【144】逃げろ
「うぁぁああ──」
為すすべもなく俺は地に叩きつけられた。即座に目の前が真っ暗になって、死を知覚した。自らの死を知覚するなんてわけ分からんが、ともあれ俺は知覚した。そして、さらに不可思議な現象が起こった。
「──?」
目が覚めたのだ。壊滅的な被害を被ったはずの神経が互いに結びつき接続し開放されていく。
土と草の匂い。俺はうつ伏せ。赤茶色の茂みの中。どこからか話し声が聞こえてくる。
「──生存者がいるようです。スキルが譲渡されません」
一瞬誰かと思ったが、ぼやけていた意識が清明になるとすぐに委員長だと分かった。しかし、麦嶋の話だとその正体は──
とっさに俺はうつ伏せの状態からさらに身を縮めた。恐怖で心臓が高鳴って、額に汗がにじみ、つばを飲み込む。
すると、遠くで電子音が鳴った。ピロロンピロロンという明るい音が何度か繰り返された。続けて複数の足音がして、誰かがその電子音の鳴った方向へと近づいていく。
「ヴェノムギア様。この者ですわ」
大人の女の声がした。どっかで聞いたことがある。そうだ。迷宮深部にあった映像、過去のロワイアルゲームにて、ヴェノムギアの側にいた女エラーコードの声だ。
「等々力さん……やはりその体格だけあって頑丈ですね。さすがに意識はないようですが」
聞き慣れたはずの委員長の声はとても冷たく淡々としていて、半信半疑だった麦嶋の話が事実であると俺は確信した。
等々力はまだ生きているようだが、さっきの電子音から察するに何人かは死んでしまったらしい。等々力にスキルが譲渡されたのだ。
音を立てないようゆっくりと手を動かし、短パンのポケットをまさぐる。辺りの茂みが風で揺れ動く音に合わせ、カードを取り出した。
『餓鬼大将』。ただ一つ、そのスキルだけがカードに表記されている。
なぜ自分がまだ生きているのか分からないが、少なくともこれが夢や幻ではないことくらいは分かった。
また俺は生き残ってしまったようだ。
「殺しますか?」
「はい。しかし、ouro6orosさんが裏切った今、死体を残せば簡単に蘇生されてしまいます。死体は綺麗に処理しましょう」
「……そうでしたわ。あの蛇ときたら、今度会ったらたたじゃおきませんわ」
ouro6orosが裏切った? もしかして茉莉也たちが懐柔したのか。すげぇ。マジかよ。
負けじと俺は自身を奮い立たせる。上半身を持ち上げ地に膝をつけ、茂みの隙間から連中の姿を目視した。開けた荒野にて、複数人の姿があった。
白いロングヘアーで赤の肩出しドレスを着た女、柔道着を羽織った二足歩行の巨大カブト虫、三角帽子をかぶったミニスカ少女、ビキニの上に黒コートを着た緑髪の女……そして、セーラー服を着た女子が集団の真ん中に立っている。四体のエラーコードと、委員長の姿をしたヴェノムギアだ。
すると、頭から血を流し、うつ伏せに倒れていた等々力が目を開けた。筋骨隆々な腕を伸ばし、血まみれのカードを連中に向ける。
何かスキルを使ったようだが何も起こらない。彼の表情にも明らかな動揺が見られた。
「!?」
「まったく……」
ドレス女の目が光っていた。そういえば、例の映像の中であいつはスキルの無効化っぽいことをしていた。桐谷のリニアが消えたのも、あいつの仕業か。
その女は、ゴミを見るような目つきで等々力を見下ろして、彼の脇腹を蹴っ飛ばした。
「あがッ……!」
巨漢等々力の体が十メートル直上に吹っ飛び、また同じ場所へ落っこちた。
女の着るドレスはワンピース型である。前丈が後ろより短く膝上の長さだった。だから、奴の韓国アイドルみたいな細長い脚もよく見える。そして、その脚からは想像もできないような威力の蹴りが繰り出されたものだから、俺は驚きと恐怖で絶句した。
呻き声を上げる等々力の側へ、カブト虫が歩いてくる。
「なぜ蹴る? 能力を無効化するだけで十分じゃろう?」
「何を仰っていますの? このわたくしに攻撃するような不届き者は、苦しんで死ぬのがお似合いですわ」
女の発言に爆発的な怒りを覚えたその瞬間、集団の後方に控えていたエラーコード……2anaがこちらに目線を向けているのに気づいた。
沸き立った怒りが急激に冷め、すぐに俺は身を屈めて息を殺す。
「何ニヤニヤしてんの? きも~い」
少女の声。これはたぶんraffl3siaとかいう奴だ。
「だってぇ、かわいい子羊ちゃん……見つけちゃったんだもん」
「羊? サバンナに羊なんていんの?」
ちくしょう。散々仲間を殺されて、今も目の前で痛めつけられてるってのに、一人だけ隠れて冷や汗だらだらで震え上がって……クソだせぇ。子羊のほうがまだマシだ。
だが、俺一人に何ができる? エラーコード四体に加え、委員長の皮を被ったヴェノムギアだぞ? 勝てるわけがない。麦嶋だって、逃げろと言って──
『大丈夫だ。いいから逃げろ。もうすぐ──』
通話が切れる直前の麦嶋のセリフを思い出す。
大丈夫って……なんだ? よく分からんけど、ヴェノムギアは死んだら他人を乗っ取れるんだよな? そんなのどうやって倒すんだよ? 現に委員長が乗っ取られて、スキルも魔法も使えるバケモンになってんだぞ? “もうすぐ”って言葉も気になるが、なんにせよ“大丈夫”なことなんて何一つないだろ。
だけど、あいつならなんとかしてくれるんじゃないか、という淡い期待もあった。
思えば俺たちが初めて出会った日、ロワイアルゲームが始まったあの日……俺はあいつにぶん殴られた。しかもカードまで盗まれ、心底ムカついたのを覚えている。
だが、その一方で、胆の据わった奴だと一目置いている自分もいた。なぜなら、俺にそんな度胸は無いからだ。
転校初日に俺みたいな奴に絡まれて、なんの躊躇もなく反撃し、挙句物を盗むなんて普通じゃない。サイコパスなんて言葉を使ったら聞こえが悪いが、いつだって世界を変えるのは、ああいうぶっ飛んだことを平気な顔してやれる奴なのかもしれない。
茂みで身を屈めながら手元のカードに視線を落とす。
よく見ると、いつの間にかスキルが使用状態になっていた。『餓鬼大将』という表記の下に、現在効果対象となっているものがズラッと羅列されている。
笑える。どうやらこれのおかげで生き残ったようだ。黒尾に殺されるべきだったとか考えておきながら、俺はまだ生に縋り、無意識のうちにスキルを使っていたらしい。
だが、おかげで道が開けた。このスキルの可能性に気づけた。これがあればみんなを逃がせる。そうか。俺はきっと、このときのために生き残ったんだ。
そうして、俺はゆっくり立ち上がる。茂みの中から上半身を出し、エラーコードのクソ共に姿を見せた。
傷も何もない万全状態の俺を見て、ヴェノムギアが面食らった様子を見せる。
「え──」
ドレス女にスキルを無効化されたら詰むので、連中の姿を視界に捉えるなり即座にスキルを発動した。
躊躇も恐れもとうに無い。俺は容赦なく、エラーコードおよびヴェノムギアの眼球を潰して破裂させた。
「あ……!? い、いぎゃぁぁああ!!」
ドレスの女が一番デカい絶叫を上げ、他の連中も同様に、潰された瞳を両手で押さえ悶え苦しんだ。
これで連中の視覚を潰した。どうだ? これでもドレス女は能力を発動できるだろうか? あの能力だって何も無差別に発動しているわけではあるまい。もしそうなら味方も巻き添えになる。たぶん対象を目視か何かすることで発動するんじゃないか? 違うか? 分からん。いいや。どうせ俺はバカなんだ。考える暇があったらさっさと行動だ。
うずくまって倒れている等々力に『餓鬼大将』を使う。近くに倒れていた茂田と名波にも同様にスキルを使った。茂みから出て辺りを見回し、月咲と瀬古を見つけた。その向こう側には桐谷もいる。みんなひどい怪我だ。たぶん死んでいる。クソ。落ち着け。少し離れた位置に七原とアダムさんの死体もあった。よし、あとは雲藤。どこだ。どこにいる。
「な……何ですの……これは!?」
ドレス女が片手で血だらけの両目を覆い、よろめきながら立ち上がろうとしていた。しかし、問題ない。依然スキルは使える。読み通り、視界を封じれば奴の無効化も発動しないようだ。
すると、急に女は前傾姿勢になって地面を蹴り、風を切るような速度で突っ込んできた。先ほど俺がいた茂みに一瞬で移動し、その場所を殴ったのだ。
「おわ……!?」
当たっていないのに風圧で体が吹き飛び、尻もちをついた。場所を移動していなかったら直撃。即死だった。先ほど『餓鬼大将』の応用に気づき、おおよその怪我は治せるようになったが、それでもさすがに即死はまずい。ガチで危なかった。
すると、今のはずみで雲藤を発見した。俺が隠れていた茂みとはまた別の茂みにて頭から血を流して倒れている。彼女も死んでいるだろうが、この急場さえ凌げれば必ず茉莉也たちが蛇を連れて助けてくれるだろう。
「そこか……!?」
この女、物音だけで俺の位置を……だが遅い。すでにみんなを逃がす準備は整った。
『餓鬼大将』を雲藤たちにかける。続けて等々力を操作し、彼に譲渡されたらしい『鉄道男』を発動。リニアを出して、その列車内に全員ぶち込み扉を閉めた。
雑で悪いなみんな。でも、許してくれよ。
「れ、列車の音……!? なぜ!? どうして!?」
攻撃態勢を取っていたドレス女が狼狽えるが、すぐにまた音に反応し、リニアへと体を向けるのだった。破壊するつもりか。
「させねぇぇ!!」
「あがッ……!?」
女の攻撃方法を真似して、俺も地面を蹴って突っ込み、その顔面を殴り飛ばした。これも『餓鬼大将』の応用で威力を底上げできた。あのいけ好かない女を五十メートル近くぶっ飛ばせたが、俺の指と手首が折れた。死ぬほど痛いが、これもすぐ『餓鬼大将』で治す。
他のエラーコードたちがどよめく中、みんなを乗せたリニアは加速を始める。列車はどんどん速度を上げ、磁力で少し浮き上がりさらに加速した。果てしなく広がる荒野を走り抜けていく。
「逃げろ! みんなぁああ!!」
麦嶋、これでいいんだな? 信じるぞ、おまえのこと。ヴェノムギアどもは俺がしばらく引き受ける。だから、みんなを守ってくれ。委員長もなんとかして助けろよ。誰か一人でも死んだらぶっ飛ばすぞ。
「──う~ん? なんでしょう? 『餓鬼大将』を使っているのでしょうが、どうやったらそんなに色々できるのでしょうか?」
割り座のような姿勢で荒野に座り、両手を地につけた委員長……ヴェノムギアが静かに呟いた。両目からぽたぽたと流血し、その血が地面の一部を赤く染めている。
「確かそのスキルの対象は自身より弱いもの……でしたね。自分以下ではなく自分より、です。いくらなんでも私たちを見下せるほどの実力はないでしょうし、ましてや自分自身を治癒するなんて不可能なはず。どうやったんですか、神白さん?」
ヴェノムギアの質問に俺は皮肉で返す。
「さん付けなんて水臭いな? それじゃあまるでヴェノムギアみたいだぜ?」
「ふ……もうなんとなくバレているようですね。むしろ都合が良いですよ。いい加減、女子中学生のふりをするのもきついのでね」
ヴェノムギアが首を下げたまま体を起こす。そのとき委員長の長い髪の隙間から、彼女のぱっちりとした二重まぶたの瞳が見えた。
「それで? 先ほどの問いに答えてもらえますか?」
「『治癒』で回復したみたいだな。やっぱつえぇな」
「無視しないでくださいよ」
しかし、『治癒』があったらエラーコードもすぐに回復されてしまう。ドレス女だけでも殺しておくか。
カードを持ちながら奴に視線を向けると、ヴェノムギアが俺の考えを見透かしてくる。
「あーご安心を。9ueenさんにはしばらく大人しくしていてもらいますので」
「なんだと……?」
ヴェノムギアが顔を上げる。とうに瞳は復活しており、頬に滴る血も乾いて消えていく。そのとき、奴はあまりに穏やかな笑みを浮かべており、俺は体の芯から恐怖を覚えた。
「だって、彼女がいたらそのすばらしいスキルが見られないではありませんか。どうせこのあと奪うので、お手本を見せてくださいよ。神白雄介さん」