【41】怪物
「──『7』であいつの寿命を七秒にする」
「おお……」
「逆に言えば、七秒間は全力で生き残ってね。残り六個残機があるとはいえ、何してくるか分からないから」
大爆発を起こし、樹海の一部を焼け野原にした怪物が、私たち三人に気づいた。
しかし、茜ちゃんは臆することなく接近していく。
『7』は、半径七メートル以内の視界に入るものが対象となる。この条件だけは絶対だ。スキルでも変えられない。だから、まずは怪物に近づく必要がある。
すると、怪物の赤い目が光り、口を大きく開けた。
今度は天上ではなく、こちらに顔を向けている。
「茜ちゃんっ!」
「大丈夫。次は上手くやる」
怪物から真っ白い光線が放たれる。同時に、茜ちゃんがスキルを発動した。
「『7』──」
向かってくる光線が、『7』の効果範囲に入った途端、その進行速度が大幅に低下した。というか、ほとんど停止している。
「え? あいつ何したんだ?」
朝吹君の問いかけに、茜ちゃんは一定のペースで歩みを進めつつ、背を向けたまま答える。
「光線の速さを時速七ミリメートルに変えた。これなら簡単に躱せるでしょ?」
茜ちゃんは何事もなかったかのように、光線を右に避ける。私と朝吹君も、その進行ルートから外れておく。
「ギュォォオオオ!!」
怪物がスーパーカーのエンジン音みたいな雄叫びを上げ、地響きと共に突進してきた。
「うるさい」
茜ちゃんは落ちていた石を拾い、ゴミを捨てるみたいに雑に放った……雑に放ったはずなのに、石ころは途轍もない速度で飛んでいき、怪物の頭をいともたやすく貫いた。
「ギィアアァア!」
絶叫した怪物はよろめき地に伏した。
今のも『7』だ。たぶん、石ころの速度を秒速七キロメートルとかにしたんだ。時速に換算して二万五千二百キロ……速すぎてピンとこない。何はさておき音より速い。
「なぁ委員長? あいつ強すぎないか? 何なら、今ので始末した説あるぞ?」
「うん……」
「ヴェノムギアも全部あいつに任せるか」
しかし、怪物は死んでいなかった。
頭部からドロドロと赤紫色の血を流しながらも、ゆっくりと体を起こしている。
「シュゥゥウ!」
茜ちゃんと怪物の距離は、およそ十メートルを切ろうとしていた。
「まだやる気?」
「グルゥゥ」
怪物はその場で、太い腕を振りかぶるような姿勢を取った。
あの距離から攻撃しようとしている? でも無駄だ。茜ちゃんに近づけば『7』で動きを鈍らせられるし、寿命も七秒にできる。何をしたって茜ちゃんの勝ちだ。
怪物の目が光った。その時、そいつは私を見ていた気がする。
「え?」
消えた。怪物の姿が一瞬にして消え去ったのだ。
「『超重力』……!」
朝吹君の声がしたかと思えば、真後ろから怪物の雄叫びが響いてきた。
「ギュォォ!!」
風圧で私は前へと飛ばされ、近くにいた朝吹君も同様に地面を転がった。
何とか受け身を取って元いた場所に目を向けると、地面に突っ伏す怪物がいた。
怪物は力づくで起きようとするが、地へと押し付ける見えない力に藻掻き苦しむ。
「平気か、委員長!?」
「平気……だけどっ!」
「なんか急にそいつが後ろにテレポートしてきて、委員長を殴ろうとしたんだ! だから、俺のスキルでそいつにかかる重力を数十倍にした! 今のうちに逃げるぞ!」
「う、うん!」
私たちが立ち上がった途端、怪物がまた消えた。
しかし、次はどこにテレポートしたのかすぐ分かった。私の足元に大きな影ができている。視点を動かさなくても分かる。怪物は今、私の直上にいる。
『超重力』で重くなった体を逆手に取って、私を押し潰す気だ。
「こいつっ!」
今まさに潰されそうになった刹那、朝吹君がスキルを再発動した。
すると、のしかかってきた怪物の巨体が少しも重く感じない。風船みたいだった。
「知華子に触るなぁぁ!!」
自身の移動速度をいじったのか、茜ちゃんが物凄い勢いで飛び込んできて、怪物にキックした。
「ギュエッ!!」
顔面が歪むような強烈な一撃をくらい、しかも体が軽くなっているので、怪物は流星の如く樹海へと飛ばされた。
「知華子っ! 怪我はない!?」
「あ、うん、大丈夫……ありがとう。茜ちゃんこそ怪我は? 凄いキックだったけど」
私が無事だと分かると、彼女はいつものクールな感じに戻り、ちょっぴり偉そうに腕を組む。
「大丈夫。足挫いただけ」
「大丈夫じゃないよぉ……」
急いで『治癒』を使う。
その瞬間、怪物が性懲りもなく突進してきたが、茜ちゃんが至って冷静な口調で呟くのだった。
「しつこい。もう終わりだよ」
猛ダッシュしていた怪物の足が突然停止し、スライディングするみたいに倒れた。
「ギャアアア……! ガァァァ!」
巨大な爪で喉や胸を掻きむしり、噴き出す血と共に黒い体毛が舞う。そうしているうちに怪物は力尽き、巨体が地に寝そべった。
夜の闇の中で、禍々しい赤色の目も徐々に光を失っていく。
「死んだ。さっき蹴飛ばした時に寿命を七秒にしたんだ」
「びびったぁ……助かったぜ七原」
「さて、散り散りになった皆を探そうか。月咲さんが見つかれば『知恵の実』ですぐ探せるんだけど」
樹海へと向かう二人を追いながら、私は振り返り怪物の死体に目を向ける。
ピクリとも動く気配はない。呼吸も完全に止まっている。ところが、私の耳には異音がこだましていた。古い家屋の隙間風みたいな異音。風は吹いていなかった。怪物の体毛も靡いていない。
「茜ちゃん? 本当に倒したんだよね?」
「え? 倒したでしょ、どう見ても」
「でも、なんか変だよ?」
「変? 何が──」
突如、ダンプカーにでもはねられたかのような衝撃が走った。
全身の骨が砕け、想像を絶する痛みを感じるが、反射的に『治癒』を使って絶命を免れる。
「うぐっ……!?」
体が宙に浮き、上下の感覚が曖昧になりながらも、私は瞬時に状況を把握する。
怪物が完全復活していた。先ほど私の立っていた位置にそれがいて、太い腕を振り切っていた。たぶん殴られたんだ。
「知華子っ!?」
呼びかける茜ちゃんを無視して、怪物は吹っ飛ぶ私を追いかけてきた。
「グォオオ!」
怪物は疾走しながら、右前肢を大剣に変形させた。物凄い速度で引きずられる剣は、地を裂き、火花を散らす。
「は!? 何で生きてんだよっ!?」
朝吹君がスキルを発動し、怪物が地面に押し付けられる。
「グゥゥ……ウオォオオオ!!」
動きは止まるが、怪物はお構いなしに咆哮して大きな光の球を生成する。
たちまち視界が失われ、私たちは爆発に巻き込まれた。
そして、私はまた死んだ──
意識が途切れ、記憶が飛び、目が覚めた時には自分が何をしていたのかほんの一瞬分からなかった。
「うう……」
茜ちゃんの『7』で復活できたが、彼女とも朝吹君ともはぐれてしまった。
辺りは緑で生い茂っている。さっきまでいた焼け野原は見当たらない。相当遠くに飛ばされたらしい。
側にある木に寄りかかり、くらくらする頭を押さえて呼吸を整える。少し離れたところから物音が聞こえてくる。草木をかき分けるような音だ。
「茜ちゃん……?」
心細さでつい声を出してしまったが、その音が彼女のものではないと気づくのに、そう時間はかからなかった。
「ガアァァ……」
怪物だった。十数メートル先を徘徊している。
すぐさま身を寄せていた木に隠れ、息を潜める。
見つかったら殺される。今度こそ確実に殺される。
茜ちゃんのスキルで残機が増えているとはいえ有限だ。次見つかれば、あいつは私が完全に死ぬまで攻撃を止めないだろう。
「……」
心臓の高鳴りが恐怖を増長し、鼓動はさらに速くなる。
口を押さえ、目を瞑り、震える体を必死に抑え込もうとした。
「…………あ」
薄目を開けた瞬間、怪物が眼前にいて、私は殴り殺された。
「ギャァァアアア!」
怪物の咆哮か、私の断末魔か……わけが分からないほど殴られた。潰されたと言うほうが正確かもしれない。みるみるうちに残機が消費されていく。
こうなったら、もはやなりふり構っていられない。
私はポケットのプレイヤーカードに手を伸ばした──
「──いやぁぁ!!」
一時、攻撃が収まった。
おそらく最後の残機で復活すると、そこには茜ちゃんがいた。
「知華子!? 知華子っ……!?」
「う……」
あの茜ちゃんが涙を流しながら、私を抱きかかえる。怪物の動きは止まっていた。『7』で動きを遅くしたのだろう。
「今のうちに逃げるよ!? 立てる!?」
「う、うん……」
茜ちゃんの肩を借りながら立ち上がると、意識も清明になってきて『7』による復活が完了していくのが分かった。
「茜ちゃんは大丈夫?」
「私もさっき死んだけど復活した……それより知華子だよ!? あともう一回死んでたら私の『7』でもどうしようもなかった……間に合って本当に良かった」
茜ちゃんは怪物の様子を見ながら、はだけた私の制服を直してくれる。制服には夥しい量の血が付いていた。
「……逃げるよ。私が知華子を担いで、可能な限り遠くに逃げる」
「逃げる? ま、待って。朝吹君たちは?」
「知らない」
「そんな……駄目だよ。みんなで生きてここから──」
「知らないったら知らない! もう無理っ! これ以上は!」
「……茜ちゃん」
彼女は私をお姫様抱っこして走り出した。毎秒七メートルくらいの速度を維持している。
彼女の細い腕が、引き留めるように私を強く抱く。
「必ず守る。知華子は私の希望なの。知華子は私を暗闇から救ってくれた。あなただけは絶対死なせない」
「希望って……大袈裟だよ」
「大袈裟じゃない。交通事故で両親を失って、何年も塞ぎ込んでいた私をあなたは救ってくれた。中一の頃、あなたが転校してこなかったら、たぶん今も私は引きこもりのままだった」
「……」
「最初は変な奴だと思ってたけどね。転校生のくせに、不登校だった私に毎日プリントやらその日のノートやらを見せに来るし、やたらと家に上がろうとするし、いつもニコニコしてる間抜けかと思えば私より普通に勉強できるし」
そうやって改めて言葉にされると、確かに変な人かも。
「迷惑だった?」
「……どうだろう。鬱陶しいと思いながらも、結局私は知華子に惹かれてったし。本当は嬉しかったのかもしれない。知華子と一緒に行く学校はちょっと楽しかったし」
「そっか」
「うん。そうだよ」
すると、突然彼女が立ち止まった。
「嘘……」
前方の林に怪物がいた。やや遅れて、向こうもこちらに気づく。
「グォォォ!」
周辺の木々を倒しながら突っ込んでくるが、これまた茜ちゃんがスキルで動きを鈍らせる。
「どうして? さっきスキル使ったのに……」
茜ちゃんが解除しない限り、一度発動された『7』は解けないはずだ。にもかかわらず、今こいつは走って近づいてきた。
そのことから、私は最悪の予想を打ち立ててしまう。
「茜ちゃん。これ、もしかしたら──」
説明するまでもなく、怪物の方から答えが提示される。
闇の中で音がした。草木を分ける音、木々を倒す音、地を響かす音。
音はだんだん増えてきて、無数に蠢く赤い光が現れる。
怪物は複数体いたのだ。
元から複数いたのか、能力か何かで増加したのか分からないが、とにかく今、同じ姿かたちをした怪物たちに囲まれている。まだギリギリ気づかれていないみたいだが、それも時間の問題だろう。
「そんな……」
私を抱きかかえたまま茜ちゃんは絶望した。最強スキルの筆頭とも言えるような『7』だが、死角からの攻撃には対処できないし、ましてや私を守りながらでは分が悪い。『7』の重ね掛けはできないから、残機を増やすこともできない。
「……茜ちゃん、もういいよ。下ろして」
「え?」
やや強引に体を起こし、地に足をつける。
「私がこいつらを引きつけている間に逃げて。お願い」
ポケットに手を入れて、プレイヤーカードを握り締めた。
「何言ってるの……?」
「大丈夫。私、負けないから」
「嘘……そんなの絶対嘘。どれだけ優しいの、あなた?」
「別に……私は優しくなんかないよ。でも私ね、誰にも死んでほしくないの。特に茜ちゃんは一番のお友達だし、傷つくところも見たくない。だから──」
瞬間、私は茜ちゃんに肩を抱かれた。そして、そのまま口づけをされた……ような気がした。
あ、いや、気のせいじゃない!? されてる!? 茜ちゃんにキスされてるっ!?