一人でできるんだから! ここで待ってなさい!』
このやりとりが既に十五分前である。
中庭に停めた魔導車の中で、俺は座席にふんぞり返り欠伸する。
「遅いぃ……大丈夫か?」
「まぁ、チェックインくらいさすがにできるっしょ」
「だといいけど」
暇なので、さっき市場で買ってきた魔導書とやらを紙袋から出す。百科事典みたいに分厚くて大きい。
「はぁ……新妻さんも見る? 色んな魔法陣が載ってるんだ」
「えー私はいいかな~」
自身のネイルアートを見ながら、彼女はどうでもよさそうに返答した。
この子には魔法というロマンが分からないらしい。変な色の爪なんかよりずっと面白いのに。
俺は一人魔導書を開いた。
最初は魔法陣の構造が説明されていた。だが、正直その時点で専門用語が大量に出てきて、挙句の果てにはなぜか物理学の公式的なものまで現れ、非常に目が滑った。小説並みに文字しか書いてないページもあった。
適当にペラペラめくって、これが初学者向けではないことを悟り、俺は静かに本を閉じた。
「もう読んだの?」
「うん……俺も爪いじろうかな」
「ウケる。てか、さっき見てた魔法陣可愛くなかった?」
新妻さんが隣に座ってきて、俺の膝に置いてある魔導書をめくる。
「確かこの辺。無属性魔法の章の……あ、ほら! この四つ葉のクローバーみたいな模様のやつ! 超可愛いんだけどっ!」
「何だよ、新妻さんも見たかったんじゃん」
「ちょっと目に入っただけだし~」
しかし、可愛いのは確かだった。地味な色が多い無属性魔法の中でも、これは薄ピンクでちょっと派手だ。
「何々……動物が懐く魔法だってさ。へぇー。なんか他にも面白そうなのあるかな」
文字は読まず、次々にページをめくり魔法陣の図だけ見ていく。
「お、これ格好いい! 雷マークが集中線みたくなってる! 見たまんま雷属性の魔法か~」
「えー、ダサくな~い? もしかして麦嶋ってドラゴンの彫刻刀とか使うタイプ?」
「うん? 使ってたけど?」
「あぁ……ふ~ん、そっか」
何かを察したように、新妻さんが目を逸らした。
まさかドラゴンの彫刻刀ってダサいのか? そんな馬鹿な。
「あ、帰ってきたよ」
本館から歩いてきた某女神に、新妻さんが気づいた。
女神は、鍵の繋がったリングを指にはめ、くるくると回している。物凄いしたり顔だった。
窓から身を乗り出し、声をかける。
「チェックインできたんだな。ありがとう」
「足りないわよ」
「あ?」
「跪いて崇めなさい」
「……たかがチェックインで祈りなんか捧げるかよ。ゴミみたいな御利益だな」
エリーゼが鍵を回すのを止めた。そして、俺は腕を鷲掴みにされ、窓から引きずり出されそうになる。
「ぬわっ……やめろぉぉ!」
その時、あることに気づいた。彼女の手には、鍵が一つしかないのである。
宿に泊まるのは俺と新妻さんの二人だ。エリーゼは例の如く、寝床を必要としないので泊まらない。
したがって、個室を二つ分とるようお願いしたはずなのだが──
「お、おい! 一旦止まれ! 聞け!」
「何よ!?」
「おまえ、なんで鍵一つしかねぇんだ!? 部屋二つ取ったんだよな?」
「取ったわよ! たぶん同じ鍵なんでしょ!?」
「んなわけあるか! おまえフロントに何て言ったんだよ!?」
嫌な予感がしてきた。
「何てって、二人分の部屋用意しろってちゃんと言ったわよ。それでフロントの奴が、ダブルルームでよろしいですか~、とか当たり前のこと言ってて──」
「あぁぁ!? 待て待て待てぇ! ダブルルームッ!?」
「そ、そうよ? 部屋二つなんだからダブルで合ってるでしょ? 違うの?」
「ちげぇよ!! ダブルルームってのは二人で使う部屋だ! ダブルベッドのダブルだ!」
「ダブルベッド……二つのベッド?」
「一つのおっきいベッド! 二人で共有するベッド!」
「……破廉恥だわ」
「おまえのせいだろ!」
新妻さんが恥ずかしそうに俯き、言葉を失っていた。
一瞬、ベタなラブコメ展開みたいでテンションが上がったが、冷静に考えると今日会ったばかりの女子と同じベッドで寝るのは抵抗がある。というか申し訳ない。
世紀のプレイボーイなら平気かもしれないが、生憎俺は普通の男子中学生。そこまで吹っ切れない。きっと緊張して眠れないだろう。
「……分かった。もう一部屋取ろう」
「無理よ」
「は? なんでだよ?」
「さっきのハンターたちもここに泊まるみたいで、もう空き部屋が無いのよ。私の取った部屋がラストって言われたわ」
「あーあ」
新妻さんが目を逸らしつつも、思いの外サバサバした口調で意見を述べてくる。
「……私はいいよ。麦嶋と同じ部屋でも。麦嶋が絶対に嫌だって言うなら考えるけど」
「嫌って言うと語弊があるけどさ」
エリーゼが、鍵を胸に押し付けてくる。
「つべこべ言ってないで泊ればいいでしょ。それに、エラーコードとかが襲ってくるかもしれないのよ? 私も近辺にはいるつもりだけれど、二人一緒にいた方が安全じゃない」
「それは……まぁそうかもな」
「ほらね。私はここまで考えていたのよ」
「はいはい」
「でも言っとくけど、もし変なことしたら広場で吊るし上げだからね」
鍵を受け取った。想像よりも重みを感じたのは、きっと気のせいではない。




