【134】ヴェノムギア
「──そうして私はエアルスを出た。で、五百年余り、アダムと一緒にムゥでダラダラ時間を浪費してたら、ある日突然、あなたが来た……って感じね」
「はあ」
「話は終わりよ。どう思った?」
どう思ったってなんだよ。エリーゼの過去が知れて良かったですとか言えばいいの?
「えっと……俺はてっきり、エリーゼが大暴れしたせいで邪神って呼ばれてるのかと思ってたんだけど、全然違ったな。そのミラミス王が諸悪の根源って感じだった」
「同じよ。私の罪は変わらない……」
「あっそう。ところで感傷に浸ってるところ悪いんだけどさ。ヴェノムギアっていうかマティラスの能力は? それを教えてくれるって話だったよな?」
「……」
ベンチにふんぞり返りながら、彼女は口をポカンと開けた。
忘れてたな、こいつ。自分語りに酔ってんじゃねぇよ。
彼女はベンチに深く座り直し、腕を組み、一息置いてからまた話し出す。なぜか偉そうである。
「……ええ。もちろん教えるつもりだったわ。話の腰を折らないでもらえるかしら?」
さっき“終わり”って言ったろ。
とはいえ、もうじれったいので、急かす意味でも俺は自身の予想を口にする。
「王がマティラスを殺したって言ったよな? 実はそれ逆なんじゃないか? マティラスが王を殺したんだ。でもって、マティラスが魔法かなんかで王に変身。人間界の戦力を我が物として、エリーゼに反旗を翻した。すべてはエアルスを支配するために!」
かなり適当だが、割と惜しいところまでは行っている自信がある。
マティラスが王に成り変わっていたとすれば、王が急にパワーアップしたことにも説明がつく。その後、サメに食い殺されているが、なんかそれも上手いこと魔法で切り抜けて生存。仮面をつけてヴェノムギアとなり、エリーゼのいなくなったエアルスを支配した──ほら、動機とか細かいところに目をつむればなんかそれっぽい。
「さすがね……半分正解よ」
「うぇーい!」
「でも、正確に言うとあれは、王でありマティラスでもある」
「は~い! そういう回りくどいの禁止ィィ! 答え! 答えをください! なぜなら! もう! 三時ですからッ!」
スマホのデジタル時計を見せ、連打するみたいに指をさす。
そして、エリーゼはその答えを端的に提示するのだった。
「マティラスは死亡時、他人の体を乗っ取れる。それがあいつのスキル『心魂侵食』よ」
「ん……?」
なんて言った今? 他人を乗っ取る? そうか。それでマティラスは王を──いやちょっと待て。スキル?
「マティラスは言ったでしょう? 人間はまだ進化途中だって。そして、人間の持つ特異なエネルギーとは、あなたたちが使っているスキルのこと。この世界で初めてその力に覚醒した彼は『心魂侵食』でミラミス王を乗っ取った」
「タイムタイム! えっと──」
頭を掻き毟り、急に入ってきた新情報を瞬時に整理し、質問をまとめる。
マティラスは、エリーゼが魔法で生み出した神使であり、人間だった。俺たちと同じ人間。そして、なんか人間には特異なエネルギーがあって、彼はそれに覚醒した──
「──ど、どうやって?」
違う。それも気になるが、もっとも気にするべきことは他にある。
しかし、エリーゼはその問いにも答えてくれる。
「私がアダムにやったこと覚えてる? ただのチンパンジーだった彼を魔法で強引に進化させたこと。マティラスはそれを自分自身にやったのよ。人間界を上手く統率できない現状に焦って、自分を進化させたと言っていたわ」
エリーゼは追い打ちをかけるように、その理不尽極まりない能力を説明し続ける。
「スキル『心魂侵食』は、乗っ取った相手が所有していた魔力や魔法も我が物にできる。これまでマティラスがどれほどの生物を乗っ取ってきたのかは知らないけれど、彼はそのすべての力を引き継ぎ、自在に扱えるわ」
「……」
「だから、彼は殺せない。殺せても、また誰かを乗っ取って、さらに強くなる。強くなり続ける」
笑えてきた。なんだその能力。
確かロワイアルゲームにおける転移者の勝利条件は“ヴェノムギアの抹殺”だった。なんて姑息なルールだろう。
そして、今もっとも気にするべきはヴェノムギアが誰を乗っ取っているのかということ……いや、もう分かり切ったことか。先日ヴェノムギアもといマティラスを殺し、その近くにいた人を考慮すれば自ずと答えは見えてくる。
マティラスが今乗っ取っているのは──
エリーゼが俺の手を優しく握ってきた。体温はない。いまだ田中実の姿だが、こうして触れると、人間どころか生物ですらないと改めて思い知らされる。
「おまえは……それで俺を地球に逃がしてくれたのか?」
「逃がしたのはマティラスよ。私が今回のロワイアルゲームに関わらないと約束するなら、ムギだけは逃がしてもいいって言われて──」
「なんだそれ? 元はと言えば向こうがエリーゼを巻き込んだのに、急に関わるなとか言ってきたの? それってあれじゃね? やっぱりエリーゼはマティラスにとっても脅威なんじゃないの?」
「さぁね。なんにせよ、その要求を飲まなければ次はムギを乗っ取って、アダムのことも殺すって言われたわ……」
こっわ。
「そうして私たちはゲームから除外された。あなたの記憶はタコのエラーコードが消したのだけれど、完全に消えるまでは数日かかるみたいで、それまで私が側にいることにしたの。だって、記憶が戻ったら辛いでしょう? だから、いつでも私が記憶を消せるように見張ってたのよ」
「そうか。随分と楽しそうな見張りだったな」
彼女のへそ出しファッションを舐め回すように見る。
「こ、これは……記憶を蘇らせないようにするためにあえてやったことよ! 恋人ごっこも全部演技だから!」
生物ではないエリーゼに性欲はない。ゆえに恋愛もしない。演技というのは照れ隠しでもなんでもなく事実なのだろう。しかし──
「恋愛的な好意はなくとも、おまえが俺のことラブなのは幼児化したときにバレてるし。デート中も結構ノリノリだったよな。田中さん超可愛かった。またやってくれや」
「うっさいわね……ほら! マティラスの倒し方は! 何か思いついたの!?」
そうだ。倒し方。俺がそれを考えて、エリーゼの言う最善をやめさせる話だった。
「そのスキル『心魂侵食』は激ヤバだけど……弱点はある」
「というと?」
「たぶん乗っ取れるのは生物だけなんだろ。しかも、その発動には、必ず誰かに殺される必要がある。殺されて初めてその相手を乗っ取れるんだ」
五百年前、ミラミス王もといマティラスはサメに食い殺されていた。しかし、あれは逃亡の末の無様な結末などではなく、彼の生存戦略だったに違いない。
もし仮に『心魂侵食』が生物でもなんでもお構いなしに乗っ取れるのなら、逃亡などせずエリーゼを乗っ取るはずだ。でも、彼はそれをしなかった。きっと『心魂侵食』には何か制限があって、マティラスは逃げることしかできなかったのだ。つまり、エリーゼがマティラスを殺せば──
「残念。私が彼を殺せばいいって言いたいんでしょうけど、『心魂侵食』は非生物も乗っ取れるわ。誰にも彼は殺せないのよ」
「え、そうなの!?」
「そうよ。だって、マティラス本人からそう聞いたもの」
「いやいや。それだけ自由度の高いスキルなら、とっくにエリーゼも餌食になってるだろ?」
「でも、本人がそう言ったんだから信じるしかないじゃない」
いや、ブラフかもしれないだろ……と、言おうとしたが一つ重大なことを忘れていた。
そういえば彼女には、嘘を信じ込ませるスキル……なるものがあった。
マティラスはたぶんそれを使ってエリーゼを騙したのだ。根拠もなく信じ切っているようなエリーゼの言動を見るに間違いない。
となると、『心魂侵食』ってスキル自体が嘘……なんて可能性もあるのか? うわ、めんどくさ。いいや。そこの真偽は後でどうにか精査するとして、今は『心魂侵食』が実在すると仮定しよう。
たぶん、『心魂侵食』でエリーゼは乗っ取れない。つまり、マティラスにとって、エリーゼは依然脅威なのだ。それで、エリーゼを地球に追放し、ロワイアルゲームを有利に進めようとしたのではないか? 誘ったのは向こうなのに。腰抜け野郎が……と言いたいところだが、さすがにそれだけではない気がする。もしそれだけの理由でエリーゼを追放したのだとしたらダサすぎる。きっと奴はまだ何か悪巧みを──
「分かった? これが最善なのよ。あなたは全てを忘れて、地球で平和に生きる。それでいいじゃない? ね?」
しばらく黙っていたら、エリーゼが思い詰めたような表情でそう言ってきた。
まだ考え中なんだが。てか、そんな悲しそうな顔で言うことが最善なわけあるか。
「あのさぁ? それ茉莉也ちゃんの前でも言える?」
「え……」
「あんな良い子めったにいないぞ。おまえのことも心から慕ってるし。でも、おまえはそんな彼女のことも見捨てようって言ってんだ。彼女だけじゃない。七原さんや他のみんなだって──」
すると、エリーゼがつかみかかってきた。その手はわなわなと震えている。
「言えるわけないでしょ!? でも……! それでも私は……あなたを失いたくないの! あなただけでも助かってほしいのよ!? 意地の悪いこと言わないで……!」
「は、はい。すみません。ところで、一応ここ公共の場だからね? 人たくさんいるからね?」
しかし、彼女はそんなのお構いなしに俺の胸に顔を埋めて泣きついてきた。
「お願いよ、ムギ!? いつも何か考えてくれるじゃない!? 本当は何か思いついてるんじゃないの!? ねぇ!? そうって言ってよ……!!」
「あー」
なんでこいつ終始諦めムードなんだよ。例のスキルで騙されているにしたって限度があるだろ。
でもまぁ、こいつって元からこんな感じか。戦闘力は間違いなく最強だけど、それに対してメンタルが最弱なんだ。ほんと極端なやつ。そういえば初めて会ったときもエラーコードになんか言われて病んで自殺しようとしてたな。なんだよあれ。今でもムカつくわ。
確かにマティラスは強いけど、付け入る隙はありそうだし、そんなすぐ諦めんなよ。バカ。
ちょっと説教してやろうと思ったそのとき、エリーゼがぐしゃぐしゃの泣き顔を見せながら上目遣いしてきた。
「ムギ……キスするわね…………」
「あぁん??」
「いつか誰かとしてみたかったの。人間や魔族、動物たちが親しい相手とそれをしているのを見て、昔からちょっと興味があって……前にアダムとしようと思ったんだけど、畏れ多いって断られちゃったから。記憶を消す以上、あなたとはお別れだしね。最後のお願いよ」
エリーゼが両手を伸ばし、物凄い力で俺の顔を挟んできた。
痛いし、急だし、むりやりすぎる。
「じっとして。ちょっと動くんじゃないわよ。もっとこっち。だから下よ! 下向きなさい! 考えれば分かるでしょ!? あ、目って瞑るの? 口は閉じるわよね? あれ? でも、オオカミたちは舌を使ってキスしてたわ……よし、使いましょう! あと魔法は? 魔法は撃っていいの?」
力づくで顔の向きを調整される。痛い痛い。おまえも動け。ていうか何も分かってない。なんだこの雰囲気もクソもないキス。あんまベラベラ喋んねぇんだよ。あと魔法は絶対撃つな。
「や、やめろ……この下手くそがぁぁ! マティラスッ……マティラスは倒せるからぁぁああ!!」
「え?」
彼女が俺から手を離す。頬がじんじんする。少し小顔になったかもしれない。
「今、倒せるって言ったの?」
「い、言った」
「嘘よ……」
「嘘じゃない。なんとかする。だから、エリーゼもごちゃごちゃ言ってないで手伝え」
しがみついていたエリーゼが元の場所に戻って座り直し、しおらしく両手を膝に置いた。取り乱したことを恥じらうように、それでいて安堵するように文句を垂れてくる。
「……なんで早く言わなかったのよ?」
「それはこっちのセリフだな。勝手に悩んで、勝手に諦めてんじゃねーよ。今までだって協力してなんとかやってきたんだから」
「それは……ごめんなさい。だけど、あなたを守りたくて……」
「なんも言い返せねぇよ……」
気を取り直し、ベンチから立ち上がって伸びをした。太陽はすでに西へと傾いていて長い影ができた。
振り返ると、いまだ不安そうな表情の彼女と目が合った。小動物みたいで抱きしめたくなったが、それをぐっとこらえて手を差し伸べる。
「とりまレッサーパンダ見に行くか」