【135】ヒエラルキー
仙境と言われるこの地には、数百メートルを優に超える細長い岩山が林立している。その数なんと二千八百六十六。うち、もっとも高い岩山からの景色はいつ見ても圧巻である──
「──ouro6oros。おまえ何してやがる?」
柱のようにそびえる岩山の頂上から、赤い目の同胞が覗き込んでくる。菫色の髪をした少女だった。タコの眷属だろう。
「首吊り……だ」
「ちっ」
そいつは舌打ちをし、我の首に絡まる蔓を雑に引っ張り上げた。
「んなことで不死身の黒蛇さんが死ぬかよ? てか、蛇の首ってどっからどこまでだ?」
「……」
嫌味を無視して、我は岩山から飛び降りようとする。しかし、すぐさまタコの赤黒い触手で捕らえられてしまう。ロープのようなその触手は、眷属のうなじから伸びていた。
「おい。どうしちまったんだ?」
「放っておけ……」
「ったく……ヴェノムギア様の言っていた通りだ。だいぶ塞ぎ込んでんな? おまえを乱したのは新妻茉莉也だったか? どうだ? やられっぱなしで悔しくねぇか?」
触手に拘束されながら、我はお構いなしに瞬間移動の準備をする。
「違う……乱されたのではない……元より恐れ、奥底に封じていた恐怖を思い出してしまっただけだ」
「何がちげぇのか分かんねー」
「我は死なない……死ぬことができない……この永遠に続くであろう地獄を──」
「あー悪いがポエムを聞いていられるほど暇じゃねぇんだ。さっそく本題に移るぞ」
すると、タコは触手を操作し、眼前まで我を動かして目を合わせてきた。
「ちょうど一週間前、ヴェノムギア様が死んだ。殺ったのは李知華子だ。他の転移者もまだうじゃうじゃ生きている。つまり、それがどういうことか分かるな?」
「……」
信じがたい話だが、主への忠誠心なら9ueenに勝るとも劣らないこいつが、そんな不敬な虚言を吐くとも思えない。
我はすぐ状況を飲み込み、逃亡のために準備していた瞬間移動を中断した。
「一週間前……となると、明日辺り……仕掛けるのか?」
「今日だ。今日僕らは転移者に総攻撃を仕掛ける。ヴェノムギア様もこの一週間で、準備を整えてくださった。すでに万全だ。さて、もちろんおまえも手伝ってくれるよな?」
我は口をつぐんだ。状況がどうであれ、今は誰かと争う気にはなれない。
「悪いが──」
断ろうとした刹那、地面の一部が溶け出して、そこから二体のエラーコードが召喚された。
2anaと9ueenだ。二体とも死んでいる。2anaは元の太ったヤドクガエルの姿に戻っており、9ueenは全身が焼け焦げている。また、それとは別に二匹のヤドクガエルも転がっていた。こいつらは──
「それはbeet1eとraffl3siaだ。色々あって2anaの毒にやられた」
「なんだこれは……なぜこんなことに……?」
「質疑応答はあとで受け付ける。とにもかくにも、おまえが病んでるうちにこれほどの被害が出たんだ」
何も言葉を返せずただ俯いた。
「なぁ蛇? 僕らは所詮、ヴェノムギア様の兵器なんだ。つまらんことで悩んでねーで、ヴェノムギア様に仕えろ。それがおまえの生きる意味だ。違うか?」
「……」
「それに、今エラーコードでまともに動けるのは僕とおまえしかいない。一応bac7eriaはいるが、ありゃ9ueenが制御しなきゃ危険すぎる。もう僕たちだけなんだ。だから──」
タコが話し終える前に我は能力を使った。
その場に倒れ死んでいたエラーコード、そしてカエルになっていた者たちをまとめて復活させる。
「──やぁん!? クロー様ッ!?」
黒と緑のブクブク太ったヤドクガエル……2anaがいち早く飛び起きた。
タコがニヤリと笑い、寝ぼけているような彼女に言葉を発する。
「黒尾は僕が殺したぜ」
「え、タコちゃん……!? ひど~い! ところでここは……って、ちょっとやだ!? 私どうしてこんな醜い姿に!?」
「何言ってんだ。それがおまえの真の姿──」
「ホゲェェ!!」
2anaは突如目を光らせながら透明な液体を吐き出し、それを自身にぶっかける。
すると、瞬く間に能力が発動し、いつものふしだらな人間の姿に変わった。
「きっも」
「あぁー! タコちゃんたら、そんなことばっか言っていけない子! めっ、なんだからぁ!」
「ちっ……」
「あらあら? 蛇ちゃんに……お花ちゃん、虫ちゃん、姫ちゃんまでいるじゃない!? なになに~? 今日って誰かの誕生日ぃ?」
誕生日ではないし、もしそうだとしても全員同じである。
続々とエラーコードらが意識を取り戻し、五体満足で復活して騒ぎ出す。
「わたくしは一体……あ、そうですわ!? ヴェノムギア様!? ヴェノムギア様は無事ですの!?」
「何これ? あたしたち、麦嶋たちの見張りしてたよね? どゆことbeet1e?」
「わ、わしもさっぱり分からん……」
すると、タコが力強く手を叩き、彼らを静めた。
「騒ぐなノータリンども。僕たちがすべきことはただ一つ。ヴェノムギア様の命に従い、転移者を殲滅すること。何も慌てることはねぇ。そうだろ?」
「…………」
エラーコードに優劣はない。ヴェノムギア様から与えられた通し番号はあくまで識別のための数字であり、序列ではない。だが、永らく行動を共にしていると一種のヒエラルキーのようなものが生まれてくる。能力の強さや主への貢献度とはまた違う……そこはかとない雰囲気や発言力のようなものが、奇妙な序列を形作るのだ。
そして、その序列を感じるのは決まってocto8usが発言したときである。
「これより最終決戦の戦闘配備を伝える。慌てることはないと言ったが、これまでおまえらに好き放題やらせた結果がこれだ。今回に限り、サボりは無しだ。ヴェノムギア様が許しても僕が許さねぇ。心して聞け──」
※ ※ ※
ログハウスのすぐ隣には小屋が建っている。
一見ただの倉庫のような、なんの変哲もない小屋だが、そこの扉を開けると地下へと繋がる階段がある。石のブロックでできた階段で、人が数人行き交えるほどの幅だ。そこを降りて、途中の踊り場で直角に曲がり、また十段ほど降りる。すると、両開きの扉に辿り着く。私がその戸を何回か叩くと、中から足音が近づいてきて声がした。少し渋い声だ。
「誰だ?」
「私です。アダムさん」
「その声は──」
扉が開き、白いチンパンジーが顔を出した。
鍵をしていないのか。いや、そもそも鍵はついていないようだ。不用心な。
「どうした? こんな朝早くに?」
「すみません。でも……ちょっとみんなのことが心配で。蘇生作業……どうですか?」
「どうって、昨晩も伝えたろ?」
「そうですよね。でも、なんだか気になって……」
正方形の白い空間。中は結構ひんやりしていた。天上には同じく白いブロックが敷き詰められていて、それがどうやら光源となっているらしい。興味深い。また、手前側に三台、奥側に四台のベッドが並べられており、その上には──
「あんま見るもんじゃないぞ。クラスメイトの死体なんて……」
やはり蘇生はまだ完了していないようだ。
今さら人間の死体なんぞどうとも思わないが、体裁を保つため私は一応目を背ける。
「どうですか? 桃山さんたち?」
「安心しろ。昨日言った通り順調だ。バラバラ死体の桃山はまだまだだが、他の連中……特に宮島辺りは今週中にも息を吹き返すかもしれない」
「……」
「しかし、ここから先は俺の魔力だけじゃ無理だ。エリザベータ様の魔力をお借りする必要があるだろうな」
アダムさんが疲労感たっぷりの溜息をついて、長い腕で自身の首を揉みほぐした。
「そうですか。でも、邪神はいませんよ?」
「……は?」
私の口から発せられた“邪神”という言葉を聞き、彼の目の色が変わった。
「おい……? なんて言ったおまえ?」
「今、上にいるのは私の『夢想家』で作った偽物で、それを『人形劇』で動かしているだけですから。だから、邪神はいません」
瞬間、アダムさんが白衣の内ポケットに手を突っ込んだので、即座に『手刀』で腕を刀にし、彼の手を切りつける。躱された。さすがに速い。
「おまえ……何を!?」
「困るんですよ、アダムさん。そう何度も転移者を蘇生されては」
「は?」
「だって、キリがないじゃないですか? スキルの譲渡もややこしいことになりますし。ただまぁ……私も私でouro6orosさんをよく頼るので、人のことを言えたものではありませんが。あ、人じゃなくて猿か。なんて、無駄口を叩いてみたり──」
『三秒ルール』でアダムさんの時を止める。私は即座に光魔法の属性弾を放ち、彼の胸部を貫く。血が噴き出し、辺りの白に斑点模様がついた。
三秒後、彼の時間感覚が元に戻る。彼は膝から崩れ落ち、鬼の形相になって即死した。
「──!?」
肋骨や肺、心臓を丸ごと破壊されれば、さすがの彼もどうしようもないだろう……とか、そんな油断は決してしない。先日、私が大敗を喫したのも、そんな油断によるものだった。
やるなら徹底的に。最後まで。妥協は禁物だ。私を殺した彼女がやったように、殺した上でさらに殺す。死体は跡形も残すことなく──
「……何やってるの……知華子?」
背後から声をかけられた。
七原さんか。これだから扉には鍵をつけるべきなのだ。