【133】さようならエアルス
隕石衝突から三日後。
私は魔王親子とアダムとともに、魔界のとある針葉樹林にいた。積もった雪が木々の枝をしならせていて、時折雪塊の落下する音が聞こえる。
ミラミス王が放った『テイア』の威力は、エアルスを破壊するまでには至らず、巨岩はそれぞれ衝突とともに爆散した。本来『テイア』は衝突後も進行が止まらない。惑星を貫くくらいの破壊力はあったはずだ。きっと、私に殺されると分かった王が、あの土壇場で等級を下げたのだろう。
おかげでエアルスは無事だったし、私もすんでのところでエギラに助けられた。彼の空間魔法によって避難したのである。
だが、三界に深刻な被害をもたらしたのは言うまでもなかった。カロラシア大陸、ミラミス大陸における落下地点周辺は火の海と化し、多くの人と魔族が死滅した。大陸間に位置する私の島も消えて無くなり、その近辺の空には今もなお隕石の灰塵が舞っている。
「──いいの? こんな立派な椅子もらっちゃって?」
魔王クロードが私への餞別として持ってきたその椅子は、座る者の権威と栄光を約束するような存在感を放っている。隅々まで黄金で彩られたフレームとは対照的に、背もたれと座面に張られたビロードは魔王一族の髪色と同じ深紅である。
「もちろんです。エリザベータ様のためにお作りした世界に一つだけの玉座です。僭越ながら、私の空間魔法を織り込んでいまして──」
クロードがその肘掛けを指で三回小突いた。すると、玉座の前に青白く発光する半透明の球体が出現した。
「これは……ムゥ?」
ムゥとは、昨日私が創った衛星である。『テイア』によって散らばったエアルスの残骸を利用し、生み出したのだ。
「はい。この小型衛星に直接触れればその場所に瞬間移動できます。周囲の魔力を自動で吸収して発動できる優れものです。それと一応……この針葉樹林にも移動できますので、気が変わったらいつでも私たちの魔界に足をお運びください」
気が変わったら、か。たぶんそんな日は永遠に来ないだろう。
沈黙の後、クロードは飲み込みかけていたであろう言葉を発してくる。
「…………本当に、エアルスを出ていってしまわれるのですか?」
やるせなさや寂しさを含んだような言い方だった。あえて私はきっぱりと返答する。
「ええ。残っても仕方ないでしょう。今や私はエアルスにおける一番の嫌われ者……邪神だしね」
誰が広めたのか、私はエアルスを半壊させた“邪神”として名を轟かせていた。ミラミス王の息がかかった人間界ではもちろん、魔界でもそんな声が多く挙がっているのだという。そのことに後ろめたさを感じているのか、クロードが反論してくる。
「邪神などと自分を卑下するのはおやめください! あの隕石はミラミス王の仕業。エリザベータ様は何も悪くありません!」
彼の息子。エギラもそれに同調する。
「そうだ。もしあいつにエアルスを支配されてたら、僕ら魔族は終わってた。だって絶対勝てねーもん! 確かに、今回の件で魔族はたくさん死んだ……女神様を悪く言うバカもいる。けど僕は、女神様の選択は間違ってなかったって、そう思う!」
エギラが前に出てきて、まだ幼く小さな手を出してきた。
「なぁ? もう一度やり直そうよ!? 僕たちでまたエアルスを平和にするんだ!」
「……」
彼の曇りなき眼を直視できない。あえなく私は目をそらした。
「どれほど良いように言っても、私はあのときエアルスの滅亡を選んだわ。この星を支配されるくらいなら……ってね。要は、あなたたちを見捨てたのよ。そんな私に、手を取り合う資格はない」
「なんだってそんな暗いことばっか言うんだよ!? 僕の知ってる女神様はもっとこう……明るくて優しい奴だったじゃん!?」
彼は手を下ろし、涙ながらに訴えかけてくる。
すると、その肩に魔王が手を置いた。
「分かりました。女神様がそこまで仰るのであれば、私は無理に引き止めません」
「父さん!? なんでだよ……止めろよぉ!」
泣きじゃくるエギラを優しく抱き寄せて、彼もまた毅然とした態度を示してくる。
「ただ、一つだけお願いがございます。いつかエアルスへお戻りください。そのときは必ずや、平和になったエアルスをお見せいたしましょう」
こいつ、まだそんなこと──
「無理よ。平和なんて。あの人間たちと共存するつもり?」
こんな嫌味ったらしい言い方しかできない自分が心底嫌になる。
だが、クロードは迷う素振りなど一切見せず、即答してくるのだった。
「もちろんです。魔族も人間も同じエアルスの命。争う理由などありません。女神様から教えてもらったことです」
「……」
一瞬、頭が真っ白になった。
いまだ希望を捨てていない彼が眩しくて羨ましくて、妬ましくも感じてしまう。
「それじゃあ……何? 今回の件をすべて水に流すって言うの? あなたたちと懇意にしていたヨミミが死んだことも全部!? あなただって人間たちが心底憎いでしょう!? 平和なんて無理に決まって……」
反論しながら、あの王と同じようなことを言っていることに気づき、余計に自分が惨めに感じた。
ヨミミという名を聞いて、さすがのクロードも口をつぐんでしまう。
「……水になんて流さない。僕はヨミミを絶対忘れないし、ミラミス王のことは一生許さない」
エギラが父から離れ、涙目でそう訴えかけてきた。私はまた目をそらしてしまう。
そんな私を捕まえるように、その幼い魔族は手を伸ばして胸ぐらをつかんできて、無理やり目を合わせてくる。
「それでも僕らは前に進むと決めたんだ! エアルスを変える! 争いのない世界を作る! ヨミミだって女神様を信じて、ずっとそれを願ってた!」
「だから、そんなの──」
「無理じゃない! 僕はやる! やるったらやるんだ!」
エギラは手を離し、呼吸を整えてまた話し出す。
「女神様だって本当はまだ諦めてないんでしょ? だから、あの衛星を作ったんだ。いつでもエアルスに戻れるように」
「……」
「約束する。どれだけ時間がかかっても僕は諦めない。たとえ父さんや僕が無理でも、後の世代の魔王がいつか必ず成し遂げる。必ずだ」
ヨミミの遺言通り、エギラは立派な王になろうと努めているようだった。
人間は複雑な感情を有する──マティラスはそう言ったが、きっと魔族も同じだ。そこには一人一人想いがあって意思がある。決して同じ個体など存在しない。
王の憎悪も、マティラスの苦悩も、かげがえのない想いだった。だが、私は“種”の保存と安寧のため、それらを無下にしてしまった。だから、失敗した。彼らの想いに私がもっと早く気付いて向き合ってさえいれば、結果は変わっていたのかもしれない。
針葉樹林の隙間から重苦しい鈍色の雲を臨むと、しんしんと雪が降り始めていた。数多の命を弔い、世界を一新するような白雪だった。
春風に舞う花弁のように降ってきたそれを手のひらで受ける。六花は崩れなかった。転がり、すり抜け、手から零れ落ちていく。まるで私の存在に気づかなかったかのように、地面の苔に触れてからじんわり溶けた。
「そう……頑張ってね」
心からの激励だった。それ以上の言葉は思いつかない。私はもう疲れてしまった。
しかし、そんな薄っぺらい言葉にもエギラとクロードは笑顔で応えてくれた。
散々な結末だけれど、彼らが生き残ったことくらいは喜んでもいいだろう。
最後は私も微笑んで、彼らと別れることができた。
さようなら。私のエアルス────




