【148】濾過
真っ白い空間、pelic4nの能力で生み出された異空間にて、俺はouro6orosとともに知華子ちゃんの死体と対峙する。
すると、pelic4n自身もその空間にやってきて、例のごとく俺の頭に止まってきた。
バカみたいなのでやめてほしいが、こいつと揉める時間がもったいないのでスルーする。
「蛇、頼んだぞ」
「ああ……」
俺の指示に従い、蛇が彼女の亡骸へと近づき、目を光らせた。
七原さんが殺されたとき、知華子ちゃんは奴に乗っ取られながらも、その身に人格を残しているような素振りを見せたという。きっと彼女の魂はまだ生きているのだ。
そこで俺は、一度その肉体を殺し、蘇生させれば彼女を救えるかもと考えた。
『心魂侵食』で乗っ取れるのは“生物のみ”であり、先ほどマティラスを殺したのは非生物のエリーゼである。また、これまで宿主だった知華子ちゃんが死亡したことで、マティラスの魂は拠り所を無くし、消滅した……と期待したい。
無論、知華子ちゃんの蘇生とともに、マティラスがその身に宿ったまま復活する可能性もある。そこは分からない。手元にあるカードを今一度確認するが、『心魂侵食』の効果に関してそこまで詳しい仕様は記載されていない。
だが、そんな最悪のケースであっても、ここはpelic4nの口内だ。ピンチになったら俺たちだけ吐き出してもらえばいいし、そうすればマティラスをここに閉じ込めることだってできる。リスク管理に抜かりはない。
「これは……?」
蛇が何かに気づき眼光を弱めた。
「やっぱ無理か?」
「それは分からん……やってみないことにはまだ……しかし、致命傷が二つあるのが気になる」
「二つ?」
蛇が白い床を這って、知華子ちゃんの右側頭部に顔を近づける。
「右頭部から左胸部にかけて一つ……」
蛇が彼女の胸に飛び乗る。
「……背部から心臓にかけて一つある……どちらも似たような光属性の魔法を撃たれた痕跡だ」
「光魔法ならエリーゼが撃ってたろ」
「二回……撃っていたか?」
「俺の一般的な視力で、あいつの高速魔法を見切れるわけないだろ。まぁ、あの場で光魔法撃てる奴なんてエリーゼしかいなかったし、たぶん普通にエリーゼだろ。エラーコードも伸びてたしな」
「それも……そうだな」
蛇は床に降りて、また目を光らせた。みるみるうちに彼女の血が止まり、傷が塞がり、顔色が良くなっていく。
ついでに俺は持ってたカードで『治癒』を発動し、ボロボロになったセーラー服も直してあげた。次第に呼吸が戻ってきて、胸元の赤いリボンが上下に動き始めた。
十秒そこらで彼女は完治し、一応俺たちは数歩距離を取る。
「知華子ちゃん? どう? マティラス濾過できた?」
数メートル離れた位置から声をかける。彼女はゆっくりと目を覚ました。
「……」
何度か瞬きをして、彼女は仰向けのまま横目で俺たちを見る。息を飲み、呼吸を整えながら、囁くように彼女は言葉を発した。
「む……麦嶋君?」
「よぉ。君は知華子ちゃんで合ってる? その心も君自身か?」
彼女は静かに頷いた。
『虚飾性』で確認する。ホント、だ。
「お、成功じゃない? 成功だ! やったぁ!」
屈んでouro6orosに拳を向けると、彼がその頭でタッチしてくる。「成功なのだぁ」とpelic4nは俺の頭上で翼を広げた。
知華子ちゃんの元へ駆け寄り、手を差し伸べて立ち上がらせる。肩も持とうとしたが、意外と彼女は元気そうで、そこまでせずとも体を起こせていた。
「麦嶋君……私……」
「君、マティラスに……ていうか、ヴェノムギアに体を──」
「それは……知ってる。ずっと見てたから」
「見てた? あぁ、心の中から見てた的な?」
「うん、そんな感じ……自分の体で、五感もあるのに、自分では自由に動けなくて……それが物凄く気持ち悪くて……うっ」
「あーごめんごめん。思い出さなくていいよ」
彼女が口を手で押さえてえずいた。背中を擦ってやる。すると、すぐにouro6orosが治してくれて、彼女の呼吸が落ち着いた。
「でも、よかった! 知華子ちゃんも救えたし、マティラスも討伐したし、めでたしめでたし!」
拍手しながらそう言うと、側にいる二体のエラーコードも笑みを浮かべた。
「フッ……」
「めでたしなのだぁ!!」
「よっしゃ! 現世に戻って祝勝会しようぜ!」
pelic4nが頭から降り、目を光らせながら俺たちを吐き出そうとしたそのとき、知華子ちゃんが首を傾げた。
「めでたし……何が?」
「え? めでたしでしょ? まぁ、君が散々な思いをしたのは分かるけど──」
「ふ……うふふっ! アハハハハハハッ!!」
なんか急に知華子ちゃんが笑い始めた。pelic4nがビビッて眼光を消し、ouro6orosもポカンとした。
しかし、俺が辺りを見回しながら苦笑いすると、二人も空気を読むようにして笑い出した。
「へ? へへ。えへへ! うへへへへッ!」
「フ……フフフフフフッ……!」
「カァッ! クアックアックワワアッ──」
「何がおかしいのッ!?」
「えぇ……知華子ちゃんが笑ったんじゃん」
怒鳴られて、俺たちの笑いが打ち止められる。
「麦嶋君さ。気づいてないの?」
俯きがちに彼女が口にしたその問いに対し、しばらく考えてから言葉を返す。
「……何が?」
「ヴェノムギア……死んでないよ」
「え? し、死んでたけど?」
「死んでないよ」
死んでないらしい。
困惑する俺たちに、彼女は淡々と奴の企みについて話し始めた。
「あいつ今、9ueenの体を乗っ取ってる」
「えぇ?」
「あいつがエリーゼさんに殺される寸前、9ueenが魔法を放ったの。光属性の魔法。私の心臓を貫いて、それが致命傷になった。だから、ヴェノムギアは今──」
なんかわけわからんこと言い始めたので、話を遮らせてもらう。
「待って待って! 9ueenも倒したって!」
「倒してないよ」
「倒したよ! あそこから生き返るなんて、そんなバカなこと──」
反論しながら、ouro6orosの方を見る。
「ち、違う……! 我はそんなことしないっ……!」
ホントだ。嘘ついてない。
すると、知華子ちゃんがそのタネを明かす。
「ouro6orosじゃない。ヴェノムギアの作戦勝ちだよ。私はずっと見て、聞いてたから……知ってる。あいつは最初から、麦嶋君とエリーゼさんが戻ってくることも視野に入れてた」
知華子ちゃんは暗い表情のまま話を続けた。その声は震えている。
「ヴェノムギアはあらかじめ、9ueenを二体に増やしてたの。私のスキル『倍々半々』を使ってね。それで、二体目の9ueenをずっと近くに潜伏させてた」
「!?」
「あいつ、麦嶋君たちのことだいぶ高く買ってるよ。二人が戻ってくることが唯一の負け筋、とまで言ってた。だから、もしそうなっても対処できるように、二体目の9ueenに殺してもらう計画を立てたの。そして……麦嶋君の出方をある程度見てから、それは実行された」
思えば、あまりにあっけない幕引きだった。第一、エリーゼが手を下した瞬間、奴からは抵抗の意思すら感じられなかった。魔法を避けようとすらしていなかった。
「最初から、あいつの手のひらの上だったんだよ。麦嶋君の作戦は失敗した」
「……」
しばし沈黙が流れるが、俺は気を取り直し、持っていた知華子ちゃんのカードを返却する。
「まぁ……まだ負けたわけじゃないし、一旦戻ってみんなと合流──」
すると、彼女はキッとこちらを睨んで、俺の手を振り払った。はずみでカードが飛んでいく。
「何言ってんの……? 私たちはもう負けたんだよ! ヴェノムギアが9ueenを乗っ取った! それがどういうことか分かる!?」
「……綺麗な女性の体ばっか奪っててキモい」
「ふざけないで! あの無効化も、ヴェノムギアが自由に発動できるようになったの! 今のあいつは無敵だよ! きっとエリーゼさんだって歯が立たない! それに、さっきまでのあいつ……私が戦ったときと比べて、まだ全然実力を隠してる! むり! 勝てるわけない……!!」
一理ある。9ueenの能力は厄介だが、先ほどまでは彼女単体を対処すれば良かったわけで、いくらでも付け入る隙はあった。だが、その能力がマティラス自身に宿ったら……対処は一筋縄ではいかないかもしれない。
一旦、俺は飛んでいったカードを拾って持ってくる。
「そう悲観すんなって。『心魂侵食』にはクールタイムがあるみたいだし、あいつが今それを使ったってんなら、しばらくは俺らでも倒せるわけで──」
「話聞いてた!? そう簡単に殺せるわけないじゃん!?」
「そうかもだけど、ずっとここに残るわけにもいかないだろ。あ、そうだ。知ってる? ouro6orosが七原さんとかを蘇生してくれたんだよ。だから戻ろう。みんな君を待ってる」
すると、彼女は息を飲み、唇を震わせながら今にも消えてしまいそうな声で返答してくる。
「待ってるわけ……ない。私のせいで……私がヴェノムギアに乗っ取られたせいで、みんな傷ついて……挙句私は、茜ちゃんのことまで」
「……」
先ほど知華子ちゃんは言っていた。乗っ取られていながらも、その五感は残っていたと。すなわち、マティラスが七原さんを殺したときの感触も鮮明に伝わってきているわけで、そのときの彼女の苦痛は想像絶するものだったろう。おそらく一番の友人を、目の前でしかも自分の手で殺したのだ。その後も、自身の体で殺戮と暴力を繰り返されているのに、自分は何も抵抗できない……あまりに残酷な仕打ちである。さらに、かつて自身の姉や仲間を殺した奴がそれをやっているんだから最悪だ。参ってしまうのも無理はない。
七原さんたちはそんなの気にしない、と言おうとしたが口をつぐむ。今の彼女に必要なのは慰めではない。休息だ。
俺は返そうと思っていたカードを胸ポケットにしまい──
「そもそも茜ちゃんはどうしてあのとき地下室に来たの!? あのとき来なければ、死ななくて済んだのに!」
「君を心配したからだろ。いいから、もう休んどけ」
「心配? 何それ!? もしかしてまだ私のこと好きとか言ってんの!? バカみたい! 女の子同士でキスまでして……気持ち悪い」
「ああ!!?」
同情が一気に冷めて、怒りのボルテージがフルマックスになった。
相手が女子とか関係ない。俺は乱暴に胸ぐらをつかんで怒鳴りつける。
「今なんて言ったよ!? おい!?」
「き……気持ち悪いって言ったんだよ! 大体、茜ちゃんは私が持ってるスキルの一つで好感度が上がってただけで、その恋心は偽物で──」
「偽物じゃねぇぇ!! それ本気で言ってのかッ!?」
感情の赴くままに彼女を突き飛ばした。尻もちをついた彼女はそれでもなお睨んでくる。
すると、図らずもあのスキルが発動したらしく、その頭上に『ウソ!!』と出た。
「ウ、ウソかい! けどっ……ウソでも言って良いことと悪いことがあるだろうが!!」
胸ポケットからカードを出して投げつける。こんなのいらねぇ。
「確かに七原さんはバカだよ! ずぅぅぅぅぅ~っと、いつまで経っても知華子知華子ってバカみたいに言ってるよ! そういう意味では気持ち悪いよ! でもさ! あそこまで家族でもない他人を想えたことあるか!? 俺はまだないね! だって、あんなのおかしいもんッ! だけど、頭おかしくなるくらい七原さんは君が好きなんだろ!? あれが本物の恋でなくてなんなんだッ!?」
「……」
やや怒りが収まって、俺は一呼吸置いてから正座をし、尻もちをついた彼女と目を合わせる。彼女は泣いていた。
「ふりたいならふれよ。そこは恋愛。当人同士の問題だ。だけど、俺の友人の本気の想いを偽物だとか揶揄することだけは許さない。訂正しろ」
「…………」
すると、彼女は大粒の涙を流しながら脱力し、息も絶え絶えに言葉を紡いでいった。
「……分かってるよ。そんなの。だって、ずっと一緒にいたんだもん。私が一番一緒にいたんだもん……彼女の気持ちが本当なことくらい、キスをしたあのときから分かってた。それに私だって……私だって茜ちゃんが好き! 大好きなの! また会いたい! また茜ちゃんに会いたい!!」
彼女は、真っすぐ俺の目を見ながらそう叫んだ。雑念や膿を一切排除した、純度百パーセントの本心だろう。
そうして彼女は、眼前にいる俺へと倒れ込むように縋りついてくるのだった。
「助けて……麦嶋君…………」
それは、これまでずっと一人で戦い続けてきた彼女からの弱々しくも力強いSOSだった。
背中にそっと手を回す。俺の胸の中ですすり泣く彼女は小刻みに震えていて、今にも壊れてしまいそうだった。こんな小さな体で、一体どれほど多くの痛みに耐えてきたのだろう。
ここまでよく頑張ったと、そんな労いの意味を込め、彼女が落ち着くまでは抱きしめるべきかとも思ったが、やめた。その適任は俺ではない。
縋りつく彼女から離れ、俺は立ち上がる。
そして、まだ泣き顔を晒している彼女を見下ろし、ただ一言返答した。
「よし。それでいい」