【139】蛇をたずねて三千里
ラヴィちゃんの瞬間移動を複数回使って、孤島なんかも経由しつつ、私たちはミラミス大陸とはまた別の小大陸に辿り着いた。
そこにはどんよりとした湿り気のある森林が広がっており、ところどころ細長い岩山がそびえ立っている。山の頂点あたりには煙のような雲が浮かんでいて、いわゆる秘境と呼ばれるような場所らしい。
今は河原にいて、さほど閉塞感はない。側を流れる川は浅く太く、半分顔を見せた岩石が向こう岸までゴロゴロと転がっている。周りの岩山は見上げるほど高く、そのシルエットは都心のビル群と大差なかった。
「どうだ? 蛇の位置は変わっていないか?」
もう一度『桜花爛漫』を使い、川の上流のさらに先にあるノッポの岩山を指さす。
「変わってない。あそこ、あのてっぺんにいるよ」
「そうか……」
「ラヴィちゃん大丈夫? なんか疲れてない?」
「ああ。なぜか今日は瞬間移動の調子が悪くてな……やけに魔力を多く消費してしまう。でも、平気だ」
魔法にも調子とかあるんだ。
すると、ラヴィちゃんは立ち止まって辺りを見回し始めた。
「それにしても妙だな」
「え、何が?」
「マリヤの言う通り、あそこに異様な魔力を感じる。複数の生物を混ぜたかのようなエラーコード特有の魔力だ」
いまいち何が妙なのか分からないでいると、彼女がいつの間にか両の瞳に魔法陣を出しているのに気づいた。
「あの山の頂上に、エラーコードないしはouro6orosがいるのは間違いないだろう。だが、他のエラーコードの気配がまったくしないんだ」
「一人でいるってこと?」
「そうだ。おかしくないか? 単独で、しかもこんな場所で何を……」
寝てるんじゃない、と返答しようとしたそのとき、足音が聞こえた。
川の中央に構える大きな岩。その上に人がいた。ラベンダーカラーのコートを羽織った女の子。肩下あたりまで伸びたサラサラの髪も同じくラベンダーカラーで、なぜか目を瞑っている。
いつからそこにいたんだろう。視界に入ってもなお気配を感じない不気味な子だった。
「おまえ──」
ラヴィちゃんが声をかけた瞬間、女の子のうなじからタコの触手が生え、物凄い速度でこちらに伸びてきた。
すかさずラヴィちゃんが前に出て、魔法陣から抜刀。目にも留まらぬ速度で黒い刀身を振り、その触手を斬った。丸太のような触手が乱切りにされて、あたりにボトボト落ちる。
同時に女の子の目が開き、それが真っ赤であることに私は気づいた。
「なんで魔王もいんだよ。だりぃな」
思っていたよりも数段低い声。というか、普通に男性の声でびっくりした。
ラヴィちゃんが剣を構えながら、また一歩前に出る。
「エラーコード……なのか?」
「見りゃ分かんだろ。頭にミソ詰まってねーのか?」
「しかし、魔力が──」
「感知できないって? そりゃそうさ。そういう能力だからな」
瞬間、何か湿ったものが太ももに触れる感触があった。そして、私は何もできないまま、突如現れた触手により拘束された。透明の触手がすでに周りに伸びていたらしい。触手はすべて少女の背中辺りから生えていた。ラヴィちゃんも同じく全身をグルグル巻きにされている。
「く……いつの間に!?」
「さて魔王。僕が仕留めたいのはあくまで転移者だ。おまえは関係ねぇ」
脚の方から胸元にまで伸びていた触手が、ゆっくりと私たちの首に巻かれていく。
「おまえなら空間魔法で簡単に抜けられんだろ? それで失せろ。そしたら、おまえは助けてや──」
ラヴィちゃんが消えた。一瞬の出来事だった。
触手に拘束されていた彼女が魔法陣を展開したかと思えば、そこからいなくなって、エラーコードのいる岩の上に移動。その首を斬り飛ばした。泣き別れになった少女の体と頭が、浅瀬の川に落ちる。
それとほぼ同時に、私を縛り付けていた触手も斬られる。まだ彼女はエラーコードの側にいるのに、その可愛い声が後ろから聞こえてきた。
「怪我はなさそうだな」
「え!? あれ? ラヴィちゃん!? 二人!?」
「こっちは分身だ。これも一応、魔王一族の十八番だな」
えーラヴィちゃん超格好いいんだけど。もうちょっと敬お。
「──あぁ~あ。やっちゃったな、おまえ?」
なんかもう当たり前みたいなノリでエラーコードが立ち上がっていて、斬られた首もいつの間にか元通りになっていた。
すぐさまオリジナルのラヴィちゃんが剣を振って追撃するが、エラーコードはそれを難なく躱し、川の下流側へと逃げる。
「は? 何おまえら? ouro6orosを懐柔しにここへ? 正気かよ?」
なんでそのこと──
「でもって、他の連中は魔界……ゴルゾラに行ったと。オッケー。今度こそ全滅させてやるよ。そんとき多少魔族を巻き込むかもしれんが文句言うなよな? 僕の忠告を無視すっから悪いんだ」
そういえば、前に七原さんが言ってた。タコのエラーコード……octo8usは他人の思考を読んでくる。
そのことをラヴィちゃんに伝えようとする前に、彼女がまた斬りかかった。真正面から突っ込んでいったかと思えば、いきなりタコの直上に瞬間移動した。しかし、タコは視線を動かすことなく、最小限の動きで横にステップして斬撃を躱した。攻撃を先読みしたとしか思えない動きだった。私が伝えるまでもなく、そのことに彼女も気づく。
「感知無効。触手操作に加え、思考を読む力か。エラーコードにしては地味だな」
「はっ、雑魚ほど口が回る回る」
彼女は岩の上から、川の下流側にいるタコへと剣の切っ先を向けた。
「やはりこれまでの一件にはおまえらが関わっているのか? ムギがいなくなったのも、スモモの変貌も、何もかも!」
「どうだろうな」
「ヴェノムギアは死んだんだ! ロワイアルゲームはマリヤたちの勝利だ! 下らん報復などやめて、彼女らを元の世界へ帰してやれ!」
「……」
タコは表情を徐々に歪ませて不気味に笑い、瞳はさらに強く光り始めた。
「報復ぅ~? なんの? ヴェノムギア様はご存命だぜ?」
「は?」
告げられたその事実に私たちが困惑しているうちに、タコは体を反らし、天上を見上げるみたいにしてはるか後方の岩山へと叫んだのだった。
「ouro6orosゥゥウ!! こいつら! 今ここでぇ! ちゃちゃっとぶち殺すぞ!!」
タコは姿勢を戻し、やや前傾姿勢になって、首の後ろから触手を出してきた。今度は五本くらい一気に。続けて、辺りの川や地面の一部が泥沼のようになって、そこから同じような赤黒い触手が生えてくる。次から次へと沼は増殖していき、それに伴い触手も増えていく。
しかし、ラヴィちゃんはまったく驚く素振りを見せず、黒い剣を腰の辺りで構え、重心を下げたのだった。ちょうどお侍さんが刀を抜くときみたいな感じだ。だけど、さすがは魔族。その数秒で、剣に魔法をかけていた。いくつか赤い魔法陣が刀身をなぞっていくと、その刃が輝きを増しながら燃え盛った。
そして、無数の触手の一斉攻撃が始まるより一手早く、ラヴィちゃんが剣を横に振るった。
後方にいる私にも熱気がきて、ほんの一瞬目をつむってしまう。気がついたときには、ラヴィちゃんの前が火の海になっていた。周辺にあった触手や木々が燃え盛ってしかも真っ二つになっているのを見るに、たぶん超広範囲に火炎を飛ばしつつ、斬撃も与えたみたいだ。
「す、すごぉ……逆に大丈夫? これ?」
「大丈夫なはずあるか。当然山火事になる。だが、相手はエラーコード、しかもあの蛇もいる。欠片でも死体を残せばきっと──」
炎の中で何かが動いた。octo8usだ。斬れた体がひとりでにくっついて、焼け焦げた皮膚も治癒していき、そいつは立ち上がるのだった。加えて、斬られた触手もみるみるうちに復活していく。
「不死と無限の黒蛇……思っていたより厄介だな」
ラヴィちゃんは一旦分身を消し、岩から跳躍して私のところまで戻ってくる。
完全復活したタコが、火炎の中で両手を広げ高笑いした。
「さすが魔王! とち狂った火力してるぜ! けど……足りん。足りん足りん! ぜ~んぜん足りん! もぉ~っと火力を上げてよぉ、肉も骨も残さず跡形もなく体を焼かなきゃ、蛇の蘇生に間に合わないぜぇ?」
「確かに異常としか言えない能力だ。しかし、進化した私の空間魔法があれば──」
「あの花畑……異空間に僕を連れ込んで殺せると?」
思考を読まれたらしく、ラヴィちゃんの表情が少し険しくなる。
「……そうだ! いくら噂の黒蛇でも、異空間まで能力を及ぼすことはできないだろう!?」
「ああ。できねぇかもな? で? 僕をそこに連れ込めんのかよ?」
「造作もない!!」
魔法陣に剣を納め、ラヴィちゃんは両手を合わせる。白い蒸気のような魔力が彼女から溢れ出した。
しかし、なぜか彼女は魔法陣を展開せず、それ以上動かなくなってしまう。
「あ……あれ? どうして……」
「ラヴィちゃん?」
合わせていた手を離し、困惑した様子で彼女は自身の手のひらをまじまじと見るのだった。特に異常はなさそうだったが、彼女の顔からサーッと血の気が引いていく。
「忘れちゃったなー? 空間魔法」
「……」
「今にその存在すら忘れるぜ? どっかの無能力者みたいになぁ!」
「……お、おまえ」
存在を忘れるって、それ──
炎よりも赤い、少女の瞳と目が合った。揺らめいていたすべての触手が動きを止め、その先端を一斉にこちらへ向けてくる。
「そうだ。おまえらが想いを寄せてるあいつ……どこがいいんだか分かんねぇあのクソ野郎をこのエアルスから消したのはこの僕……octo8usだ。ギャハハハ!!」